出会ってしまった。

別れがすぐそこにあるのに。

出会ってしまった。

逃げられなくて。

黒い瞳に捕らわれて。
やさしい腕に攫われて。

出会ってしまった。
なんてことだろう。
泣くことはわかっていたのに。
泣くことはわかっていたのに。

大空を自由に飛ぶ鳥。
大海を気侭に泳ぐサカナ。

手に入れることはないのに。
留めておくことなどできないのに。

出会ってしまった。
どうしようもなく。







☆ ★☆


「リヴェッド・ホワイト?」
この界隈に出てくるのは初めてだ、という男を迎えに、駅まで行ったら。
ムチのようにしなやかな身体つきの男が、手を挙げて呼び止めた。
黒い光沢のあるシャツの上にさらりと着たサンドヴェージュの皮のハーフコートが、真昼近くの陽光を
受けて、てろりと鈍く光った。
「ポートガス・D・エース?」
名前を呼んで確認すると。
男は子供のように無邪気に、にこ、と笑った。
「そう、エース。やぁ、あんた赤毛だって聴いてたケド…血の赤ってよりは、炎の赤ってカンジだな」
特に何か思っているわけではなく。
素直に見たままの感想を告げているだろう男の自然さが、なんだか心地よくて。
思わず苦笑を漏らすと、男は笑って肩を竦めた。
「あんたさ、…なんつーの?もっと素直に笑えばイイのに」

遊びなれたオトコ。
軽い口調、やさしい笑顔で、一番弱いところを突いてくるオトコ。

怒っていいのか、泣くべきなのか。
判断に迷って。
結局、また苦笑を浮かべた。
オトコは今度はそれについて何も言わず。
両手を小さく挙げて、同じように苦笑を漏らした。
「悪ィ。悪いクセだ」

それ以上、交わす言葉も思いつかず。
二人連れ立って街中を抜ける。
タクシーで向かうほどの距離ではないので、スタスタと歩くだけなのだが。

ホリディ明けの街は、なんとなくいつもと違って、おとなしい。
それでも、かなりの賑わいをみせていて、道はそれなりに人で埋まっていて。

それでも、この男が道を行くと、魔法のように前が拓ける。
コドモのような、ご機嫌なシマ猫のような、軽い身のこなしのこの男が。
どう考えてもカタギではないことを、本能は嗅ぎ分けるのだろうか。

「なぁ、リヴェッド。そんなスタスタいくなよ。もうちょっと、のんびりいこうぜ?」
からかうような口調で呼び止められて。
立ち止まると、にっこりと笑いながら、そっと横に並んできた。
恋人同士のものより、少しだけ距離をおいて。
エスコートしなれた男の立ち位置。

「アナタは…」
「んん?」
そばかすを散らした顔で、少年のように笑って。
「相当やり手だな?」
「あはは!そういうコト言う!」
男は朗らかに笑って言った。
「でも、あんたも、結構慣れてるよな」

共犯者を見るような、イタズラっ子の視線。
きっと仲間には絶大な信頼を寄せられているに違いないオトコの、鋭い感性。

このオトコは危険だ。
本能が告げる。
近づきすぎたら、火傷するよ、と。

「まぁそれなりの過去はあるのでな」
ふぅん、と男は笑って。
「なんか、ウン、それは解る気がする」
そして深い闇色の瞳を煌かせて、言葉を続けた。
「周りが、そもそも、放っておかないだろう?」

けれども。答えは必要ないのか、エースは肩を軽く竦めて。
「アア、ウマいメシだといいなぁ」
先ほど煌いた、剣呑な光はあっという間に呑まれて。
鈍い日常の風景に、言葉を飲み込ませた。



★ ★★

指定されていた中華料理店に入ると。
不思議な光景が広がっていた。
昔よく馴染んだ緑の頭が二人に、そっくりの子猫のような金髪のオトコノコが二人。
見慣れない赤髪の年上の男性と、エースに会う前に一度対面した、コーザという男。

