Thursday, June 6, 1:00 P.M.
信じられネぇ。
不覚にも、瞬きした。
熱風がまだ吹き付けて、火の粉が熱すぎる日差しのなかで舞い上がっていた。
ガソリンの焦げる匂いと。
おれの、足元を疾走しやがるクソ鶏どもの群れ。
爆風で吹っ飛んだクルマと、飛んできたボンネットだか何かでランチの壁が焼け崩れた。
おれは、真昼間。インディアンネ―ションの外れの山中のランチで。
吹っ飛ばされたクルマと、駆けずり回る鶏どもを眺めていた。
後、10分おれの着くのが遅かったら。いまごろあの中ですっかりローストどころか
肉片を巻き散らしていたのは、おれだったろう。
ヤラレタな、唇を噛んだ。
イノチがあっただけ、運が良い。
ただ、運が良いだけだ。
死んでいない方が、どうかしているんだろう。
「さあ、ゾロ。事態を説明なさってください」
頭の中で。クソ忌々しいペルの声がした。
ああ、チクショウ。説明してやるとも。
1・定刻に、起きられなかった。
2・時刻は既に午前9時30分を指していた。
3・リッツのコンシェルジェの薬の知識は不確かかもしれない。
4・リッツを飛び出した。ああ、文字通り、ゲレンデヴァ―レンですっ飛んで。
5・車体のチェックを、しなかった。このポイントで既に、おれが死んでいてもファミリーの誰も同情はしないな。ここは相手方の陣地だと。シャムにまでおれは言われてたじゃないか。
6・ワラパイへ高速を飛ばし。ドイツ車は定刻前におれをなんにもない山のど真ん中にあるランチへ運ぶことに成功した。
7・時刻は、午後12時50分調度。
この時点で、おれは肝心な見落としをしていた。誰のクルマもここにはなかった。
ドルトンたちも、ディールの相手も。気配すら無く。
多少は懸念して。それでもランチの扉を開ければ、中は。
見渡す限りの、鶏、鶏、トリ。
「……ハ?」
ニワトリ?
「おい、ふざけ―――」
鶏どもが、低い声で鳴き交わすばかりだった。
インディアンネーションの地名。
たしか、ここは。
―――やったか?おれは。
すい、と周りの熱が引いていった。
定刻、何かあれば連絡があるはずと胸に手をやり、携帯を車のダッシュボードへ出しっぱなしだったことも思い出した。
やばいぞ、
ミーティングポイントはここじゃない、
「ハヴァスパイ」だろう、たしか!
キャニオンの、まるっきり反対側の麓だ、あそこならば。おれはご丁寧に正反対のネーションを目指していたわけだ。
飛び出そうとしたとき、鶏小屋の窓が吹っ飛んで少し遅れて爆発音が響いた。
そして現在にいたる、ってわけだ。
バカバカしすぎて、報告する気にもなれねえ。
第一、こんな山ン中だ。お手上げだな。
鶏どもの飼い主も、この近辺にはいないらしい。
すくなくとも、駆けつけてこられるだけの距離に住んではいないんだろう。
とにかく、いまできることは。
ニンゲンを見つけることだ、一刻も早く。
くそ、携帯。
キャンパーでもなんでもいい、生存報告だ。
ディールのことは、ドルトンに任せていたって問題ない、一切。
それよりも。誰がおれを消そうとしたかが問題だ。
小細工しやがって。
いつ、とまで考え。おれは少しばかり自分を呪った。
あのときに決まってるじゃないか、ゆうべの。
バルでの何分か。ああ確かにナ、5分もあれば十分だろうクルマに細工するくらい。
おれでも出来る。
「―――クソ、」
来た道を戻るために一歩、踏み出した。
トリどもが、走るせいで白い羽が散っていた、周り中。
熱くるしいぞ、チクショウ。
気温は、ああ―――止めだ、考えるだけで脱水症状でも起こしかねない。
「おれは!熱いのは嫌いなんだ」
麻のジャケットを脱いだ。とたんに、熱気に包み込まれた気がした。
すげえな、肺まで渇きそうだ。
ばさばさと上着を払って。クソムカツク羽根を落としてから。
赤茶けた土の道を、降りていくことにした。
おい、もう既に熱中症か?
