49.
「ヘイ、」
小さなベルの音がし、ドアが開き。サンジがカウンターの内側から声をかけた。
ドアを閉め際に、一瞬肩の後ろを見遣るようにしていた相手はそのまま視線を戻し、小さく頷くようにした。ちらりと笑みが目元を過ぎっていくその様子に、サンジがバックオフィスでつけっぱなしのテレビから流れていたニュース映像を思い出した。燃え上がっていた古いアパートメント、そして現場からのレポーターのコメント。
『……多数の不法滞在者が居住していた模様ですが、死傷者の数は以前不明でありまだ増加するかと思われ―――』
けれども、そのことについてはいつものように一言も触れずに、スツールを示し笑みを乗せる。
冴えた夜気の名残を周りに漂わせたままま何歩か近づきかけ、そのとき、ゾロの表情がふい、と明るくなった。
「―――ん?」
「ヘイ、サンジ、」
「んん?」
まっすぐに伸びてきた手が、長く落ちかかる前髪を掬い上げそのままこめかみへと滑り、きゅ、と掌に頭をサンジは包み込まれる。
「オメデトウ、巧くいったみたいだな?」
「……あ、」
バレたかよ?と蒼が笑みに細められる。
くしゃり、と一瞬髪を柔らかく握りこまれ、そのまま引き寄せられる。
ひどく間近でもう一度、ゾロがオメデトウ、と言った。
「ん、」
笑みを乗せたまま、頬を寄せるようにすれば。ふ、と幽かに煙の匂いがハナサキを掠めたことに、サンジが一瞬瞳を閉ざし。とん、と頬に口付ける。そして、
「おれが役者だってことおまえが忘れちまう前にシゴトできてよかったよ」
と呟いていた。
「バァカ」
とゾロが笑い。片腕を背に回し、ほんの瞬きほどの間力を込めてからスツールに座った。
「ま、そういう訳なんで、エンリョしないで祝え」
サンジが機嫌よくわらい、ショットグラスをことりと定位置に置く。
「けど功労者はおれだぜ?」
ちかりとミドリ眼が面白そうに光を乗せる。最終日にオーディション会場まで送っていったしな、と。
「あれは……!」
「ん?」
にぃ、とゾロの笑みが今度は濃くなった。
「寝過ごす原因作ったヤツが悪ィ」
アップタウンのスタジオまでダウンタウンの部屋からトライアンフは実に見事な走りっぷりでサンジを時刻通りに会場入りはさせたけれども。
「かもな?」
ショットグラスを空にし。カウンターに下ろせば、隣にサンジが移ってきていた。
「オメデトウ、は言ったよな?」
「何度聞いても問題ねェけどな」
ふわ、とサンジが微笑み。
「で、また忙しくなるのか?」
「……や?まだしばらくはそれほどでも」
「JJを休暇から呼び戻さねェとな」
「―――んー、けどヨメさん付きだったりして」
くく、と小さくわらうと、バーカウンターの一角にピンで留められている写真を視線でサンジが示していた。南の明るい空の下の、満面の笑みのJJとカフェラテ色の肌をしたビジンのソレ。
「なァ、」
「ん?」
す、とサンジが視線を戻す。
「飲み終わった」
長い指先がショットグラスを持ち上げた。
「みたいだな」
慣れた風情でゾロがグラスを古いタイプのレジ脇に置くと、そのままバックオフィスへと歩いていく。
「んん?」
サンジがグラスをシンクへ戻しながら、ゾロの行動の突然さに小さく笑っていると。とさり、とイキナリ肩にコートが掛けられた。バックオフィスに置いてあった自分のもの。
「お?ナンダヨ、早……」
言葉の途中で、髪に唇が押し当てられた。
「ウチに戻ろうぜ。ここじゃロクに祝えやしねえし」
はは、とサンジがわらい。後ろ手にゾロの頭をくしゃくしゃに乱した。
「どっちのウチにいく?」
「おまえの好きなほうでいい」
「そっか。じゃ、おまえん家」
溺れる、と思う。熱に。
息を深く吸い込もうとしても途中で震え、浅くなり。縋るように手指を背に埋めて。
押し出される声にまた熱が奥で滾り。
引き上げられる熱に、いっそう背に縋る。
「ゾ、ろ―――っ」
名を呼べば深く口付けられて眩暈がする。
掌にしなやかな背の、肩の、模る線とその内を流れる血の温かさとが伝わり。鼓動と。掌からも、身体の内側からも。
自分のものか、相手のものかわからないほどに混ざり合った鼓動が耳元で急に聞こえ、サンジが短く声をあげる。
極まって眦を濡らした滴を熱い舌先で舐め取られ、震え。
揺らいだ脚、腿裏を押し撫でられひくりと喉を鳴らし、拓かされていく感覚に背がリネンから浮き。抱きしめられ、熱が弾ける。濡れてなお熱く。
夢中で抱きしめる。自分を引き止める相手、このままどこかに消えるかと錯覚しそうなほどに、ちかり、とフィルムの切れ端のように浮かぶのは。最初に口付けたときの顔。
固く抱きしめ、内に引き起こされるものが齎す衝動のままに相手の名をどうにか唇に乗せれば。首もとに口付けられ、そのまま顔をゾロが深く埋めてき。
「なんて声だ、」
と呟いていた。
「きょうも、戻ってきただろ……?」
そして、金色の小さな頭を掌に収めるようにし。軽く内を穿ち、波立たせたままその目元に唇で触れれば、いっそう回される腕に促されるようにリネンに預けさせていた背を引き上げさせればサンジがまた声を洩らし。
肩から、背を辿り、僅かに強張った腕から腰にまで掌を滑らせながら、ゾロが言葉を乗せていた。
「あまやかしてやる、って」
からかうように告げてくる相手に、サンジがくしゃりとわらい。肩口に顔を埋めていた。
雨の日の森のような、どこか静かに後を引くように残る灰の匂いがごく幽かに、短い髪から香り。サンジが首を引き寄せるように腕を回していた。
「おれの、ほうが。あまやかすンだって、」
そう告げてくる、火照った唇にゾロは触れないわけにはいかなかった。
「なぁ、サンジ」
「……ンっ?」
「おまえは。“良きもの”だよ」
「……な、それ」
くく、と。競りあがった息にジャマされて、それでもサンジがひどく幸福そうにわらった。
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