11.
おれたちにも食わせろよう、であるとか。
お頭―、それ一口くれねぇ?であるとか。
ちょっとだけ交換してよう、であるとか。
シャンクスの前に運ばれてくる料理と何ら遜色のない皿をきれいに空にしていきながら、ルゥが本気で、方やヤソップは
面白がりながら何のかんのと声を掛けてくる間中、酷く魅力的な笑みとあわせて返された返事は「やだね」だった。
別のコックの作ったモノを大人しく食え、とにべも無い。
ひゃあ、ひでえ、そりゃコレも美味いけどさあ、と仲間の二重音声が訴えてくるのに対しても。
分かち合う気なんかナイね、と笑い混じりに言い切った声が厨房にまで漏れ聞こえてき、思わずサンジがメインディッシュ
の仕上げを施していた手を止めかけていた。言葉が、妙に嬉しい気がする。
そして、思い出していた。
最初に作ったデザートを試食してもらおうと張り切っていた「コドモ」、初めて任されたメインディッシュの付け合せをキレイ
に味わい、ちょいちょい、と指さきだけで自分をテーブルまで呼び寄せて翠が笑みに和らいだこと。
「大人げねェの、」
出来うる限りぶっきらぼうな口調で、音もさせずに新しいプレートを置き、光を乗せた翠が見上げてくるのを受け止めた。
「そ?美味いよ」
そう何でもないことのように言い。シンプルな言葉と裏腹に、きつい印象の強い翠がくぅ、とコントラストを和らげる。
「あぁ、やっぱり、」
歌うように柔らかな抑揚がサンジの耳に滑り込んできた。
「おまえの作るモノは美味いね」
手元に引き取っていた皿を、サンジは取り落としかけた。
ばたばたと騒ぐ心臓を押さえつけながら、アレは反則だろう、そう呟いたサンジが厨房の天井を仰ぎかけ。
や、負けてられねぇぞ、と気を取り直していた。
そして、一端作業に集中し始めれば、余計な感情は全て消えうせて、純粋にプラスの感情だけが自分の内側に満ちて
いくことを、経験上サンジは知っていたし、今回もその事実は裏切る事は無かった。
成り行きを静観することにしたらしい「総料理長」は、口も出さない代わりに手も出さない心積もりなようで、食事よりは
アルコールを楽しむことにしたらしく卓には着いておらず。ただ、ちらりと苦笑じみた眼差しを、同じようにカウンターに
居場所を見つけ僅かに目許で笑うようだったベックマンと交わしただけだった。
- 12.
「ご馳走さま、」
「ウン」
食後酒に付き合え、と言われ。よく考えるより先にサンジが頷き。
静かになったメインダイニングを見回していた。自分が奥で片付けをしている間に他の面々はどこへ行ったのだろう、と。
「ゼフはもう部屋に戻ったし、おれのとこの連中は先に船に戻った」
だから、後でここのボート貸してな、おれ船に戻れなくなるから、とシャンクスが笑った。
「あ、伝言があるんだ、ゼフから。おまえ二日酔いだったら明日、銅鍋全部磨き直させるってさ」
はい、乾杯、と。
シャンクスがグラスをあわせた。
「その傷どうしたんだよ、あんた」
「ああ、これか?」
す、と笑みが男の薄いくせに奇妙に肉感的な唇を過ぎっていった。
食後酒のグラスは何度か満たされて、いまは空になりテーブルに二つ並んでいた。
「良い男度8割増、て」
なぁんだよ、ドキドキしたかー?そう口端を吊り上げ猫じみた笑いを作る相手に、言ってろ、とサンジが返す。
「アクセントが出来てイイだろ」
すい、と指先が空気を薙いでいった。
「なんだよ、それ」
サンジが僅かに眉根を寄せて見せた。
「なんだも、なにも。すこし惚れた娘のニーサンが“ヒトならぬもの”でね、」
またなにを言い出すんだこのヒトは、とでも言った色を浮かべて蒼がシャンクスに合わされた。けれども、それを受け止め
た翠が、どこか怜悧な色を佩いているのを見出して唇を噤んだ。
「おれは歓迎されざる客、ってやつ」
「力で解決、とか?」
「んー?まぁ、近いのかねェ」
ばっさり、と指先だけでシャンクスが空を斬ってみせ、確かにその些細な動きでさえ剣先の鋭さを充分に思わせる。
「やあ、やっぱ強ェわ、流石アイツ等」
「……ら?」
「“ライカン”だか半獣だかそんな風なヤツ、」
けろ、と。動物の名前でも告げるように言われる。
そんな伝説上の生き物がいるところなど聞いた事もない、と思うが。それも複数?
