一言で表すとすれば、彼は紛れも無く「宝石」だ。磨き抜かれ、これ以上にないカットをマイスターの腕によって施された逸品。
ただ、自らあれほどまでに華やかに光り輝く宝石は他にない。それだけに、彼はこの世の貴石であり、奇跡であると断定できる。独りよがりの嗜好の肯定ではなく、およそ特殊な趣味の持ち主でない限り誰もが同意する、この世には稀な「真実」。
彼は類い稀なる天性の表現者であり、常に自己鍛練を怠らない求道者である。天才肌でありながら努力を怠らない秀才であり、それ故に
「トキ、阿呆面を曝してパネルの前に道路標識の如く立ちすくむのは止めやがれ」
思考に横槍が入る。
ちっと舌を打って手を振る。邪魔すんな、しっしっ。
「彼との一年振りの逢瀬なんだ、邪魔しないでくれ」
跳躍の貴公子、リズムの魔術士、理想のダンスール・ノーブル、ミューズの恋人、乙女の夢の具現者、バレエ界きって美貌の王子、その名はセト・ブロゥ。
甘いプラチナブロンドの軽くカールした髪に、フィヨルドに浮かぶ氷河のような蒼氷色のシャープな瞳、すうっと伸びた鼻梁、薄いけれど魅惑的な笑みを象る口唇、フェイシャル・ラインは細めで喉仏の凹凸に気付かなければ絶世の美女でも通る顔立ち。
目を閉じればジュモーのビスクドールのように美しく、目を開ければ意思の強い双眸が煌めいて圧倒されるような力強い生命力を感じさせられる「生きた芸術」。
ボディプロポーションは長い手足が不格好にならない理想的なバランスで、踊るための鍛練された筋肉がほっそりと長い体躯を力強いながらもしなやかに仕立て上げていた。動物に例えるならば、豹もしくはリンクス。舞台上で跳躍した姿は神々しさすら感じられる美しさだ。(これはビデオで見た印象だ。)
身長は高すぎない178.5センチ。それが華やかな外見を威圧的でなくさせている。個人的なリクエストをいえばあと
「うぉら変態トキ、イイカゲンこっち向きやがれ、仕事が始められないだろうが。それともその阿呆面の奥の細胞は既に彼岸に到着済か?トキ・ミクリヤ、ロスに死すって電報打って祝杯あげるぞ」
あまりの言われようについつい振り返る。
「相変わらず口が悪いね。まったく神はなんの不手際でお前なんかを彼の幼馴染みに据えたんだ、アンドリュウ・マッキンリィ?僕には納得がいかない」
心の中でモノクロームの世界に時間を閉じ込められた柔らかい笑顔の美神にしばしの別れを告げながら、呆れ返った顔すらムカつくことにハンサムなカメラマンの向かい側に置いてある白い革のソファに腰を下ろした。
ぴしりと指先が向けられる。
「神の作為はしらんが一瞬の出会いが親友の位置まで到達したのは努力の結果だ。そのオレが何度も言っているんだからいいかげんに受け止めろ、あいつはオレとタメ張るくらいに口が悪い」
「嫌だ、そんなのは信じない。彼はノーブルな血筋に見合った」
遮るようにアンドリュウが笑った。しかも鼻で。
「貴族筋だからこそ性質が悪いんじゃねーか。しかもあいつはロンドン育ちだから、アメリカ的クソガキ語彙ににブリッツ式ブラックユーモアをたっぷりきかせたトークを容赦なく展開する、悪ガキがまんまでかくなったようなヤツなんだっての」
「実際に会って話すまでは信じない」
だから信じさせたくば会わせろ、と目で言えば。毎年コレクションの撮影を依頼している、美人を撮れば天下逸品そうでなくても超美人を撮るカリスマ・カメラマンは、けっと言い捨て。
