Arizona Noon, Honey Moon
第1章
Tuesday, June 4, 2:50pm
プライベート・クラブのスモーキングルームは気に食わない。
いかにも年代めいた革のオッドマンも。夏でも火の消えない暖炉も、高い窓から差し込む、埃を透かせる光も。
ましてや、そこかしこで談笑する連中はこんなヒヨッコに誰1人興味なさ気にしてはいても。
ああ、ほら。そこのおっさん。あんた、不必要に声がでかいぞ。
不愉快だ。
いつまで待たせやがる、はやく出て来いっていうんだ、御大。
ぴたりと。談笑が止んだ。
ああ、キヤガッタカ。
「いらっしゃいましたね、どうやら」
右肩の後ろ側から、声がした。頷いて、立ち上がった。
「やあ、これは……」
がらがらがらと。喉元に当てられた機械から声がでてくる。
「御元気そうで、ミスタ・ドナレッティ。」
「お父上はいかがかな、」
枯れ木のように痩せた老人だ。病巣に身体を食われてそれでも。
まだ眼が死んじゃァいない。小僧の腕前拝見、とでもいうところか?じーさん。
「あなたの壮健さの半分ほどでもいただきたいくらいですよ、」
さて。笑うかここいらで?
「きょうは、父の名代でうかがいました。奥へ?」
クラブの奥、ラウンジをおれが指し示し。ペルが先を進みかけるポーズを取る。
ああ、ちんけな芝居だ。さっさと終わらせようぜ。
ちらりと。一瞬目線がペルから投げられた。……悪かったな、ばれたか。
「いや、けっこう。どうだ、ウチの自慢の店にお連れしよう」
じーさんが背後に従っていた男2人に軽く手で合図し、それを受けてガードが先を進みだした。
クラブの入り口の扉へと。
ほう。おれは合格か。ありがとうよ、じーさん。
握手をした。
Thursday, June 6, 2:00 p.m.
空気が乾いている。砂塵が舞った。
それは、ここでは別に珍しいことではない。
ここの地域は、もともとヒトが定住するような場所ではなかったから。生活を保つのも、一苦労。
今日はまだ呼び出しがかからないから、部屋の中に入ってきた砂を箒で掃き出した。
借りた小さな木造の家。
観光客は入って来れない、独立区の中の一部。アリゾナの砂漠。
グランドキャニオンの麓。
不毛の土地に、建った家。
風が通る音は、キライじゃない。
乾いた、熱い空気。
何か、新しい事があるのだろうか?
手を休めて、開け放した戸から、空を見た。
一羽の鳥。
なにかが、訪れる。そんな予感がした。
不意に響いた人工音。
我に帰って、ポケットを探った。
「はい、なんですか?」
『シンギン・キャット。メルの子供が産まれるようだ』
「メル。ああ、ジェイクのとこの馬ですね?」
『そうだ。立ち会いたいなら、早く来るといい』
「わかりました、これから向かいます」
大学の授業で、何度か立ち会った。ジャックおじさんの所でも。
だけど。ワクワクする。
これも、獣医になるための勉強の内だけど。
新たな生命が生まれるとこに立ち会えるなんて、シアワセじゃないか。
カバンを持って、携帯電話を放り込み。ドアをとりあえず閉めて、古い4DWに乗り込んだ。
中古のワングラー。イグニッションをスタートさせて、がこん、とギアを入れた。
舞った砂埃。
しまった、掃除のやり直し?けど、今は構ってられないから。
山の更に麓に向かうために、アクセルを踏み込んだ。
ここは、ネイティブ・インディアン・カントリー。
自然崇拝とインターネットが同時に重宝される場所。
Tuesday, June 4, 7:20 p.m.
