7.
ガキだガキだと言われるが。
実際に本当に正直なところ「そう」だよなぁ、とサンジは思う。そうはいっても素直に認めるのは他人のいないところで
のみ、であるけれども。
違うとムキになって声高に否定して精一杯背伸びをしていた頃から比べて、実際少しは自分が「なにか」に近づいた
かと冷静に問い掛けてみれば、その答えは―――
「まだガキ臭ェのな、」
であった。

部屋に割り当てられた小さなバスルームで、手の中のマッチを擦って咥え煙草に火を点ける。
年相応以上にすんなりと伸びた肢体はまぁウェイトに多少は難があるけれども、そこは敢えて無理をしない。
筋肉バカの身体を見ても羨ましいともなんとも思わない、反って暑苦しいとさえ思う。むしろ、この外見に惑わされて
くれるならそれもまたありがたいかな、そう思いもする。
売られた喧嘩はアリガタク買わせていただくけれど、借金してまで買う気はさらさら無い自分なのであるし。
それに肝心なのは「肉」の目方でも量でもなく、要はスピードと強靭さで勝負だ、と思っているから。現に、最近では
他人にも身内にも負けたことは無い、ただ一人を除いて。

それでも、自分はまだまだ強くなる、強くなれる、強くならないといけない。庇護されているだけのガキであったジブンを
見切って先へと進む為にも。

ぽたり、と髪先から水が首筋に落ちてきた。
タオルをアタマから被り直して、煙草が消えないでよかったとサンジが小さく唇を引き上げた。
ついでに鏡に映った自分の顔を見つめてみる。
何年も前に一度だけ、つむじ風だか海上の遠雷めいて過ぎっていった「海賊」の言葉を思い出す。
その短い滞在のほんの5日にも満たない時間は、自分のなかで他の記憶とは色が違っている気がする、良くも悪くも。
そして海を自由に往くあの「海賊」が好き勝手をしている噂だけは、届いてきていた。

鏡の中に。
攫われそうな眼をしたガキ、はそのなかには居ない、とサンジは思った。
女性客からの「お誘い」は多々アリガタク頂戴しているけれども、攫われるなんて醜態を演じてはいない。

強くあることと、内を映し出す眼をもつことはどこか共通しているのだろう、と思いながら煙を吸い込む。
「ソレが目標じゃ、無いけどね」
ふい、と薄く開いた唇から煙と一緒に言葉を空に戻した。
強さは、自分が求める事の最優先事項では無いのだから。
ただ、手段は、幾つあっても良いだろうと思う。
要は恋愛の技術と同じだよな、とも。引き出しが幾つもあった方が自分も相手も楽しめる。ただ、恋と違うことは
自分が見た―――

そこまで思考を遊ばせて、サンジは視線を床へと落とし、やがて天井へと向けた。
いつからか、得意になった思考停止。現状と自分とを齟齬が起きないように丸め込む。
波の音が聞こえる場所にいると、自分の内が静かに凪いでくる。撓められた内に、感情が行き場を無くして積もって
も、それは苦痛にはならない。針の先で突いたほどの痛みにも成り得ない反射じみたモノでしかない。

ただ、何かを恋しいと思った。
酷く、恋しいと。
その感情だけが内側を満たしていき、やがて指先からも空気に触れる肌の表からも溢れていくかと思う。
何を請うのか、と肺の奥から息をゆっくりと煙に混ぜ込んで吐き出しても、答は決まっていた。
―――ゆめ。あるいは、信じているもの。

身体を寝台に投げ出し、煙草を灰皿に押し当て。
髪の濡れたままでサンジが眼を閉じた。
明日も、自分は誰よりも早く起きるのだ。自分のなかで決めているルール。


                                   8.
斬れそうだ、と思った。
この男の周りの空気に触れたなら。
何かを思案しているようにも、空中にちかりと光ったモノを目の端に捕らえているようにも見えた、その微かに伏せら
れた目許。風を受けて血色をそのまま映し込んだような髪が時おり覆い隠していく。

5年振り近い「客」は自分の背丈が伸びる内に何を海でみてきたのだろう、とサンジはその姿を捉えて思った。
その問いに自分でとまどったのは最初だけで、柔らかな肢体と滑らかな頬を持つ素晴らしい創造物、要は女性と
いうもの、とのお付き合いの仕方から、どんな女性(ひと)からも微笑を引き出すいろいろな接吻と。
強さとしたたかさを自負できるようにと、涼しい顔をみせながら努力ってモノもしていた、そう思い返す。
男の顎が僅かに引き上げられ、ちらりとゼフに笑いかけていた。所作に澱みもなく。
ゼフが指差すより先に、翠が自分に向けられる瞬間がサンジは「見える」気がした。