「大切な親友を貴様みたいな変態に会わせられるか」
中指をおったてて至極当たり前のように言い放ちやがった。
「親友だってのにお前すごく言いたい放題だったじゃないか?」
「当たり前だろ、事実なんだから。しかもそれさえもチャームポイントなんだぜ」
へろりと若くして成功を収めた天才フォトグラファが笑う。
「くそ自慢かそれ!?」
「自慢に決まってるだろうが」
ざ、と目の前にスケジュール表を広げられる。
「僕も会いたいよ〜」
「却下」
「ずるいずるい〜」
「喧しい。貴様なんかにタダで会わせられるか」
「なぁんでさ?」
「何度も言わせるな、変態」
三時間も男の写真パネルの前に突っ立って阿呆面曝しているような人間は変態以外の何物でもないだろ、そう言われ。初めてこのオフィスに足を踏み入れた日のことを思い出す。
「あれはしょうがないだろ、イメージが湧いちゃったんだから」
一枚の写真に喚起したアイデアの嵐。そのうちのいくつかは、前回のコレクションに既に反映されている。
「クチュリエの病気ってか?」
ふん、とカメラマンが笑った。
「そう。漸く追い求めていたイメージに添うモデルに出会ったんだ!夢中になるのは当たり前だろう!」
踏ん反り返れば、額をデコピンされた。正直痛い。
「あいつはな、バレエダンサなの。モデルじゃねぇの」
「知ってるよ。けど僕の服を着てランウェイ歩いてほしいの!」
どんなに素敵だろう、彼がランウェイを歩む、スポットライトの真ん中を。僕が彼のためにデザインした、世界でたった一着の服を着て。
「つーかトキ、お前が作るのはオートクチュールのドレスだろうが」
プレタポルテは共同作業だし、定義は合ってるよな。ひとまず頷く。うん。それが何か?
「…あいつはあんな面だが、紛うことなく男だぞ。言い寄って来た野郎を遠慮のカケラもなくぶっ飛ばして来たような奴だぜ」
しかも投げ技でコンクリートに一直線、わぁお端から見てても痛そうだったぜ、と至極タノシソウに宣った。別にそういう興味はないんだけど…?
「…つうかなんでお前、そんなこと知ってるんだ?確かロンドンのバレエスクールに十二の頃から通ってたんだろ?」
彼の大ファンだというモデルの一人が教えてくれたプロフィール。
「五歳でプロポーズしてからプレップスクールまで一緒だったし、あいつがロンドンにいっちまってからも、帰省するたびに会ってたからな。いまでも月一は会ってメシ食ってるし」
なに?プロポーズ?
「…お前のが変態じゃねーか」
「馬鹿野郎、ぶん殴られて目を覚ましたぜ。その直後にシャーリィにプロポーズし直したし」
「直後!?」
何故か威張っていたカメラマンをぎっと睨み付ける。
「とても一児の母とは思えない色っぽさだったんだよ。セトはすんげえ綺麗な人形みたいだったけどな、シャーリィはハリウッドスターみたいだった」
…よっぽどコイツの方が変態で病気じゃないかっ。
「シャーリィには軽く笑って断られたけどな。あれで俺の人生が決まったね」
「なにに?」
つうかシャーリィって誰だよ、どうでもいいけど。
内心の疑問を口にする間もなく、答えが返される。
「三人目の運命の人を探すこと」
「……バカ?」
おっと思わず本音を口にしちまったぜ。
けれどそれに堪えることなく、へろりとアンドリュウが嘲笑った。
