エピローグ:THE NEXT DAY


日は既に空高く上がり、気温も上昇。
大海原に出ているはずのGM号は、けれど。まだ島の港から出て行けずにいた。
剣士と料理人が、揃って予定日時に帰ってこなかったからだ―――もっとも、彼らはそもそも出かける予定では
なかったのだが。

出航予定から丸一日が過ぎようとしていたが、ヤキモキと双眼鏡を忙しなく掲げたり下げたりして見張り台に
立っているウソップと。甲板の上をとてとてと歩きながら、遠い陸の方を見遣ったり、頭上のウソップを見遣ったり
しているチョッパー以外は、落ち着いたものだ。
カモメは長閑に青い空を滑空し、船は波止場で穏やかに波に揺られていた。



「なああああ、ナァアアアミィイイイイイイーーーーっ」
叫んでいる船長の声に、優雅にコーヒーカップをデッキチェアの上で傾けていたナミがちらりと視線を上げた。
「はあああずしてくれよおおおお!!」
メインマストに己の手足でグルグルに巻きつけられ、手を縛られ。その上からも厳重にロープをかけられている
ルフィに、ナミはふン、と鼻を鳴らした。
「ダメよ」
「なああああみいいいいいい!!!」
「だって今アンタ行かせたら、連中と行き違うかもしれないでしょ?」
ロビンはそっと視線を上げ、不満げに声を上げる船長を見遣った。
「その可能性の方が高いわね、」
「えええええええええーーーーーーーー」

「だぁめ」
「ろーーーーぉびーーーーん!!!!」
ナミではハナシにならないと見切りをつけたのか、ロビンに哀しさに溢れた仔犬のような目線で見詰めたルフィを、
けれど、当の彼女は、ふふふと笑うだけであった。
「残念だけど、」
「だーってよおおお、なーあ、ナーーーミ――――イ!!」
「はーい、なになに?言いたいことがあるの?いいわよ、言ってみなさいよ」
ひら、と手を振り、ますます悲しげな顔をしたルフィからナミは目線を外す。
チョッパーが、おろおろと3人を代わる代わる見詰めていた。

「だってよおー、」
チョッパーの心配顔に、ちらりと苦笑をし。ナミはルフィに視線を戻す。
構って、甘やかして、オネガイ、とでも言っていそうな仔犬顔。
ああ、だからアタシ見たくなかったのよね、と。ルフィのそんな顔が大好きだったりするナミは内心溜め息を吐く。

視線が合って。ルフィが目をきらきらと煌かせた。
くう、とナミが目を細める。
「だって、なに?」
「おーーーれーーもおー、みーーぃてぇーええええええーーー」
「……何をよ」
はあ、と溜め息を吐いたナミに、ますます目を煌かせたルフィが惜しげもなく笑いかける。
「うまそうなさんじーーーー!!!!」

「おめえアホかッ!!!」
ルフィの声に、見張り台の上からウソップが絶叫し。チョッパーは、困惑気味に眉根を寄せる。
「なああんでだよおおおお???うっまそおおだぞおお???」
「見に行かなくてもどうせ暫くは見せ付けられるわよ」
ナミはフンと鼻を鳴らして呟く。
ロビンは、ふふ、と笑って。手を咲かせてチョッパーの耳を抑えた。
きょと、とチョッパーが瞬く。

「おめーらはしらねーんだよお、」
ナミとウソップに向かって溜め息混じりに、哀しそうにルフィが言う。
「なにをよ?」
「吃驚したカオがいいのによぉーー」
実に哀しそうに言い切ったルフィに、ナミは呆れ顔を作る。
「あンたそのうちゾロに斬られるわよ、」
ウソップは見張り台の上でしゃがみ込み。しくしくと泣き出した。

「なんでだ!!」
威張るルフィに、ナミはすい、と方眉を跳ね上げる。
「あンた、解って言ってるんでしょ?」
どうして耳を塞ぐの?といった風情でロビンを見上げたチョッパーに。ロビンはにっこりと微笑みかけて、
「もう少しね?」
と口の動きで告げる。
チョッパーが、こくりと頷いていた。この船の上では、いくつか知らないでいた方がいいことがあるということを。
彼は学習していたから。

「なあああ、ウソップーー!!!」
しくしくしく、と蹲って泣いているウソップに。ルフィが声をかける。
「おまえも知ってるだろーー??」
「オレはなにも知らねェよ、だからなんでオレに振るんだよ…」
な?な?とでもいった風に語りかけるルフィに、ウソップはぼそ、と返し。
そんなウソップの手応えの無さに、ルフィはぷうう、と膨れた。