「一匹にヤラレルわきゃねぇーだろ、このおれが」
「ふゥん、」
海賊ってのは忙しいンだな、化け物退治までするのか、とサンジが少しばかり笑ってみせた。
相手の口調に合わせるように微妙自分も調子を変えていく、年不相応なほど自然と出来ることの一つ。
「あ、このガキ。ヒトさまの悲恋を笑いやがったな」
トン、と金色をした後ろアタマを小突きながら男が言う。
その声にはけれど、ただ乾いた色味しか乗せられてはいなかった。ただ乾くばかりのソレにサンジがうっすらと奇異を
覚えるほどに。けれど、敢えて気付かぬ振りで言葉を続けた。
「振られたのか、へえ」
「まあな、掟を知らなかったおれが悪いんだろう。石で打たれて死んでたよ」
外界に触れる代償は命だった、ってことだな、とシャンクスが色味の読めない声で続けていた。
「おれは連れ出してやろうとしただけなんだ、その代償も知らずにね」
目の前に扉がある、おれにはそれが見える。その前に立って、それを開けようとしている人間がいたなら、つい手を出した
くなる。そう言って、海賊は奇妙な線を口元に登らせた。
「望みが叶ったなら、その子も不幸せばかりじゃない」
「―――はン?」
翠がまっすぐに合わせれらた。金色の虹彩が光を刹那ぎらりと弾く。
「身体は魂を繋ぐ檻だ、って」
この間、ここに来た伝奇作家だか旅行記家だかが言ってたんだ、とサンジが続けた。
「―――なぁ…?」
ふ、と柔らかな声がサンジに届いた。翠は変わらず冴えたままで。
「ん?」
呼びかけられ、そのままに見返す。
「おまえさ、それ」
もしかして慰めてくれてるとかー?と。笑みに眼差しが和らいだ。
「―――バカ言え」
サンジのぽそ、と返された言葉は、アタマをくしゃくしゃにかき回す手に揺れかける。
「優しいガキだね、おまえは」
反論を口にしようにも、とんでもなく絶妙のタイミングで煙草を差し出され思わずソレを受け取り機会を逃していた。
しばらくの静寂が肩に落ちかかる。
「よくあのヒトが黙ってたな、」
サンジが煙と一緒に言葉を吐いた。
「ん?ドレのことだよそれ」
「副船長」
「あーあ……、アレか。悪癖だな、って無愛想面して言っただけだったかな」
「ふゥん、」
信頼関係とでも言うのか、形容しがたいモノがこの海賊の船にはあるのだろう、とサンジが思う。
「まぁ、こっちの命がヤバカッタらアレもちったァ恐ェ顔したかもな、責任モンダイとか言って」
責任問題?とサンジが繰り返す。
「そ。アイツの命も、他の連中のも。おれが預かってるからね、」
翠が一瞬あわせられる、まっすぐに。
自分の中で、鼓動が一つ大きく鳴ったかとサンジが刹那思い、大きく息を吸い込んだ、ゆっくりと。
内を沸き起こる衝動にも似て、言葉が滑り落ちていった。
「なぁ、シャンクス」
「ん?」
「なんで、アンタは海に出たんだ―――?」
ゆっくりと、男の唇が笑みを模っていっていた。
「へえ……?おまえ、」
狩りを楽しむ生き物の眼に似た色身がすうと翠の底を過ぎっていく。
「惚れたな……?おれに」
「ば……ッッ!」
ばか言えこのイカレ海賊!!と続くはずの言葉は。
良く通る声に遮られた。
「あのな?背中を、押されたがってる内は出て行けねェぞ」
「―――そんなこと……っ」
「ほぉら、すぐおまえはムキになる」
とす、と。血に濡れる事も厭わない指先が額を押してくる。
「おまえはさ、バカのくせに妙なとこ生真面目だからなァ。アタマ吹っ飛ぶくらいの一目惚れでも仕出かせ。
それこそイノチガケのアホみてぇなヤツ、いっそのこと。後先わかんなくなって、ヤケッパチデ理屈ぬき、そういうのをナ?
