夜明け前、ゾロは中心が真空になったように思える頭をもてあまし気味に自室を後にした。
水の底のようなひかりが、ぼんやりと人気の無いリビングに満ち。自然と目は、開け放された
ままのゲストルームの扉へと向けられた。

明けきる前のくすんだ色調の中にそこだけが、淡く明るい光のおちている場所。ねむる人。
傍らに立ち、見おろす。閉ざされた瞼のあたりが、少し熱をもったように薄く色ずいて。
指先で、落ちかかる金糸をすくい上げた。

「また、泣かせたのか」

静かに上下する肩に軽くふれ。ふと。意識が静謐に戻っていくのを感じた。
耳の底で鳴り止まなかった金属の共鳴するようなオトが、消えていた。

半身を折り、その肩口に額を預けるようにする。
薄い唇から言葉が紡がれた。
「……ごめんな、」と。

せつな、かるく身じろぐようにし、現れた蒼が自分を奇跡のように映しこみ、ふわりと。
あたたかな両腕がまわされる。首もと。

「いいよ、大丈夫だから」

どこまでもやわらかな声が。溶け込んできた。




17.
「なあ珠怜、」
コーザは眩しいほどに日の差し込む中、向かいに座る女友達に話し掛ける。
「おまえ、ゾロのことどう思う―――?」
「・・・・・・ゾロ?」
「ああ。ああいうヤツは、おまえの眼にどう映る」
問い掛けられ、考え事をするかのように美しく弓型に整えられた眉が僅かに寄せられる。
「あの人は、―――そうね。豪華な飾り物みたいだわ」
「あいつがか?」
「ええ。だって普通、オンナは自分のことを見てくれない男は、要らないもの。でもあのルックスだものね、
それでも良いってヒトも多いでしょうけど」

「ロクデナシだな、」
「あら。あなたもね、コーザ。あなたたち、史上最悪の名コンビよ」

穏やかに耳に流れ込んでくる声を聞きながら、コーザは2日前の出来事を思い出していた。
そんなロクデモナイ奴が、一つの事をした。その意味を、自分はまだ量りかねているけれども。
いずれにしろ、奴が閉じこもっていた檻の鍵は外れはしたのだろう、と。




こいつの悪趣味は知っていたけれど、ここまで神をも畏れぬバカだとは知らなかった。
「連中」を迎えに、勝手に開いた扉を抜けて入ってきた自分が目にした物にコーザは吐息をつく。
ゾォロ、バカが自分を追い詰めて何が面白いかね、と。

頭をくっつけるようにしてダイニングの大きすぎるテーブルの上に何やら置いた本を両サイドから
覗き込んでいた姿は。どうみても、ただの円満な恋人同士にしか見えないっていうのに覗いていた
のは古典のテキスト。J・アーヴィングとかなんとか。"レモネード"がピンクだろうが透明だろうが
どうでも良いと思うのだが。その本のラストシーンででてくるそれが何色か、など。
なにやってるんだこいつらは?キスでもして笑いあってる方がよっぽど似合うんじゃねえの?

「なあ。そんなのどっちでも良いだろ?さっさと行こうぜ。ウチからの出生証明の提出期限は
午後5時なんですがね。秩序がダイスキな管理局サマは前時代の遺物なんだぜ?」
ぱんぱんぱん、と二つの頭上で手を何度か合わせ。
おれはセンセイかよ?とコーザは苦笑した。

そして、インダストリーのメインゲートを抜けたところで「あるく」と言い張る若干1名がいたため、
車は守衛に任せ、けっこうな広さの敷地内を研究棟に向かっていた。「外」を自由に歩けることが
未だに無条件に楽しいらしく。時折、リズムを変えながらどんどん先を進んでいっていた。

「なあ、あれ。おまえのコートだよな?」
コーザが傷のある方の眉を引き上げる。
「なんか、微妙にでかくないか?」
「・・・・そうだな」

隠されて見えない筈が、線の細く端麗なことが逆にイメージされてしまう程度に微妙に
グレイのベルベットのように毛足を短く刈り込まれたファーコートが身体から浮いている
後ろ姿。ときおり思い出したように振り返り、また指で示された方向に向けて歩き始める。

「ううん、」とでも考え込む様子でコーザは傍らのゾロに眼を戻す。
「あれさ。変に色っぽいのはどうにかした方が良いぜ」
「おれに言うな」
「着させなきゃいいんじゃないか?」
「さあ。気に入ってるらしい、」
「ミゴトなまでにおぉーおあまだな、おまえ」
「放っとけ」

