Thursday, June 6, 8:00 P.M.
凄いな、と。思わず口を付いて出た。
次に眼を開けた時はあたりは日がすっかり落ちていて。
音を立てて、大気が冷え込んでいくのがわかった。
眠る、というよりは。意識をなくしていたといった方がいいのかもしれないが。
頭上には、光りの塊りが拡がっていた、一面に。

しかし、死にかけていたのかもな。
なにしろ、立っていたはずが。気が付けば横になって夜空を見上げているわけだから。
そういえば、少し頭痛がするか?

夜空が、白く光って眩しいほどに星がある。これだけ、いつも散らばっていたのか。NYにも?
凄いな、もう一度呟いてから、半身を起こした。立ち上がり、砂埃を払う。
星明り、そんな言葉が掠める。足元がわずかに照らされているように浮かび上がる。
凍死はしないだろうが、相当冷え込んできた。
ハハなる大地はタフだ。そこいらのストリートギャングよりよほど。

記憶を頼りに、公道へと戻ってみることにする。この、いかれた山を抜ければ少しはまともな土地に
着くかもしれない。そこを人が通る保証はありはしないだろうが。
さらさらと、足下で崩れていく砂交じりの土を踏んで、進んだ。下りだった道が登りになり、平坦に
しばらく続き、また登り、と。岩とまばらに生える木もどれもシルエットが同じに見える。

ここまで朝、車で通ったときも、どこまでいっても同じ景色だとローカルFMの流すどうにも
オカシナ組み合わせの曲をバックに思っていたな、と。歩きながら思い返した。真昼間、
アリゾナの真ん中で「I Love The Nightlife」はないだろうと。Alicia Bridges、クラシックだ。

水分が足りないと、人間は幻覚症状を起こすのか??
幻聴か、どうでもいい。たのむ、おれのアタマ。いまそれを再現するのはカンベンしてくれ。
"I love the nightlife, I got to boogie in the disco 'round
Please don't talk about love tonight
Your sweet talking won't make it right"
諦めて声にだし、3回目のリフレインが終わる頃、しゅる、と音がした。
生き物のいる気配が、前方から。渇いた音だ、警告音じみた。―――ヘビか。
小石が触れ合って転がるような軽い音がずっと続く。

ガンを抜き出した。面倒くせえ。
Bang-Bang-Bye-Bye。
あのあたりか?真ん中は。じっとみつめ、トリガーを引いた。
どこにいたのか、鳥どもがいっせいに飛び立ち、
空気を予想以上に震わせて破裂音が長く残響し、木霊し響き
おれの目の前に。青の火花が散った。
イキナリ。

「なにをするか、おまえは!」

アタマに食らった衝撃で、音が脳で転がって残響した。
黒い塊りが飛び出してきていた。どこからだ?!こいつはなんだ?!
また、食らった。

「てめえ・・・ッ」
塊りは、信じられねえ距離を『跳んで』おれが合わせた銃口を上へ跳ね上げた。
「愚か者が!聖地でなにをするか」
手首を返して声の方へ銃身を戻そうとしても、二股に分かれた棒で固定されていた。
「なにしやがるっ」
塊りが、痩せたちっさなじーさんだと。
どうにか認識した。
ぎらぎらと、じーさんの眼が星明りを跳ね返していた。

聖地、といったか確か。このじーさんは、ネィティブか、それならば。睨み合いを切り上げた。
「じーさん、手。離してくれないか」
ひゅ、と風を切る音がし。手が自由になったのと同時にまた、ヤラレタ。
このじじい、棒でおれのことを殴りやがったか?!

「上等じゃねェか、ブッ殺す」
ヤラレッ放しはゴメンだ。じーさんの棒を掴んで引き寄せ銃をあわせた。眉間。
「ニンゲン、オマエは愚かだな」
じーさんが、すう、と薄い唇を引き伸ばした。
「わしを殺す?」
えらく上機嫌で笑い始めた。銃口のことなぞ、おかまいなしだ。
「それでオマエはどうする、コヨーテと山にかえるか」
なんの冗談だ、じーさん。そんなに腹ァ抱えるほどのジョークなのか、それが。
クソ。気が抜けた。おれは何だよ殴られ損かこのネイティブのじじいに?
いったいおれの運命はどうなったんだ、まったく!

