ヤバいことになってしまった。
昨夜轢いたミスターの、記憶が混乱してしまっていた。
見かけは、多分自分より年上。 多分、20…、4か5。
すっかり砂で汚れてしまった麻のスーツ。多分、上等なものだと思う。
でも、今のカレは、多分…10歳にも満たない。記憶が退行してしまっているようだ。
話し方は丁寧で。 とてもしっかりとしたヒトみたいだから。
多分、いい環境で育ったのだろうと思う。
現に、今もお皿を洗ってくれているし。

連絡。とったほうがいいのかなぁ? きっと、誰かが彼のことを捜している。
タグには、クロスと。JEANという名前が掘ってあった。
11月11日生まれのジョーン。本当は、ジーンなのかなぁ?
彼自身は、その名前には覚えがないみたいだ。けれど。
一生懸命、オレのことを知ろうとしてくれる
素直なジョーン。

どうしよう、赤の他人なのに。
彼と一緒にいるのは、とても楽しい。
本当の彼を知らないのに、彼を好きになっていく。
オトウトがいたら、こんなカンジなのかなぁ?

オレより背の高いジョーン。
鮮やかな緑の髪の毛。随分とこざっぱりとしている。
洗ってもらった皿を拭きながら、ちらりと彼を見上げた。
耳に、リングのピアス2つとダイヤのスタッドが嵌っている。
三つもピアスを空けるなんて。痛くなかったのかなぁ?
「ジョーン」
名前を呼んでみる。

「はい?」
うわ。にこぉって笑った!
「パンケーキ、おいしかった?」
あーなんか、幸せかもしれない。
「あんなに美味しいの、初めてです。ありがとう」
「そう。よかった」
目が消えちゃいそうに、くしゃんって笑った。
「ふわふわしてたな」
本当に美味しく食べてもらったんだなって解る。
「ああ。嬉しいなぁ」
オレまで嬉しくなるよ。ジョーン。
アナタが来て。オレはとても嬉しいよ。

「あのね、ええと」
「んん?どうしたの?」
ああ、ニコニコ笑顔が、止まらない。
「ゴチソウサマでした、」
不意に、目の前が暗くなって。頬にキスが落とされた。
「…美味しくいただきました」
ああ、どうしよう。オレ、とても嬉しいんだけど?

「ジョーン。お皿終わったら、お風呂に入ろう?アナタ、大きいから。昨日、身体を拭いてあげることしか
できなかったんだ」
「ぼくひとりで入れますから。だいじょうぶ」
「ホント?脇腹、痣ができちゃってるんだけど。薬、塗ったから。包帯だけしなおさないといけないんだけど」
「じゃあ、お風呂からあがったら助けてもらいます」
「うん。ちゃんと呼んでね」
「はい、」
マジメな顔をしたジョーン。
どうしよう。オレ、とても好きかもしれない。
にこって微笑まれて。つられてにこりと笑った。
彼は本当は、とても戸惑っているだろうし。これからのこと、不安に思っていないはずがないのに。
どうしよう、オレ、アナタと居れて。とても、嬉しい。

ジョーンが大きな手を洗っている間に、お皿を片付けた。
久し振りに4枚も出たお皿。誰かと一緒に食べるご飯は、とてもおいしい。
「あのね、」
「うん?なに?」
「お手伝い、きちんとぼくできましたか?」
「もちろん。完璧だったよ」
「そっかあ。初めてしたんです」
にこにこと、ジョーンが笑った。オレまで嬉しくなった。
「そうなんだ!どうもありがとう」
「はい。どういたしまして」

腕を伸ばして、首を抱いた。
「助かりました」
きゅう、と力を入れた。
昔々、ママ・リディにしてもらったこと。
忙しいお母さんの変わりに、オレの面倒を見てくれた人。
大好きな、ママ・リディにしてもらって、とても嬉しかったから。
ちょっとマネしてみる。
ジョーンがとても嬉しそうに笑った。それを見て、またオレも嬉しくなった。
端整な横顔。頬にキスをする。
どうしてだろう、とてもいとおしい。

「じゃ、お風呂に入ろうか?」
「はい。」
「ここはね、あまりお水がないところなんだ」
「・・・そうなの?」
マジメな表情で、気持ちよく応えたジョーン。
ああ、本当に。アナタがオトウトだったら、どんなに嬉しいだろう。
「うん。砂漠の真ん中だからね。だから、大切に使わなきゃいけないんだ」
「わかりました。」
「バス、とても小さいから。アナタ、はみ出しちゃうかも」
真剣な顔。
ああ。とても好きだよ?
そしたら、ひゃはって笑って。
その顔も、好きだなぁ、と思った。
やってみたいかもしれない、なんて言って。
「頑張って入ってね」
思わず、笑って返した。

「じゃあ、お風呂場に案内するね」
ジョーンの大きな手をとった。
大きくて、暖かなそれが、きゅ、と力をいれて。
ますます嬉しくなった。
どうしよう、こんなに幸せで、いいのかなぁ?