「オレの撮った写真でイッちまえる変態に言われたくないね」
−−−ムカつくっ。その通りなのがムカつくっ。つうかイクっつっても頭の中のデザインのことだけどな。ああ、頭にコネクタ突っ込んで直接イメージを出力してえっ。
「で、どの日がいいんだよ。空いてるとこから選べ」
勝ち誇ったカメラマンがスケジュールを示す。これは定期のコレクション用ではなく、僕がモデリストからクチュリエへとデビュウして五年目を祝うパーティで配るメモリアル・ブックレットのためのフォト・セッションだ。前々からやりたいと言っていたのだが、コレクション用のデザインで躓いて、日にちを決定できないままずるずると二ヵ月前まで来てしまった。もちろんマネージャとセクレタリには早くしろ、やらないなら勝手に決める、とケツを叩かれていたのをどうにか頑張って今日を迎えたのだ。これもすべて美しいセト氏のビッグパネルを拝むため
「つうかなんでトキ・ミクリヤ御自らスケジュール決めに来るかね?」
また思考を遮るようにアンドリュウが呟いた。
「だってお前の市販されてる写真集には満面に笑顔のセト氏が載ってないじゃないかっ!」
「そりゃあな。芸術写真かファッション写真で売ってるわけだし、セト個人の写真集はまだ出す予定ないし」
当たり前だろ、と口調で言って除けた横暴カメラマンに縋る。
「出〜せ〜よ〜、拝み倒して出させて貰えよ〜、見たいよ〜、欲しいよ〜」
喧しいっ、とデコピンされて額を抑える。
「痛いじゃないかっ」
「お前、絶対セトに引き逢わせられねぇな」
「なぁあんでっ!?」
「推測できるのは、お前がセトに失礼を働き、セトがお前をブッ叩き、オレも巻き添えで叱られるってことだな。その結果お前は再起不能になり、オレは仕事が一つ減ってオフィスの連中に怒られる」
むかっ。
「失礼を働くってなんだよっ」
「鼻血噴くとかな」
「鼻血?」
スケジュール帳の上で日にちを挿し示す。−−−あ、なんで真ん中で二日も休み撮ってやがるんだよっ。
にやり、と男前なカメラマンが笑った。そしてスケジュール帳には赤いペンでマーク。つかなんで書き込みが”イカレバカクチュリエ”なんだよっ。
「お前な、アイツがオレの誇れる親友であり、一番多く撮っている固体だという事実を甘くみている」
「はい?」
意味がわからんっ。
無言で×が二つ入ってる日にちを指先でとんとんと叩くが、アンドリュウは構う事なくその日を避けやがった。むむっ。
「あのな、トキ。アイツはオレが撮りきれる以上の美人なんだ。つまりは何度撮っても収め切れないほどの魅力の持ち主だってことだ。最近は特に−−−いや、それはお前にゃ関係ない話だ」
話を途中で切るな、気になるだろうが。ケチケチマンめ!
しかしそこでハタと気付く。このクソ性格の悪いカメラマンが若くして巨匠呼ばわりされる程に、美人を撮らせたら右に出る者がない程に才能のある人物だということを。ぶちあけて言えば、腹立たしいことに僕もその才能に惚れ込んで仕事を依頼しているわけなのだが。
「けどお前の才能は、どんな人間でもキレイに写し撮ることだろ、アンドリュウ」
だいたいウチに居るまあまあキレイなモデルもえらい美人に撮るもんな。着せてる僕の服が最高なのは当たり前の事実だけど。
ちっち、とアイリッシュアメリカンの男は指を横に振った。ちなみに訛りは僕には聞き取れない。
