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 昼過ぎというよりは夕方に近い時間にコーザの家に帰ってきた。
 出迎えてくれた顔馴染みのハウス・スタッフさんたちにご挨拶をしてから、ルーファスに導かれてあっさりと主不在の部屋に通される――――コーザの部屋。
 ちら、とルーファスを見遣った。
 オマエ、オレを落ち着かせたいの?それとも追い込みたいの?
 「お疲れでしょう」
 すう、とルーファスに微笑まれて、小さく笑って頷いた。
 「イッパイイッパイ」
 なあ、ルーファス。
 オマエがオレを、オレに与えられている部屋に通さなかった理由ってナンダ?
 そう訊こうと思って、けれど口は閉ざしたままでいた。
 どうせヒデェ面してるんだろう。下で顔見知りのコたちも随分と目を瞠っていたことだしな。
 「あちらですと、メイドが顔を出しますから、」
 少しだけやさしい声が告げてくるのに、僅かに口端を吊り上げる。
 「こちらで、どうぞご自由に」
 「ルーファス、」
 オレの荷物を持ってきてくれたルーファスが。それをソファの側に置きながら、片眉を引き上げていた。軽く出て行こうとしていた姿勢のまま、止まる。
 「――――ありがとう。助かった」
 目元で僅かに笑みを刻んだ男に、ひらりと手を振った。
 「なにかあれば、そちらで」
 電話を目で示したルーファスが、す、と静かに部屋を後にしていき。ぱた、とドアが閉じられた音に深い溜め息を吐いた。
 この部屋に在るだけで。落ち着いていく自分と、更に焦燥感を煽られる自分が居る。奇妙な捩れ具合がキモチワルイ。
 朝までここに居た濃厚な気配に、心臓がきゅ、と締められるような気がする。
 棚には、オレ自身の写真や、いっしょに納まった写真なども飾られていて。――――けれど。それらは今は見たくは無い。
 焦燥感から泣きたくなっているのに、目の横が痛むことから推測する。く、と喉が鳴って。嗚咽を洩らしそうになっているのも解る。
 ハウス・スタッフたちが覗く、自室のほうでなくてよかったかもしれない。他人に八つ当たりするだなんて、ナサケナイ姿を曝したくはないし。
 眠ってしまいたいけれど、眠れないのも解っている。
 奥の部屋、ベッドルームの窓のほうに近寄り。断崖の上から臨む景色に暫く意識を泳がせる。
 荒い波が寄せては引いていくのに、無理やり意識を同調させ。
 けれど。
 恋人が愛用しているトワレや煙草の匂いが染み付いていて。
 それが記憶を刺激して。
 頭がぐるぐると回り出す。身体が妙に思い出す――――側にまだ無いということを。
 景色を眺めることを諦め。ゆっくりとカーペットの上を歩く。
 ベッドカヴァに指で触れ。
 けれど、横になることは諦めて、まずはシャワーを浴びることにする。
 ぴし、と。見事にベッドメイクされてはいるけれども。だからといってそこに在る記憶の数々までが全て消されるわけがない。
 幾夜も過ごした場所だから――――抱き合うだけではなく、愛し合った場所だから。
 マドリッドのホテルでさえ、思い出して仕方の無かったこと。ここで思い出さずにいられるわけがない。
 モダン・インテリアで纏められた部屋を後にして。靴を脱いで、バスルームに向かう。
 バスタブに湯を張り始めて。ストックされているバスオイルの中からひとつを選び出す――――今日の気分はミント。
 少しひんやりさせて、頭もついでにクールダウンしたほうがいいのかもしれないし。
 ぼうっと湯が溜まっていく様を眺めながら、この場所も記憶の一部を刺激してくることから頭を逸らせずにいる。
 コーザがいつも使っているユーカリを選ばなかっただけ、自分の頭はマトモなのだろうか?
 髪を結わいていた紐を解き、服を脱ぎ捨てる。ランドリィバッグに服を放り込んでから、バスタブにゆっくりと身体を沈めた。
 湯の熱さとミントのひんやりとした肌へのセンセーションに、パラドクスを自ら選び出す自分を呪った。
 目線をちらりと、ガラス越しに見える海に注ぐ。
 『セトのブルゥが勝ちだね』
 そう言って口づけてきた恋人の面影を消したくて。すっぽりと水面の下に身体を沈めた。
 ――――オレはいったい何がしたいんだろう…?
 目を瞑ったまま、また水面に頭を出して、目の辺りを拭った。
 ひんやりとした感覚を肌が訴えてくるのが無性に腹立たしい。
 意味も無く口汚く罵ろうとし。けれど、口から零れ落ちることができたのは、深い溜め息が一つだった。Fワードを含む罵倒語を羅列することすら、今のオレの脳みそにはできないらしい。
 バスタブの縁に頭を預けたまま、考えることを放棄した。
 ひとまず、沈まないことだけを意識していれば、もういいや。
 
 
 
 
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