銃を、ホルダーに戻した。
「硬い頭だ、」
おい、やっぱり殺されてえか、じじい。
「なるほど、オマエであったか」
なんだかわかんねえな、ああ、アレか。ネイチャリング?要はナチュラル・ハイ、ってやつか。
「イッちまってんな、じーさん」

うお!!また跳びやがったっ
頤かよ、こんどは。チクショウ、なんつう乱暴なじじいだッ。
「ぴょんぴょんぴょん元気なじーさんだな、てめえもっ」
あっさり、枯れ木の下にこんどはなんだよじーさん、あんたガンジーの従兄か。
あぐらをくんで、眼を瞑っちまった。
やってられねえ。

じじいの前まで進み、見下ろした。
「おい、じーさん。街へ出る道はどれだ」
沈黙。
「あんたに殴り殺される前におれは公道へ出たいんだが」
―――おい、じじい。
ハ!死んだ振りかよ。どこまでもフザケタじじいだな、あんた。
「なあ、たのむ。おしえてくれないか」
ちかりと、じーさんの眼が開いてまた光った。
「名乗れ、愚か者」
や、アンタがイキナリ殴りかかったんだろう、と言っちまえばこんどはこのじーさんは瞬間移動でおれを
蹴り倒しにくるかもしれねえ。触らぬ神に祟りなし、だ。ああまったくいまさら、だが。
偽名を告げた。
じじいが跳んで、おれはこんどは避けた。大概、学習もする。

「やりおる、」
「そいつはどーも」
「おれはあんたの弟子になりたいわけじゃねえんだ。先を急ぐ、教えてくれないか」
「名は。」
諦めた。このじーさんと連邦政府は何の関係もないだろうな、たのむぞ。
実は捜査官でした、なんてのはカンベンだ。
「ロロノア・ゾロ、さあ満足か」
「まっすぐだ」
「―――あ?」
じじいが、棒で指し示した。
「途中で分たれもするが、常に右へ行け。道へと出る」
「右、か」
「うむ」
「ありがとう、」
「おまえ。礼は尽くすのだな」

肩を竦めた。
「年寄りと子供は大事にするように、てのは。家訓らしいからな。じゃあな、じーさん。」
ひらひら、と手を振った。
「次に殴ったらブッ殺すからな」
なぜか。笑い顔じみたものが浮かんだ。
あまりに非常識だからだろう。一切合財が。カートゥーンだ。
「ロロノア。」
呼び止められた。
「なんだよ?」
じーさんがゆっくりと言葉を紡いだ。

「夜明けの風が舞う頃、」
「お前の光が消え、運命が感情を持つ」
「跳ね馬の蹄が飛び退り、それはお前を水辺に導く、」
「渇いた者は見るだろう」
「盲いた光が、平原で凪ぐ」
「舞い上がる鳥は、お前の眼を射るだろう、」
「その黄金の翼と、」
「夜明けの両眼」

「―――は?」
おれはマヌケな声を出したんだろう。じーさんが溜め息をついみせた。
「なに言ってるんだ、あんた」
「わからぬか」
「あァ。天然ジャンキーの御言葉は生憎とわからねえな」
「オマエは、これから死にかけて。そして運命に出会う」
瞬きした。おい、いったいなにを言い出す?
「じーさんあんた、」
しまった!油断した!と思ったときには。思い切り、飛び上がったじじいがおれの頭上に拳を撃ちつけてやがった。
何回火花みりゃいいんだ、おれも。
愚か者が、とまたじじいが言っていた。じゃらり、とジジイの首に何重にもかけられたターコイズの飾り珠が音をたてた。

「愚か者で結構、」
ハナでわらった。
「もう死にかけたさ。運命ぐらい、いつだっておれは掴んでやる」
こんどこそ、にやりとわらったイカレシャーマンを置いて歩き始めた。まっすぐに。
「あんたにだって会えているだろう、現に」
振り向かないで言った。

