Never Been (Sweet Treat VII)





ぼんやりとした意識が、指の先までだるい、とさっきから言ってきていた。
それを聞くわけでもなくて、頭は、多分。知っている一番身近な状況は眠りすぎた後か、大した二日酔いか、
あとは――-
あとは。
あぁ、……アレダ。助かったあとで、目の覚めたベッドの上。

思い出しかけて、確か。ここ、どこだっけな……?耳が潮騒を拾おうとして、それが別のものでいっぱいになって
いるんだとふにゃふにゃしたままの頭がどうにか言ってきて。
潮の満ち引きより確かに、しっかりと刻まれる、―――あ。
これは鼓動だ。なんだか形を無くしたみたいな身体をそれに預けきって、あったかいなあ、とそんなことを思って。
それに柔らかく包まれた。気持ち良い。なんだ……、

ぱしん、と明かりが突然点いたみたいに窓が目に入ってきた。
でかい、広く空に向けて開かれて……薄赤い雲がいくつも重なって。―――――まど?
とくん、とまた聞こえて。
瞬きした。目に見えていたものが一回暗い色の中に消えて。
次には窓以外のものも見えた。壁。高い天井。
暗い色の木の床、それから―――足?
おれんだよ、な……?
―――あれ?
オリーブグリーン。
長く伸びてて。
―――これ、どっかでおれ見たこと……だれの、―――あ?

だるいだるい、と訴えていた身体が意趣返しをしてきた。
熱が出てだるい訳でも、泳ぎすぎてだるいわけでもナンデもなくて。
零された息を勝手に思い出した。
―――ここって、………わ。
ついでに、思い出さなくても良い絵まで。
―――わ。

腕、まわされてて。なんだかひどくゆっくりとしか喋れなくて、おまけに頭が真ん中から水びたしになったみてぇな
気がしたけど。
「―――ゾロ?」
とんでもなく、かすれた声だった。



「―――で、そのカブトムシが…あ?」
サンジの声がした。
いつもより数倍弱っている、けれど紛れも無い“サンジ”の声だ。
腕の力を緩めて――――元々そんなに強く抱きしめていたわけではなかったけれど――――サンジの顔を覗き
込んでみた。肩越しに。
「ん?どーしたよ?」
「―――おれ…ずっと、いたか?」
んあ?微妙な質問だなあ、ソレ。
くしゃり、とサンジの髪を掻き混ぜた。
とてもトーンの一定した静かな声。柔らかい眼差し。
ああ…サンジ、だ。

まあ、けど。
オレがサンジを一旦この宿に連れ込んで、目覚めて。
そのサンジの中にいた、多分アレは“コドモ”。けれどそれも結局サンジなわけで。
回答。
「いたぜ?ずっと抱いてたし」
こめかみに口付けて、笑いかける。
抱いてた、アア、まあ、うん。

「―――なんか、な。カラダは覚えてるみてぇなんだけど、…アタマ、寝すぎたみてぇになってやがるし」
ぼぉっとした口調のサンジの首筋に口付けを落とした。
「あー根性入れて抱かせてもらったからナ」

サンジの中にいたコドモ。
多分、サンジの中の何か大きな傷の元。
どうやら一昨日の喧嘩は、そんなところに腕の中のコイツを連れてっちまったらしい。
否、深淵に触れたのか、オレが。

真上に翳した手を恐がった。
触れる掌の感触に怯えた。
快楽を求めることを恐れた。
何かが何かを強制していた。

オレはカウンセラじゃねーし。
心の傷だとかなんだとか、そんなモンをどうこうできるノウハウを持ってはいない。
ただ。
そのコドモをどうにかしねーと…サンジが“サンジ”に戻れないってことは、どっかで感じ取れた。
危ういバランス。

何がどうなってこの腕の中のニンゲンを模ったのか知らないが―――コイツにゃ地雷が埋まってたワケだ。
だからどうってわけでもない。
この地雷があって、初めて“サンジ”が成り立つなら、それでいい。
サンジがその地雷を分解して、どうにか違う容になりたいのなら、それもまた一つの選択なんだろう。

“アイシテル”といえないのなら。
“アイシテクレ”といえないのなら。
別にコトバにする必要はない、あからさまに見せ付ける必要はない。
自然にどっかで―――例えば、すれ違う一瞬に寄越す眼差しの一つでもいい、そんなもので現せるということを、
コイツが気づければそれでいい。
無理をしても仕方が無い、負担になるだけなら意味がない。