前にブッシュミルで出会った方のサンジどのは、驚いた顔をして見上げ。
ロロノアは怪訝な表情を隠そうともしない。

昔のオトコと、その恋人。
多大な迷惑をかけてしまったので、少しバツが悪いのだが。
こうなることを理解していて今回のハナシを引き受けたので、せめてにこやかに笑ってみせる。

昔のオトコ、ロロノア・ゾロ。
出会ったころは、まだ少年で。
それでも血生臭さを拭えていなかった、野生の動物のような感性のコドモだった。
コドモのくせに、よくないものを何匹も纏わりつかせていて。
血塗られた運命のコドモに、魅せられた。

惚れていたのか、と訊かれれば。
少し違う、と言っておきたい。
確かに肌は重ねたのだが。
恋をしていたわけではない、と思う。

それでは何をしていたのかと問われるなら。
強いて言うなら、教師だろうか。
負けず嫌いで曲がったことがダイキライなコドモ。
世間に不慣れな文字通りのコドモに。
面白半分、「オトコ」に必要なテクニックも知識も、みんな染み込ませた。
まだ不慣れなドウブツが、一匹のケモノになるのを楽しんだ。

出会った頃は、まだ自分もオトナではなくて。
コドモに恋をさせることは、できなかった。
だから、一通り教えることを教えたら。
終わりはカンタンにやってきた。
そもそも歩む道も違っていたのだし、お互い別れを見据えていたのだけれど。

だから、ブッシュミルの島で偶然会った時。
思いもよらぬほど強いいとおしさと懐かしさに曝されて。
そんな気分を覚えた自分に戸惑った。
ある花街で別れて以来。
何度も懐かしく思い出し、名前を呼んだものだけれど。

緑色の野生のケモノ。
大切な者を手に入れた者のみが持つ強さで、輝いていた魂。
愛し愛されることを覚えたひとりのオトコ。
大切にするということを知ったひとりの恋するオトコ。

眩しくて。
いとおしくて。
もし、ロロノアに惚れたとしたら…多分、その時だろう。

サンジどのは…なんだか愛らしい人で。
文字通り、飛び跳ねる子猫のようで、微笑ましかった。
ぞんざいな態度や口調の裏に隠された、やさしさや強さが。
こまめに変わる表情の裏にある純粋さが。
ロロノアに全身全霊で恋していると見てとれて、なんだかとても微笑ましかった。
自分にはない純粋さが…少しだけ、うらやましかった。

だから、対談相手だ、というベツのゾロとサンジ(便宜上、呼び分けてみた)に会った時。
仕事だから、という名目もあったことは確かだったのだが。
ワタシの事情を知ってか知らずか、可愛らしくジャレてきたサンジに。
…半分八つ当たりで、意地悪をしてしまった。

嫉妬していたのか、と訊かれれば。
半々だな、と答えざるを得ない。

ロロノアは今でも好きだが、別に恋はしていないのだ。
だが、あんなに強いオトコを手に入れておいて。
あんまりイケズなマネをしていると、他の誰かがしゃしゃり出て、攫っていってしまうぞ、との警告の意味も兼ねて。
まぁ、どっちのロロノアも、どうやらカワイイ子猫に首っ丈な様子で。
自分がやったことは、余計なお世話以外の何物でもないことを、自覚してはいるのだが。

赤髪のシャンクス、と呼ばれる男には、「損な性分だな」とこっそり言われ。
同席していたコーザには、「勿体無いね、あのバカには」と微笑まれた。
欠食児童のように食べ物を詰め込んでいたエースは、なんだかケロリと笑っていて。
先ほど見せた鋭さなど、ちっとも感じさせなかった。