高い、よく響くわらい声だ。沁みるような。
冷えた夜気を通して、おれの背中にぶつかった。
ああ、たしかに。あんたに弟子入りしたらそれはそれで人生愉しいかもしれねえな。
またこの次な、じーさん。
道は、一本だ。まっすぐ。それでいい。

星明りに、道が照らされていた。
じーさんに背を向けてそのまま進んでいきかけたとき、聞いたことの無い音が届いた。
不思議な抑揚と、短い単語、なのだろうか?おれのことを呼んだのだな、と。不思議と確信した。
振り向いたならば、じーさんは木下の定位置で足を組んで地面に座していた。

「なんだ、」
じーさんの腕が動き、なにかがキレイに暗がり、弧を描いて飛んで来た。ちょうどおれの胸の前に。
反射で、受け止める。ばしゃり、と液体が動いた気配が腕の中からした。革の感触か?これは。
「持っていけ」
水だった。小さな、刺繍を施されたらしい革袋に詰めれていた。
「なあ、じーさん。あんた、名前は?」
「サンダー・フィッシュ。」
ああ、いかにもこのじーさんらしい、と思っちまった。聞いただけでケンカっ早い、強いイキモノな気がする。
閉じ口をあけて、半日ぶりに液体を喉に流し込んだ。渇きすぎた喉が逆に痛みを訴えるほど取り込まれていく。
ああ、これでどうやら死ぬのだけは避けられたな、と思った。
「ありがとう、サンダー・フィッシュ」
礼を言って、道に眼を戻した。
おれは、ネィティブの挨拶なんてしらねえから。
感謝の気持ちだけを込めて一礼してから、歩き始めた。



Thursday, June 6, 9:50 P.M.
頭上には、星が濃紺の闇一杯に広がっているハズ。
生憎、今は見上げても、見えるのは暗くなった車の天上だけだ。
そしてもし宙を見れたとしても。
見ている余裕はない、自殺行為な気がする。

レジデンスの中心部から、サンジが借りた小さな砂漠の家までは、道はあるようでない。
ガタガタの石だらけの場所を、時折生えている緑の茂みや、大きな岩を避けて、ひたすら走るだけだから。
日中なら、ある程度見えるキャニオンの風景を目指していけばいいのだけれど。
生憎と月すらない今夜は、星明りの下、頼りないヘッドライトで目の前をほんの少し照らしつつ、
コンパスとカンを頼りに走るよりない。

ヘッドライトが照らせる闇の深さ。星明かりが照らせる闇の深さ。
ああ、やっぱり。自然には適わないなぁ。
ガタガタガタと車体が弾む。
どこかでコヨーテが吼えた。
スピードを落として、いつも目当てにしていた岩の横を過ぎる。
先ほどまで時々生えていた木々は、もう無い。
不毛の土地。

いるのはネズミの種類と、爬虫類と昆虫だけだ。
鳥すら、山々の木々の中に、身を潜めているだろう。
大型の哺乳類は、砂漠では生活できないから―――!
不意に、今まさに考えていたサイズのものが、ヘッドライトの中、照らされて。
慌ててブレーキを踏んで、車体をスピンさせた。
どん、と嫌な衝撃が響いて。
一瞬で肝が冷えた。
心臓が跳ねた。
どきどきどき…な、なんだった、今の…?



Thursday, June 6, 9:45 P.M.
サンダー・フィッシュと別れてから、道はずっと下りだった。
公道へ、どうやら通じていっているのだろう。
砂漠の真ん中に頼りなく延びていた道を、思い出す。
腕に眼をやる。こんな時間だ、もう朝までクルマは通ることもないだろうと思ったが。
レジデンスとは言っても、ヒトは住んでいるわけだ。全員が全員、さっきのシャーマンのような暮らしぶりの
はずもないだろうから。

観光客ならなおさら良い。無事を一刻でもはやく告げないことには、バランスが崩れ出す。
組織は、まさに「Organ」で。ほんの少しの動きが予測不能の事態を引き起こす。
タイミングが悪すぎる。
いまおれが死んだことになっちまったら、
半ば手に入れたも同然のあの男の作り出したものも。
水の泡だ。
焦るな、言い聞かせる。
朝だ、朝になれば。
連絡はつけられる。
ふい、と気がついた。道が平坦になっていたことに。
視界が、突然広がったことに。
「……道か、」