「ミッミ―、」とか。ロードランナーの口真似が出てきやがったぞ?―――おれから。
「コヨーテでもありがたいぜ。携帯盗ってやる」
さて、死の行軍だな。ああ、クソ。アホくせえ。
ガンと、ナイフと、だけか。おれの備品はといえば。
両方とも、いまのところは役に立ちそうもねえな。
クルマの、通ったタイヤ跡さえ消えかけている。土埃だ。チクショウ、コレじゃあ足元が薄汚れるな。
吹かない方がマシな風が砂埃を巻き上げやがった。
ああ、そうかよ。砂漠だったな、ここは。全身砂まみれか。ありがたいぜ。
おれの運がどこまで持つかだな、要は。
たとえここで野垂れ死んでも文句は言えないが。
ただ、「ヤラレタ」ことになるのだけは我慢できねェな。
とにかく、進むしかないか。
一本道だったしな、ずっと。
ざまあみろ、と。
太陽を見上げて言ってみた。
だけど、こんな状況で。おれの思ったことはといえば。
タバコ吸いてぇかも、だった。
ニンゲンってのは、どうしようもないバカらしい。
Thursday, June 6, 8:10pm
通いなれた家の前に、車を停めた。
サンダー・フィッシュ師匠の家。
これも木造の家で、大分古いものだと教えられたことがある。
隣には納屋があって。その前には、テントが張ってある。
昔はその中で、他の部族の酋長たちとイロイロなことを話し合ったと言っていたけれど。
今はそんなに使われる事は無くなってしまった。
ドアをノックしてすぐ、兄弟子が扉を開けてくれた。
リトル・ベアという名前なのに。彼は背が高く、とてもがっしりとした体付きだ。
「…シンギン・キャット。今日はいないよ」
にこり、と笑って。ドアの中に招き入れてくれた。
ありがとう、と笑って返す。
「山に行かれた。オオカミに呼ばれたと言っていた」
オオカミ?この辺りはコヨーテやボブ・キャットがメインのはずなのに?
「心配ない。彼は強い」
そうだよね。師匠はこの辺りでは一番のメディスン・マンなのだから。
笑って頷くと、リトル・ベアも頷いて。
「しかし、おかげで晩御飯が残ってしまった。食べていきなさい」
「ありがとう。ご馳走になります」
「今日はビーフのシチューだ。嫌いでないといいが」
「大丈夫です。美味しく戴きます」
「そうか。それはいいことだ」
テーブルに導かれて、椅子に座る。
家の中の家具も、相当古い。壊れても、直して使うから、どれも相当年期が入っている。
けれど、どれもとても使い勝手が良くて、味がある。とても居心地がいい場所だ。心が落ち着く。
ことん、とテーブルの上に皿を出された。ホカホカのビーフ・シチューから、ほわほわと湯気が立ち上る。
爽やかなハーブの香りがして、自然と笑みが零れた。リトル・ベアが食べる前に祈りを述べて。
一緒に頭を垂れて祈った。
「それでは戴こうか」
その声をかけてもらって、初めてスプーンに手を伸ばした。口に運び入れて、濃厚な肉の味と、
野菜の味を楽しむ。
「シンギン・キャットは本当に美味そうに食べるな」
「美味しいですから」
「いいことだ」
リトル・ベアから、これからのシーズンのことを聴いた。
今年の夏は、雨がどうやら少ないらしく。変わりに降るときにはどんと降るみたいだ。
砂漠は意外と水捌けが悪いから、洪水には気をつけなさい、と、教えられた。
あの砂漠の家に住まわせてもらっている間に、洪水は来るだろうか。
Thursday, June 6, 2:00 P.M.
背中に、熱の塊りを乗せてるみたいだと。
見事に真っ青な空を見上げるのもばかばかしくなる。
サングラスも、当然ダッシュボードで。なのに眼もロクに開けていられないくらいの
どこにもかしこにも反射して照り返してくる、そんな日差しだ。
日差しが強すぎて、汗なんざ肌に残る暇も無く干上がっていくんだろう。
体温だけが、気味が悪いくらいに上昇しているらしい。
日差しの只中を、だらだらの勾配を進むのは自殺行為だな。
岩の陰でもどこでも良い、せめて日が天辺にいなくなるまではおとなしくしておくか。
『砂漠の夜は冷える』ディスカバリーチャンネルだかナショナル・ジオグラフィックだかの
ナレーターの声が、かってにエコーした。
クソ。こういうサヴァイバル・ゲームはおれの得意じゃねえ。
自然相手なんぞ。
岩陰をみつけて、とりあえず座ってみると、案の定地熱で息が詰まる。
立ち上がり、陽に灼けていない方の岩壁に肩だけで寄りかかり眼を閉じた。
空気が、熱をもつ。数ミリを隔てて。
外気温の方がきっとおれの内側より高いな。
戻った時の事を考えた。
縺れた糸。
ミーティングポイントでおれをぶっ殺そうとしたヤツは。どこにいる―――?
