18.
わかってンのかおまえら、と。
決して荒げられる事の無い低い声が静かに個室に響いた。
スモーカーが葉巻に火を点ける。あわせたままの視線の先には、現場から帰還したばかりの『バカ共』がいた。
室内の空気が、誰もシャワーさえ浴びずにいるせいで、煙と、焼け焦げたような匂いに侵食されていく。
「わかっ―――」
「いいや、わかっちゃいねェな」
唇の間からゆっくり煙を吐き出し、ゾロを遮りスモーカーが言った。
「子どもだろうが大人だろうが関係ねぇ。仏サンを運び出すのに、てめェらみてえな連中を2人なくすわけにはいかねェ
んだよ」
コーザが短く息を吐いた。
「わかってます」

「どうせ、無線で母親の声でも聞いたのか?」
2人の沈黙がなによりの返答だった。
救急車へと、ビニールシートに入れられ運ばれる子どもたちに取りすがり、それでも2人の事を流れる涙もそのままに
一瞬見詰め。なにも言葉に出来ずにいた母親の姿が記憶にへばり付いている。
見開かれていた筈の瞳を閉ざしてやったのは果たしてどちらだったのだろう、と刹那スモーカーは思い、どうでも良い
ことだ、と意識をまた2人に集中させる。
もういい、とスモーカーが手を一振りした。
「今回は、見逃してやる。クソガキめらが」
す、と目礼だけをし、2人が部屋から出て行くのを見送り。スモーカーがまた煙を深く肺に吸い込んだ。

自分が新人だったころには考えられもしなかった、定期的に署員全員が受けるように上からお達しの出た「カウンセ
リング」の報告を思い出す。見た目の割にはキャリアの長い精神科医の女にしては落ち着いた低い声がリフレイン
される。
『彼の精神状態はとても健康、ね。それに強靭だわ、驚くほど歪みが見られない。けれど、幼児期の心的外傷は――完治しているとは言い切れないわね、それだけが強いて言えば気がかりかしら』
トン、と。スクエアに揃えられた爪をした指先が、ファイルされた書類を軽く叩いた。
『フン。おれはガキのころ犬に噛まれたが。それが原因でウチの署には犬がいねぇんだよ、ドクタ・ロビン』
『チーフ、その冗談の質はとても悪いわね……』
そう言って、精神科医は微笑んでいた。

けれど、とスモーカーは思った。
あのバカ共の眼を見ればわかる。あいつらだけじゃない、自分の部下たちはそいつもこいつも―――
「自分は死なねェと思ってやがる」
少なくとも、とスモーカーは葉巻を灰皿に押しあてた。
諦めねェうちはな、と。続けられた言葉は、音にされることは無かった。


廊下を黙って先に進むゾロの背中に向かって、コーザが呼びかけてみた。
「おい、」
返答は無し。
やれやれ、と誰にともなくコーザは肩を竦めて見せる。
腕に残る「重み」は、自分たちのなかにしばらく留まるのだろう。けれど、それに囚われたままでいるほど自分たちは
ルーキーなわけでも、ナイーブなわけでも無い。あの状況で、自分たちがとった以上の行動は取れないと自負では
なく思う。
「おら、てめェはよっ」
軽く助走をつけてから、その背中へ軽く肘を打ち込み。きょうは奢れ、と言葉にした。
「―――あぁ、」
答え、く、と僅かにゾロの眉根が寄せられる。いってぇな、てめえ、と。今更ながら小さく文句を言い、そして少しずつ、
足場が戻ってくる感覚をゾロは意識していた。


放り込んであった着替えを取り出しにロッカーを開ければ、ちょうどシャワールームから出てきたルッチがひらりと
手を揺らし。よう、お疲れさん、とだけ言って寄越した。
「へえ、あんたが怪我とは珍しい」
コーザがひょい、と隣のロッカーから顔を出す。そして男の頬へは、大き目のバンドエイドが貼られていた。
明らかに、自分で手当てしたとわかる程度の粗雑さで。
「あぁ、火脹れで運が良かった。哀れなのはザックだな。足を折りやがって、運ばれていったぜ」
に、とルッチが唇を吊り上げる。
Tシャツを首から抜き、背後に話し声を聞きながらゾロはさっさとシャワーブースへ向かおうとしている。