「だから!おれ、みてるだけじゃねえかよーーー」
膨れたまま、ルフィはさらに続ける。
「ゾロのだって、いくらなんでもオレ知ってるさー」
「うわあああああ!みなまで言うな!言うなったら言うなーーーーーーッ!!!!」
耳を塞いでまたしゃがみ込んだウソップにナミは、あっきれた、と目を回す。

「だからべつにおれ、取って喰おーーとかしてねえし!!」
ルフィが威張る。
「…取って喰うなんて考えただけでも、あの剣術バカにケンカ挑まれてるわよ」
「みるだけーーーー、なあなあ、なああーーーーみいいいい!!!!」
「あーっ、もーうっさいなぁ!!!!」
「なああああああみいいいいいいいいいい!!!!!」
シャラップ、とナミがルフィに指を突きつける。
「黙ンないと、オヤツ抜きにするわよ、」
ちなみに、これは取引ではなく脅しである。
「なぁーーーーーあああみいいいいい!!!」
「オヤツ抜き、決定」

ぴしゃりと言って除けたナミに、
「ウソップのな!!!!」
ルフィがにやりとする。
「オレを巻き込むンじゃねえっ!!!」
ギャン、とウソップが噛み付き。にかあ、とルフィはにやけて、頭上にいるウソップに大声で告げる。
「おまえだってみてええだろお?かっわいいぞおお???」

「みたくねえええええよううううう!!」
おーうおうおう、と泣き出したウソップに、ああウルサイ、とナミは顔を顰める。
「あーもーうるさいったら。どうせもうすぐ来るわよ、あの連中のことだから。ほら、ウソップ!報告!」
そこへルフィの駄目押し。
「ほへえ、ってしてんのに目がまんまるになるんだよー、あれ。かーわいいぞ」
「うわあああああんんんん!!」

さらに最大に泣き出したウソップに見切りを付け。ナミがにかあ、と笑ったルフィの前に立つ。
「ちょーっと。あンたいつそんな顔見たのよ?」
「だから、もどってくるころはしゃきってしてっからいまいちなー」
くう、と不満そうに顔を歪めた後、はん?と顔を上げたルフィに、ナミがちっちっち、と指を振る。
「今回は、違うと思うわよ、ルフィ」
「お??」
「これだけ遅れたでしょ?だから、相当すごいことになったんだとアタシ、睨んでるんだけど」
にぃい、と悪魔の笑みを浮べたナミに、ルフィはナルホド!!という表情を浮かべ。
ぽん、と手を叩きたかったが、縛られていることに気付き。
「ロビーン!!手、手!!」
と助けを求めた。

「―――はいはい、」
ちらりとロビンは苦笑して。
「打つのは3秒後でいいのかしら?」
そう言って船長を見上げた。
「おう!!!!!」

にかあ、と満足げに笑った船長に、ロビンがくすりと笑う。
「なるほどお!!!!!」
きっかり3秒後に、ぽん、とルフィの両脇から生えた腕が律儀に腹の前で音を立てる。
「うわははははは!」
遣り取りが解らないけれど、ハナシの流れを想像したチョッパーがエッエッエッと笑い。ルフィが大喜びする声が、
長閑に響いた。

「あれだな?なあなあ、」
「なぁに、ルフィ?」
にかあ、と見上げたルフィに、ナミが苦笑気味に視線を返す。
「運動の後のメシは美味い!喧嘩のあとの――――」
「ケンカの後の?」
何も言わない狙撃手に。あ、とうとう撃沈しやがったわね、ウソップ、とナミは思いながらルフィの後に続ける。
「仲なおりはまたカクベツ!!!ってやつだろ!!」

ふううん、そっか、あっはっは!と朗らかに笑ったルフィに、ナミがぽそりと呟く。
「あら。そんなアタリマエなことを」
「ちがうのかー?」
「ケンカして、仲直りしたら気分がカクベツなのはアタリマエでしょ?じゃなきゃ仲直りしてないってことになるじゃない」
「気分じゃねえよ」
きょん、と首を傾けた船長に、ナミがにっこりと笑いかける。
「…はい?」
「バッカだなあ、ナミー、」
「―――――あらやだ。アタシあンた見縊ってたかも」
「泣いた顔が笑ったら、すげえかわいいぞ、誰だってな」
に、と笑ったルフィに、ロビンがくすくすと笑い。
「まあ、」
と呟いた。