まぁ、雨降って地固まるの如く、サンジとゾロは仲直りして。
『できるだけ、二人を煽ってね』なんて馬鹿馬鹿しい指令を貰っていたことはナイショにしておいて。
馴染んだ方のロロノア相手に軽口を叩きながら、酒を呷っていると。
どうやら満腹になっていたエースが、一緒に島まで帰ると言い出した。

本気なのか、言葉だけなのか。
にこにことご機嫌な笑顔の下の表情は読めなかったけれど。
確かに『損な性分』のオノレに、いい加減愛想も尽きて。
溜め息混じりに、承諾していた自分がいた。


★ ☆★

男には二種類のオトコがいて。
片方は、自由に空を飛びまわる羽を持つ、何にも決して縛られないタイプのオトコ。
もう片方は、大地に根を張る木々のような、一度腰を据えたら、縛られすぎてテコでも動かないようなタイプのオトコ。

前者は恋愛上手だが、家庭には不向きで。
後者は家庭向きだが、アソビには不向きだ。

ワタシは自分が流しのエクソシストであり、また占い師だということもあって。
どうしても、前者のようなオトコにしか惹かれないようだ。
木々のように、太くて深い懐を持つオトコとも、何度か恋愛してきたが。
どうしても煩わしくなって、最後には切り捨てるように別れてきた。

鳥オトコとの恋を、もしするとしたら。
自分も一緒に飛び立つか、もしくは自分は巣となって、何度飛び立たれても、帰ってくるのを待てるだけの
強さがなければならない。

木オトコとの恋を、もしするとしたら。
自分は飛び立つことを止めそのオトコに根付くか、もしくは飛び立つ度に帰ることを約束できるようでなければならない。

それがムリというのなら。
結局は別れるしかないのだろう。

確かにエースに(軽い気持ちででも)誘われた時、いい加減ロロノアに拘ることをやめたほうがいい、
ということを理解していたけれど。
関係を深める気は、全くもって無かったのだ。

エースはどう考えても、自由に飛ぶ鳥。
ワタシは自由には飛べない鳥だけれども、やはり自分の求める道に沿って飛ぶ鳥なのだ。

一緒には、飛べない。
一緒に飛ぶ気も、ない。

先が見えている、別れるだけの関係なんて。
本当に、始める気はなかったのに。



エースが口説いてきた時に。
確かに彼も軽い気持ちだったのだろう。

どうせ帰るのなら、遊んで帰ろう、とか。
ここにフリーのオンナがいるから、少し口説いてみようかな、とか。

悪気のある口説き方ではなかったし。
もちろん、同情で口説いてきては…いないと感じた。

ただお互い…なんとなく気が合って。
それなら、少し楽しい思いをしようか、なんて軽い気持ちで始めたのだと思う。
振る舞いからも解るように、エースは初心ではないし。
もちろんワタシも…百戦錬磨とは言わないが、それなりにオトナにはなっていたのだから。

だから。
本気になる筈では、なかったのだ。


★ ★☆

最初に集まっていたレストランから、次のクラブへ移動するリムジンに乗っていた間中。
ずっと手を握られていた。

人間は動物と一緒で。
ぬくもりを感じると、心が開くものだという。
天性なのか、習得したのか。
少年の笑顔を持つオトコは、そうやってゆっくりとワタシのこころに忍び込んできた。

ナイショ話をするように、声をやさしくひそませて。
軽い言葉とおどけた仕種で、エースは話をする。

今より若かった頃にやった、数々のイタズラのことや。
彼の知っているゾロやサンジや、目の前にいるシャンクスのこと、結局会うことのなかったもうひとりの
コーザのこと。
会うことのなかった弟のこと。
今まで見てきた、感動したこと。

クスクスと笑う度に、微笑みが柔らかくなって。
視線を合わす毎に、目元が和らいだ。

いつのまにか、何もしらない小娘に戻ったような気持ちになっていた。
打算も考えず、傷つくことを恐れずにいた、あの頃に。
だから。
目の前で、サンジどのがロロノアの肩に凭れて眠ってしまっているのを見ても。
自然と優しい気持ちで見ている自分に気付いた。
見守る位置に、自分が来れたことを感じた。
やっとなんだか、心が自由になったような気が…した。