今回の喧嘩は、よっぽど堪えたのだろう、チビが出てくるくらいだ。
ならそのチビに納得してもらえりゃ、サンジは“サンジ”に返れるだろう。

動作が、口調が、頼りなく迷う眼差しが、コドモのままでも。
身体はオトナで、それは愛されることを知っているから。
ガキを抱くのはシュミじゃないが、そのコドモごとサンジなのだから、思い切って抱いた。
泣いて、縋って、快楽ばかりで溺れて意識が飛んじまうまで。

“スキだよ、サンジ”
“キモチイイな”
“オマエが気持ちよくて、オレは嬉しい”
“スキだよ”

柄でもねー、けどそんなことを考える余地もなく。
スキ=アイシテル=キモチガイイ=ウレシイ
そんな方程式を刷り込んだ。
名前、呼びながら、“オレ”が“サンジ”を“愛している”から“抱く”のだと。
怯えたガキの目が、怯えなくなるまで。
何度も口付けて、囁いて、高めて、抱きしめて。

結局寝たのは何時だか解らなかった。
時間も場所も、関係なく。ただ“サンジ”と向き合って。

意識を落としたサンジを抱きしめて眠った。
治ってるか治ってるかは関係なく、ただ愛したかったから愛した。それだけで。
だから昼前に起きた時、ぼぉっとしたままのサンジから、ほぼなんの反応も返ってこなかった時。
まあ、そんなもんか、と思っていた。

せっかちで負けず嫌いなコイツのことだ、飽きたら返ってくるだろう、と思いながら。
スープとパンだけの簡単な食事を食わせて。
丁度景色のいい部屋だったから、窓の見える位置、すなわちベッドに壁を背に座り込んで。
背中越し、サンジを抱きしめたまま、過ごした。

ぼーっとするのはキライじゃない。
腕の中の愛しい体温と鼓動を確かめながら、思いつくままにガキの頃の思い出を、ぽつりぽつりと勝手にコトバに
置き換えては笑った。
このままでもいいか、と思った。
サンジがこのままなら、ずっと抱えて生きていくのも悪くない。他の連中が嫌がったら、別に陸路を行ってもいいしな。

サンジがこの状態にある必要があるなら、無理に起こしたくはないと思った。
コイツはコイツなりに頑張ったんだろう、だったら休息も必要だ。いつもフルスピードで体当たりなんざしてたら
―――壊れちまうぞ、と。

なぜだか思い出したカブトムシとクワガタのバトル。
酒でも飲ましたら、どんな相撲を取るかと思い当たったガキの自分を思い出して、その報告をしていたところ。
“サンジ”が目を覚ましたらしい、声が―――大層弱っていたものの、コイツの声だった。
気だるそうな口調、そりゃそうだろう、意識飛ぶまで抱いたしな。

肩に口付けたら小さく跳ねやがった。まだ過敏なのか?まあそのうち落ち着くだろう。
ちっさな声で、頭が痛いと言ってやがったからには、どこか混線してた脳内のどっかが、元に戻ったンかね?
くたり、と預けられた体重がいとおしくて、髪を掻き混ぜた。

ふう、と息を吐いたサンジが、やけに素直にキモチイイ、と言って笑った。
そうだ、甘えてこい、オレにゃ甘えてイイんだよ。
そうっと髪に口付けを落とす。
「オレもキモチガイイ、サンジ」

抱き寄せる腕に、僅かに力を込めた。
オカエリ。
言葉にしないで伝える。

こそ、と身体の向きを変えたサンジが、首のところにくう、と顔を埋めてきた。
旋毛に口付けを落として、抱き寄せた。
そのまま髪に鼻先を埋める。

サンジの腕が、腰の辺りに回され、そこで落ち着いたみたいだ。
「クワガタになにさせたって…?ばっかなガキだねぇ、」
さらさら、と手触りのイイ髪を梳いて、ふ、と笑いを落とす。
やわらかいままの声。口調、元に戻ってる。
笑ったまま、また髪に口付ける。
「酒、あんまり好きじゃなかったみてェだったな」

クワガタ、よろよろよれよれと歩いて、ぼとり、と枝から落ちていた。
当然相撲なんか、するわけもなく。
「まあ、フツウじゃできねぇ体験して特だったろ、あのクワガタも」
くっとまた少しサンジが笑って。
額を首元に、する、する、と押し当ててきた。

「なぁ、ゾロ?」
「んー?」
肩に頭、預けられたまま落とされる呟き。
「おれ、おまえの声すきだなぁ、」
するする、とサンジの髪を鼻先で撫でる。
素直に嬉しい、その感想。
笑ったままでいたならば、サンジがちょこっと見上げてきて。
「なんかな?うん、」
そんな風に言ってきた。
寄越された本音、真実が“なんとなく”でちっとも構わない。
むしろ、そういう理由がない方が嬉しい。