「泣き顔もかわいいけどネ」
にっこり、と笑ったナミに、にか、とルフィが笑いかけ。
「ゾロに怒られんぞ、おまえ」
「やっぱりあンたなんのことだかバッチリ解ってンじゃないの、」
ナミがみょん、とルフィの頬を引っ張って、ぱちん、と音をさせて外した。
ルフィは、あははははは!と笑って。
「あーあ、はやくかえってこねええかなあああ!!!!」
大声で独り言のように言った。

打たれ強い、さすがはキャープテン!ウソップ!が。
「――――!帰ってきた」
双眼鏡を覗きながら言って寄越していた。
「またアイツら引き返すんじゃないでしょーね、」
ナミがぽそりと呟き。また船長に盛大に笑いかけられていた。

ロビンがチョッパーから「おとなの耳栓」を外し。とてとて、とマストに向かって純情な船医が近寄りまずはロープを
外し始める。
「―――うぁ、アイツら…っ」
双眼鏡を心持浮かせたウソップが思わず絶句し。
ナミの目が底光りした。その怪しいヒカリにチョッパーがひく、とハナを蠢かす。
「おおお??どおおおしたあ??ウソップ―!!!」
船長は俄然なぜか張り切る。
「いや――――みりゃわかる、」
海の戦士は引退間際である。

「だから心配するだけ損だって言ったでしょ?ねーロビン」
ナミが「せせら」笑い。ロビンも、伏せていた目をあげて、船長と航海士にひとまず、と言う風に告げる。
「コックさん、背負われてるわ」
「―――ケガしてるのかっ!?」
チョッパーが跳ね上がった。目には凛々しい力が篭もっていて、ロビンがにこりと微笑みかけた。だいじょうぶ、と。
「あーら、あらあら、ゾロってば、」
ナミの甲板に落ちた影に、すうう、と鉤つきの長い尾がくねくねと蠢く霊視にウソップが怯え。
戒めを解かれた船長は、さっそくに船首まで飛んでいっていた。が、ぽそりと呟きを残していたのだ。
『痣はケガっていわねぇのか??』―――――おい、船長。

「愛の名残、っていうのよ、船長さん」
ロビンがくす、とその背中に笑いかけ。ナミと目線を交わしていた。
「ちがうわよ、アレはぜったいマーキングよ、」
目線を合わせたままナミがロビンに告げてみる。
だってアレ、ケモノだし、と。

「まぁ、」
ロビンが目を細めた。
「付けておいて、正解かもしれないわねぇ…。フフ。とても”可愛らしい”わよ」
「でも”アレ”と競い合うには分が悪いと思わない、ロビン?」
くすくす、とオレンジの髪が肩口で揺れる。
マストから転がりちてきたウソップは『悪魔ども』の会話を漏れ聞いて、ずざり、と後ずさり。悲しみを背負って
走り抜けていった。
行き先は、おそらく。「涙の小部屋」、要は洗面所なのだが。

とたんとたん、と船を下りて二人を迎えにいっていたチョッパーの歓声が届いた。
とはいえ、この船医も。果たして二人が殺し合いをしているのではないか、と夕べから気が気ではなかったのだ。
生きててよかった、そう心から思っているのだ。
が、妙に風情の凄みの増した剣士から、ケエキの入った箱を渡され。こくん。と内心首を傾けていた。

「サンジ、だいじょうぶか?」
「―――――あ?おーう、」
どこか、抜けた返事を返され。まじ、と見つめた。
「……ナンダ?」
柔らかに細められて。普段はお世辞にも良いとはいえない目つきがとんでもなく……「おいしそう?」。
むむううう、とチョッパーが船長の語彙に混乱し。
「どーしたよ、おい?」
すう、と。ゾロの肩あたりに預けられていた腕が自分に向かって伸ばされるのに、なんだかわかったような
わからないような世界に青くナル。

「なななななななななな!!なんでもねえええよッ!!うまそうだなあああ!!!」
ひゃったたたーーー、と走り去る姿をサンジが、ぽお、と見送り。
トナカイは、青いだけじゃなくて、ハナも効くのだよ、と。誰がこの料理人に言ってクレ。
「なんだ、あれ??」
節の微妙に蕩けた掠れ声だ。
「―――誰だ、入れ知恵しやがったのは、」
剣士が聞いてか聞かずかぼそ、っと呟く。

