La Puerta del Cielo
PrÓlogo (プロローグ)
8月の終り、ニュー・オーリーンズは相変わらずの晴天。
こちらに越してきて、そろそろ一月程になる。
キューバを離れる時に、住所が新しくなることを。高校時代からの親友にメッセージを残しておいた。
いつかけても留守番電話、聴かれているのかどうかは解らなかったが。
2、3日前から仕事中にかけてきては、留守電にメッセージ、『またかける』だけを言って切るヤツがいた。
アリゾナ在住のネイティヴ・アメリカンの血を引く親友。名を、リカルド・クァスラという。
名乗りもしなかった声の持ち主をヤツだと断定するには早すぎたが。
あのトーン、あの口調。オレがリカルドを間違えるわけがない。
昨日、リカルドの家の番号にかけなおしてみた。契約が解除されたとの録音メッセージが入っていた。
―――ふン?
まあ、かけてくる、と本人が言っていたのを待つとしよう。
燦々と昼前の太陽がベッドルームに入り込んできていた。
漸く起きる気分になったコイビトが、わざと資料を崩すように起き出していた―――猫め。
抜け出したしなやかな身体、伸ばされた掌が裸のままの背中と肩、それから胸の前をたらりと撫でていき。
視線をちらりと読んでいた資料から上げれば、背中がベッドルームに隣接するバスルームに消えていくところだった。
他人と暮らしたことは何度かある。
大体の場合、何度か身体を重ねたオンナが転がり込み。そのうち、勝手に出て行くってのを繰り返していた。
よく仕事で世界を回るから、旅の前に別れの口付けをし。
帰ってくれば、部屋はもぬけの殻―――テーブルの上に残されるメッセージ。
"ゴメンナサイ、寂しくて待っていられないの"。
居てくれ、と頼んだことはない。
そもそも勝手に転がり込んでくるだけだ。
金目のモノに手を付けるような相手を身近に入り込んでくるのを許したことがないのが、唯一自慢できることか。
現在の"コイビト"とは、驚くかな、もう1年以上、一緒に生活をしている。
次々と住まいを変えるのにもめげずに、何カ国、一緒に住んで回っただろうか。
"コイビト"は奔放で、行く先々で"知り合い"のところにも転がり込んでいる。
けれど、オレが次に移る前にはちゃっかり戻って来、むぅ、と文句を言いながらも、なんだかんだいって付いて回ってくる。
愛情を感じる瞬間はあるが、縛りつけようとは思わない。
仕事が楽しい自分としては、コイビトを放り出して取材に駆け回ることも多い。
"一緒に居ること自体がナゾ。"そうシャンクスの知り合いからは何度も言われてきた。
見目の綺麗な、気侭な猫を。居続けもしない部屋に―――オレに―――縛り付けてどうしろ、というのだろう。
肉体的な関係としては、申し分のないくらいに相性がイイ。
たまに交わす会話は、"コイビト"としては十分に面白い。
蕩けた翠が見上げてくる瞬間に過ぎる金の煌きを気に入っている。
他人を寄せ付けない闇を抱えていても、いや、互いに抱えているからこそ、か?解り合いたいという気持ちは薄い。
愛情はあるが、熱情は薄い。
興味はあるが、執着心は持たない。
ただ、甘えてくる仕種が嫌かといえば、そうではない。
だからこそ。シャンクス、という元天才役者のビジンを"コイビト"にしていられるのだろうと思う。
甘やかすことは嫌いじゃないが、それはこちらに余裕のある時だけにできること。
仕事が忙しければ顔を見ないまま3日、4日過ぎるのもままあることだ。
一般的に括れば、"コイビト同士"とはいえないのかもしれない。
けれど定義は、こちらがお互いに納得していればいいこと。
今のところ、その余裕があれば甘やかしたいと思うのが、赤い髪の猫のようなオトコ、シャンクス唯一人だ。
身勝手なスケジュールと適度な距離を保ったまま付き合っていける相手。
恋をしているとは到底思えないが、間違いなく"特別なアイジョウ"を注げる相手ではあるからこそ―――シャンクスは、
オレの"最愛"だと定義する。
高校の最高学年で引っ越した関係で距離を置くようになった親友。
彼もまた、オレの"特別"ではある。