シャツのボタンを緩めた。しゃら、と指先をドッグタグの下がった鎖が掠めた。
本名などじゃない、バカバカしい偽名。身内にだけわかる、おれの洗礼名が彫り付けられているそれ。クロスと一緒に。
体温に高まっていた金属が大気に触れてすううと冷えていく。
陳腐な表現が、浮かぶ。"どこまでも広がる地平"。
まさに、ソレだった。空には、埋め尽くすほどの星。
なんだか。
自分の存在自体が小さなものに思えてくる。
こういう場所に育つと。ヒト以外の強いものを間近に見据えて成長するならば、どうなるんだろうな、と。
そんなことを思った。

―――感傷だ。フン、あまり良くない傾向だな、コレは。
神経を、別のものに向ける。そう、例えば在りえないかもしれない音に。
遠く聞こえる排気音だとか、――――なに?
ぽかりと。
まだ遠くに丸くくり抜かれたヘッドライトらしい灯かりと。
車体の、瓦礫を越えるような音まで聞こえてきた。
ヒトじゃねえか。こんな時間にか。運が向いてきたな、ようやく。

どこまでが道かはわかりはしなかったけれど。こんな真っ暗闇だ、向こうも気にしないだろう。
両腕を掲げて、振ってみた。クソ、こっちに来るか?ああ、よしこっちに向かってきやが―――――
突然に、ヤバイ、と閃いた。
スピードが落ちやがらねえ、あのクソ車。
間に合うか?
ほんの一瞬、眼を離したならば

イキナリ。
ヘッドライトの輪の真ん中にいたんだ。おれは。
―――クソ。このへぼドライヴァが!
引き伸ばされた何秒かの間、ひどくゆっくりと近づいてみえるライトに向かって毒づいていた。
身体が、生まれて始めて鉄に引っ掛けられて。
おれは車も嫌いになったぞ、と。誰かに宣言したらしい。最後に。



Thursday, June 6, 9:55 P.M.
「やッ…べぇッ…!!!!!」
ビックリマークをいくつくっ付けたら、今のキモチに見合うだろうか?
ザザザザザ、と砂埃を巻き上げて、車が横にスライドして停まった。
慌てて車から飛び降りる。
「と、と、懐中電灯!!!」
無いと何を轢いたのかすらわからない。
逸れ馬?だったら避けるだろうし。
はぐれ牛?…こんな砂漠の真ん中まではこない
まさか、まさか…!
「彷徨える者を轢いたとか!?」
いや、だけど。
亡霊を轢いたにしては、ヤケに手応えが。
やっぱりナマモノだったよね?

つっか、なんで真夜中のアリゾナの砂漠にニンゲンがいるの?
知り合いかな?ここまだレジデンスだよ?
観光客…かなぁ?
懐中電灯で足元を照らしながら、車が滑った距離を走って戻る。
ヘッドライトから反れた位置には、横たわる…
「ヒト、だ…やばぃ」
こくり、と唾を飲み込んだ。

懐中電灯の光りを弾いて眩しい。
全身白…死装束???
「…自殺者???」
だったら手助けしちゃったのかな?
ああ、でも。オレはそんな手助けはしたくないよ?
「Excuseme, Sr.?」
…反応なし。
「ミスター???」
…反応なし。
ライトの下、やたらと…険しい顔をした男性が、横たわっていた。
白の麻のスーツ…?
ライトを身体中に当てて。どうやらどこも切ったりとかしていないことを確認。
首筋にそうっと手を当てる。
人間の脈は…と。
「…生きてる…」

手の下で。確かにとくんとくん、とリズムを刻む脈を見つけた。
「…ど、どっか折ったかな…?」
犬とかネコとか。…ウシ、馬、羊ぐらいまでは、なんとなく解るけど。人間はいまいちわからない…けど、
そんなこと言ってる場合じゃないよね?
服の上、なんで麻のスーツなんだろうと思いながら、触れていく。
車の高さから考えて…カレ、背が高そうだし…脇腹辺りかなぁ?
内臓傷つけてたら、どうしよう…。