よう、と酷く突き抜けて明るい声が自分を呼んだ。少し離れた先から。
ゼフの向かいに立ち、自分を見遣ってきていた男から届くソレ。纏う空気はまた色を完全に変貌させていた。


                                 9.
ガキ、まだホンモノのガキだった自分に、酷く鮮烈な印象を焼き付けていった当人は、また突然の来訪をしでかした。
厨房の裏で仕込みを終えて午後の一服、と煙草を咥えたときに通り過ぎざまコックの一人が「海賊船だぜ」と言った。
「ハン。良い客?それともバカ?」
食す、という行為の前には肩書きも何も意味を持たない。客として訪れるならば迎え入れるまでの事。
眼を上げずに言うサンジに、コックが首を傾けて見せた。直にデンワを受けたオーナーがその後でリーソルトの極上
の年を用意させていた、だからよほど馴染みの客なのだろう、と答ながら。

ワインカーブのなかでも特上の部類に入るモノを用意させる、となると。
思い当たる「海賊」はほんの一握りだけだ。
9歳かそこらのころの記憶が、サンジの意識の表層に上がってくる。
「―――フゥン、」とだけ応えて、また海面に眼をやっていた。

二度目の来訪は、比較的マトモだった。マトモすぎてかえって奇異に感じられるほどに。
すい、とデッキに降り立ち、何かをゼフと話している。笑い声が聞こえた。
自分の記憶にあるものより高い背。
傍らには前回と同じだろう面子が―――ベックマンとヤソップとが自然に佇んで……ルゥは古参連中とまたなにやら
別の輪をつくり談笑している風だった。
ふぅん、と視界の端に海賊たちをおさめると、サンジはそのまま踵を返そうとした。いまは姿を確認できただけで良い、
そう思い厨房へ戻ろうと。
ガキじゃあるまいし、両手離して大騒ぎして迎えるほど懐いていたわけでもなく、おまけに自分は忙しい、と誰にとも
無く思いながら。

「よう、いにしえのチビスケさん」
ソレはいったい誰のことだオラ、と気配つきで振り向こうとするより先に。
大柄な影が自分の背丈を超えて甲板に落ちていった。このデカさと足音のしない物腰は仲間内のコック連中のモノで
はあり得ない、そうサンジが確信し。

「おれだよぅ、忘れたかな。おまえちびっこだったからさ」
にぃ、と。スカーフを頭に巻いた大男がサンジを上から覗き見るようにし、気の良い笑みを思い切り口を横に引き伸ばし
て作っていた。
忘れるもんか、と語ったサンジの表情を一瞬、見遣るとルゥがフラットなくせにどこか歌でも口ずさむような調子で言い
残してサンジを抜きさっていった。

「寄ったら斬られるぜー、アレは空気がヤバイ」
ひひー、と。からかうような口ぶりで自分の船の船長を指差していた。
「なぁに機嫌が悪いかな、あのヒトも」
男が言葉を継ぎながらそのままふい、とアタマを僅かに傾げる様にし斜め右横を見遣れば。
「さあー?きょうの特別料理が魚だったんじゃねェか?」
よーう、元チビッこ!と声をかけながら片目を瞑ってみせたドレッドヘアの変わらない男も、サンジの視界に何時の間に
か加わっていた。へえ!おまえ、ひょろ長くなったねぇ!と、片手をひらひらと虚空に泳がせるようにしてその男が笑う。

このオトナたちの上には時間は奇妙に捩れて流れていくんだろうか、ふとサンジが思う。
自分の上を流れた数年間と、同じだけの変化はこの海賊たちには見てとれない。成長期にある自分と同じだけ変わる
とはまさか思ってもいないけれども、極僅かな変化さえ見つけ出すのが難しいほどだ。
ヒトをくったような物腰。
軽やかな声音の底にいつでも横たわる強靭さと、おそらく諧謔めいたモノ。
笑みはホンモノではあるけれども、それを精巧な模倣にいつでも挿げ替えることの出来る素養。
法に囚われないしたたかさ。
ほんの子供だった自分がぼんやりと感じ取りはしたけれども、見落としていた風情の一端。そういったものは窺い知る
事ができるのに。

「おやほんとにソレだけかねえ?」
「やあ?」
サンジが思考を遊ばせている間に、オトナ同士がにやにやと笑っていた。
「“お宝”が自分めがけて飛んでこないのが不満なんだぜ、あのヒトは」
ヤソップが溜め息を長く吐いてみせる。
「はー、お子様だねェ、妙なとこが相変わらず」
それを受けて大男が頭を横に振っていた。二人とも、実に小芝居がかった遣り取りを楽しんでいる風だ。
訝しげにサンジがオトナたちの遣り取りを見遣っていた。