意識が。外から遮断されていくのを感じていた。
揺さぶりをかけて、あわよくば銃を抜かせて残りの連中も片付けようとしたのか、けれど。
実際にこのディールを仕切っていたのはドルトンで。いくら相手連中が足りない薄らバカ揃いでも
あの男にしかけていい罠と、避けなければならないポイントは承知のはずだ。
第三者か、と。ここまでたどりつき、
眼をあけた。
相変わらずのシアンをぶちまけた空だ。太陽は、何ミリかでも動いているのか?
足元の岩に、トカゲが張り付いていた。生き物がいる。
この場所には、おれがひどく異質なモノだと感じる。
そりゃあ、そうだ。
砂漠の外れの山ン中に。
麻のスーツを着たバカ。
靴先で岩をつついても、トカゲはじっと動かない。
フン。無駄に動くのはイノチの浪費なわけか。
眼をもう一度閉じた。
なぁ、ティファ。いまオマエがアイスペールごとシャンパンを持ってきたら、ケッコンしてやってもいいけどな。
クソ、はやく陽が沈まねぇかな。うっかり通りすがりのロードランナーにでもいまのおれならプロポーズするかもしれねえ。
Thursday, June 6, 9:20 P.M.
食後。
コーヒーをご馳走になりながら、今年の作物の話や、天気のことを話した。
リトル・ベアがサンダー・フィッシュ師匠に聴いた話も聞かせてもらい。
薬草の話や、グランド・キャニオン周辺にいる、ピンクのガラガラヘビの話なども聴いた。
「シンギン・キャットはポーニーズのメディスンマンに学んだのだったな?」
「ブリーズ・イン・ザ・メドゥに学びました」
「あちらとは、大分様子が違うだろう?」
故郷のコロラドの山々を思い出す。
「でも、ロッキーズですから、雪が降るところもあれば、ここと同じ様に砂漠地帯もありますし」
「グレート・サンデューンだな」
「リトル・ベアは、ここから出たりはなさらないんですか?」
「大学はカンザスだったがな」
…カンザス?
きっとハテナマークが顔に浮かんでいたのだろう、リトル・ベアが苦笑を刻んで説明してくれた。
「ネイティヴ・アメリカン・カルチャーの学部があるんだよ」
「ああ、そうなんですか」
「シンギン・キャットはコロラド・ステイツ?」
「そうです」
「卒業したら、ドクターズへ?」
「ええ、とりあえずは」
「そうか」
それから、これからのことについて、リトル・ベアと言葉を交わし。
夏が終わったら大学に帰ることを伝えた。
ここで過ごせるのも、あと3ヶ月弱。実際には、二ヵ月半だろう。
あ、そういえば、選択科目を一個変えたいんだよなぁ…。
ということは、レジストレーションの日に、一度寄らなければいけない、ということか。
そういえば、いつだっけ?
場合に寄っては、早めに帰らなければいけなくなる。
寂しくなるなぁ。
ぼんやりと考えていたら、リトル・ベアが時計を指し示した。
もうすぐ9時も半を回る。
「車だったら、早めに帰らないと。街灯がないから、危ないぞ?」
「そうですね。車は馬のように、危険を察してくれないですからねぇ」
ほにゃりと笑って、腰を上げた。
「師匠は馬で行かれたのですか?」
「あの人は、歩くのが好きだからな」
「…今日は、どこかで野宿かもしれないですね」
「いつものことだ。気に病むな」
にぃ、と笑ったリトル・ベアが戸口まで送ってくれた。
「それではおやすみ、シンギン・キャット。迷うものに惑わされるな」
「おやすみなさい、リトル・ベア。また会いましょう」
笑って車に乗り込んだ。
エンジンをスタートさせたら、戸口の明かりが消えていった。
リトル・ベアが戸を閉めたのだろう。
ヘッドライトを点けても、先は殆ど見えない。
いつものことだけれど。
ヘビとか、道にいないといいな。
間違って轢いてしまったら、大変だもんな。
気をつけなきゃ、と思いながら。
ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
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