「お仕込みがよろしいようで、なによ―――」
笑みを含むようだったコーザの言葉が途中で断ち切られる。
「り、ってえェェッ」
「おまえな、その冗談はちっとも面白くねェよ」
「てめえ、ヒトのカオ捻るなっての!」
「されるようなコトするてめえが悪ィんだろうが」

自分の背後が突然にぎやかになったのにサンジが振り返るとそのまま立ち止まり、
二人の方をじっとみている。

ひらひら、と「保護者」の代わりに手を振る自分に僅かに眉根を寄せるのを見て、
「あーあ、まるっきりガキかネコの仔だよあいつ。完全にケイカイしてるし、」
コーザがわらう。

それが、ふと視線を横に逸らせただけですなおに「うれしい」という表情に変わる。
まあそりゃあまやかすよな、あんな溶けそうなカオされたら、と納得した。

自分の方を見ながら一人で感慨に耽っているらしいコーザは放っておき、ゾロは半透明の
カードを取り出すと、側まで戻ってきていたサンジに手渡した。
「あそこのビルの入り口。スリットに通せよ」
ビジター用のパスだから、と付け足す。

それを受け取り、眼をあわせたまま相手のポケットに手を滑り込ませシガレットケースを
取り出すと、なか、禁煙?と聞いてくる。
「ああ。喫うなら今のうちにしておけ」
答えに目許だけでわらって、サンジはまた離れていった。

「ゾロ、」
コーザの声が届く。無視してそのまま歩き始め。
「―――――似てるな、」
ひどく静かなそれは。ゾロの足をとめさせる。
「最初に見たときは、驚いた。生き写しじゃないか。まるで、FとMと。タイプ違いのAL並みだ。
なんだあれは?」
ゾロは思わず笑みをこぼした。本当だ、と。
「ああ。良く似ている。でもな、それだけだったらおれはとうにあれを抱いてる。拒まれるとも
思わねえし」

「まだ!それはまた意外―――」
コーザは僅かに口許を歪めるようにして自分を見つめてくる、翡翠の眼差に言葉を途切らせる。
この表情を一度だけ目にしたときに、自分の中の時間が戻りかける。

シャトルの爆破事故の第一報を聞いたのは、自分だった。
ゾロは、プログラミングを済ませたALの最終動作確認中だった。
他のスタッフを下がらせ前に立ち、事実のみを告げた。そのとき
ヒトは、打ちのめされると却って酷く無表情になるものだと。
ココロが空白になるほどの何かを感じると、その眼は何も映さなくなるのだと。
自分の思考が、混乱した頭のどこかでそんな風にとめどなく流れたことを、思い出させられる。
もう、2年も経つのか。あれから。

「マイ・ディア・ルビイ・ベイビイ、いいかげん解放してやれよ、ヤツのこと」
先を歩き始めた背に眼をあてたまま、
歌うように、宙に呟かれた言葉は。


ピ、とサンジの目の前に掲げられるようだったレコーダーがゾロの手の中で電子音を立てた。
「虹彩認識終了、はいお疲れ様」
コーザがその横であっさり告げる。
後はおれが電子書類にサインして一緒にオヤクショに送って終わり、と。
「わが息子よ。ここがキミの故郷、おれがおとーさんだよ」
研究室の中で両手を広げるようにするのを、薄気味悪ィぞてめえ、と相当真剣に言いながら
ゾロが軽くその頭を「はたく」。

そして、もうしばらく時間がかかるかけどおまえはどうする、とサンジに問い。
「待ってるよ」
そのまま視線を巡らせ、面白そうだし、と付け加えた。
「じゃあ時間つぶしに、アシスタントに中を案内させてやろうか?」
コーザが言い。うん、と初めてサンジは目をあわせた。
「途中まで一緒に来るか?」
ゾロの言葉に。そして笑みを浮かべる。

二人の後についてガラスで仕切られた研究棟の扉を抜けながら、サンジはいつだったかナミがまるでお伽話
でもするように聞かてくれた話を思い出していた。

よくても産業用ロボットの見かけが多少良いだけのArtificial Lifeが人工関節で動いていたような時期に、
完璧なヒュ-マノイド・タイプのALが突然現れたこと。そこまでの技術開発の過程がキレイに飛ばされている
こと。科学のミッシング・リンク、と言われてること。いまのALは全て、レベル・インダストリー以外の物も、原型は
コーザの父親が作ったこと。
記憶の中のナミの声は、流れるほどにやわらかい。