「スチールでアイツの美しさを撮り切れたことがないね。だから何度でもチャレンジするんだよ。しかも逢う度に魅力が倍増してるしな」
「へぇ」
…こいつはそこまで心底惚れているのか。
くすっとアンドリュウが笑った。
「残念なことに、人間性はともかくトキ・ミクリヤのデザインにも惚れているからな。欲張りなオレとしては、お前との仕事も、アイツの信頼も失いたくないんだよ」
−−−くそっ、にっこり笑顔で言いやがってっ。それ以上ごり押しできないじゃないかっ。
しかしそこで気付く。こいつはプライベートで麗しのセト氏を撮っていて、僕のデザインに惚れてもいる。ということはだな、
「駄目」
「まだ僕は何も言ってないだろうっ」
「想像はつく。ダメ」
むかむかっ。
「じゃあ僕が何を言おうとしていたか言ってみろ」
すい、と男の方眉が釣り上がった。う、なんだよっ。
「当てたら何か貰えるのか?」
「はあ?」
あ、わかった。当てる自信がないんだな。しめしめ。
「望む物を言ってみたまえ!」
踏ん反り返れば、にぃやり、とバカカメラマンが笑いやがった。
「お前が欲しいと思った物は、セトのプライベート・フォト。正解ならオートクチュールでもメンズラインに手を出しやがれ」
……ぎゃっ。
「ななななななんでっ、なんでバレタっ?」
にぃんまりと間近で男が笑う。ムカつくことにそんな面すらハンサムだ。なんでお前がカメラマンなんだっ。モデル顔の癖にっ。
「オレのオフィスに何人の顧客が来てセトのプライベート・フォト持ち帰りたいと言ったと思う?」
「へ?」
「ようはお前だけじゃないってこと」
「んん?」
「しかも顧客だけでなく、スタッフも欲しがるからな。セトのプライベート・フォトの現像は家のスタジオでしかできないし、ガールフレンドや家政婦に盗まれないように、出来上がった物を置く倉庫は鍵付きだ」
……そりゃご苦労なこって。
「実家ですら両親が勝手に持って行こうとしてたからな。被写体のプライバシィ保護と作品の管理については年季が入ってるぜ」
…こいつの作品管理の手際の良さはそんな所で培われていたのか。さすが麗しのセト氏と言うべきか?
「……じゃあこのパネルは?」
「自分で仕上げて、壁にチェーンで留めてある」
「……はぁ」
しみじみとモノクロームの美人を見遣る。…うっとりするくらいに綺麗な人だねぇ。
「…ってなんでそこまでするんだ?」
仕舞われるのはシャクだけど、その方が楽なのに。
「お前ね、アーティストのくせに馬鹿すぎ。出来の良い自分の作品は見てもらいたいものだろう!」
あ、そうか。
「それともセトの写真は見たくないってか」
「いえいえいえいえ!滅相もない!」
ふふん、と男がせせら笑った。うぅ、性悪カメラマンめ!
「あ、でも」
「なんだよ」
「プライベート・ショットなんだろ、これ」
パネルを指差す。笑顔のセト氏。
「そう。許可は貰ってる。ちなみにこれは恋人ができたっつって惚気に来た日」
ぎあ!恋人いるのかぁ…まあいるだろうな、周りが放っておかないだろ、くそぅ。
「言い触らすなよ、トキ」
ぐ。
「言いませんよ、僕の関与することではないですからね」
ちぇーっ……って何悔しがってんだ?同性愛の趣味はないんだぞ?つかいない方が不思議だけど。
「オレ、トキのそういうトコは好きだよ」
「どうもありがとう…って僕はお前を尊敬するが愛情はないぞ!」
迫られても困るからな!
