43.
「コーヒー淹れるわね」
「んー、アリガトー」
リビングの窓辺から本日の天気をちらりと確認し、ンミァ、と肘に頭をこつんとぶつけてきた「カルー」の縞模様の額を撫でてやりながらコーザがのんびりと返事した。
雪?と尋ねる声がキッチンの方からし、
「やー?晴れじゃねェけどまだ降ってないよ」
何と言うのことの無い朝の会話を交わしているのであるが。よりによって、「妻」からまでさんざん、オークションに出品される話を大笑いかつ大歓びされ、実は昨日から心中複雑なコーザでもあったのだ。
『競り落としてくれナ?』
『そう?8ドルまでで落札できればね』
『ナンデまたその値段?』
『ジュリーの店のジェラート、2スクープ分までが予算だから』
あっさりとビビが笑顔で言ってのけていた。
『だって私は毎日一緒にいるんだもの、』と。

と、とカルーが窓枠から飛び降りキッチンへとアサゴハンに向かうのを眺めてから、口を開く。
「あのな、ビ……」
そのとき、ケイタイが鳴り始め。にこにこと笑いながらビビが『早く出れば?』と目で促してくるのに軽く手の一振りで応え。
「―――ハーロウ?」
朝一に聞くには中々耳に良い開口一番に。
『朝からすまんな、』とこれまた低音の美声が応え。
「ドクタ・ベックマン?オハヨウございます」
きょと、と一瞬コーザが目を丸くした。
『手短にいくぞ、』
オカエリー、とコーザが言う間もなくドクタはぴしりと進行する。
『ミセス・ビビの次の検診はいつだ?』
「―――ン?ちょい待ち、」

ビビー、次にドクタに会うのいつだっけ、とか何とか。
伝わってくる機械の向こう側の大層ほんわりと温かな風情にベックマンが薄く笑みを浮かべる。
まア、同様にほわほわしているだろうエリアもあるのだろうが、いまはとにかく……

「お待たせ。ちょうど明日だね、行く予定だけど」
『丁度良い。コーザ、冬眠明けで手負いのサーベルタイガー以上のモノはおまえ何かわかるか?』
あったァー、とコーザが内心で蒼くなる。
「……冬眠明けで手負いで腹空かせてて、ティラノザウルスにコドモ爪で引っ掛けて攫われた?」
『―――あまいな、』
「う、」
『―――ただの、ER勤務の外科医だ』
「ぎゃ……ッ」
呻いたコーザに向かい、ビビがちらりとダイニングテーブルから振り向くけれども、またサラダを食べることに戻るらしい。
『そこで、だ。おれの平穏は今更だがナイ』
「―――ありゃー……」
『このままだと患者にも差しさわりが出てくる』
「うひゃー…」
『現に、昨日おまえの署の連中、麻酔無しで傷の縫合されてたぞ』
「うわ、怒ってンねェ」

『そこで、だ』
「―――ハイ」
『ミセス・ビビの病院までの付き添いにオトウトを行かせて欲しいんだが』
「…あー、ビビを病院まで送らせるついでにERにも寄らせる、と」
『カシコイな、コーザ。家にはどうせサンジも週末まで寄らないだろうし、元サーベルタイガーもパブに近寄らんだろう、何しろ、』
さらりと告げられた『近状』にコーザが絶句し。了解しました、と答えていた。
そして通話を切るなり。
「ビビー?実はおれ明日急に一緒にいけなくなっちまった、ゴメンな?それで代わりに――――」
にーっこり、とビビの頭の天辺にキスを落としながら言うコーザだった。あー、おれってばなんてダチ思い、と半分共犯者でもある彼は思っていたのだが。


                                     44.
「ビビの?いいよ」
サンジがカウンターの内からにっこりと笑顔で返し。アリガト、助かるよ、と過保護な夫の笑みを返すのがコーザで、片眉を引き上げてなにやら「笑み」がアヤシイ、と見遣っていたのがゾロだった。
「何時ごろに迎えに行けばいい?」
「10時までにヨロシク」
「オッケイ」

賑わいが引いた後、閉店間際のいつもの時間帯にパブには3人がいるだけだった。カーラは20分ほど前にもう帰ってしまっていたし、そのときにプレートを「閉店」に裏返していた。
視線を感じ取ったコーザがす、と隣のパートナに向けたが、ナンダヨ、と目で訊かれ。べーつにー?と同じように眼で返し、そのまま視線をカウンターにまた戻した。

何でもない会話とちょっとした軽口と、一見、何も変わっていない、が。
周りに「他人」がいなくなった所為か、すっかり穏やかに肩の力を抜いてしまったらしいサンジは。まぁ確かに、本業は俳優なだけに整った容姿をしていたが、いまは内側から「良いヒカリ」が本当に零れそうな具合でなんと言うか、非常にミリョク的な笑みを乗せている。
あーあ、恋してんだねェー、って具合に。にこにこと肩を叩いてやりたくなるような。
まぁ、自分が見てもこんなにいい風情なわけだから、あの地獄の使徒と化したERのカミサマも、伊達に『オトウトを愛しちゃってンだっての!』であるのだから、分からざるを得ないだろう、と少しは安堵したのだ。コーザにしても、親友と「ダチ」は好きなのである。

そんなことをつらつら考えながらショットグラスを飲み干し、スツールから降り。
ひょい、と視線をあわせてきたサンジに、ン?とでも言う風に眉をコーザが引き上げる。実は、勝手に考え事をしていたものだから、彼らの会話は音として認識してはいても、意味は頭に入ってきていなかったのだ。
「なァ」
「ハイ」
「オークションに掛けられるんだって?おまえら」
サンジの言葉に、げんなりとした表情をゾロが作り。話しかけられたコーザはがっくりとカウンターに両腕を突いた。
「そうなんだよ、ひでェだろー?ウチのナミは容赦ないからねェ」
くく、とサンジが笑い。磨き終えた最後のグラスを山の頂上に静かに重ねていた。
「おれも招待されたよ、」
チャリティー・ボール、と続けたサンジに。
「チケット買わされた、のマチガイだろうが」
ぼそ、とゾロが言い。
「ついでに賭けたヨ」
にぃ、とサンジが唇を引き上げる。
翠眼と灰色眼がサンジにあわせられ。
「落札価格がどれくらいになるか、ってヤツ」
けろりとサンジが言ってのけ。
あーあ、とコーザが脱力し。馬鹿かオマエは、とゾロが呆れ。
脱力したままコーザはカウンターから離れると、じゃあお先に、オヤスミーとドアまで歩いていく。

以前と変わったことは一見ナイのだが、変更されたことは一つあった。
最後までゾロがパブに残るようになったこと。そしてまあそれは当然の成り行きだよな、とドアを閉めながら思えば、おやすみ、と柔らかなサンジの声に送られた。
コレもま、悪くないね、とにっこりし。タクシーを捕まえに大通りへとコーザも歩いていった。誰かの待っている部屋へ帰ることも、誰かと一緒に部屋へ戻ることも。




NEXT
BACK