「うわ!セント・ホプキンスか?」
ひゃあ、そいつァ災難だなあー、とコーザが笑った。
そして付け足す。
「放火されたガソリンスタンドの方がよっぽどおれらには安全だぜー」
「あそこの"キング"とジャレるのもいいけどな、おまえら大概にしといてくれよ?せっかく生き延びてもERで殺されて
たんじゃ割りにあわねぇぜ」
最近なんかしらねェが前にもまして酷ェ扱いだ、と。
そのずば抜けた腕前や処置の公平さであるとか既に神業の域の迅速さにかけては、NYCの緊急医療現場に少しでも
関わりのある人間ならば誰もが認める外科医の風評は、どうやら74分署内でのみ半ば恐れを伴って急激に下降して
いるようだ。
「それは、あそこの誑しに言ってくれ」
コーザがにかりと笑みを浮かべ。
おーらなに関係アリマセン僕、って顔してやがンだっての!と賑やかに騒ぎ立てながら、ゾロが首に回していた
タオルを後から抜き取っていた。

「あァ?あのイカレシャンクスがキ印なのは今に始まったことじゃねェだろうが」
返せ、とぶっきらぼうに腕を突き出しどうやら本気でそう言ってくるゾロを不敵に見遣りパートナーが灰色を煌かせた。
「おーやおや、ロロノア・ゾロ。さっき死線を一緒に潜ったパートナーに向かってその言い様はナンダ?そもそもなあ、
てめぇが冬眠明けで手負いのサーベルタイガーのお宝にちょっかいだすからだろうが!バカタレ!」
電光石火、ゾロの裸の背を膝蹴りし。
ありゃでもその割には何でおれもこのバカをわざわざあそこへ誘うかねえ、との自覚もコーザにはあったりもする。
実は事態を面白がっているこの男も共犯者同然であるのだが。
「……はァ?てめえさっきからヒトが黙ってりゃ、わけわかんねえ好き勝手抜かしやがって」
ゾロが黙っているはずもなく反撃し。ぎゃあぎゃあとそのままシャワールームまで縺れあうように言い合いながら
進んでいく。その様は兄弟喧嘩のレベルを脱しきってはいない。

「"お宝"ねぇ……」
何にしろあの外科医のモノに手を出すとはウチのイカレガキも相当なもんだな、とのんびりと思いながらルッチが
その後ろ姿を見送る。そしてベンチでさらりと着替えを終え。
しっかし若いねぇ、あいつら、と。小さく笑っていた。けれどすぐにまた賑やかな声が届く。
『ぎゃあ!なんでおれのとこに来るんだよ!』
『てめえが退きやがれコーザ!そっちはいつもおれのサイドだ』
『うわあっぎゃあっ』
『うぜェぞてめえ!』
『ゾロに襲われるー!ルッチーっ助けろーっ』
どうやら、シャワーブースの場所の取り合いでも今度は始めたらしい。
叫び声には取りあわず自然と眼差しを流した先、コーザの開けっぱなしのロッカー、その扉の内側には「最愛の
プリンセス」の笑顔の写真が貼り付けられており、なぜか微笑ましい。その内ゾロのロッカーにも「最愛」の写真でも
貼らるのかね、と立ち上がり。ルッチはロッカーを靴先で蹴って閉めさせる。

ぎゃあぎゃあうるせぇぞてめえら!と。水音に紛れてパウリーの大声が聞こえてき。
何かをコーザが言い返し、後は三人分の笑い声が響いてきた。
そのまま低く笑いながらルッチがロッカールームの扉を抜け出ていく。今夜の当直には別チームが残るスケジュール
になっており、長い一日が漸く終りを告げようとしていた。




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