いきなりぷっとアンドリュウが笑いやがった。
「わはははは!だいじょーぶ!問題ないよ、オレも間違っても迫らないって!」
間違ってもって……嬉しいんだか悲しむべきなんだか…。
「……あ、てことはお前どっちもイケるんだ?」
新事実発覚か?うん?でもコイツ、プレイボーイとして有名だよなぁ。
に、と男が笑った。
「基本オンナ好き。余程の相手じゃないと男にゃ興味を持たないね。ステディな関係ならなおさらオンナじゃないとアウトだ」
……世の中の人間は、いったいこの男のどこがいいんでしょうか。
「って、セト氏は?」
「あいつは親友。あいつ見て股間膨らませて迫った身の程知らずが強制排除されるの見て育ったからなー」
にやにやと男が笑う。うう、こいつ、見てただけじゃなくて参加もしていやがったんだろうな…。
「たぁまに心臓射抜かれるくらいに魅力的なときもあるけどな、あいつはオレには”親友”として必要な人間だから手を出そうという気はおきないよ。そんな気ももう起きないしな。それにあいつにとってもオレは”親友”であって、昔も今もこれからも、それ以上にはならない。あいつははっきりした性格してるからな、魅力的なカオをされたらさすがにドキドキはするが、線引きがしっかりしているだけにそれ以上にはなにがあってもならない」
…ふぅん、なんていうか…すごい強固な信頼関係なんだなぁ。
ふい、と笑顔のセト氏を見遣る。ほかの雑誌では決して見ることのできない、とろけるように優しい笑顔。−−−ああ、だから僕はここまで足を運んでしまうのか。例え本人と会えたとしても、決して僕では見ることのできない笑顔を見るために。
「勿体なくて裏切れないだろ」
に、と優しい笑顔をアンドリュウが浮かべた。うちのモデルたちがきゃあきゃあと騒ぐのが、悔しいことに理解できてしまった。…あぁ、スタッフもか。
「……いいなあ」
「はン?」
「”親友”」
ぼそりと言えば、カメラマンは。だから努力した結果だと言ったろ、と酷く優しい声で言った。
「しかもセト氏が親友だというのが羨ましい」
「セトは努力家だぜ、何事においても」
苦笑するような声が言う。
うん、それはそうだろう。もう十年近くロンドンのバレエ団で主役を張り続け、アンドリュウのような才能のある男を親友に持ち、ゴシップ誌に流れる醜聞は明らかにでっちあげと解る噂程度の話であり、満面の笑顔でもって自慢のできる恋人を持つ。そんなことは努力なしでは成し遂げられないのは明白な事実だ。
目の前のアンドリュウ自身も意地の悪い男ではあるけれども、カメラマンという仕事をなにより愛し、才能を生かし伸ばすことに余念がなく、プレイボーイではあっても誠実な人間であり、からりとした気性の優しい人間で上手に”遊ぶ”術を知っている大人の男だ。
恋人も親友もおらず、誇れるものはクチュリエとしてのデザイン力だけの自分としては、明らかに違う。統率力だってセクレタリとマネージャに束ねてもらってやっとだもんな。パリに帰ったら連中労わないと。うう、僕ってほんと、クチュリエとしての才能以外はなぁんにもないもんなぁ…はぁ。
「なあ、トキ」
自己批判に沈みそうになった僕に、まっすぐなアンドリュウの声が届く。
「なに?」
「そんなにセトに関わりたいのなら、デザイン画とポートフォリオ持って勝負かけろよ」
…なんですと?
「断られるにしろなんにしろ、その片思い状態は居心地悪いだろ」
断られることが前提ですか。
「言ったろ、お前の人間性はともかくデザインは好きだって。まるきりオートクチュールのドレスで勝負かけるなら多分無理だろうけどな、コンセプトとデザイン次第では受けてくれるかもよ」
あいつはチャレンジャだからな、興味を持ったんなら乗ってくれるかもな。
そう続けたアンドリュウが、ぴしりと僕に指を突き付けた。
「ただし!セトが仕事引き受けたなら、オレが写真撮るからな!ほかの人間に曝させるなよ!」
「はぁ」
「ちっとまってろ、いま契約書用意させる」
「け?」
契約書?気が早いのでは?