「ガンの携帯は認めない、同行は1名に限る。普通なら死に来い、っていうようなモノだろう?」
ちがうのか、と隣に座った【同行者】に眼を戻した。じーさんの店を出た後、おれたちはハドソン・バーの
一角に居場所を見つけていた。
「あなたはよくなさいましたよ。後見人としては若干鼻が高い」
しれ、と。前をむいたままで返してきた。
「【同行者】だ、おまえは」
「べビイ・シッターと言わなかっただけ、褒めていただきたいものですがね?」
に、と始めて薄い唇が引き上げられた。
それを眼にして、ああなんだこいつも緊張していやがったのか、と。気が晴れた。
「あそこのじーさんは、信用できると父が言った」
「ええ、おそらく最良の。前時代の生き残りです」
「皮肉な言い方だ」
「あなたの代弁をしたまで」
あの男の代で。あの組織は自然と分裂を始めるだろう、それがおれたちの読みだった。
そうなる前に。セルのひとつひとつがまだ生きて機能しているうちに―――。
じーさんの跡目だった男は。ただのガキだったおれも、覚えている。
気持ちの良い男だった。夏に、サウスハンプトンの別荘にたしか訪ねてきたことがあった。
雀斑の散った顔で。満開の笑顔を惜しげもなく晒し。
「ええ、残念なことです。彼がいれば、また違った流れができていたでしょうに」
乗馬だボクシングだドライブだと。夏中、「ちび」を引き摺りまわし。
明らかに、過失としか思えない自家用機の事故で。夏の終わりに逝った。
一人息子の遺体の一欠けらも。あのじーさんは目にすることができなかった。
それ以来、おれは飛行機が嫌いだ。
ずっと流れていた噂は、「あれは事故じゃない。」
そして、噂の渦中にいた人間が、いま。あのじーさんの死ぬのを延々と息を顰めて待ってやがる。
渡すかよ。
「ゾロ、きょうのことはまだ内密に」
「わかっている。おれだってそうそう簡単に死ぬ趣味は無い」
「ビジネスの、枠組だけを吸収しても。あなたの不利になるばかりだ、お気をつけて」
「おれがじじい連中とおとなしく狸合戦できるかよ?オマエに任せる」
ロックグラスを乾杯のために掲げた。
「あそこの組織は。おれが絶対に手に入れる」
「ああ、あなたはそう仰ると思っていましたよ」
肩を竦める隣の男の脳が。フルスピードで駆け出したのがわかる。うれしそうだからな。
「おれは、例のディールがあるから。明日には、先にフェニックスに飛ぶ。おまえは後から来い」
「了解。父上には私から御話しておきます。では、3日後に」
「ああ。なあ、乾杯しようぜ。」
「今日の良き日に?」
「違う。エースに。」
Thursday, June 6, 3:00 PM
6月のメルの出産。
だいたい馬は4月産まれが多いのだけれど。メイティングが遅かったのだろう。
それでも、予定日より何日か遅れているとジェイクが言った。メルが心配だ。
遠いコロラドの山の奥。小さい頃にジャックおじさんが言っていたことを思い出す。
『オマエは、ケモノに好かれる性質だな、シンギン・キャット』
ポーニーズの血を引く、ネィティヴ・アメリカンのジャックおじさん。
オレにルーツを与えてくれた。
『オマエは、フツウの人より、ヤツラの心が解るだろう。いつも、相手の気持ちになって考えなさい』
メルは今、中々産まれない子馬に、苛立っている。
飼主のジェイクは、メルにあまり好かれておらず、近寄れない。
メルになにをすればいいのかな。ゆっくりと、声をかけながらメルに近寄る。
艶やかな毛並みに浮いた汗。相当苦しいのだろう。
「メル、落ち着いて。大丈夫だから。オレが付いてるから」
藁を手にとって、毛並みに沿って撫でた。せめて、汗を拭いてやろう。
冷えるのは母体に良くないし。
「大丈夫、焦ることはない。リラックスして?」
歌うように声をかける。
まだ破水は始まらない。子馬を引き摺りださなければいけなくなるかな?
ラテックスは持ってきた。お湯で手を洗って、消毒しなきゃ。
「ジェイク、お湯の用意をして」
馬の難産に不慣れなジェイク。彼も心穏やかではない。メルのように。
そうか、彼は。タウンから戻ってきたインディアンだもんなぁ。
立ち去ったジェイク。
荒い息を繰り返すメルと残される。
「大丈夫、アナタにならできるよ、メル。初めてじゃないんだろう?」
声をかけて。背中を撫でて。
すこしでも、傷みがないように祈る。
どうやら今日は、長い一日になりそうだ。
Wednesday, June 5, 11:00 am
ゆうべのじーさんとの密談は、ペルと父親のほかは誰もしらないことだった。
それに比べれば明日、砂漠のはずれで予定されているディールは。旧知の間柄でもなければ、
敵対しているわけでも特に無い、末端からのし上がって来た男が持ちかけてきた取引だった。
サウス・アメリカとのネットワークが若干弱くなってきていたから、ここいらで補強しておこうと思っていた。
ちょうどその矢先に。
アリゾナ?