「なあ、」
大人しく背負われたままのサンジが呼びかけ。
「あー?」
やさしい風情の低い声が返していた。
「なんか、かお着いてっか?おれ。何だ、チョッパー、じろじろみやがって」
不思議だ、と何の疑いも持たない声はサンジのもので。
「や?顔洗っただろ、朝起きてから」

「―――――あれは、洗顔っていえねぇなー、タオル熱すぎ、おまえヒトの顔擦りすぎ」
抗議にしては、たいそう口調が柔らかい。
「ほんとはな――――ま、いいか」
剣士が珍しくコトバを濁し、小さくわらった。
「んー?なん?」
問いかける間にも船はどんどん近付いて。
果たして続くはずだった言葉、『ほんとは舐めてやろうかと思ったんだけどな』は引っ込められ。
「や。いいカオしてンだよ、オマエ」

「―――はァん?ンなの、いまさらじゃねぇのー」
あっさりと一人分の体重など何の負荷にもならない動きで船に乗っていくのは剣士だ。
「その前が、落ち込み顔だったろ、」
やさしい囁きが落とされ。
甲板までの距離を測り。ん、と短く返事をし、揺れたピアスにサンジが軽く口付けた。
ひょい、と覗けば。甲板には得意の立ち姿でナミが出迎えていた。

「遅いお帰りで。けどイイカオしてるから不問にしてあげるわ。オカエリナサイ」
にっこり、微笑むナミに。
「ナミさん!!!!」
「詫び賃、チョッパーに渡した。ひとまずコイツ、キッチンに連れてくからな」
にぃっと笑うゾロに。
「あああああ!!!ゾロ!!おまえ、ずりいいぞおおお!!」
メリーの頭から船長が飛んでくる。

「あァン?」
凄み度9割増ですか?ロロノアさんや。
「船長さんね、アナタたちの帰ってくるの待ちわびていたのよ」
ロビンがにこりと微笑んだ。
「はン、」
鼻でわらってゾロがキッチンへ向かいかけ。
ロビンちゃん!!キミはー!!とかなんとか言い出し始めるのは相変わらずの。
したり!!とナミの真後ろに船長は降臨し。
「おおかえりいいいいい!!!」
満面の笑みである。

「ううわああああ!!!!」
そして大喜びなのだ。
やはり船長も「コックさん」のちっさい頭を間近で覗き込み。
「ハ?うわ、てめおらル――――ッ」
「じろじろ見てンじゃねーよ、クソルフィ、」
にぃい、とケモノ臭い笑みだ、ゾロ。威嚇してるのかしらね?
「ゾローーーーッ!!!」
うはあああああ、と感心した風に船長が嘆声をあげた。
「おっまえ、すっげええな!!!」
「はぁ??なにが!!なんだ、てめルフィ!そらァなんのことだっての…!」
わああわああ、言う方は放っておいて。
「あー?あー。まぁな」
がつん、とさすが言い切るこの男。
「あっはっはっはっは!!!!」
船長、大いに喜び。

ナミとロビンは眼差しを交わし。
なにやら芳しくない話題のど真ん中にいることを察しはしても状況が微妙で口出しできないサンジと。
小部屋からでてきたはいいが、なにやらとんでもない色香が漂う甲板に漢ウソップはまた涙に暮れ。
うっそりとわらう剣士はさっさと『大事大事』をひとまずキッチンまで送り届けるらしい。

「なみー、おれもアレほしー」
ぽそ、っと呟き見上げているし、船長。
「ダメに決まってるでしょ、ほら出航よ!」
ぱき、と命令、けれどもキラキラと大層明るい微笑が見下ろし。
「ちぇー」
それでもにかあ、と笑みを返して。
「さああああ、次だ!!」
威勢の良い掛け声ナことで。
でも、どこが『次』なんだろうねえ?とは誰も思ってはいないらしい。



一方、キッチン。
「サンジがなんとなくだるそう」との診断を下した船医が甲斐甲斐しくお茶の支度をしている傍らで。
ゾロが『大事』をゆっくりとソファに降ろしていた。
ジブンの背で隠すように、決して軽いとはいえない口付けを落としたりなんぞし。
濡れた音に、ぴくん、とチョッパーは耳が動いても振り返らずに、棚からティーカップを人数分揃えている。
支度が出来る頃には、「もっと辛そう」になってないといいなあ、と。
ううん、名医その診断は。

しゅんしゅん、とお湯が沸き始め。
ぎいい、と船が軋んだ音を立てる。
波を切り、風を切り。涙し笑って走って転んで抱き合って。
なんだか大層はためいわくだけど。ま、あいされてるんで、しゃーわせ?







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