「だぁからトキは一人で仕事するべきじゃないんだよ。いつもの子守はどうした?」
「こ、子守…?」
子守って酷い…とか思っている間にアンドリュウのセクレタリがやってきて、用件を聞いてうきうきと仕事に戻っていき、僕のセクレタリにもアンドリュウが電話していた。
ぼけっとしていた僕の目の前には、本来このためにやってきた、写真撮影期間のスケジュールの割り振り予定表と、それに照らし合わせるための過去にアンドリュウが撮った僕のドレスたちの写真ファイルが置かれていた。
黙々と埋めていく。…発表軸に添ってファイルしてあるものと、着ているモデルに分けてファイルしてあるものがある。日付はもちろん、余白に書き込まれている。
パンフレットや雑誌に使ったものにはマーキングがされていて、没になっても最後まで迷った物まで一緒に綴じられていた。きっとファイルに綴じられてない分はちゃんと束ねられているのだろう、聞けば一緒に仕事した分全部、振り分けてキープされているんだろうな。うう、有能…。
「おら、一時中断してこれにサインしろ」
作業に没頭してたら、いつの間に清書されていたのか、きっちりとした契約書が目の前に在った。
「あ」
「ちゃんとマリエンヌに了解取ったし、ステファンも乗り気だ。あとはトキ先生次第だとよ。ポートフォリオは連中が喜んで用意すると言っていたから、マジでデザインしてみろよ。五年目の節目にチャレンジするに値することだと思うぞ。駄目でも損にはならない」
−−−うわ〜。セクレタリもマネージャも乗り気なのか…つうかそんな簡単にオオケイして
「まさか今更尻込みしてるんじゃないだろうな」
「や、それはない。それはないけど」
……こんなに早く決めちゃっていいのかなぁ。
はぁ、と溜息が聞こえ、顔を上げる。……コイツって、役者でもいけそうな顔してるなあ…。
「あのな、トキ先生。転がってるチャンスにゃ飛び付かないといつまでたっても進歩しないぞ」
ぐ。
「お前はそもそも、どうやってモデリストに起用されたんだ?」
は?なんで今頃その話題?
「あ、ええと、僕の従姉妹がモデルで、デザイン気に入ってくれて。で僕が作った服を着てパーティに出て。デザイン画と一緒に師匠に見せてくれたんだ。そしたら気に入ってくれて」
目で先を促される。
「語学学校でフランス語と英語習いながら、十八からパリのアトリエでモデリストとして働いてきた。師匠が引退されて先輩が跡を継いで。僕のデザインとは方向性がずれてきたから、師匠の後押しもあって独立したんだ」
それが五年前のこと。師匠と一緒に働いていた頃から僕のサポートをしてくれていたマリエンヌやステファン、針子のクローディアやジャンがついてきてくれたからどうにかクチュリエとして作品を世の中に出していけてるけど……あーあ、パリのアトリエ戻ったらみんなとディナーしてお礼言わないとな…。あとファクトリィのみんなもなー。
「…お前の運は人間関係にあるな。逃さないように大事にしとけよ」
なにやら呆れ返っているアンドリュウを睨む。わかってるよっ。
「あーあ、お前ほんと今までよぉく無事だったなぁ、この業界にいて」
「どういう意味だよっ」
「そのまんま。ほら、セトのマネージャのコンタクト・ナンバとアドレス。こっちはEメールな。あとはお前のとこの優秀なスタッフと協議しながらやりな。正式な依頼なんだから、間違ってもプライベート・ナンバの方からコンタクトできると思うなよ」
ぎあ。
「さすがにそこまで世間知らずじゃないっ」
「よかった。これを機に聞き出すような輩でなくて」
……もしかして、試された?
