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 Arrope
 
 
 
 パリから電話を受けたのは一昨日だった。正確には、おれ本人にではなく、メッセージが残されていた。
 ステファンからのどこか笑いを滲ませたような、それでも生真面目な声が告げていたことは、ムッシュ・ミクーリャがガーメントバッグを山ほど抱えてパリからロスまで一人で飛んでくる、ということと、そのフライトスケジュール。
 セトをモデルにと起用した例のフォトセッション以来、比較的、定期的に連絡を本人とだったり、ステファンとだったり取るようになったのは、まぁオレがミクーリャセンセの放っておけないパーソナリティを気に入ったからっていうのもあるし、どうせなら悪ノリは徹底して、っていうんでセトのクチュールにあわせて、センセにおれも『セトに釣り合いそうなの、ヨロシク』って具合にミクーリャセンセの初挑戦らしい、メンズのクチュールを依頼してたみたからだ。冬に予定されてるセンセの記念レセプションに出席するときのために。
 ひゃあとかぎゃあとか、賑やかに返事をくれたセンセは。後からステファンに聞いたところによると、その後何日か悩んだらしい。
 それでも、パリに呼びつけられて、実に細かく『計測』されてみたりもした。
 『センセ、これってニンゲン・ドック?』
 『ニンゲンドッグ?ばうわう?』
 真顔でそういうことを言ったかと思えば。
 『猟犬じゃなくて一応狩人なんだけど、でもジェントルマンなんだけどな、』
 あと少しで、アルティザンにピンを刺されるところだった。
 カノジョが精一杯笑いを殺してるのがわかって、オレも息を詰めて笑わないようにした。
 ぶつぶつと口中でナニカを呟いて『どこか』に旅立っている芸術家を放っておいて、オレも大人しくしてはいたけど。
 イキナリ、
 『それとも狼の気ぐるみの頭被る?いまなら尻尾も追加できるよ?』
 真顔で問われて、堪らずに吹きだした。
 「……や、センセ。だったらいっそ髪染める方がまだマシ』
 『やっぱ可愛いすぎるかー』
 半ば独り言で返されて、またわらっちまった。
 そんな具合だったから、どういったモノが仮縫い段階で出来上がったンだか、興味はアル。例の、「雪の女王」めいた白の冬の意匠、アレとつり合える代物らしいから。
 そして、ミクーリャセンセからもメッセージが入っていて、それを聞いてまたわらった。
 空港に着く時間しか入ってねェっての。まずは自分が誰かを言わねェとね、センセ?
 フライトの情報も無しとは、いっそオトコマエだよな。
 笑って、明日のLAXへはルーファスを連れていかないように手配した。
 
 「マオ、時間だぜ、行こう」
 そんな本日は、センセが昨夜から泊まっているホテルまで朝飯も取らずに出かけていくことになっている。
 「ムッシュ・ミクリヤはお休みになられているといいですね」
 柔らかなブリティッシュ・アクセントが届く。
 「あー、ぶっ倒れ……てはいないだろうなあ、センセは」
 「時差ボケのまま、フィッティングに突入なさってましたしね」
 「なァ?」
 ルーファスを連れて行くと、トキセンセは急に口数が少なくなることが初回にわかって以来、
 ムッシュ・ミクーリャといるときは、言葉のカンケイもあって”マオ”を連れて行くことになっている。
 猫、の愛称で呼んでいるリュイエンは、香港チャイニーズとブリティッシュのハーフで、アジア圏の言語も堪能、とくれば適任だ。マオは年もおれと近いから、センセも遠慮がないだろうし。
 「今日は、フィッテングが終わったらそのまま遊びに連れ出しちまおうぜ」
 「ムッシュをホテルへは?」
 「かえしませーん、LAのアパートメント、いま空だし。そこへ連れてっちまおうぜ、その方がオレらもラクだろ」
 安全面の確保。すこしばかり、ビジネスのゴタゴタを片付けたばかりの身としては身辺をチャンとした方がいいことは判りきっているし、イマはもうあっさり死んでやる気もゼロだから、やれるだけのことはする。
 「分かりました、手配しておきます」
 「すげぇ荷物だったしね、ホテルの部屋」
 「ええ」
 ふい、とマオがガレージで振り向いた。
 ブルネットがさらりと流れて、何となくいまはまだスペインにいるはずの恋人を思い出した。「ン?」
 キィのアンロックされる音と一緒に、
 「いえ、ただ、」
 に、とマオがそれこそ猫じみて笑みを浮かべた。
 「ルーファスをムッシュの隣において、ムッシュが何分息を止められるかな、と思いまして」
 「ハハ。今晩でも試す?」
 そんな可哀相な、とマオがわらったが。薄いブルーグレイの眼がわらってやがったぞ。
 「シュナウザVSドーベルマン。」
 ベントレーのドアを開けながらマオが言って。
 「ヘイ、頭にミニチュア、が抜けてるぜマオ」
 とにかく、センセの泊まっているホテルまで出かけるために、海岸沿いの道を飛ばして。案の定、眠れなかったらしいトキセンセに迎えられた。
 「「おはようございます」」
 「モーニン!!」
 打ち合わせ通りに声を揃えて挨拶してみても、お仕事モードのセンセは背中に炎を背負ってる風で、マオと顔を見合わせ。
 「お手柔らかに。」
 おれが言えば、「ダイジョウブグッジョブ張り切っていこう!」とセンセが言って。くぅ、と隣でマオが笑みを刻んでいた。
 それから昼過ぎまで、一気に手直しとフィッティングか繰り返され。
 「うん、一応はこれでいいよ、いまのところ」
 やっとトキセンセのオーケイが出た。
 「センセ、センセの今後のご予定は?」
 「ないよ。寝るだけ??」
 鮮やかな手つきで、フィッティングの済んだ服をしまいながら、返事を寄越されて。
 「だったら。ランチといわずディナーとナイトキャップあたりまでご一緒しましょう」
 ハイ、こっちですよ、とトキセンセをリビングから部屋の戸口あたりまで連れ出して。
 笑顔で、お腹が空いたよと素直に返されるのに微笑む。
 「それは良かった。連れ出し甲斐があります」
 
 散歩に出かける子犬じみた熱心さでクルマには乗り込んだ割りに。シートに座るなり熟睡したセンセを起こさないように、まずはランチを取りに市街から少し離れて海沿いのレストランまで向かい、クルマがパーキングに止まれば、即座に眼を開けていた。
 「おはようございます、着きましたよ」
 
 
 
 
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