最初に言われて、赤茶けた土と、岩山。サボテン。そんな安物の西部劇じみた景色が浮かんだ。
ミーティング・ポイントの地名が、スピーカーフォンにした機械から流れ出てきた時、「ミッミー、」と。
部屋にいた誰かがロードランナーの口真似をし。おれはわらった。
その場にいた中から、今回のディールに関わる人間を選び出し、父親に了解を取った。それが
ざっと10日前のことだ。
ガーメントケースと、適当に言いつけて仕度させたラゲッジを持ってガレージへと向かえば。
すい、と両脇から出てくる細長い姿があった。
「……なんだ?」
「JFKまで、ご一緒します」
「不要だ」
足を止めずに会話をする。
「いえ。そうさせていただきます。今回の話の相手は、」
「あまりイイ噂をきかない、そうだろう?」
「おわかりならば。ゾロ、ご同行を願います」
「付いてくるなら勝手にしろ。ただし、空港までだぞ」
ガレージに声が残響する。
おれは、バックシートに納まるのも、嫌いだ。
Thursday, June 6, 5:15 P.M.
熱いお湯を、でっかい盥いっぱいに張った後で。メルが破水した。
ジェイクがかかりつけの獣医はまだ仕事から手が離せないらしく、来る気配は無い。
「ほら、メル。頑張って。もう少しだから」
声をかけて、励ます。
言葉は時に無力だけど、時には思いを乗せてとても力を得るものだから。
『言葉を使うのなら、いつもその意味を心得ていなさい』
ジャックおじさんから教えられた、教訓何番目かのもの。
いつだって、おじさんは必要なことをきっちり、教えてくれた。
産道が開いて。
にょっきりと、子馬の足が覗いた。ここまでくれば、あともうちょっとだ。
ここまで来ていれば、引っ張り出す事も出来る。
「メル、頑張って。落ち着いていけば、出来るから」
刺激しないように、ささやく。
メルが苛立たしげに、身じろぐ。
がんばれ、と念じながら、時間を測る。
メルの体力と、子馬の体力と。考えながら、次に為すことを考える。
自然分娩が、一番負担にならないから。もう少し、足がでてくるまで待とう。
額を伝った汗を、肩口で拭った。
Wednesday, June 5, 11:35 am
「ゾロ、」
ハンドルを握っていたシャムがちらりとフロントミラー越しに目線を寄越した。
「なんだよ、何か尾けてきてるか」
「いや、視界はオール・クリア」
ナビ・シートででかい身体を器用にまるめていたブッチが手をひらりと振る。
「アリゾナは、相手方の陣地なわけでしょう」
「そうだな、」
頷いた。
「先に向かっているドルトンさんたちと合流するまで、お一人なわけですよね」
「ばぁか、ひとりなはずねぇだろ。このヒトが」
げらげらげら、と陽気な大猫がひとしきり笑う。
ひゅ、と長い腕が。ブッチの頤を掴みあげるのが見えた。
「おい、シャム、よそ見をするなよ。おれは事故ってオマエらと心中はゴメンだ」
空港の標識がハイウェイに目立ち始める。
「お気を付けて。おれは生まれがテキサスだから。ガキのころから、あそこいらの連中はヤリ口が汚いんです、
よく知っている。今度のディールの相手、あれの良い噂など一つも聞いたことが無いんですよ」
「だいじょうぶだよ、」
おれが答える前に、ブッチがにんまりとわらって後ろを振り向いた。
「だから、ドルトンさんたちが先に行ってるんじゃねえか。なぁ?ゾロ」
「その通りだな」
窓外の景色がゆっくりと流れ始めた。滑走路が見える。
「むしろ最大の難問は、アナタがどうやって一人でホテルまでたどり着くかだな」
大猫が笑いやがった。ナビ・シートの背を蹴り上げたら、ネコが踏まれたみたいな声を出しやがって。
ひとしきりバカみたいに笑ったのは、どうしてだろう。
開けられた車のドアを抜ければ、二人が珍しく真剣な眼差しでいた。
「ゾロ、お気をつけて」
「ああ、イッテクル」
「良いニュースを待ってますからね」
「あたりまえだろう」
ひらん、と手を振って出発ゲートへと通じるガラス扉を抜けた。
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