Bolero
― 公演最終日・テアトロ・リアール ―
荒い息を吐きながら、王立劇場の控え室で天井を睨みつける。
マドリッドでの公演最終日、アンコールも踊りきって。
いつもなら花束に埋め尽くされた控え室で、今頃、アイツの腕の中で至福に浸ったまま短い仮眠を取っているのに。
「―――クソ、」
今日は一人きり、様々な色の花束やら受け付けを通して渡されたプレゼントやらに埋もれて、眠りに落ちれずにいる。
イライラが収まらない―――――公演的には大成功、観客は総立ちで拍手は控え室に戻った今も鳴り止んでいないくらいなのに。
……“セト・ブロゥ”らしくない舞台で最終日を終えてしまった。
それでも、どうにか喚き出したいのをなんとか抑えて、笑顔でここまで引き上げてきたのだけれど。
喚き出したい、泣き散らしたい、サイアクだ―――――公演、最終日。最も楽しみにしていた日なのに、心はミューズから裂かれたままだった。
両手で目を覆い、荒い息のまま唸り声を上げた。
こんな気分で踊るのは初めての経験だ―――――恋人が、一度も公演を観に来れなかった、ただそれだけのことなのに。
過去の恋人たちとは何度もあったことなのに――――心は浮ついたままだった。
浮ついた?……少し違う。
いつもは、アイツへの思慕を舞台で昇華できていたのに……今回の公演では、最終日に近づくにつれ、乖離が酷くなっていた。だから今日は、アイツがいないことを思い出さないように、散々っぱら自分に言い聞かせてから舞台に上がったのに――――ダメだった。
最終日、万が一来られることがあるかもしれないと思って空けておいてもらったボックス席、そこも劇場主に頼み込まれて、携帯電話のメッセージに入っていた内容を聴いてから人に譲った―――そこに恋人が居ないという絶望感が、くっきりと刻まれてしまったまま舞台に上がってしまった。
よろよろと這いずって、鞄の中から携帯電話を取り出し。
ピンコードを打ち込んで起動させてから、今日2度目、アイツの声を聴く。
『リリアンから聞いたよ、絶賛の嵐だって?まァ、そうじゃなきゃウソだけどね。どんなに今日に向けてあンたが打ち込んできたか、おれだって知ってるし。もしかしたら今日あたり飛べるかとも思ったけど、ソレも無しみたいだ。こんなザマじゃあ、セトの部屋を毎日花で埋めてるくらいじゃ足りないか?6日後には迎えに行くから。いまから、あンたは最高の時間を過ごしてくるってことは知ってるけど。それでも、良い舞台であるように。誰に祈るかな……、やっぱりセトに?』
小さく響く、笑い声―――聴いている内に、また泣きたくなる。
『じゃあ、あいしてるよ、イッテラッシャイ』
メッセージ終了の機械的な声を、途中で強制終了させてメッセージを消去する。
ここの控え室も他多くの控え室と同様、電波は通じないから新しいメッセージは届いていない。
泣きたくなる、泣き出したい、自分が情けなくてショウガナイ―――あんな“酷い”ステージを、曝したなんて。
いつも、共演者の存在を忘れたことなどなかったのに。ソロで踊ってない時は、いつも全体を見渡せていたのに―――今日はダメだった。我を忘れて踊りに頭まで浸らせた―――ドゥエンデが導くままに総てを踊りに譲り渡した、“コーザがいない”その部分だけ、空っぽのまま。コーザを求めて、焦がれて。
Bolero、“軽快な”―――どこが軽快なものか、あんなに烈しく求めておいて軽快もなにもあったものじゃない。魂で咽ぶように、求愛するように“欲した”―――絶望の淵に取り残された魂が、神を求め、光りを欲するように。砂漠に取り残された人間が、雨を希うように…。
だから疲労感が並じゃない、いつものように頭の芯が痺れるような心地良い疲労感から程遠く、体力の総てを使い切ってヘトヘトだ―――それなのに、眠りはやってこない。
泣き出したい、喚きまわりたい、でもそんな体力も残っていない―――漸く息が落ち着いてきて、でも出るのは溜め息ばかりだ。
1ヶ月前、ロンドンの自宅で来られない旨を伝えられた時は、こんなに酷い有様に自分が陥るなんて考えてもみなかった。
― 1ヶ月前・ロンドン ―
昼下がりの午後、長い電話の後でなにやら考え込んでいた恋人が。
マドリッドで予定されてるバレェ・ナシォナル・デ・エスパーニャとの合同公演での演目、ベジャール版で有名になったけれど振り付けはまったく別の“ボレロ”のDVDを見終わった頃に、ゆっくりと近づいてきたのに視線を合わせた。
