Thursday, June 6, 6:20 P.M.
長いようで短い時間が過ぎて。
ガッ、ガッ、とメルが藁を敷いた床を蹴った。
1時間も経ったように感じるのに、まだそれの半分もいっていない。
これは、手を貸すべきなのだろうか。
そう思った瞬間、ずるり、と子馬の上半身がずり落ちるように滑り出てきた。
ここまで来ると、もうあまり時間はかけられない。
近寄って、く、と子馬の足を引いた。
ほんの少しの力。
それでも、メルは足を踏ん張って。
ずるん、と子馬の身体が藁のカーペットの上に産み落とされた。と同時に、温かい羊水が溢れて。
メルが首をブルルと振った。
「よくやったな、メル!!」
労いの言葉をかけながら、子馬が纏った胎盤をとりのぞく。子馬はすぐに反応を示して。
濡れた毛並みから、湯気が立ち上っている。
メルが小さく嘶いた。

「おめでとう、無事に産まれたよ!!」
ジェイクとメルに、声をかけた。メルは、子馬がまだ纏っている胎盤を舐め取っている。
ジェイクの飼い犬のテッドは、興奮したように馬小屋の中を歩き回っている。
このあたりにはまだコヨーテがいて。ときどき生まれたばかりの馬が襲われたりすることもあるのだ。
だから、メルはその痕跡をできるだけ無くそうと、胎盤を食べていく。
テッドも、子馬が生まれたのを知って、これから起こりうる事態に対し、心構えをしているのだろうか。
子馬が、荒い息を吐いて。立ち上がろうともがく。
いつまでも座り込んでいる赤ちゃんは、すぐに肉食獣の餌食になるから。
そうっと二匹から離れながら、子馬が立ち上がろうとする様を見守る。
ジェイクに目をやると、なんだか嬉しそうだ。

メルは鼻面を押し付けて、立ち上がろうとする子馬を助けている。
初産でないから、そのあたりのことを、メルはよく理解しているのだろう。
「生まれたね、ジェイク。おめでとう」
「ああ、サンジ。ありがとう、アンタのおかげだ」
「オレ、ほとんど何もしてないよ」
「そんなことはない。オレだけじゃあ、どうにもならなかった」
「…今夜から、見張りが大変だね」
「仕方ない。コヨーテだって、必死だからな」

柵を跨いで、母子から離れる。
子馬が漸く、立ち上がった。
ぷるぷると震える足は、もうすこしすればがっしりとしてくるだろう。
「これからしばらく、メルは気が荒くなるかも」
「それも仕方ない。母親は子供が大切だからな」
「…そうだね」
ツヤツヤとした毛並みは、もうすでに乾き始めている。
子馬のぱちりと大きな目が、こちらを捕らえた。

「ジェイク、子馬の名前は?」
「…さぁ。どうしようか。アンタ付けてくれるか、サンジ?」
「…いいよ」
笑って、ジェイクを見た。
彼もなんだか、ほっとした様子で、サンジを見ていた。
「セト」
「セト?」
「アニキの名前なんだ」
「そうか。兄がいるのか」
「そう。とてもダンスが上手い」
「…なるほど。とてもキレイな馬に、育ちそうだな」
「そう願っているよ、ジェイク」
馬小屋に立ち込めた、出産を終えた家畜の匂い。
この匂いが流れていってしまうまで、安心してココを離れられない。

「オレが見ている。アンタ、手を洗ってきてくれ」
感づいたのか、ジェイクが笑って母屋を指し示した。
サンジが借りて住んでいるものより、ほんの少しだけ立派なウッドの家。

「シェリルが熱いコーヒーを用意してくれているはずだ」
ジェイクの奥さん。キレイなシェリル。そういえば、シェリルも臨月じゃなかったっけ?
「うわ。いいのに、気を使わなくても」
「せめてものお礼だ。アンタ、金は受取らないんだろう?」
「だってオレ、見習で来てるだけだし。結局、全部やったのはメルだからね」
「アンタこそ、あんまり気にするな。手がきもちわるいだろう?行ってくれ」
日に焼けた顔が、にこりと笑った。
サンジもジェイクに笑い返した。

「うん。ありがとう。また直ぐに戻ってくるから」
「ゆっくりしな」
「うん、でも、セトを見ていたいし」
「そうか」
ジェイクが更に笑った。
「じゃあ、ごちそうになってくるね、ジェイク」
軽く手を振って、馬小屋を後にした。
太陽が、うっすらと傾き始めていた。