「妙な言い方だけどな?すげえ、良く聞こえる気がする、なんか、いま」
ふわ、と零される微笑み。
笑いかけたまま、さらさらと髪を梳いて。
またどうでもいい話を続ける。
ガキの頃の話。

ふ、と思い出した、初めて料理を作った時のこと。
思い切り失敗作、サンジが大人しく聴いていて、たまに抑えた声で笑っていた。
バカ話、そういや、こんなハナシをオマエにするのは初めてかもしんねーな。
焦がした鍋を洗わされたこと、泣きっ面で意地になって。外が真っ暗になっても家の中に入ることを拒否してたっけな。

そういやコイツはいつから料理を始めたんだろうな。
理由はどうでもイイ、オレはコイツの作るメシが好みだ。
ただ、それだけのこと。そしてそれが最も重要なこと。

どうやらハナシが楽しかったらしい、サンジがくう、って抱きしめてきたのを契機に、そろそろ現実に頭を切り替えて
かねーとな、と思った。
きっともう大丈夫だろう、コイツは強いヤツだし。

「前にな、ナインティナイン・マイル・ビーチってとこに居たんだよ」
くう、と抱きしめながら言ってみる。
料理、うん、これならいい窓口になるかな。
「海辺のヴァカンス、ってか」
「ヴァカンスじゃねー、適当に船乗り継いで旅してたら、行き着いただけのハナシだ、」
くくっと笑ってる声に、同じ様に笑いながら返す。

「そこで食ったハマグリの浜焼きがな、えらい美味かった。なんでだか忘れらんねーんだわ」
「ふうん?」
今でも覚えている塩味の絶妙さ、いったいなにがよかったんだろうな?
「ビーチにいたオッサンと、なぜだか酒注ぎあってな。ハマグリ食っては酒呑んで。どうでもいいハナシをしたりしてな。
結局朝まで呑んでたんだよな、」
ああ、そうか。
あのオッサンがいたから…美味かったんだな。

サンジが小さく笑っていた。
「料理ってのは、場でも生かされるからなあ」
「まーな。あーあとな?」
「うん?」
あれは何時だったっけな?ああ、アラバスタ行く前か。
「オマエが作った、ラムのロースト。ローズマリーとガーリックと塩コショウのシンプルなヤツ。あれはえれぇ美味かった」
ああ、あと。オリーヴオイルかけてグリルした野菜と、固めのパン。ナンみてェなのでも美味かったかもな。
「それと、あー…スキャンピ?なんかのエビと、たっぷりあったサラダ。ワインビネガの」
ドレッシングがかかってたヤツ、とこつりとサンジの頭に頤を乗っけて先を続ける。
「頭を白のドライで始めて、あとからふわんと風味の残る赤呑んだだろ。あれ、赤とラムがすげえ美味かったワ」

サンジがくすくすと笑って聴いていた。
嬉しそうだな、オマエ。なによりだ。
「おまえさ?味覚は鋭いんだよな、」
「特別美味いモンは、なんでだか忘れられねーんだよ」
あの日、ビビも一緒になんでだか、ゲラゲラ笑ってメシ食ってたよな。
ハードなバトルの前の休息、ってヤツか。今にして思えば。

「よく覚えてるよな、細かいところまで」
声が優しかった。
さらり、と髪を撫でる。
「あんときはさー、なんか。楽しくなってほしくて、ビビちゃんに。わざとワイルドなもんばっかり、出したんだ」
そっと、どこからか記憶が転がり出てきたのだろう、それをそのままコトバにしたみたいな口調だった。
「手掴みで食って、美味いもんばっか、な?」
目が優しかった、それはきっとそのまま、持ってる記憶の優しさ。

「“スコーピオ”とかあったら、笑えたのにナ」
呑むかどうかはベツとして。サソリの入ったウォッカのビンを思い出す。
サンジが、ふは、と笑っていた。
「まあ、ナミ辺りにビンタ食らいそうなネタではあるけどな」
「ウン」
どうせ呑むのはオレなのに、いったい何が問題なんだかな?
そんな質問を落としてみた。
「レディの前で、ンな下品な酒飲むなよ」
くっくと笑っていたサンジに問い返す。
「下品か?」

「おまえがそれ飲んでたらさ、」
「あン?」
くう、とサンジの口端が釣り上がっていくのを肌で感じた。
「まんま、砂漠の盗賊だな」
「墓、荒す暇もなかったなァ」

もう一つ、不意に顔が浮かんだ。
そういや、砂漠の隊長、砂色のあのオトコ。
いまごろどうしていやがるかね?




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