お風呂場に連れて行ってもらった。
この家の突き当たりだ。ベッドルームの隣のほう。
ん?キッチンだったかな。
ああ、キッチンの隣だ。
Tシャツを脱いだら、包帯が巻いてあった。
不思議だ。
かちり、と出来上がってる大人の身体だ。ぼく、まだよく見てないけど。手とか足とかしか。

小さなホックを外して、包帯を取ろうとした。
腕がうまく回らないや。サンジ、さんは器用なんだなきっと。
ホットケーキだって、あんなにきれいにフライパンから飛び上がって、ぼくが持ってたお皿に落ちてきた。
すごいや。

ああでも、なんだか。
包帯、ぐしゃぐしゃになった。
腕が、一本動かなくなっちゃったよ。
こまったなぁ。
このままお風呂に入ったら、怒られるかなあ。
でも、ズボンも脱げないよ、これじゃあ。
呼んで、って言ってた。
あのひとは。
困ったことになってるし。

すう、と息を吸った。
片手で、ドアをなんとか開けて。
サンジー、って呼んだ。
あ!さん、つけるの忘れちゃったよ。

「…なぁに?」
「あの……」
ひょこ、って。ドアの所に顔出してくれた。
「うわ!すっごいことになってるね!!!」
「―――さん、つけなくてごめんなさい、それで、あと」
ぐるぐるになった腕をなんとか上げようとしたんだけど。
「ん?ベツにかまわないよ、呼び捨てでも」
なんだか笑い出してしまったサンジ、さんに困ったけど。
「あの、たすけてください」
「先にとっておけばよかったね。ゴメンネ?」
わらいながらお風呂場に入ってきてくれた。

ああやっぱりこのひとは器用なんだ。くるくるくるくる、巻きとられていってる。
ぼくも、はじめて自分のおなかをみた。ぼくの覚えているのと、ぜんぜん違う。
なんだか、硬そう?あとで触ってみようかな。
右側。なんだか不思議な色になってる大きな痣があった。
息に合わせて、それが動いて、ちょっとだけ見たら痛くなった。
そしたら、目があって。なんだか、サンジ、さんが悲しそうにみえた。
笑ってくれていたけど。
「やっぱり、痛いよね」

だから。
さっき、してくれたみたいに。頭をこんどはぼくが抱っこした。
「だいじょうぶです、」
って言った。だって、ほんとうに大丈夫なんだ。
「…うん」
そんな顔しないでください、って言ったら。
きゅう、って抱きしめられた。
そうだね、って囁いたみたいだった。
「ぼくは、だいじょうぶですから。」
ふわふわの髪の毛に、ほっぺたがあたって気持ちよかった。

「うん。じゃあ、気を付けて入ってね?」
「うん。」
どうもありがとう、ってわらった。
「また何かあったら、遠慮なく呼んでね」
「多分もうだいじょうぶ、」
言ったら、またにっこしりしてくれた。
もう、痛くなかった。

お風呂場は、ちっさいけど、あかるくて。
窓から、砂漠と。テレビで見たキャニオンがずっと遠くにみえて。すごくキレイだった。
でも、ぼくの身体には知らない怪我がいっぱいあって。おなかのほかにも。
膝の下のほうとか、腕の付け根の辺りとか、あと、すごく巧く隠してるけど。
胸のトコ、すごい痕が多分あったんだなって思った。
ぼく、なんでこんなに怪我ばかりしたんだろう。
大人になるのは大変なんだなあ。
痛かったのかな。

ア、シャンプーが目に入った。
いたたた。
止めていたシャワーのお湯をだして、顔ごとあらった。
ふう、と息をついて。目をあけたら、
ちょうど鏡と目線がぶつかって。はじめて、「ぼく」をみた。
曇りかけた鏡の中で、すごくこまった顔をしていた。
だれだ、この大人、と思ったけど。
いーっとすれば、い−っとしたし。口を下に思い切り下げたら、ものすごく怖い顔になった。
びっくりした。
サンジといるときみたいに、わらったら。やっとこわくなくなった。
ぼくの顔なのかなあ。
不思議だ。
ぜんぜん、しらないひとみたいだ。
べえっと舌をだしたら、なんとなく見覚えがあるような気がしてきた。
『こんどソレをなさったら、ペンチで舌を抜きますよ』って。
ぼく、誰かに言われたなあ。誰だっけ。