「酷いなぁ」
「んー、仕事と友達をセットにしても、セトという親友の方がオレにとっては大事だからね」
真顔でおっしゃいますね、くそぅ。
「まあでも、そんなにしょげるな。アバウトなスケジュールでも空けておいてやってる程には、お前、オレのお気に入りだから」
ぐぅ。
「次回は早めに決めるよ」
ぶすっとして言えば、男はちっちと指を振ってにやりと口端を引き上げた。
「いいって。できない約束はするな」
むむっ。
「お前みたいな芸術家タイプには無理なんだよ。昔からできた試しがないだろう、トキ」
沈黙を挟む。うう、課題のデザイン画にはのめり込んで仕上げてたから問題なかったけど、そういや他のスケジューリングとかはうまく計画して遂行できた試しがないな…。
「けどまあよっぽどオレはお前んとこのスタッフに信頼されてるんだな。ロスに来れたのはマリカ・サワグチのお陰か?」
モデルを引退してモデルクラブのスタッフとして再就職した従姉妹の顔が思い浮かぶ。そういやこのカメラマン、仕事したことのある人間の顔と名前とプロフィールを忘れたことがないって有名だよな。マリカを覚えていても不思議じゃないか。
「マリカにオフィスの前で下ろして貰った」
「帰りもか?」
「うん」
「じゃあメシでも一緒に食おう。それとも急いでパリに帰るのか?」
「…マリカみたいなのが好みか?」
見上げれば、馬鹿だねお前、とアンドリュウが呟き、額をどしっと突いてきた。
「いたいっ!」
「そういう流れの話じゃないだろうが。30過ぎても男子高校生みたいなノリで対応してんじゃねえ」
「ゴメンナサイ」
「まったく」
お前みたいにすれてない奴は他にいないよ、と男がぼそりと呟いた。うぅ。
「やっぱりもっと外に出た方がいいのかな」
「はン?下手に業界慣れして感性ぐちゃぐちゃに掻き交ぜられるよりかは、今まで通り守られてろよ。適当にコレクションのアフターとかには出てるんだろ?ゲイリーの親父とか、マダム・マデリーンとか、お前のこと大好きだろ。カールやアレッサンドラとも仲良くなかったっけな」
デザイナの大御所たちの顔が思い浮かぶ。会う度にキスの嵐だもんなー、あの香水のきつさにいっつも眩暈が…ってそれはどうでもよくて!つかほぼ全員ファーストネームで呼ぶのかよ!
「…いまからじゃデザイン画は間に合っても、写真までは無理だよなぁ」
ああ、ドレスじゃ駄目なんだよなー、トーガ風とか?でも今からなら冬に間に合わせるしかないんだよな。冬、フィヨルド、ラップランド…お?
「おおい、トキせんせ?トリップ開始ですか?」
煩いな、あっちいけよ、あの純白のイメージだから…
「雪の女王だ!」
うわわ、きたきた、白のファーに、カシミヤ、ああ、ラム?柔らかいシルクの薄いトップに、アラブ風に金の刺繍入ったものをベルトとして巻いて…ああ、下をアンシメトリィに垂らして、素足にアンクレットかな、ブーツでもいいよな、その上にロングコートか、いやええと裾にも金糸で刺繍入れて。ああ、ゴールドに特大アメジストのティアドロップ垂らして。イヤリング、カフみたいなのがいいかな、うわ、うわ、イメージが〜!!
正反対に夏もいいな。アジアンテイストに纏めて、リネンで腰骨のあたりで巻いて。素肌に金とトパーズの大きめのアクセサリをトップがわりに。イメージは民族衣装風で菩薩か…弁天、てか?髪をエクステンションで足して、片腕に真紅の鳳凰とか…っ。うわ、これなら女物じゃないよなっ。
春のイメージに、着物みたいなのもいいな。白地に色鮮やかな花と枝を、黒に近い灰の影の上に乗せて。紺と鴬の縞模様の帯で締めて…真紅と黒の漆塗りの簪二本、髪足して緩く結わせて貰おう。うなじを晒してさ。浴衣の型をアレンジして、重くなく、軽すぎないイメージで。
そうなったら秋だよな。肩剥き出しはちょっとイメージと違うんだよな、…ああでも、ネックで押さえて両腕は肩から出して。ロングの巻きスカートみたいな布地の下にズボンを持ってきて…靴はいらないなぁ、アクセサリを金とファーで纏めて。布地をシルクにするとして。ああ、ウールでもいいな。レースみたいにパターンを入れて。腰に太めの布地のベルトを回して、縁をファーで飾って。
よっし。来年のテーマはDIVINEでいこう。このイメージを固めたら、アレンジで広げて……。
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