rain








「やっぱり降り出したわね」
低く女の声がした。自分の後ろから。
波の間に眼差しをおとしたまま、そうだな、と答えた。
雨音を甲板に響き落とす、というわけでは決してない、夜半に降るには穏か過ぎて朝になれば
何の痕跡も残さず消え去っていそうなそぼ降る雨。
霧のような。

ごくろうさま、と続けられた。
別に頼まれてしているわけではない、なんとはなしに惰性で起きていただけのなのだ、と。
けれど説明する気はない。

すう、と静かに、僅かに距離を隔てて立つ女の気配がある。暗がりに溶け込むように佇む姿。
ロビンだろう、と見当をつける。

「オマエもご苦労なこったな、」
ふふ、とまた微かな笑みの気配が届いた。

ここの海でむかし、プリンセスの棺がみつかったのよ、と。
やがて声がした。
聞くともなしに、女の声が夜の水面に低く響いていく。

「セレス、という大陸が昔ここには在ったの」

さああ、と霧雨が頬を撫でて行くのを感じた。

「ある日、若い船乗りが甲板から滑り落ちて……」

ふい、と昼間の騒ぎを思い出した。悪フザケの果てに海へ落ちてていたバカヒヨコ。

「それから船乗りはずっと眠りつづけていたというわ。そして、ある日。朝が来てもその姿はどこにもなかったの」

「大方、また海にでも落ちて死んだんじゃねえのか」

「それから何年も経って、別の船が石の棺をみつけたのよ。浮いていたそうよ、石の棺なのに夜明けに。
不思議ね。なかを開けたら、真っ白い女の骸骨が船員を抱きしめていたの。若い男も笑みを浮かべて
いた、というわ」

「―――フウン、」

「不思議ね……?」

「―――いや」

その応えに、女の気配が僅かに揺らいだ気がした。

「女ってのは欲深いモンだろう?いっそカワイイじゃねえか」

くすくす、と女がわらった。
「―――そう?」
「あぁ」

さああ、とまた霧雨が甲板を流れる。

「―――で?」

「…え?」

「その続きだよ。どうなったんだ」

「船に引き上げられた棺は、陽の光にあたった途端、砂のように崩れてしまったそうよ、何も残さずに」
「―――フウン、」

さああ、と雨音。

「よかったな、」
「なにが…?」
静かな声だった。

「その女。惚れた相手と一緒に消えちまったんだろう?」
「―――そうね、」
「……オマエ、羨ましいんじゃねえのか?」
ほんの少しばかりからかい混じりの声だった。自分でもそれとわかるほどに。
「さあ、」
相変わらずな応えに、喉奥で低くゾロがわらった。

雨の匂いがする。

「むかし、うんとガキの頃。原っぱで、」
「―――ええ、」
「一人で立っていた、葉にあたる、雨粒の落ちる最初の音を聞こうと思っていた」
「―――聞こえた?」
「いまも。海におちていく最初の音を聴こうと思っていた」
すう、と柔らかな笑いを含んだ「女」の気配が遠のくのを感じた。

「聞こえた、と思う瞬間、邪魔が入りやがる」


雨音。


自分の周りに音も無く雨だけが降り積もる。

「妙な女だぜ」
ぽそりと口にした。



そして、振り向く。
まだ灯かりの点されている窓を見る。
ゆっくりと扉を開ければ、穏かな明かりの下に金色の後姿と黒髪の女がいた。
「よう、ゾロ。どうした?」
咥えタバコで振り向く。暗がりに慣れた目には眩しすぎるほどの色合い。
ぱたり、と本を閉じロビンもワインラックへ向かって歩き出す動作を途中で止めている。
「あら、今晩は」
カオにも、髪にも雨粒と夜気など何一つ纏わずに。

じ、と自分に注がれる眼差しにロビンがくすり、とわらった。
「このあたり、昔海に沈んだ大陸があってね?雨のカミサマを祀っていた神殿があったのよ」
「へえ?さすがロビンちゃん、」
サンジがほわりと口にする。
「フウン、」
「そと、どうやら雨のようね……?」
す、とサンジのカオが自分に向けられたのがわかる。

「オヤスミなさい、それから。」
すう、と紺色をした眼が細められた。
「”私”はここにずっといたわよ―――?」
ぱたり、と扉が閉ざされた。



「またか、」
呆れ声がした。
振り向いた。
咥えタバコのまま、皮肉めいた笑みを口許にはりつけたサンジがいた。
「なにがだよ?」

チッチッ、と小さく舌を鳴らし時計を指差す。
丁度、午前零時を10分近く過ぎていた。
「また、先越されちまったかのかよ、って言ってンだよ」
「だから、なにを」

すい、とカオが近づけられた。
「オメデトウ、ゾロ。」
訝しげなカオを面白そうにサンジがじ、とみつめてくる。
「きょう。誕生日だろうが、オマエ」
「――――あぁ、そうか」
いかにも、忘れていました、という口調にサンジが小さくわらった。
「最初におれのこと見ろよなぁ。しょうがねぇのな、オマエ」
ふい、と唇が押し当てられる。

「ケッタイナモンに懐かれてるヒマがあったら、おれのとこ来いよ。似非霊媒師」
かるく、啄ばんでくる。
「てめぇがさっさと来い」
掴まえて、容を辿り少しだけ深く重ねる。
くく、と漏れた小さな笑い声を吐息と一緒に閉じ込めた。
「雨の匂いがする、」
ふわり、とコトバが落とされた。
「小夜時雨、ってやつ…?」

「おれに訊くな。わかんねェから」
「オマエが知ってるはず無いか、」
ふ、と「女」の言葉を思い出した。
「オマエ、きょうは寝るなよ」
「―――なんで?」
つるり、とコトバを模りながら唇を赤い舌先が辿っていくのがわかる。
「海に落ちたバカが朝、起きねぇと困るから」
ふ、と一瞬サンジの眼が見開かれ、それがやがて笑みに揺れていった。
「ふぅん?てめえも付き合えよ……?」
「ハナっからそのツモリだよ」

じゃあ、いいや。誕生日オトコの言うことを聞いてやろう。
吐息交じりの声が応えた。















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