リムジンから降りて。
エースが、ワタシの手をずっと握っていたのをサンジにからかわれた時。
なんだかとても軽い気持ちで、受け止めることができたのだ。
初デートですら、こんな優しい扱いを受けたことが無かったので、なんだか微笑ましくて。
自分事なのに、どこか自分でない人になってしまったような気分。
舞い上がって、いたのだろうか。


それでも。
気持ちは新たに切り替えられても、カンタンには恋する気持ちにはなれず。
エースがいつから本気で口説いてきたのかは解らなかったけれど、この時点ではまだ恋ではなかったの
だろうと思う。
だから軽い気持ちでダンスに誘った。
楽しく時間を過ごすには、ダンスをするのが最高の選択だったから。


☆ ☆★

ダンスには特に自信があるわけではない。
ただ…ここ最近、踊ることがなくて。
最後に本当に踊ったといえるのは…ロロノアに教授していた時だったと思う。
それ以来、踊る機会が無くて。

ワルツ、タンゴ、スロー・フォックス・トロット。
ルンバ、ジャイヴ、パソ・ドブレ。
ソシアル・ダンスは大好きで。
他にも、流れた先で、いろんなダンスを覚えて。
フラメンコ、ランバダ、アイリッシュ、キューバン。
名前の知らないものまで、沢山踊ってきたのに。

ブッシュミルに繋がれて以来、踊っていなかった。
だから、大きなクラブのホールに入った瞬間、どうしても踊りたくて。
籠から放たれた鳥が飛ぶ術を思い出すように、ひとり踊り始めていて。
身体に刷り込んである記憶を引っ張り出すように、二曲、三曲と踊っていたら。
ジャケットを脱いだエースがするりと近づいてきて。

スイ、と手を取られて。
軽く一礼して、誘いを受けた。
そのままク、と腕が回されて。
ワルツの基本ポジションに立った。
けれども。
「足踏んだらごめんな?」
イタズラを告白するように、エースが言って。
基本形を知っているから、てっきり何度も踊ったことがあるのかと思っていたのだが。
からかうつもりで、初めてなのかと訊いたら。
「ソシアルは、3度目、かな」
黒い瞳を煌かせて言った。

まだ三度目なのに、キチンと形が作れているということは。
この男は記憶力がいいのか、才能があるのか。
それでも、任せきってしまうには、不安があって。
ワルツは引っ張り合っていては踊れないから、とりあえずリードはワタシがすると伝えたら。
「一度目はな。ま、あとはおれに任せてみろよ?」
イタズラなコドモのように、にっこりと笑った。

自信に満ちたコトバ。
すらりと伸びた背筋。
背中に回した手に感じる、しなやかな筋肉の形。
きっと、とてももてる男なのだろう。
パーティでは、沢山のヒトに微笑みかけられるのだろう。

それなら。
踊れないわけがない。
もし本当に踊れないとしたら。
それはそれで勿体無いハナシだし。
リードがとれるようになったなら、踊るのがより楽しくなるだろうし。

「わかった」
できるというのなら、任せてやる。
そう微笑むと、エースはとても楽しそうに笑って。

音にあわせて、ゆったりとスィング。
フロアを滑るように横切って。
弾む声で指示を出しながら。
足を踏まれることも無く、一曲目を踊って。
最初はぎこちないステップを踏んでいたエースも、2曲目が終わる頃にはちゃんと踊れるようになっていた。

