第2章

Friday, June 7
眼が開いたら、まっくらだった。
なんでだろう。いつもは小さな灯かりをつけさせているのに。

「―――ペル?」
扉に向かって呼んでみた。すぐに、開くはずだ。ドアが。
―――あれ。
なんだ?
ぎゅ、と。腕。抱き込まれた。
だれだ???
ナニイとは、もう一緒に寝ないし。
犬は、ベッドにあげたらいけないし。
あったかいけど。さらさらしてて。
どきどきする。

だれだろう?
なんで部屋にいるのかな、ここ、―――ぼくの部屋なのかな?
リネンが。違う匂いがする。ウチのと違う。
胸の前にある腕に触ってみた。起きるかな?
「…ん」

―――あ。
もう一度、揺すってみた。眠そうな声だったな。
まだ、早いのかな。何時なんだろう。
「…にゃ…に…?」
ごそごそ動いて。暗いけど、声のするほうへ向き直ってみた。
よく見えないけど。ぼんやり、アタマのまわりが金の輪っかみたいに明るい。
お兄さんだな?
「どなたですか、」

「あの、あなたはどなたですか」
うわ???誰の声だコレ??
吃驚していたら。
ぱっちりと、眼が開いたんだ。誰かの。
ケアンズの、海みたいな色だなあって。暗いけどそれだけはわかった。
ほにゃん、って。笑いかけてくれて。
ぼくまでうれしくなった。

「…オハヨウゴザイマス」
あれ?
なんか、声だけじゃない。ぼく、身体おっきくなってるんだ??
「アタマ、痛くないですか?」
「―――あの、」
え?
「あたま?」
「身体、どこも痛くない?」
「からだ??」
吃驚した。
「そう」

「どこも、ダイジョウブ???」
「おにいさん、ドクターですか?ぼく、入院してるの?」
ヘンな病気にかかったのかな、それでなんにも覚えてないのかな。
「オレはまだドクターじゃないよ。そして、ここは病院じゃないです」
「え?」
じゃあ、どうしてみんないないんだろう?
「みんな」?みんなって―――
「ゴメンナサイ、オレ、昨日。アナタを車で轢いちゃったんだ」
轢かれた、ってぼくが?
おにいさんが。ベッドから起き上がって、お辞儀をしてしまった。
「けど。砂漠のど真ん中を、真夜中に歩くと危険だよ?」
「ぼく、轢かれたの??」

「あの。砂漠、って」
なにを言ってるんだろうこのひとは?
「ここ、どこですか?NYじゃないの?」
「ここはアリゾナだよ。グランドキャニオンの麓」
くう、と喉が鳴った。
ああ、だめだ。おにいさんがシンパイそうな顔になってる。
「辿り着いたの、覚えていないの?」

あれ―――?ぼく、だれなんだろう。
家に電話しなくちゃ、と思って。気が付いた。
どこに電話すればいいんだろう?
喉の奥が、いがいがしてきた。
ペルがいつもシンパイする、ぼくがこうなると。
あ――。ぺる、ってだれだ??
涙が出てきた。
知らない間に、髪を撫でられていて。

「…泣かないで」
そんなこと、いわれても。ますます止まらなくなった。
きゅう、と。抱っこされた。
「…心配、しなくていいから」
だけど、って。言えなかった。
歯を喰いしばって。泣き止もうと思ったけど。
アタマのよこ。キスされた。

「…ジョーン?」
「それ、」
「うん?」
「―――ぼくの、こと?」
「…違うの?アナタの胸に下がっていたタグに、そう書いてあったんだけど?」
わからないよ、と言いかけて。
「…もしかして、アナタのステキなヒトの名前かなぁ?」
「だって、わからない」
「…わからないの?」
ほんとうに、わからない。
うなずいた。また泣き出しそうだったから。

「なんで、なんにもおぼえてないのか、突然身体がおっきくなってるのか声がヘンなのかもぜんぜん、」
「…オレの、せいだ」
腕に力が込められた。
「ゴメンナサイ、オレのせいだ」
「ぼくが、轢かれちゃったから?」
「オレがアナタを、轢いちゃったから」
「ごめんなさい、」
「アナタが謝ることじゃないよ。オレのほうこそ、ゴメンナサイ」
おなかがいたくなってきた。このお兄さんが痛そうなかおをするから。
「ぼくはきっと、ジョーンです」

「迎えを、呼びたいけど。わからなくてごめんなさい」
「…ゴメンナサイ、ジョーン。オレは、サンジ。アナタがダイジョウブになるまで、ちゃんと面倒見ますから」
「だいじょうぶ?」
「ちゃんと迎えを呼べるようになるまで、一緒に居るから」

