「だから、物の怪」
「主じゃというに」
「おまえが代わりに船まで持っていけよ」
聞く耳を持たない剣士は、ずい、と主に向かって桶を押し遣った。
「おれはもうちっと散歩してから戻る」
「……構わぬが」
ああ、じゃあ頼んだぜ、そう言い残すと剣士はもう振り返らずに泉の脇を抜けて森の中へと戻っていき。
くぅ、と主が首を傾けた。灰白の獣の風体のままであるから、なかなかに可愛らしい。
「恩人であるしな、」
ぽつりと長い尾をゆらりと揺らし、主はなにやら呟いており。
カナカナカナカナ、と。また鳥が鳴いていた。
さて、一方お誕生日オトコを迎える船の優秀なる料理人としては。愛しいアシスタントの手伝いも順当に着々とことは
おそろしいほどにスムーズに進み。
「ああナミさん、あなたの手が魔法を呼ぶとは…!感謝の気持ち、せめてお礼にキスさせて欲しいくらいだ…!」
が要約するところの最大級の賛辞の雨あられを軽く左腕で払いながら件の、それでも上機嫌なアシスタントはデッキでの
カクテルつきの休憩をご所望で。もちろん、返答はハート付きの「ええ喜んで!!」であったこともむしろ蛇足ナほどに
アタリマエか。
そんな二人を残した船を、これまた灰白の森の主、剣士言うところの物の怪が樽をひょいっと背負たまま少々離れた
岩陰からみやっていたのである。
「―――む?あれがそうか」
先ほど視た、恩人のアタマのなかと情景は一致している。
そしてちらりと見えた絵、ただ大層大雑把ではあった、それから察するに。あの船にはジブンが成って見せた青いのと、
橙色のが残っているようだ。と、なれば。
「むむ…」
所詮、この獣も森の主、などといわれているが実はこの獣としてはまだまだ若輩者であり。若輩者とは押しなべて
メンドウ事が好きなものだ。
「どうせアレに届け物をするならば、」
ひょい、と軽く地を蹴ると。
どうやら現在船に「いない」者の姿を取ることにしたらしい。
とさり、と降り立ったのは―――あぁ、剣士モドキである。
「うし、いっちょ樽でも運んでやるか?」
ほんの数刻言葉を交わしただけであるのに、なにやらいい加減にヤクザな口調まで完全にマスターしている模様なのは
……伊達に物の怪ではない、のかもしれない。
すた、と。身のこなしも流石に物の怪、というか獣?は軽く。甲板まで突き出た岩棚から一飛びに近い。
足音も無く降り立てば、くるりと見回し。「見覚え」のある倉庫への入り口をみつけるとさっさと樽をその中へ運び込むこと
に下らしい。
恩人の頼みはきちんと守る気ではあるようだ。
ぎぃ、と木の扉を押し開け。なにやら形の似たような樽だの木箱だのが積み上げてある方へ進もうとしたなら。
「はァン?オマエなにイキナリ帰ってンだ…?」
突然の声に振り向けば、ジブンが真似た「青」がタバコを咥えたまま逆光のシルエットになり立っていた。
「―――戻った、」
怪しまれない程度に言葉を返す。
「ハー、おかえり」
主が、すう、と眼を僅かに細めた。「青」の肩の後ろ辺り、時間の名残がそのまま読み取れた。なにやら、嬉しそうに
大量のモノを調理している、橙色といっしょになって。
「―――コレを、」
つい、となにやら積み上げられた木箱の隣に置いたばかりの樽を頤で示した。
「ハン?」
あの剣士に説明するより、この青にした方が得策、と主も決めたのか。
「水、」
が、そこは方を真似たモノらしく、口数は最低限であった。
へ?と青が眼を見開いたが。すぐにそれはさあああ、と隠しようもないほどの喜色に彩られていった。
「オマエにしては気が利くじゃねェかよ!」
うわは、と大層嬉しそうではある。森の生き物のコドモのようだ、と主もつい笑みを浮かべるようにした。
「ちっと変わってるらしい、」
「へえ?味が?成分が?なんだよもったいぶるな」
「使ってみればわかる、」
「―――フン」
通り過ぎて、そのまま使いも果たしたことであるしもう降りよう、としたならば。
また、別の画が見えた。
「―――美味そうだな、それ?」
これは主の感想ではあった。食台の上にところ狭しと並べられた大皿。
「は?」
「……なるほど、彼奴は運の良い男であるな、」
ぽろり、と素地の言葉が零れたのは。画だけでなくそのうきうきとした気配まで感じ取ったからであるかもしれない。
「気にするな、おれはまたしばらく降りる」
すい、とそのまま青の横を抜けて行こうとし。
びし、と青がなぜか固まった。
「―――――?」
これは主である。
「……幻覚?」
青が、ぎゅう、と右の拳で目を抑えていた。
「なにがだ?」
サンジは、自主的に働いたらしい剣士の姿を倉庫で見つけただけでもオドロキではあったが。
船倉をでていこうとした瞬間。
ひら、と。
灰白のふさふさとした尾、テール、尾っぽ、が視界で揺らぐのを捕らえてしまった。
無駄にカタチのイイ、剣士のヒップから。
「ええと…、」
視線になにやら主が感づいたのか。くう、と首を微かに傾けた。
「オマエ。――――妙なモンいまみえた」
「ああ、気にするな」
これは主の口癖でもあるのかもしれない。
「―――尻尾に見えたんだけど」
「かもしれん」
が、森の主といえど。この「青いの」の脳がどんなトンでもない発想をしでかすかなど、理解の埒外ではあったのだ。
なんだありゃあ!!!が一瞬の感想であった。
ふさふさしてたヤツ。あれは誰がどう見ても尾だよな…??