運動神経がいいのだろう。
正直、ここまで踊れるようになるとは思っていなかったから。
「…なかなかだな、オマエ」
そう告げると。
「ほんとに?」
誉められた子供のように、無邪気に喜びを露わにして。
「普段の鍛え方が違うからなあそこいらのとは」
なんておどけてみせたのだった。
その上で、
「ま、先生が特別上等ってのも要因だな」
なんていうものだから、思わず笑ってしまった。
「世辞には何もでないぞ」
そうからかっても、エースはにこにこと笑っていて。
「で。マイスター。そろそろおれがリードしてもいいかな?教え子をしんじてみねえ?」
そばかすの散った顔全体で、コドモみたいににっこりと微笑まれて。
その笑顔に、なんだか嬉しくなって。
「よかろう」
思わず笑って、身体を預けた。
「フフン」
歌うように、エースが言って。

しっかりとホールドをキープした腕が、なんなく身体を支えた。
そのままスイ、と踏み出されて。
…なんだか、ヤラレタ、と思ってしまった。


     ★☆☆

気付いたら、ロロノアとサンジ殿が、同じようにフロアに出ていて。
ギャイギャイ騒ぎながら踊っているさまが、可愛らしかった。
思わず微笑を浮かべたら、やさしい笑みを刻んだエースと視線が絡んで。
心持ち力が入った腕に、少しだけ身体を引き寄せられた。
どうしてだか、胸が少し痛かった。

4曲目を踊るころには、大きくスィングされても、身体を安心して預けられるぐらいには上達していて。
「…ワルツはなかなかだな、エース殿」
思わず感心してしまった。
「及第しそうか?」
首を僅かに傾けて、少し緊張した面持ちが新鮮で。

ああ、どうしよう。
このままだと、このオトコに惹かれてしまうかもしれない。
そう、頭の中では、確かにアラームが点灯していたのに。

「…ワルツには、合格点をやろう。…情熱的な踊りは苦手か?」
口からは、別の言葉が飛び出して。

踊りを止めて、立ち止まって。
エースは少し拗ねたような口調でこう言った。
「リヴェッド。おれはさ、通り名。火拳っていうんだぜ?」
黒曜石の瞳が、煌いて。
「苦手な筈、ないだろ」

気付いたら、取り込まれていて。
どうしよう、このオトコに惹かれているかもしれない。
この年下の少年のようなオトコに、惹かれているのかもしれない。

けれど。
揺れ始めた心とはウラハラに。
言葉は勝手に口を飛び出していく。

「…火拳、な。…それじゃあ、次はタンゴを教えてやろう」
腕の中から抜け出して、緩く一礼すると。
「それではお頼みいたします、マイスター」
きっちりと身体を折って、エースは優雅に礼を返した。

ふと気付くと、フロアにいるのは自分たちだけで。
「…どうやら、踊っているのは私たちだけらしい。音楽を変えても、構わないよな?」
エースを見上げて訊いていた。

パチン、と指を鳴らして、僅かな魔力で曲を変えて。
流れ出したタンゴの、シックで情熱的なリズムに捕らわれる。
自分で自分を、ワナに嵌める。

「ああ、こういうの。あんたに、すげえあうな。ワルツよりいい」
オトコの顔で、に、と笑われて。
「そうか?」
思わず挑発の笑みを頬に刻んで。
首に回した片腕だけの力で、至近距離まで近づく。
「ああ。大歓迎だ。キスしたくなるな」
にっこり、と笑って、また少年の顔になる。

はぐらかそうとしているのか。
こういうオトコなのか。

安堵したのか、呆れたのか、自分でもわからない溜め息が零れて。
「…オマエは照れとは、縁がなさそうだな?」
確かめるように、エースの瞳を覗き込むと。
「すげえ緊張してるぜ?おれ」
計算していない目が間近で煌いて。
もう片方の手を取られ、シャツの襟の中にある、きれいに筋肉がついた首元に導かれた。
「な?」