してみろって」
お堅いアタマのネジが全部どっか行くくらいの、と。シャンクスが笑う。
「ここがおれの夢なんだ。関係無い」
「あぁ、そう?」
ぎ、と指先がサンジの耳を引っ張り上げた。
「いて!」
「かぁわいいね、おまえ相変わらず、天邪鬼なくせに義理堅いガキ」
「痛ェって言ってるだろっ」
暴れようにも、靴先をがっちりと床に踏みつけられて、悔しい事に何故か動けない。
くっくと酷く上機嫌にシャンクスが喉奥で珍しく笑う。
「おまえの扉の先にあるのは此処じゃないだろう?」
「うるせぇ」
「へえ?生意気言ってもカァワイイだけだってのになぁ」
シャツの襟元を掴んであっさりと身体を引き寄せ、腕の中に抱きこんでいた。
「ほらな?すぐ捕まるし」
動けるモンなら動いてみろ、とからかうように柔らかな声が落ちてくる。
子ども扱いしやがって、と毒づけば、大人扱いしたらおまえ泣いちゃうヨ?と返される。
自暴自棄の反撃、とでも言うのか。とにかく悔しさが先に立ち。伸び上がって口元に、唇を押し当てた。
す、と翠が細められ。
やんわりと唇に歯を立てられてサンジの肩が跳ね上がった。
僅かに浮かせられた空気のハザマで、甘く落とされた声が。
「がぁき、」
そう囁き。
「返り討ちに会うに決まってるだろ、おまえ」
バカだねぇ、と呟く声に耳が追いつき。金の虹彩が翠のなかに混ぜあうような眼、それを間近でサンジが見上げた。
言葉を投げつける術を突然無くし宙に浮いたままになった。今になって耳につく波音と、ひらりと軽く振られた手とだけを
五感が捕らえ。
「ゴチソウさま、オヤスミ」
そうとだけ言って遠ざかるシャツの白く浮き上がった背を、サンジはただ見送る羽目になっていた。
鮮やか過ぎるのだ、と。突然思った。
この存在の齎すものは、白く広がって爆発する。どこまでも拡散していく。
なにかを揺り起こしていく。
閉じられたドアの残した微かな音に、サンジが息を押し殺し。
グラスを二つ手に持ち。やがて、一つだけクロスの残されていたテーブルからまっしろの生地を剥がして立ち上がって
いた。
13.
引き剥がしたテーブルクロスを、他のクロスやリネンとあわせて洗濯用の籐籠に放り込み。ついでにランドリーまでしちまうか、とサンジは動きかけたがこれは明日の当番がすればよいか、と考え直した。
自分は、もう眠ったほうが良い。
煙草を吸う気も起きない、けれど酔いが回っているというわけでもきっとない。
ふう、と息を一つ吐き、これは夜風にでもあたろうと思いついた。それにもし甲板で眠ってしまっても肌寒くは無いしな、と。
甲板へでる扉の側で、サンジが足を止めた。
気のせいか?と耳を澄ます。絶えず聞こえてくる波音と一緒に、ヒトの声が自分を呼んでいる。
海の七不思議でもなんでもない、考えられるの可能性はただ一つでしかなく。
「は?まだいたのか?」
ボートの在り処は知っているだろうに、とサンジが扉を開けた。
けれど、宵闇が広がるデッキには人影は見当たらず。どこか低い所から自分の名を呼ぶ声がした。
随分と傾いだ位置にある細い月は雲の無い空に浮いており。
特に急ぎもせずに、サンジは声のする方へと足を向けた。
「なにしてんだ?」
小型のボートは既に海面に下ろされており、やはり間違いようの無いすらりとした立ち姿がひらひらと甲板にいるサンジに
- 向かって手招きしていた。
「降りて来いよ、サンジ」
「なんで」
「んー?よく考えたらな、」
暗がりに、見上げてくる男の鈍く色味の沈んだ赤がさらりと流れた。風が吹いたのだ。
サンジの視界も僅かに髪で塞がれた。
「ボート、返しに来るのが面倒だし。おまえ、おれのことコレで送っていけ。お客様を大事にしろ」
な?と。にーっこりと海賊が海賊らしからぬ友好的な笑みを浮かべてみせる。
不器用なままに優しいこのコドモのことを自分は相当気に入っているのだ、とシャンクスが内心で小さく笑うほどに、
- 自分の浮かべた表情に関しての自覚はあった。
どうせすぐに眠る気もなかったのだし、まぁ、いいか、そうサンジがいつもよりは素直に自分の行動を決めていた。古参のコック連中がもしいたならば、酷く驚いたろう。なにしろサンジは天邪鬼で通っていたのだから。