Wednesday, June 5, 8:00 P.M.
「到着便のご案内をいたします。JFKよりデルタ航空1985便は只今定刻通りに到着いたしました、
繰り返します・・・」
到着アナウンスとほぼ同時に、フェニックス・スカイハーバー・インターナショナル空港の到着ゲートを抜け出る。
空調の効いた中にいても、ようやく陽が落ちたらしい色合いの空と、残像のように広がる光の帯は十分熱を
孕んでみえる。熱そうだな、と。見たままのことを口中で呟いた。

胸ポケットから微かな電子音が響き。
表示をみるまでもなく、先に現地入りしていた連中からだった。おれ用のアシが用意されているパーキングロットの
ナンバーが告げられ、立ち止まらずにまっすぐに進んでいった。
「おまえたちはいまどこだ、」
『あなたより先に、ネイション入リいています。ゾロ、あなたは明日の正午にこちらまでいらしてください』
機械の伝えるドルトンの声は、常よりずいぶんと低かった。

パーキングへと通じるエレベーターのボタンを押せば、右隣にいた子供がちらりと見上げてきた。
母親らしい若い女は、連れとの会話に忙しいらしい。
「何階まで行くんだ、」
「4階、」
「そうか。」
『……ゾロ?』
不審気な声が漏れてきた。
「なんでもない。ああ、そろそろリフトが来る。それで、例のランチはどこにあった?」
『何度もいっているでしょう、』
大げさな溜め息が聞こえた。
「冗談だ。なんとかパイだ」
『ゾロ!!ハヴァスパイですよ、くれぐれも・・・・・・』
ティン、と。
エレベータが到着した。

「ほら。先にどうぞ、」
子供でも、レディファーストだろう、一応。4階と6階のボタンを押す。
「わかっている、ワラパイだな?」
『音声が、よく―――…パイでお会いしましょう。お気をつけて』
ぱつり、と。電波が途切れた。
携帯を胸ポケットに戻し。子供と眼があったので、わらってみた。

ありがとう、バイバイ、と。手を振って子供が母親とリフトを降りていき、ジャケットの中で。
左手に握っていたナイフの柄から。指をそっと剥がした。
パーキングの車も、チェックしないといけない。
ああ、面倒くせえ。
こんなことなら、やっぱあの大猫どもを連れてくるんだったか?など一瞬考え。
「余計面倒だな、」
真実を口にしてみた。
ホテルにさっさとチェックインして、きょうはもう寝ちまおう。
おれは飛行機が嫌いなんだよ。



Thursday, June 6, 7:20 P.M.
コーヒーをご馳走になった後。
それでも急いで駆けつけてきたという、レジデンスに在住している獣医師と、すこし話をして。
どうやらセトは十分健康に産まれてきた模様だ。触診の結果も、満足の行くものだったらしく。どこにも問題はないよ、と診断された。
ほんの1時間ほど前に生まれたとは思えないくらいにしっかりとした体付きの子馬を、ジェイクと並んで眺めた。
メルから美味しそうに乳を飲んでいる。
見ていて、ほんのり幸せになった。

「世話になった。たまには様子を見に寄ってくれ」
そう言って握手を求めて来たジェイクの手を握って、頷いた。
「今度はシェリルの番だね。ジェイクは、プレゼントを二つも一遍に貰うのか。頑張って」
「シェリルはメルほど経験がないからなぁ…きっと、慌てちまう気がするよ」
そう言って笑うジェイクは、とても幸せそうで。
「偉大なるスピリットが、アナタを導かんことを」
祝福を述べた。
ジェイクも笑って。
「アンタにもな」
加護をくれた。
また幸せな気分になった。

すこし遠くに停めた車まで歩いて。
どうせここまで来たのなら、師匠の所へも顔を出そうと考えた。
今日の予感のことも話したかったし。
新しいこと。
頭上を舞っていた一羽の白頭鷲。
セトの誕生が、予兆されていたのだろうか?

砂埃に塗れたラングラーに乗り込んで。
レジデンスの奥に向かうべく、車をスタートさせた。
沈みかけた太陽が、空を燃え上がらせていた。



Wednesday, June 5, 8:20 P.M.
軽い電子音と一緒に、クルマのキイがアンロックされた。
いくら砂漠のど真ん中を4―5時間走るからといって、コレはいただけないな、と。ゲンナリした。
ちょっとやそっとじゃ、ぶっ壊れそうもない頑丈さだが。4駆はおれの趣味じゃない。
が、まあ文句も言ってもいられないか。
溜め息混じりに、バックシートにラゲッジを放り投げてドライヴァーズシートに乗り込んだ。
うん、まさに、『乗り込む』だな。普段はこんなに車高のバカ高いクルマになんぞ乗らない。
よりにもよってメルセデスベンツ、ゲレンデヴァ―ゲン。サイアクの趣味だ。
まあ、ナヴィゲーションシステムがついているのが利点といえば利点か。
それくらいだ。

