leonidas






目に見えるものだけが、ホンモノじゃないよね。

そう告げていた声が、なぜかずっと耳の底に残り離れなかった。
些細なことがきっかけでなんの脈絡もなく思い出したのだろう。
舳先に近い場所で眺めるともなく手摺に凭れて進んでいく先に目をやっていたなら
気がついた。

いまの自分ならば、それを言い表すことができる。
”凛とした”声。
あの頃は、”ムカツク声”だったかな、と。


「世界の大きさを考えると震えがくることがある」
「ビビってんのかよ」
「武者震いよ、バカね」
に、と。答えてわらっていた。
額に浮いた汗を、磨き上げられた木の床を抜けた風が乾かして行っていた。

あの場所からはもうずい分と離れた。
いまは、世界のどこの辺りに自分達はいるのだろう、ふとそんなことを思った。
耳に残っている。意識せずとも。


「そのひとの声をほんとうに思い出せなくなったら、私のなかからその人がいなくなってしまう気がして
必死になっていたわ」
いつだったか、ナミがぽつりと洩らしていた言葉だ。
もういないニンゲンを思い出すことがあるか、という話になったときに洩らしていた言葉。
なにかのきっかけで、そんな話になっていた。

「声を繋ぎとめておくのって難しいのよ」
「そんなもンか…?」
「まぁ、その点あンたは脳をのんびり使ってるみたいだから容量はいっぱいありそうね」
「うるせェよ」
苦笑した。

そんな会話をしたのは、―――あぁ、あのムラでだ。
上機嫌なサンジが機嫌良いついでに酔い潰れて自分とナミが結局明け方まで
なぜか呑んでいたのだったか、と。思い出す。



とん、と軽い靴音がした。
ナミだ、そう意識するより先に、声。

「あら、やだ。あンたこんなところで何してるのよ?」

相変わらず失敬なオンナだ、と苦笑が零れる。
手にした紙束が風に音をたてるのが後ろから聞こえ、振り向いた。
「おまえこそ何してるんだよ?」

「趣味と実益をかねて」
すい、と右手に持っていたペンをナミが宙に伸ばしていた。
「あぁ、甲板で金勘定か?」
「ぶっころすわよ、アンタ」

言葉の中身と口調がバラバラで、目元が笑みを乗せている。
魔女もどうやらきょうは機嫌がいいのか、そんなことをちらりと思った。
しばらく、なにかと空を付き合わせるような仕種をしていたが、やがて紙に何かを書き込むと顔を上げた。

あのあたり、とナミがペンをそのまま宙の一角から別の方角へ流した。
放物線。

「ちょうどあの辺りから、星が落ちて行っているのよ、いま」
「―――ア?月しか見えねェよ」
東の空。
冴え冴えと青にまけずと透けるような白が浮いている。
うっすらと、ただ一つ。
「あたりまえじゃない、この時間だと明るすぎて星は見えやしないけれど」

「ま、それにしてもあんたには勿体無い前祝ね」
「なにが―――?」
眉を跳ね上げたゾロを同じようにナミが眉を跳ね上げて見つめて返す。

「あんたって実は無駄に派手なオトコだからこれくらいで済んでむしろよかったのかもしれないわ」
「だから、なにがだよ。わけわかんねェぞ、てめえ」
ううん、とわざと考え込んでみせるナミに向かってゾロが言う。
それは、”レディにンな雑な口きくんじゃねぇ!”とサンジがこの場にいたなら間違いなく速攻で
言い負かされるだろう口調で。

「いま、私たちの進んでいるあの方向、」
すう、と細い、それでもしたたかな腕が船の先、進行方向をさした。
「あそこで、たったいま何十、何百って星が海へ流れていっているの。目には見えないけど」
ずいぶんと派手な前祝よね、と続けていた。

「―――前祝い?なんのことだよ」
そう呟くゾロをみつめているうち、ナミの表情が呆れ顔から柔らかなソレへ変わっていった。
「―――やっぱりあんたってことしもバカねェ」
ぎろ、と自分に向けられる目線に笑い返す。

「じゃあ、いまあんたが後生大事に手に持ってるそれ、」
ナミが、ちらりと視線を流し微笑んだ。

そこには。
浮いた汗をシャワーで流してぽたぽたとまだ髪から雫を垂らしたままで甲板に出てきた途端に
何故かそこにいたサンジから黙って差し出されたトールグラス。
すっきりとした果汁の苦味の残る、軽いアルコール。
氷の上にミントの葉がぷかりと浮いていたソレは、半ば以上が飲み干され。ちょうどいま、
氷がその中でからりと音を立てて崩れた。

「それね、そのカクテル。”Fool on the Top”っていうのよ、ゾロ。願い通りに頂上に立ってみなさいよ?
じゃないとあンた、ただの”Fool(バカ)”なんだから」
そう言ってナミがわらい。
す、とゾロが目を手の中のグラスに戻すのを視界の端に捉えてまた声に出さずにわらいながら、
とんとん、とロウアーデッキまで降りていく。


あれだけさんざんヒントを出したとしても、あの我が道オトコは明日が何の日かわからないらしいけれど。
あの意地っ張りなサンジが見せる精一杯の感情には、すぐに思い当たるらしい。
そう思い。
「バッカねぇ、あんなにやっさし気なカオしちゃって」
笑みがまた零れるのをナミは感じていた。

「ほぉんと、妙なところ初々しいのよねぇ。タチわるいわアイツらって」


そして笑みを残したまま、きっといまも降り注ぐ星の海へ目をやった。
そして、ゆっくりと遠ざかる足音が聞こえた。
また、唇が笑みを模った。





午後のちょっとした時間。









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