ぷるぷるってアタマを振って水を飛ばして。お風呂に飛び込んだ。
ばしゃあってお湯が溢れて。あ、しまったって思った。
「お水は大切にしないといけないんだ」
お湯の表面が静かになるまでじっとして。
ぼくの身体は大きいらしいから、じっとして。
目だけで砂漠や、見たこともない色の空や、地面や。
そういったものを見て。
ぼくはほんとうに、ジョーンでもジーンでもジャックでもなんでもいいんだ、って思った。
困ったときに、サンジがほわんってわらってくれて。
呼んだらすぐに来てくれて。
だいじょうぶって言ってくれたら、いいんだ、って思った。
でも、思い出した方がいいんだよな、きっと。

でも、そうしたら。
ぼくがどれだけサンジにありがとうとか、だいすきだよとか思ったか、言えなくなっちゃうのかな。
ぶく。と半分顔をお湯に埋めた。
それは、すごく悲しいなあと思った。
目の奥がつんつんしてきて。
ぶくぶくって全部沈んでみた。
やっぱり悲しくて。

息が足りなくなった。
そしたら、閃いた。
「いまから言っておけばいいんだ!」
お風呂から飛び出したかったけど、我慢して。そろそろって身体を抜け出させて。
着替えを水でべちゃべちゃのまま着て、ドアに向かって叫んだ。
サンジ―って呼んで。来る前に走って行った。
どこにいるんだろう?
キッチン??
いなかった。
ベッドルーム??
また、いなかった。

あれ??
また大声で呼んだら、何かが聞こえた。
外から?
家の外からだ。
歌??
ドア開けて、声のほうに走っていった。
うわ、そと、アツイ。

「あっれ?もう出たの?」
「サンジ!!」
「どうしたの?ヘビでもいた?」
振り向いてくれた。なにしてたんだろう?
ぶんぶん首を横に振った。
あ、お洗濯してたんだ?
何かを横に置いて、にこにこしてこっち来てくれてる。
走っていった。
ぎゅううって抱きついて。
いい匂いがふわん、ってして。
なんだか、ぎゅううううってまたして。

「…ジョーン?」
「あのね、ダイスキなんだ!それで、どうもありがとう!」
「…わぉ!どうしよう?」
髪を、撫でてくれてた。ぼくも顔を、サンジの首のトコに押し付けるみたいにして。
だいすきなんだ、わすれないうちに言わないと、っていった。
「サンジ、だいすきだよ。」
「…ジョーン」
あれ?サンジ、困ってるのかな。声が、こまってる?
「サンジ、こまってる・・・?」
「…どうしよう、ジョーン。オレもアナタが、とても好きなんだ」
ああ、よかった。
きらわれてるんじゃないんだ。

「本当に、好きなんだ。どうしよう?」
「じゃあ、よかった。あんしんした。きらわれてたら困ったもん」
「オレ、アナタがずっといればいいのに、って。思ってしまってる」
もういちど、ぎゅうってした。
サンジもぎゅうってしてくれて、また嬉しくなった。
大人の身体で、力があってよかったなって思った。
「いる。」
「…本当に?」
「うん、いる!」
「…うん。ありがとう」
うれしくてにこにこするのが止められなかった。
ぎゅぎゅうってまたサンジが抱きしめてくれて。
もうぜんぜん、悲しくなんてなくなって。

できるかな?って思ったら、やっぱりできた。
サンジのこと、ちょこっと上に持ち上げた。
抱き上げるみたいにして、ああできたなって思って。
できた、ってわらったら。
また、お砂糖みたいにわらってくれた。
「大好きだよ、ジョーン」
美味しそうだなって思って。
ダイスキだなって本当に思って。
ほっぺたじゃなくて、唇にキスしてみた。
あまいのかな?そんな気がした。

またサンジが笑ってくれて。
ほんとうにここにいたいなあと思った。
楽しいし、サンジはなんだかとっても嬉しそうだし。
お日様に髪がきらきらして、目なんかとってもきれいで。
やっぱりダイスキだな、やさしいし。
わらってくれるし。
もう一度ぎゅううってして、下に降ろした。
でも、またしたいな。
またしてもいいか、聞いておこうかな。
でも、だめだ、っていわれたらやだから。
内緒にしておこう。
でも、大好きとありがとうはたくさん言おう。
手も、たくさん繋いでおきたいな。

「あのさ、」
「なに???」
「包帯、また。たすけてくれる?」
「もちろん!!」
にこぉ、って。
だいすきだなあ。
サンジ。





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