熱くなったカラダ。
どくどくと波打つ血管。
渦巻くエネルギーに、一瞬曝されて。

「…ふふ。その気があるなら、オとしてみろ」
思わず漏れた、本音。
口付ける寸前の距離で、誘うように囁く。

カラダが、熱くなって。
鼓動がどうしようもなく早まって。

ああ、どうしよう。
恋に落ちてしまう。

熱に、思考を、奪われる。

「ああ。みてろよ?」
挑発を受けるようにエースは笑って。

熱い唇が。
僅かに掠めていった。


☆ ★★

見えていた別れに目を閉じて。
エースの懐深くに身体を添える。
オトコの腕は、自然に腰を抱きこむように回されていて。
「体は常に、離すな。わかったな?」
身体をそっと落とすように反らせた。

リズムに併せて身体を起こされて。
キラキラと光る瞳が、間近で自分を見ていた。
「視線も、ずらすな」

真剣に見詰めるエースが。

「外野は気にするな」

欲しくなった。

頬を撫でるように、腕を下ろして。
「意識はこちらに向けておけ」
声をひそめて、告げる。

思わず口付けたくなるのを抑えて。
ステップを刻んでターン。
足を上げて、そのまま身体を深く反らすと。
揺るがない腕が、押し付けすぎない強さで腰を抱いた。

「本当は、ステップは関係ない」
身体を起こして、次のステップを刻んで。
「タンゴは…感じることが、全てだ」

呼吸を感じて。
リズムを併せて。
動きを熱に任せて。

飲み込みがいいのか、面白いようにあわせてきて。

踊るリズムに飲み込まれる。
このオトコのリズムに呑まれる。

やばいかもしれない。


★ ☆☆

一曲踊って。
これ以上深入りするな、と、警告が頭を流れた。

「そろそろステップは覚えたか?」
弾む息に混ぜて問うと。
「や、全然」
ケロリと答えられた。
「あんたの目しか見てなかったよ。すげえ、気持ちよかったな」

感性が幼いのか。
天然のタラシなのか。
この少年のようなオトコが、読みきれない。

少し距離を置いたほうがいいのかもしれない。
そう、理性が囁いて。
「…ふむ。ランバダも覚えさせようと思ったのだが、まだ早いかな?少し、休憩するか?喉が、渇いた」
気持ちを落ち着ける時間が、欲しかった。

こちらの気持ちを読んだのか、読んでいないのか。
「次があるってことだな?じゃ、そんときはおれがリードしてやる」
エースがにこりと笑って。
幼いコドモのような口調に、なぜか安堵する自分がいて。
「期待している」
純粋に、踊ることだけを考えた。

そんな自分がおかしくて。
小さく苦笑を漏らしてから。
「…何か、飲もうか。一緒に如何かな?」
ちらりと見上げて誘うと。
「断れるはずがねえよ」
エースが苦笑するように言って。
「…何か、作ろうか?それとも…作ってもらえるのかな?」
誘った手前、上がった息に掠れる声で訊ねると。

するりと腰に手が回された。
そうすることが、当たり前だとでもいうように。

「つくる。喉越しの良さそうなのでもいかがでしょうか、姫?」
イタズラな目が覗き込んできて。
優しい腕から抜け出すチャンスを、逃してしまった。
捕らわれてしまったのかもしれない。

「…そう呼ばれるのは、初めてだな」
考えることは、やめよう。
「…任せた。ただし…甘ったるいのは、勘弁、だ」
ズルいようだけど、このオトコに任せよう。

頭を切り替えるように、ポニーテールに結わいていた髪を解いて。
「うん、任せとけって」
歌うようにエースが囁いて。
甘えるように、髪に顔を埋めてきた。

なんだか少し、泣けてきた。


☆ ☆☆

カウンターでは、ベンさんがシャンクス殿を口説いていて。
愛してはいるのに、いとしすぎてどうにもならなくなってしまった二人を見た。

泣きそうに声を揺らして、それでも押し付けまいと心を戒めるオトコと。
愛しているからこそ、意地悪く振舞うしかなくなったオトコと。
魂はどこまでも寄り添っているのに。
心を沿わせることはできない二人。