ああ、エンジン音もいいな。
重めのハンドルの切れもいいじゃねえか。
フン。
ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
少しばかりドライブでもしてから、ホテルに行くか?気分転換だ。

右手に、キャメルバックロード、の標識がウィンドウを掠めていった。
あ、しまった。
リッツがあるのはたしかあの通りじゃなかったか?
ああ、やっぱりそうだ。通り過ぎちまった。
しばらく、このエリアでも流していればまた戻れるだろう。どうせたかが知れてる。

リッツ・カールトン・フェニックス。
セキュリティのことを考えれば、連中の選択はショウガナイし当然のことだろう。
けれどおれは、ダウンダウンやインナーシティの方が居心地が良いんだから、これもまたしょうがない。
ナイトキャップくらいは、適当なところで取らせてもらう。
そう決めてしまえば、簡単だ。クルマを止めればよい。あのあたりが丁度良さそうだ。
陽は名残もなくすっかり落ちていたが。気温はまだ高かった。20度台後半といったところか。

「熱っちィ、」
路面の蒸れた熱が足元から上がってきた。
「明日は砂漠かよ、カンベンしろ。」
通りに面してオープンになっているバールに入ることにした。

『死角を作らないこと』生き残りのキホンだ。
『テリトリー外で近づくモノは女・子供といえど信用するな』ああ、そうだったな。
ああ、しまった。思い出した。
ティファ。連絡を入れろと言っていたが、いくらあいつでももうこの時間じゃあ来られないだろう。
またな、と。西の方角に向かって告げてみる。LAなんぞに住んでいるオマエが悪い。
吐かなくてもいい嘘をつく必要はないから、連絡は入れなかった。

バーテンが絶対の自信を持って薦めると言い切ったテキーラをショットで3杯空けてから、
いけすかないリッツへ、戻ることにした。
明日の昼前にワラパイとかいうネイションに着くには、ここを少なくとも8時前には出発するしかない。
アスピリンでも飲んで寝れば、「メンタル・ジェットラグ」、ペルの命名だ、クソ、も治まるだろう。

「確かに美味かった、」バーテンに一言残して、バルを後にした。
日の出と共にご起床ですか、やれやれだな、と。ゲレンデヴァーレンのドアを閉めた。



Thursday, June 6, 8:00 P.M.
見渡す限り、砂漠。
不毛の土地。
新参者に追いやられた、古の民たち。
確かに自分が住んでいるところは、砂だらけだけど。
キャニオンの麓までくれば、大分と草木が生えてきている。
水場に近くなれば、もっと生い茂ってくる。
ジェイクのランチからは、レジデンスの中心部まではあと少しだ。
だから、通い慣れていない道を、すこしアクセルを踏み込んで走った。

太陽はもう沈んでいて。
温度がグングンと下がってきている。太陽ってすごいなぁ、なんて思ったりして。
太陽がなければ、熱も無く。従って命は発生しなかったという。
どこの世界に住んでいようと、古の民たちは皆、そのことを知っていて。太陽を崇める。
所謂「現代人」たちは、そのことを忘れてしまっているけれども。
キャニオンなど、圧倒的にニンゲンが自然に対してちっぽけな存在になる場所に置いては、
思い出すものらしい。

今年も、観光客の入りはいい、と、いつだかヘンリー酋長が言っていた。
師匠は、沢山の余所者がみだりにこの土地に入り込むことを嫌っていたけれど、時の流れには
誰も逆らえはしない、と厳格な顔で仰っていた。たまに、オマエのような者が来るしな、と。
自分が他の人とどう違っているのか、さっぱりわからないけれど。
砂漠に住むのも悪くないな、と思う。
空気が冷やされて、遠い宙の上では美しい星が瞬くし。
そんなの、シティじゃ絶対に見れない、と…ええとアレは誰だったかな?
ああ、そうだ。観光客だったヒナが言ってたっけ。
トーキョーじゃ、星が数えられるくらいしかないのよ、と。

…そんなの、ちっとも想像がつかないけれど。
空気が不味いなんて、どういうことなのかなぁ。
次に買うときは、幌つきのジープにしようかなぁ。
そうしたら、今日みたいな日には、夜空を楽しみながらドライヴできるのに。
ああ、でも、そうしたら。風が強い日には、大変なことになるし。
熱砂にやられるのは、ちょっとエンリョしたいなぁ。
つらつらと考え事をしているうちに、レジデンス中心部の明かりが見えてきた。

スピードを落として。
見慣れた家々。まだ、みんな起きているのかな?





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