19.
本格的に冬になろうとしているなかに、ぽん、と訪れた陽射しの暖かい日だったから、黒のマフラだけを垂らしてサンジは定刻よりも随分と早めにバーまで歩いていっていた。
今朝はついうっかり、気がついたなら窓の外が明るかった。
例によって、閉店間際に顔をだした『バカ共』に付き合って。途中でコーザは「愛しのプリンセス」の元へにこやかな笑顔で戻っていたけれど、「明日は非番だ、」という片割れは結局、自分と一緒に扉のカギをかけて、表通りでタクシーを拾った。
―――と、いうか。
自宅の前でサンジだけ降ろされた。「じゃあな、」とにかりと笑うとゾロはまたタクシーに乗り込み、いなくなった。
だから、グラスを丁寧に磨くというルーティンが出来なかったのだ。
それも、今日の上天気のほかの早入りの理由の一つ。
三分の一ほど磨き終えたころ、ドアに取り付けられた古めかしいベルが鳴るのにサンジが顔を上げた。
表のサインボードはまだ「Closed」にしてある。
「ビビちゃん……!」
入ってきた姿を認め、笑みを浮かべる。
「近くのアトリエまで来たから」
そう言って、ふわんとした笑みを乗せたビビがカウンターまでやってきた。
「仕事?」
「ええ」
あのバカにはもったいない、とつくづくサンジの思う「婚約者」は画廊勤めだ。
「なんだ、ウェディングドレスのフィッティングかと思ったよ」
サンジが僅かにからかうような口調に変えていた。
「いまからフィッティングじゃ間に合わないわ!」
スツールに軽く座るビビにサンジが、「ホットチョコレイト?」と訊けば頷かれた。
ここにビビが一人でやってくるようになってまだ2回目ほどだけれども、すっかり好みは読み取っているようだ。
最初、「バカ」に連れられてここに来たときから妙に気が合った。
「式は……、うわ!もう明々後日なんだね」
「そう、サンジくんも来てくれるんでしょ?」
「プリンセスのご招待、断わるわけないヨ」
「ありがとう」
ふわふわと笑顔がこのうえなく幸福そうだ。
留学先で電撃的なロマンスを仕出かしたこのビビは、本物の「プリンセス」でもあった。貴族の娘。
このケタ違いの結婚にしても、半ば駆け落ち同然と聞いた。
ビジンな上に芯も強くて、でもふんわりした風情の子、なんてまさに勿体ねえ!がサンジの感想で、それは今もあまり変わっていない。
「おとうさんは?」
「うん、」
ふう、っと差し出されたマグカップから湯気を軽く吹き払ってビビが見上げてきた。
「多分、いらっしゃらないわ。でもね?代理が来るから」
「代理?」
「じいや」
「―――そう」
にこ、とサンジが微笑んだ。
「それじゃあ、寂しくないね」
「ええ」
「あぁ、でもごめんね?」
「なにが?」
美味しい、と微笑んでビビが僅かに首を傾げ、さらさらと髪が肩を滑り落ちていった。
「―――や、イキナリ。式にキチガイ2人追加で」
はあ、とサンジがため息をついた。
実は、先日。ビビが一人でバーに夕方遊びに来ていたとき、そこへたまたま地獄のタイミングで。
一体あンたたちみてぇなクソ忙しい連中が揃って何の用だ!!とサンジが絶句する絶妙な現れ具合で、異母兄とその幼馴染みが顔を出し。
おまけに市長はSPを『外で捲いた』とこともなげに言ってのけ、サンジが怒り狂って携帯で呼び寄せさせたのだ。
『ここで死なれでもしたらクソ縁起でもねぇって!テロとか気をつけろよっ』そう叫べば。『あぁ、心配ない。名医がいるから』そう、にーっこりと微笑んでみせ、そういうときだけ異母兄も。『おーう、むざむざ死なせねェから遠慮なく撃たれやがれ』と上機嫌に言ってのけ。ビビも最初は眼をぱちくりとさせていたが、そのうち笑い始め。そこはやはり家族だかキョウダイだか、この二名もすっかりビビと意気投合していたのだ。
「どうして?」
くぅ、とビビが眼を僅かに見開くようにしていた。
「サンジくんのお兄様にはあの人もお世話になってばかりだし、私、市長さんのファンよ?」
「げ。」
心底嫌そうなサンジの様子にビビがくすくすと笑った。
けれど、ちょうどそのとき特徴のある排気音が聴こえてき、2人が顔を見合わせる。そして、またサインなど気にも留めない風に扉が開き。
「よう、」
ゾロが立っていた。
そしてビビを見つけると、に、とし。
「お、ビビ。外にカルーはぶら下がってねぇぞ?」
そう付け足していた。
米国留学中の貴族の娘と、NY市消防局の職員の馴れ初めは。ビビの飼い猫のカルーが果敢に木の天辺に登ったはいいが下りられずにレスキューが呼ばれた、という代物だったので。
「だって、連れてきていないもの」
そう応えるとにこにことビビが婚約者の親友、の頬へ軽く唇で触れていた。
今朝別れたばかりの顔をサンジがまじまじと見詰めた。
その視線に気付いたのか、ゾロが僅かにミドリ眼を跳ね上げるようにする。
「―――おはよう、とか…?」
ゾロが口にし。
「ええと、マジですか」
サンジが応えていた。
くすくすとまたビビが嬉しそうに笑っている。
「ご用件はー、」
「ジムに行く途中に寄っただけだ、」
そう告げると、アタリマエのようにメニュー外のライトディッシュを要求してくる。
「ハイハイ、でもって腹がお空き、と」
「まあな」
悪びれた様子がゼロである。
ケータリングサーヴィスは若干形を変えて、存続している風だ。
「ビビちゃんも、どう?」
「いただくわ」
美味しい…!との絶賛をビビから受け、サンジはキゲンが上々なようだ。
キレイに平らげたゾロも、エスプレッソを飲み干すとスツールから立ち上がっていた。
「閑なヤツだね、おまえ。ほかに行くとこないのかよ?」
「―――や?」
すい、と出て行きざま、ゾロが歩調を緩めていた。
「あぁ、けど。ほかにいまのところ見たいカオはあンまりねぇかもな」
と、発した本人にしてみれば何の気はない一言であったのだが。
―――は?と。
また一人、残されたサンジが絶妙なカオをしているものだから、ビビがひどく楽しそうにわらった。
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