ってことは、アレか?年に一度誕生日にでも限定ででてくるのか?来年は耳とか?うわはあははは、勘弁してほしいぜえ
えー、っと脳内でうわっはと悶死しかけ。
けど、触ってもなんもなかったし、少なくともええっと昨日までは。となるとやっぱ、誕生日限定?
それとも年が何かポイントなのか?うわあああ、なんよ、ヤバイなだいじょーぶかオイ。
そんな調子で一瞬の内にそれこそ走馬灯のように。
が、結局。
「ま―――誕生日だし?なにか訳でもあるンだろう。」
そんな結論ではあり。
「かもしれん、ってオマエな―――」
「や、実は、こういうモノだ」
とん、とまた主は軽く床を蹴って空に浮き、戻ったときにはまた灰白のふかふかした獣の姿であった。
「―――――ええええええっと」
ニンゲンは、オドロキも度を越すと寧ろ表現はフラットになるらしい。
「翠に頼まれて樽を運びに―――」
ところが、主は知らなくて当然であるが。
この「青いの」はヒトの話を聞かないのである。そもそも。まるっきり、とくに剣士の言葉など。
「―――呪か!!!」
こらこら、なにをそんな途方もない、と主は口を開きかけたが次の瞬間には肩と首の毛皮を引っつかまれて最後尾に
ぶっ飛んでいたのである、心情的には。
「ゾロ、てめえなにしてんだよ、ったく!」
青いのがまたさらにわんわん怒り始め。主はほとほと困り果て、ひょい、と肩を丸めて見せた。
その仕種が妙に剣士と似ていることは意識にも上らなかったらしい。
「わかった、呪なんだな解いてやらぁこのおれが!!」
「いやまて、おぬしなにを―――」
獣がふるふると右前足を振るも。
がし、と肩をまた掴まれ持ち上げられて。
一方そのころ、森では。
散歩を切り上げようか、と森の更に奥へ迷い込んだ剣士は。薬草を採取しにとことこと進んでいた船医と出くわしやがて
船へ戻ろうとしていたロビンと、うわひゃひゃとなにやら機嫌良く歩くルフィとその隣でひどく憔悴した様子のウソップとも
合流し。結局は時間までには船へ一同は戻りつつあったのだ。
そして、とん、とんとそれぞれのやり方で甲板に上がって、非常に稀なモノを目撃したのである。
灰白の獣を捕まえて物陰に佇む料理人。
「あら?」
ロビン。
「おー!!なんだァ?!」
ルフィ。
「(ああああ、またなんか妙なことがおこってやがるー)」
ウソップ。
「あああああ?」
船医は既に帽子が半分ウソップの影に隠れている。
「――――う、」
これは誕生日オトコ。
そして、トン!と灰白の獣のまっくろのハナに。
意を決した風の料理人がキスしたことは、料理人本人と誤解された誕生日オトコの名誉のために伏せておいた方が
きっと良かった―――のであろう。
そして、この叫びが聞こえちゃったことも。
「―――あああ!てめぇ、おれのキスで呪が解けねぇたァどーいう了見だああ!!!」
本日はお日柄もよく、お誕生日おめでとう。
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