丁度立ち上がってお茶でも淹れてもらいにいこうとしていた所だったから、立ったままするりと片腕が回されるのを受け止めた。
思案深げな琥珀色のキャッツアイがじっと見詰めてくるのに小さく口端を引き上げれば、するりと手が伸ばされ。目許から頬までそうっと恋人の大きな掌に包まれた。
どうかしたのか、と訊き出す前に上瞼に軽く唇が押し当てられ。
「…悪ぃ」
酷く優しい声が耳に届いた。
再度視線が合わされ。どこか溜め息が混じったような声で続きが告げられる。
「スペイン、ちっと無理かもしれない」
一緒にDVDを観始めて。その半ば程で携帯電話にかかってきた電話を受け取って部屋を出て行き。いつ戻ってきたのかちょっと気付かなかったけど、結局観終わるまで側には戻ってこずに窓際でじっと考え込んでいた風だったから、相当シリアスな話しが持ち上がっただろうことは覚悟していたけど。
公演に来られない―――“契約愛人”をしていた頃はそう珍しくなかったことがまた再び起きたことに、小さな驚きを覚えた。……来られなくなったということよりは、正式な“パートナ”となってから今まで欠かさず恋人が来てくれていたという事実に。
驚いたような顔をしたからなのか、キャッツアイがちらりと苦笑を浮かべた。
「アシがあっても時間が無いなら意味ねェよな、」
――――そうだよな。いくら個人ジェットを持っていても。マドリッドまで移動して、会う時間がなければ意味が無い。
同意の苦笑を浮かべたら、不意にくうっと頭ごと抱き締められた。
「消えてくものだから、ぜんぶ自分の目で覚えておきたかったんだけどね、」
優しい声が諦めを滲ませた声で告げてくる。
「悪い、今回だけ。次からは絶対、あンたのこと迎えに行くから」
きゅうう、と。包み込むように全身で抱き締めてくる恋人の肩口に顔を埋め。
「大丈夫だよ、コーザ」
そうっと抱き締め返しながら、言葉にした。
「いままでずっと来てくれていたことのほうが、奇跡に近いんだから」
目を瞑り、会えなくなる時間を思ってもう既に恋しい恋人の総てを覚えこもうとする。
「オマエがするべきことをちゃんとこなしてくれれば、それでいいよ」
今までだって会えない時は我慢できたのだから、ダイジョウブ。そう言って、コーザの首元に顔を埋めて、そうっと唇を押し当てた。
「寂しいけどネ。たかだか一ヶ月、そう思って頑張るよ―――きっと、直ぐ、だから。だからコーザも気を付けて頑張って」
― 公演後・テアトロ・リアール再び ―
出発日までロンドン郊外の自宅で一ヶ月ほど一緒に過ごして、当日にはロンドン・ヒースロゥまで送ってもらって。
ファースト・クラス専用のラウンジで、出発までの時間を過ごして、それから漸く別れた。こっそりと物陰で、優しい口付けを交わしてから。
飛行機でマドリッドまで飛んでいる間は、ipodに落としたラヴェルの音に浸って過ごした。
ロンドンからマドリッドまではそう遠くはないけれども、2時間ちょっとのフライトで飛んでいる間に恋人もまたロサンジェルスまで戻る自家用ジェットに乗ってしまっていて。
マドリッドの空港に降り立った時に、メッセージを残しておこうと思って携帯電話の電源を入れたならば。同じことを考えたらしい恋人からの録音が届いていた。
『あいしてるよ、いまセトの飛行機がちょうど飛んでるの視てるとこ。マドリーの連中、あんまり誘惑してこないようにお願いしますョ、王子』
それに対して返したメッセージはこうだ。
「ダーリン、今空港に降り立って、オマエからのメッセージを聴いたところ。―――オマエ以外を誘惑したいだなんて思わないから、多分ダイジョウブだと思うよ?魅了はしてもね、誘惑はね……?オマエがロスに着く頃、オレはもう寝てる時間だろうな。一応着いたらメッセージ残しておいてくれな?―――愛してるよ、またな」
色々と用意を整えておいてくれる為に先にマドリッドに着いていて、迎えに来てくれていたジェンが荷物を引き取ってくれている間に吹き込んだ応え。
あの頃は、まだ余裕があった。長い時間を一緒に過ごした直後だったから、寂しくはあってもまだ気持ちは落ち着いていたから。
レッスン中はまだ何度か―――2、3回程―――は直接電話で話すことができたけれども。
公演期間に入ったら丸っきり録音メッセージに頼りきりの、擦れ違うばっかりの日々だった。
