シャワーを浴びに行ったリカルドの背中を見送り、もう一度手許の写真に目を通す。
シャンクスは大人しく、ワインを傾けていた。静かな夜。
題名を打つなら。
"覚醒"もしくは"目覚め"だろうか。
"ピグマリオン"でもいいかもしれない。
彫刻からヒトになるギリシャ神話のモチーフ。それにしては随分と、色味が濃すぎるか?
"人形"から"ヒト"への転換。そんなものが切り取られていた。
シャンクスという個人と対峙して、正常な体温を感じるような写真は。未だ見たことがなかった。
切り落とされて、ギニョルになった"シャンクス"か。
上がりすぎて、春画になった"シャンクス"か。
けれどこの中で行き交う感情は"好意"。暖かな温もりが、切り取られたシャンクスから感じ取れる。
笑っている顔。
誘っている顔。
戸惑っている顔。
受け入れている顔。
沈んでいる顔もある。そうっと傷に触れられた瞬間の痛みを写しこんだ一枚。
誘拐された、それを思い出した瞬間なのだろう。
落とされた視線。明らかにシャンクスの意識が、内面に向かっていっている瞬間。
それでも、不躾に踏み込んでいくのではなく。
あくまでそうっと羽根を広げて包み込むように、距離を置いて撮られていた。
『無償の愛って解るか、ベン?』
去年、電話で言っていたリカルドの言葉。
『打算もなく、ただ感情のままに"好意"を差し出される』
明るく弾むように告げていた声。
『受け取ろうと、受け取られまいと。同じ深さで好かれてる。その瞬間を理解した時―――』
―――世界は。酷いだけの場所じゃないと知ったんだ。
リカルドが、"何か"になろうと決心した瞬間だったのだろう、その時が。
その何か―――カメラマン―――になったヤツは。
今度は、自分自身で。ソレを気付かせてやれる立場に立ったのかもしれない。
穏やかな愛情。迷いも、傷も、すべて包み込む。
理解することも、判断することもなく。
切り取られていた自分の背中。シャンクスに口付けている瞬間。
シャンクスの意識が、カメラを忘れているように見えても。変わらず暖かな視線はそこにある。
リカルドの"親友"のオレ。広い背中だな、と。他人事のように思った。
白い布地に縋るシャンクスの指先。
そんなに不安になるなよ、と思わず心中で語りかけていた。
強請るというよりは、必死にしがみ付いているような拙さが、そこには映し出されていて。
けれど。
指が離れていく瞬間。
強張りは溶けていた。
満たされたわけではなく、安心しているソレ。
刻み付けられている、あンたが存在している事実を。
シャツに残る皺や。落ちた影の中に。
リカルドは、なにを撮りたいのだろうな。
もう十分にシャンクスという人間の殻は切り取られている。この写真の束の中に。
内を満たす体温も。傷も、感情も、願いも。
暴くのは、リカルドのやり方ではない。
ならば、時間をかけて。浮いてくるのを待つのか、深淵近くに在るモノを。
自分の背中をもう一度見る。
広く、大きく、そしてどこか低温な。馴染むよりかは切り離されている。
シャンクスを撮ったためにそうなったのか。果たして自分がそういう人間なのか。
空ろを知識で埋めても。空ろが満たされることはない。
癒されることは望んでいない。
なぜならば。その空ろこそが、妹が居たなによりの証拠だから。
意識的に、世間から距離を開いている。
意図的に、見るためのレンズのアングルを曲げている。
世界はそんなに酷い場所じゃない。
けれど。
暗闇と混沌は。中核に根付いている。
太陽がなければ―――総ては在ってもなくても同じ闇の中。
深淵は誰の内にも潜む。
こつ、と。
ワイングラスがテーブルに置かれる音がした。
写真を束ねて、薄い透明フィルムの上に置いた。
「―――感想は…?」
す、と目許で微笑まれる。
「いい腕だ。そしてあンたは、いい被写体だ」
アタリマエのコト。
「ただ。この先、あンたの何を切り取りたいのか悩むところだと思ってナ」
詰まらなさそうな顔をしたシャンクスに笑う。
「リカァルドは何て……?」
柔らかな声。
「シャンクスがシャンクスらしいところを撮れればいい、と」
日常を、切り取りたいのだろうか。
この非日常的な個性が、穏やかな日常を送っているところを。
「―――おれ?ただの媒体なのに」
僅かに顎を上向けたシャンクスに肩を竦める。
「リカルドのほかの写真を見ただろう?」
流れの中にたたずむ岩。それを鮮明に思い出す。
「それに。"ミューズ"よりは"カーリー"だ、って言われてンのに」
く、と口許で笑みを作り。見上げてきた。
「―――"カーリー"は。殺戮の女神だが、パワーの源でもある」
「出来すぎ、火のカミサマにして人殺し、なのに豊穣?馬鹿馬鹿しいよね、アンドリューめ」
ああ、あンたをそう評したのは。件のカメラマン、アンドリュー・マッキンリィか。
「破壊は、再生する新たなエネルギーに還元される。壊れずに古くなれば、ただ廃れるだけなんだぜ?」
廃れて、澱む。先にも進めず、後戻りも出来ずに。
「どのシャシンが好き、」
いきなり話題が変わった。じいっと合わされる翠。
「…ベッドルームで、あンたらがキスした後に。あンたがオとしきれなかったヤツかな」
一歩後退。いきなり核心に近づくことはない。
傷つきたくなければ引くのが、動物の心理。
シャンクスの目が、すう、と大きくなっていた。
"わかるんだ?"そんな顔。
アタリマエだ。あンたのことを、どれくらい見てきたと思っているんだ。
あンたの"チャーム"に惑わされることなく。
に、と口端を引き上げる。
「在り得ないンだけどね、」
嫣然と笑ったシャンクスに、肩を竦める。
「例外ってのは、どこにでもある」
「渇いたカオが好き、なんだ。じゃあオマエ」
シャンクスの髪を掻き混ぜた。
声のトーンが僅かに甘い。
「違うな」
本音とは懸け離れた回答を出す。
「渇いたカオも、好きなんだよ」
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