不意に。
てっきり気絶していたとばかり思っていた男性がむくりと起き上がり。
かちり、と冷たい音が耳元で響いた。
耳の下に、とても冷たいものを押し当てられた。
そして、低い声が、唸るように。

「てめぇ、ぶっ殺す。」
見下ろしたオトコの瞳が、ギラギラと煌いた。
「…ミスター!!生きてるんですね!!!どこか痛みませんか?大丈夫ですか?もう少ししたら救急」
ぱたり。
「車呼ぶって言おうと思ったのに…」
…気絶、しちゃった?
でも、生きてたよね?
どうやら、骨も折れていないみたいだし。
というか、ミスター、ちっとも痛そうじゃなかったなぁ?
でも、倒れたってことは、それなりにダメージは受けてるはず。

「…どうしよう…」
というか。さっき、ぱたり、の後に、ゴンッって言わなかったっけ…?
「…ええと。つまり。カレは脳震盪…かな?」
…ジャックおじさん。そして偉大なるスピリッツよ。
砂漠で人間を轢いてしまった場合、どうしたらいいのでしょうか?
「って。迷ってる場合じゃないよう!!!」

身体が冷えては、助かるものも助からないし。どうやら、最大でも皹しか入ってないみたいだし。
このまま病院…いや、いくらなんでも、アリゾナの砂漠地帯のど真ん中じゃ、レスキューだって何時間かかるかわかんないし。
ヘリコプターじゃ、巻き上げる砂に塗れちゃうよなぁ?
「雪ならともかく、砂じゃローターまでやられちゃうよね?」
ここまでアパッチみたいな砂漠対応型ヘリがレスキューに来るわけもないし。
すっかり意識を失ってしまった男性を見下ろす。

手の中に、鈍く光るのは。
銀色のハンドガン。これは確か…コルト、かな?
「…なんで銃、握ってたんだろう?強盗かなぁ???」
でも。こんな砂漠で一体誰を襲うつもりだったんだろう???
「…危ないから、外させていただきますからね?」
そうっと手を伸ばして。
激鉄の引かれた銃を手から取った。
前に何度か、トレーニングを受けたから。

「銃を持ったら、慌てず、騒がず。深呼吸…すぅーはー」
コルトを持つのは初めてだったけれど。
どうにか発砲させる事無く、安全弁を戻せたようだ。
暴発を防ぐには、弾を抜いてしまう事。
「…ちゃんと全部、ポケットにしまっておきますからね〜」
銃身と弾を。右と左のポケットにそれぞれ入れて。
車までの距離を考える。
どう見たって、彼のほうが重そうだし。

一度車に戻って、ゆっくりと寄せた。
轢かないように、注意を払って。
助手席のドアを開けて。
「…こういうとき、車高が高い車は困る…ッ」
麻のスーツ、汚しちゃってゴメンナサイ。ちゃんとクリーニング、出すからね?
心の中で謝ってから、彼の身体を引き摺っていく。

「…せぃッ!!!」
ごんっ。
「あ、ごめんなさいッ!!!」
根性で持ち上げたついでに、頭をぶつけてしまったかもしれない。
なんだかとてもいい音がした…ような気がする。
どうにかこうにか、車に乗せて。
彼が倒れていた付近に戻って、ライトを当てて落し物を捜す。
何もないみたいだ。
運転席に戻っても、彼の意識は戻る気配はない。
けれど。
ちゃんと胸は規則正しく上下していて。

「…生きててよかったぁ…!」
自殺志願者でもそうでなくても。
折角の命なんだし。
…もし、このヒトが。自分の命をいらないと言ったら。
オレが貰おうかなぁ…?

車を走らせて、家路を急ぐ。
せめてちゃんと横にならせてあげたいし。
ちゃんと家で、どこもケガをしていないことを確認しない限り、安心できないし。
「…もうすぐ着きますからね!待っててくださいね」
…誰かの面倒を見るのは、初めてだから。
なんだか、ワクワクしてきてしまった。
「ああ、ゴメンナサイ。アナタのことを轢いちゃったのに、うれしいだなんて、不謹慎ですよね…?」
揺れる車に合わせて。
彼の身体もガタガタと動いた。
それが頷いているように見えて。
気持ちを引き締めて、家路を急いだ。




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