時差はマイナス9時間、自分が寝る時間にはコーザはまだ仕事に掛かりっきりの時間帯で。コーザが寝る頃には、自分はもう活動を始めている時間で。コーザが起きる時間は自分はレッスン場か劇場に篭っている時間で。自分が起きる時間は、コーザはまだ仕事をしている時間だったらしい。
合わせようと思えば合わなくも無いはずなのに。全部がなぜか裏目に出て、結局公演中は一度も直に言葉を交わせなかった。
それでも、公演日には毎日、楽屋に花束が届いたし。ホテルの部屋にも、それこそ1ヶ月の間毎日欠かさず花束や果物が届けられた。カードに認められたメッセージを読んで、気分を慰められることもあった。
公演が始まった時はまだそんなに酷くなかった寂しさも、でも結局は最終日を迎えるにつれ酷く強まり。
最初は興味深かったマドリッドの中心部にあるオテル・オクシデンタル・ミゲル・アンヘルからレッスン場及び劇場へ向かうまでの道程は、視界に入らなくなり。
一緒に休息時間やディナータイムを過ごしてくれるNBSのダンサァたちや、キトリの役を踊るために一緒にロンドンから来ているリリアンの存在すらも、最後には疎ましくなってしまった程だ。
残される音声メッセージに慰められるのは一瞬だけ。寄越されたカードのメッセージに喜ぶのも一瞬だけ。
練習に没頭すればするほど、恋人に見て欲しくなった―――踊りが完成に近づくにつれ、見て貰えないことが辛くなった。
険しい顔をずっとしていたのだろう、それをほぼ全員が、慣れない“ボレロ”という古典ではないバレエを踊る緊張から来るものだと思って受け止めてくれていたけれども、マネージャ兼護衛のジェンだけが見抜いて慰めてくれた―――“恋人とずっと会えないのは辛いですよね。”
そういえば、ジェンも同じくらい、下手をすれば自分以上に恋人と会えていない筈だ。
だから、我慢しよう、そう心に決めていたけれども。
――――――甘かった。ほとほと自分の認識の甘さに辟易する。
最後の最後まで、恋人が来られない―――そう解ってから、気持ちは封印して舞台に上がった筈だったのに。
別のダンサァたちによる演目を含めて3つのセクションから成る舞台が進むにつれ、高揚ではなく苛立ちばかりがささくれのように主張してきて。
カーテン・ダウン、中央に躍り出て、立ち位置でスタンバイ、カーテン・アップ、音が鳴り響いてライトが指先に当たった瞬間―――無理矢理閉じ込めた感情に呑まれて、気付けば魔が降りていた。
最初は音が聴こえていたのに、音が頭を支配した。
最初は指先まで意識が通っていたのに、踊りが身体を支配した。
表現するべき秘めた情熱は、奥底から求めて止まない恋人への呼びかけへと転じ。
アンダルシアの赤い大地への憧憬は、同じく渇いた砂のような飢餓に彩られ。
魅了すべき存在は観客ではなく降りてきていたドゥエンデ、ただ一人に向けられた。
そこにはミューズたちとの間で感じる交歓は無く、ひたすら煽られ、追い立てられ、曝け出す場があっただけだ―――祝福ではなく、呪いのように烈しく重い感情の嵐。
群舞、酷い冗談だ、自分の内から溢れる感情ばかりに気を取られ、合わせるどころか周りに居たことすら“忘れて”いた。
パートナ、組んだのはNBSのコンスウェロ、彼女と“踊る”どころか“認識”すらしなかった。
いくらボレロが、一人の踊り手につられて周りの人間が次第に踊り出すという物語構成であっても―――ソリストならともかく。グループの中でのリーダーの役割を果たせなかった。これでは、踊り手失格、だ。
それでも。もう何百時間も一緒に踊って合わせてきたから、どうにか全員ついてきてくれたらしい―――ドゥエンデが引き摺り込んだ、と言った方が正しいのかもしれないが。
気付いたら、アンコールを求める観客が打ち鳴らす拍手の嵐の真っ只中にいた。
コンスウェロが紅潮した顔を向けて、拙い英語で言ってきた。
「―――セト、凄いわ。ドゥエンデが居たのよ……こんなに惹き込まれて踊ったのは生まれて初めて。ああ、まだ歓喜の波が内側で渦巻いているの―――苦しいくらいよ。見て。みんなそうよ、解る?セト、今日アナタどんな魔法を使ったの?まるで今までの私じゃないみたいに、完璧に踊れた気がするわ」
上がった息とは別のところで、心臓が止まるかと思った―――“セト・ブロゥ”の踊りに全員を巻き込んで、ただ一人も彼ら本来の“表現”をさせることを許さなかった……!