愛の替わりと言わんばかりに、笑ってワガママをどこまでも通すシャンクス殿。
そのワガママを、微笑みをもってどこまでも受け止めるベンさん。

そんな二人が、悲しくて。
けれども、その気持ちは理解できなくもなくて。
見守ってやることしか、できなかった。

ベンさんが立ち去った後。
シャンクス殿は、表情に出さずに泣いていたようで。
「…バカだなぁ、アナタも。キスくらい、してやればいいじゃないか?」
諭すように言ってみた。
なにか新しいものが見えてくるかもしれない、と。
けれどシャンクス殿は、コドモのように笑って。
「ダメだろ、それは。おれの方が多分惚れてたんだぜ?」
ひどくオトナの声で言った。

シャンクス殿は気付いているのだろう。
二人の関係を進めるのなら、自分が動くしかないということを。
けれど、そうすることもできなくて。
愛するのと同じ強さで、傷つけることしかできなくて。
「…本当に…バカだな、アナタも。…十分に、存じてるとは思うが」
溜め息混じりに、そう告げると。

「そうだな。まあ、でも。そういう大馬鹿はな、リヴェッド。おれんなかにもういねえんだよ。昔は
クソアホだったけどな、おれも」
そう自嘲するように笑って。

手を伸ばして、頭を撫でてあげたかったけれど。
愛に傷つくのが怖いコドモは、自分も同じだったから。

「…シャンクス。…今からでも、遅くはないのでは?」
諦めないでほしい、と心を告げると。
「あんたも人がわるいな」
フン、と鼻先を鳴らして、顔を顰めた。

できるものなら、とっくにそうしていた。
そう、言われたような気がした。

エースの腕から抜け出して。
シャンクス殿の隣に立つ。

「まぁ…お互い様ってところだろう?」
そうできないのは、ワタシも一緒だから。

けれど、お互いそんな同情は御免被る、と言わんばかりに声を張り上げて。
「おれはねっからの極悪人を極めるんだよ。あいつは、まあ。守り刀みてえなもんだから」
からり、と笑われた。

オマエは、だけどガンバレよ、と言われたみたいで。
オマエはおれのようにはなるなよ、と言われたみたいで。

目を閉じて、二人を思う。
チカリ、と一瞬見えた映像に、力を得て。
「けれど…アナタがそれでいい、というのなら、好きにすればいい。あのオトコは、アナタのものだから…
アナタの望むことしか、しないだろう」
それだけは、確かだから。

シャンクス殿は大きな溜め息を吐いて。
「おう。王様も疲れんなァ」
コツン、と肩に頭を乗せられた。

「…それでも…その道を、アナタは行くのだろう?」
そうする術しか、しらないのだろう?
「…王道は、最も孤独な道、と知っているのだろう?諦めなさい」
覚悟しているのだから。

それでも。
どこにいても、アナタの想いを。
ワタシは見守っていくから。

アナタはわたしの、同志だから。
頭を、ぽんぽん、と撫でて。

「あんたも聞いたろ。頼まれちまったもんよ、アホウに。くっそーおれに命令なんざしやがって」
わざと茶化して。
「侍従長のくせによッ!」
自分を元気付けるように、吼えて。

寂しさが伝わってきた。
チリチリと音がしそうで。

明るくコドモのように振舞うこのヒトは。
本当はそんなもので埋め尽くされてしまっているのかもしれない。
先に進めないほどに。
寂しさに囚われて。

「…そうやっていつでも素直になれれば…楽なのにな。チャチなプライドほど…しがみ付いてしまうのは、
サガか?」
血の色をした髪を撫でて。
「…お互い、苦労する」
吐息に混ぜて、言った。
シャンクス殿も同じように溜め息を吐いて。
小さく首を振って笑った。







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