「なぁ、あのチビさんはどうなった?」
ゼフにシャンクスが問う。その口調はどこまでも軽やかだ。
「どうもこうも、クソ生意気なガキだ」
す、と薄蒼の瞳が一角に投げられ、その先をシャンクスも目線で追う。
「―――へえ……!」
翠が笑みに和らいだ。
「でっかくなったなぁー……!これじゃあんたがじじいになってるのも納得だ」
「若造がほざくな」
軽く腕を組んだままでゼフが言い捨てていたが、髭の下で口元は僅かに引き上げられていた。
「お?ベーン!聞いたか、いまのっ。小僧から若造におれたち昇格したみたいだぜ!」
けら、とシャンクスが笑う。
ゼフが指差す方向に向かって、笑みを刻んだまま視線を流す。そして、サンジに向かって、に、と笑みをひとつ零して
いた。

突然あわせられた翠をサンジも受け止め―――瞬きを一つ、した。
記憶のなかと唯一つ違うものが、そこには刻まれていた。海賊の左目の上を通る、三筋の傷跡が在った。

「よおー、元チビの現クソガキ!」
シャンクスがひらひらと手を振った。
「なんでそンな離れたところに突っ立ってンだ、おまえ?テレ屋さんになっちまったかー?」
うっわカーワイイねえ!とけらけらと笑う相手に、サンジが何事が言い返し。
けれど啖呵を言い切らないうちに。歩き出したオトナ二人に背中を強く押されてしまい、シャンクスに身体ごとぶつかり
かけ。上機嫌の海賊から髪を数年振りに他人に引っ掻き回されまたサンジが盛大に抗議していた。

「あんた相変わらず滅茶苦茶だッ」
「おーう、おれを誰だと思ってやがる!このテレ屋チャン!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ始める姿二つを、しばし冷静にベックマンは眺め。「仲が良くて結構なコトだ、」との一言と手の
一振りだけを残してレストランの内部へとゼフと共に進んでいった。


                                     10.
「若造、」
「ハイ?」
うっすらと笑みを佩いて応える男に向かい、ゼフがグラスに注いだ火酒を差し出した。夜半をとうに越える頃、ウェイティン
グ・バーとでもいえる店内の落ち着いた一角に二人の姿があった。
「ウチの休みを知って来やがったな」
「一度言い出したならきかない船長なもので。それに、」
す、と男が火酒を喉に滑らせていく。
金払いはともかく、あまり上客とも言い難い筋ですしね、と口調を軽くしていた。
「要らぬ気遣いってヤツだ、」
見詰めてくる薄青に、ベックマンが僅かに苦笑した。
「実のところは、」
空になったゼフのグラスに透明な酒を注いでいく。
「ただ単に、邪魔が少ないほうが余計構える、そんな事を思いつく我侭なヒトがいまして」
あぁ、とゼフが肩を軽く揺らした。

「あのクソガキに料理を全部作らせる、とか何とか言ってやがったな、そういえばあのイカレ小僧は」
『明日、全部食わせろ。出来ないなんて言わないよなァ、おまえ?』
『あァ?!上等だ!』
繰り出されていた会話と賑やかだった数時間前までを思い起こすように、ゼフが視線を背後のテーブル席へと投げて
いた。
止めたんですけどね、すみません、と。灰色の目を細めて男が微かに、面白がるような笑みを刻んだ。
そして静かにゼフが眉を引き上げていた。心にも無い事を、とでも内心笑っているのだろう。勝手にすれば良いさ、と
告げた声はそれでも穏やかだった。
「―――しかし、アレも良くわからねェガキだな、」
アレ、とはシャンクスのことと知るベックマンは、ただ淡い笑みを口元に乗せるだけだった。
「あのクソガキの何がそこまで気に入ったんだか」

「あなたが誰よりよくその理由はご存知かと思いますが、」
男の低い声が磨き上げられた卓の表面に落ちていく。
“魂のカタチが気に入った”と本人は言っていますね、と。
「アレも性分は変わらねェな」
何処へ行こうとしているんだか、と続け。それに付き合うおまえたちも酔狂だな、と男の灰の眼を見て笑う。
「海賊ですから」
「……連れ出せるか」
「“オーナー・ゼフ”、」
ベックマンが長い指で引き上げたグラスを何度か揺らした。
「おれは預言者ではありませんよ」
言外にやんわりと否定され、ゼフがグラスを置いた。
「カワイクねえガキだな、てめえも相変わらず」
すう、と笑みの気配が卓に漂っていった。




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