「…オレは…ダイジョウブだよ、ジョーン」
「ぼくが、思い出せればいいんだよね?」
ゆっくりと腕が離れて。顔を覗き込まれた。そして、ふわん、と微笑んで。
「…ムリをして思い出そうとしないで。アタマを地面に打った時のショックで。一時的に、記憶が
混乱しているだけだと思うけど」
「……サンジ、さん?」
「ムリをすると、記憶は逃げるから」
「でも、ぼくが思い出したら。痛そうな顔しないでいいんだよね―――?」
瞼にキスされて、くすぐったかった。
みんなはシンパイしてるかもしれないけど。
ふわんふわんにわらうこのヒトは。いい匂いがして。
なんとなく、夏休みの前にみたいにどきどきした。

「急がないでもいいから。ちゃんと一緒に居るから。ゆっくりとやっていこうね?」
「どうもありがとう」
お辞儀をした。
「こちらこそ、これからよろしくお願いします」
でもなにをするんだろう?なにをしたら思い出せるのかな。
だから、同じようにお辞儀してきたひとに向かって聞いてみたんだ。
「サンジさん。なにをすればいいの?」
「…とりあえず、朝ごはんを食べようか。お腹空いてちゃ、考え事もできないもんね」
くすん、って笑って。言われた。

「あさだったんだ、」
「…うん。朝だよ。今日もいい天気だ。カーテンを開いてくれる?」
なるべく自分の手とかみないようにして。ベッドの横にあったカーテンを開けた。
「―――まぶし、」
ぱああっと広がった景色に。心配事が吹き飛んだ。
「遮るものが、ないからね」
「…すごい!」

「映画みたいだ、」
ほわん、って。とけそうな笑い顔をこのひとはする。
「…朝ごはん用意してくるから。その間、眺めててもいいよ?お日様を直接見ると、
目が痛くなるから気を付けて」
ベッドから出て行って、そう言ってくれたけど。
「手伝います、」
ぼくも慌ててベッドから飛び降りた。
「…ホント?嬉しいなぁ」

うわ。
見えるものが違った。吃驚した。
天上がすごく近かった。床が、遠くて。大人の目線って、こんなだったんだ。
―――すごいな。
「すごいね、」
だから言ってしまった。
「高いところからだと、いろんなものがみえるんだね」
とおくもよくみえる、と報告した。

わらって、手をさし出してきてくれた。
握手?なんで握手するの?
「ジョーン、忘れてた。しゃがんで?」
「握手するのに?」
またわらって。サンジ、さんが首を横に振った。さらん、って髪がきれいに流れた。
それで、すい、って。ぼくのなのにぼくじゃない身体はいうことを聞く。
「なんでしょう?」
「アナタ、背が高いから、オレ、届かないし。…おはよう、ジョーン」
両方の頬に。チュ、ってされた。
「挨拶、忘れてた」
朝の、挨拶だ。にっこお、って笑いかけられて。
「おはようございます」
ぼくもわらった。

挨拶もした、きちんと、おなじように。
なんで、吃驚したかおしたんだろう?
でもすぐ、ほにゃあ、って。パウダーシュガーみたいな顔してくれた。
「おなかすいた、」
「うん。すぐに用意するよ。好き嫌いはない?」
ホットケーキが食べたくなった。
「メイプルシロップのたくさんのったホットケーキとミルクシェ―ク」
「あはははは!シェークはムリだけど。ホットケーキとミルクなら、用意できるよ。
もちろん、メープルシロップもあるよ」
「はやくつくろう、」
手を引っ張った。
「うん、じゃあこっちに来て?」
わらって言われるままに、木の床を裸足で踏んで、隣の部屋に行った。

そこは。せまいけれど、気持ちの良い部屋だった。
まえにいちど、スキーにいったとき泊まったロッジみたいだった。
「キッチンは、どこですか」
聞いた。
つい、癖で。見上げそうになってしまうけれど、そこには何にもなくて。
「こっち。狭いから、すぐ隣だよ」
頤を引くようにしたら、ちょうど眼があった。サンジ、さんがにこにこしてた。
うれしくなって、また顔が、笑い顔になっていった。
探検みたいでおもしろい。
手を引っ張るみたいにしてキッチンに行った。
大人の手は、大きいといつも思っていたけど、このヒトの手はナニイのとも、ゲスト誰の
手よりも気持ち良いなあと思って。 嬉しくなってぎゅうっと握った。
もういちど挨拶したくなったけど。昼まで我慢だ。





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