軽々とボートに向かって飛び降り、わずかに波間にボートが揺らぐ程度の衝撃しか与えなかったのは流石な身のこなし、といっても良いだろう。現に、先にボートにいた海賊が、ほんの少し眉を引き上げてみせたほどだ。
「方位は」
ボートのエンジンをかけ、サンジが言った。
「南東」
「オーケイ」
「―――の筈」
「たいした船長だね、あんた」
「冗談なんだけど」
何も遮るもののない、濃紺にも見える海面を夜昼関係無い速度でボートが進み。
「なぁ、ちっせえの?」
「なんだよ」
呼び名に対する抗議はするだけ無駄と、サンジも既に学習していた。
「自分を繋ぐ事と、絆ってのは違うんだぜ?」
おまえ優しいガキだからそこら辺り混ぜっ返してそうだしな、とシャンクスが眼をあわせた。
何かをサンジが言葉に模る前に、腕が一点をまっすぐに指し。
「あぁ、ほら。アレだ。海賊船へようこそ」
シャンクスが言った。
- 「なぁ、あんた」
- 「ん?」
- 「このボート、最初ッからバラティエに返す気なんか、無いンだろ」
- 「へえ?敏いね、おまえ」
14.
結局、宵闇を圧倒するような外観を確かめただけで、サンジはボートを離れなかった。
不寝番が船長の姿をボートが近づく前から見とめ、すぐにロープを投げ下ろしてき。夜目にも鮮やかな所作でシャンクスは、軽く肩を竦めただけで船へと戻っていった。
手摺に凭れたまま、遠ざかるボートが見えなくなるまでシャンクスが甲板に残り。
伸ばした腕に顎を預けて見送るでもなく、一定の方向へ眼差しをやっていた。
「―――ちぇ。攫い損ねた」
く、と。低い笑い声が背後から聞こえる。闇に溶け込むようだった姿が輪郭を現していった。
「随分間抜けな人攫いだな、あンた」
「んー?まぁなあ、」
顎を腕に乗せたままで言葉を綴るから、声が僅かにくぐもっている。
- 「おまえ、赫足から頼まれたか?」
- 「むしろ、留め立てはしないと言われたって方が近いかな」
- フン、とシャンクスが短く息を吐いた。
「本気で連れて行きたい、ってのとも。微妙に違うしな」
「あぁ、“ここ”じゃあどうせ―――」
ベックマンが言葉を切り、夜目にもうっすらと紫煙が立ち昇っていった。
「ん、あんま変わらねぇだろ。ヴァージョン違いの飼い殺し。あそこに残ってるよりは近道かもしれねぇけどな、甘やかしちまうのは明白過ぎだ」
「そういや、あンた実は構いたがりだしな」
「おうよ」
妙に威張って返すシャンクスに、低くベックマンがまた笑う。
- 船長が戻ったならすぐに船を出すようにとあらかじめ言い渡されていた指示通りに船内が人の立ち働く気配に徐々に満ちていく。
「次」に立ち寄る機会があるとしても、あのコドモはおそらく「あの場所」にはいないだろう、と何かが告げる。密やかな確信めいたもの、そしてそれを確かめる前におそらく自分も海の「こちら側」に飽きていることだろう。
- 何処であの「コドモ」に逢えンのかねぇ、とシャンクスが思考を遊ばせる。
左目の上を走る、さほど古くは無い傷跡。
それを辿っていった熱い舌先のどこか覚束な気だった様を思い出し、薄く笑みを登らせた。
意趣返しのつもりだったのか、間近で揺らいだ蒼が浮かべていたさまざまな感情が縺れ合って出口を求めた結果だったのか、船へ戻ろうとした自分の肩を引き止めてきた手指の強さもあわせて、どこか思い返してもクスグッタイ。
「なぁ、」
シャンクスが振り向かずに言葉にした。
「ベン。ここが、北だったらおれの勝ちだったかもしれねぇぞ」
「北?ノース・ブルーか」
暗がりで、問い掛けた男が唇から離さずにいた煙草の穂先がぼう、と火色を強めた。
「正気でいるには寒すぎるだろ、ノースは。だからおれはおまえを拾ったんだョ」
へえ、そうか。そいつは初耳だな。
そう応えた男の声は、内から引き起こされた穏やかな感情を隠そうとはしていなかった。
The End
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