大切な相手に、大切にしているニンゲンを引き合わせたいと思うのは、人間の本能だろう―――社交的であるならば。
だから、久しぶりにアメリカ本国へ帰ってきて、長らく連絡を取っていなかったリカルドに電話をしたのは当然の流れだ。
どうやらリカルドもオレに会う気があるようなので、まもなくそれは叶えられるのだろう。
どんな結果になるのかが、楽しみだ。
気が合わなければ、それまでのこと。気が合えばいいに越したことはないがな。
バスタブに長く身体を伸ばして、窓からの光に。
本土に戻ってきたンだよな、と毎朝納得している自分がいる。サウスに、長く住むのは始めて―――じゃぁ、ないか。
撮影で、3ヶ月近く居たことがある、場所、どこだか思い出せないけどな。
意識しなくても、都合よく出来上がっているアタマは。どうでもいいと判断したことを曖昧にしていく。
その代わりに、南部の独特の、光の潤み具合だとか。一応定住していたLAだとかNYC、そういった街中の匂いの差、みたいな
モノは結構覚えているから
地図よりは、肌で感じるモノで。自分の居場所を割り出したりするのは習慣じみていた。ムカシからの癖。
違う名前で呼ばれて、別の人生を与えられて、望まれた以上のモノを容にして返す、そんなことをモノゴコロついたなら
していたのだから、当然っていえば当然。
LAは下手に地元だから。知ったカオが多すぎて長く住むには鬱陶しい。
それはNYCも同じコト。
ハバナは―――楽しかったな。
枯れたイイ音を出す年寄り共や、時間が奇妙に澱んだような空気。
一風変わったコイビトに付いて回った国の中でも、気に入った。
ゆら、と。長いバスタブにまた身体を沈める。伸ばした腕の先に、薄く痕がアル。
これを残した相手は、身体が放っておいても悦ぶ手を持っている。そのくせ、どこかさらりと乾いて、読ませない先を持つ。
踏み込ませるのに、付け入らせない。そんな振りをしてみても、見透かされたように穏やかな笑みで返されるだけだ。
おれが誰といて、何をしようと。
戻れば、また同じようにやんわりと受け入れられて。
定義からどこか外れていようと、この存在は「コイビト」なんだろう、おれにとっては。
トモダチ連中や、遊び相手とどこが違うのかと問われれば。
決定的なことは。
「溺れてくれないことだよナ……?」
光で溢れたバスルームで独り言。
だから、「壊れない」と踏んで。気侭に感情を明け渡していた。
腕を掴まれるのは嫌いだ、だからそんな手は切り落としてきたし。押さえつけられるのもガマン出来ないから、腹立ち紛れに
喰い散らかして放り出した。
慰撫してくるだけの手は、その裏側にある好意を煽ってわらったし。
だから、自ずと。知り合い連中は、一癖どころか。相当にクエナイ、自負も矜持も、それを証明するものも持ち合わせている連中
ばかりになった。
しばら一緒に暮らした劇作家、その御大は。ヒトのことを「歩くギリシャ悲劇」とかなんとか言って小さくわらっていた。
曰く、「否応なく他を巻き込む厄災は、甘美なモノで容赦がない」―――だっけ?
だけど、いまのところ。おれはコイビトにとっては。
ただの「コイビト」みたいだ、オモシロイ。それで気が付けば1年は経っていたわけだ、暮らし始めてから。
窓からの光に目をやる。
「ここ」は割合と気分がイイ。湿気と暑いのだけはどうにかして欲しいけれども。
あとどれくらいここには居るつもりなのか、特に興味もないから訊きはしないけれど。
まだ、いまのところ。
引越し先が気に食わないからといって。別れる気は自分のなかにナイ、ってことに、驚いてわらっちまった。
連中の言うとおり、「大いなるナゾ」?
「おれは矛盾だらけなイキモノだからね、」
これも、誰かの勝手につけた分類だ。
だから、あの物書きの寄越す極々シンプルな位置付けが気に入っている。「コイビト」。わかりやすくてイイよな。
思い返していたなら、カオを見たくなったから。ローブを引っ掛けてバスルームを出た。
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