「ほかのメーカーは「開発」はしていないの、技術のフランチャイズをしてもらっただけ。
だけど"人形"のままだったの。ゾロが、あのALを創る前までは。」



「なあ、ゾロ。おまえのプログラミングした"AL−ERF"が、なぜあれほどヒットしたか知ってるか」
コーザの言葉に、ゾロが目線を上げる。研究棟内の自分のセルに足を踏み入れたのは15ヶ月振りだった。
虹彩パターンの認証を済ませたシステムが自動的に立ち上がり、ガラスのスライディングドアが開くのと
同時に"ウェルカム、マスター"と低い人工音声が二人を迎え入れた。

コーザに背を向けたまま、ゾロはまっすぐにセルの中央にあるスクリーンへと向かう。その後ろ姿に、ドアに
凭れかかり立つコーザは何でもないことのように続けた。
「あのタイプが初めて"マイナスの感情"を持ったんだよ。ERF前のヒュ―マノイド・モデルは、こちらサイドへの
愛情や献身やそういったプラスの思考だけで全部を埋められた人形だったんだ」

"アイデンティファイド、"
人工音声がもう一度届くのに、コーザは片眉を器用に引き上げる。一体何重にセキュリティかけてやがるんだ、と。
やっと、スクリーン上にPCのエントリーコードが入力される。
「ゾロ、」
呆れた風な声に向ってゾロはかるく肩を竦めてみせる。これだけやっても屑データは流出してるぜ、と言い。
そして背を向けたまま、「ERFもただの人形だ」、と続けた。

「ERFは違う。あれは"おれたち"ヒトに、"終わり"があることを初めて知った。"脳"の学習領域に反比例する
場所が出来たんだよ、余暇の領域が。与えられた命題に向けて、自分で学習していきながらな。それでも全部、最後はプラスに繋がるように設定されて。プログラミングの命題は、相手を愛することだろう?おまえのロマンティスト振りがバレたってわけだ。"いつか"終わる事があると知っていても、あのALはヒトに惜しみない愛情をむけてくる。学習領域に感情が宿ると、本気で信じかけるくらいだ」

「事故の直後に、デバックするっていって、ERFのメインデータを全部リブートしたよな、おまえ。あのときに、
自分の感情パターンをERFのニューロン・ネットワークに保存したんだろう?記憶を無くさない為に」
「だから?いまでも売れているなら別にいいじゃないか」
「まあな、」
コーザはスツールを引き寄せすとん、と座り。スクリーン上を流れる数値の列を見るともなく眺めながら言葉を
続けた。例え聞いていようがいまいが、このバカに話ができるのは自分の父親か自分しかいないのだろうから。

「ERF前とERF後ではアンドロイド自体が別モノだ。だけどな、いまだにERFがシェアトップなんだぜ?
どうしようもないロマンティストの生の感情がベースになってるんだ。他所が真似できるハズもねえしな」

ゾロが振り向き何か言いかけるが、また僅かに眉根を寄せコンピュータに向き直る。
縦に全ての数列がスクリーンを流れ、アラートサインが現れる。"ディレイト、マスター?"音声が
再確認し、そのサインにコーザが立ち上がる。
「おい、ゾロ―――?それは、」
「"イエス"。」
瞬間、ディスプレイ・スクリーン自体が発光したかに思えた。それほどの光量が画面を瞬時に流れる。

「―――消しやがった、」
ぽつりとコーザが洩らした。

「ああ。もう、いらない。ただのデータだ、最後まで消せなかったけどな」
「それは、"ガラテイア"のプログラムだな・・・・?」
「とんだピグマリオンになるところだ。あんな人形を作ったらな」

「完成していたのか、」
「ああ。生前、あいつのプロジェクトチームのメンバーは全員、自分たちのニューロン・ネットワークを
スキャニングしていた。脳に記憶されていた情報は全て電子素子に置き換えてあったんだよ。それを
ベースにして、"ガラテイア"はプログラミング済みだった」
「死んだ恋人そのものがベース、か。悪趣味だな。殊勝にクローンでも作ってる方がまだ可愛気があるぜ」

「否定はしないけどな。一つ教えてやろうか、生体脳には大容量データは転移できないんだぜ?シャチョウ」
そう言って、ゾロはメインスイッチをオフにする。すべての音がセルから消え去ったかに思えた。

「アンドロイドにはイノチを入れやがったくせに。なんで生身のニンゲンのイノチは受けとらないんだ?」





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