衝撃からパニックに陥りそうな自分を引き締めて、根性でどうにかアンコールを終えて。
カーテンコール、全員が抱き合って舞台の“成功”を祝う中、喚き出しそうな自分をどうにか抑えて楽屋まで戻って倒れこんだ。
そうして荒い息が収まってから、時間をかけてなんとか“自分”を掻き集めた―――有罪判決を下されたようなサイアクな気分だ。
コンコン、と控えめにドアがノックされ、ジェンがそっと覗いた。
「セト、ダイジョウブ?どこか怪我をした?」
耳慣れたハスキィなアメリカン・イングリッシュに、気がまた少し緩んで涙が出そうになる。
「ジェン…ッ、」
「どしたの、セト?」
漸く身体を起こせば、する、と抱き締められた―――いつも恋人にしてもらっていることだから、酷い違和感を覚えて愕然となる。
涙が出そうになるのを、唇を噛んで耐えれば。
ジェンがトン、と髪に口付けをくれた。
「今日のセト、ちょっとヘンだね?いつもみたいに“余裕”が無い―――いつもよりずっとエロティックで、容赦が無くて……ちょっぴり痛々しくて。ちょっとびっくりした」
「知ってる…っ」
「袖から見せてもらってたケド……身体の中から何かが引き出されたみたいになった」
「……オレが引き摺り出した」
「ああ、さすが。セト、解ってるんだ?……根こそぎ持っていかれたっぽくて、カーテンコールが終わってからもちょっと動けなかったよ。今日の踊りは“凄かった”ね」
ジェンは踊らない人間だ。波乗りと格闘技が好きだけれど、“魅了”することに興味の無いコだから、感性が酷く真っ直ぐだ―――だから、ジェンが呉れる感想は、いつも誤魔化しが無い。舞台評論家がだらだらと書き連ねるどんな意見よりも、自分にとっては意味があった。
「セト、いつものミューズを呼ばなかったね?」
なでなで、と背中を撫でられて、ゆっくりと息を吐いて緊張を解いた。
「―――呼べなかった。ドゥエンデが来たから」
「……アタシには何がドレだかよく解らないけど。いつもより容赦なかったのだけは解った。アレがセトの実力?」
―――実力、なんてものじゃない。
言葉にできずに、きつく目を閉じる。
舞台はその場にいる“全員”で作り上げるものだ―――あんな独りよがりの舞台は、ソロでもやっていない限り、“失敗”だ。
ソリストだって、もっと音やライティングや観客の“ノリ”に気を配る―――もっと冷静に“計算”できなければ“魅せる舞台”ではなくなってしまう。“自分のための舞台”になってしまう。
全員を引き摺って、呑み込んで―――サイアクだ。
なにより。
あれだけ頑張ってきたのに。
ドゥエンデに乗っ取られてて、“自分”が舞台を“楽しめなかった”ことがサイアクだ。
あんなに総てを意識しないまま、全部を踊りきってしまうなんて―――無我夢中を通り越して乗っ取られてしまうなんて―――そんなの、哀しすぎる。
ひしひしと締め付ける痛みに喘いでいれば。
ジェンがとんとんと背中をリズミカルに叩いてくれながら、感嘆交じりに言ってきた。
「セトが情熱的でドラマティックな人だっていうのは知ってたけど―――あそこまで烈しい人だったんだね?アントワン氏のエキセントリズム、あんなところに受け継がれてたのが解って、ちょっと驚いたヨ」
「―――そんなに凄かった……?」
「ウン、凄かった。セトってば、いっつもすっごい理性的だから、魂を振り絞るみたいにして踊ってる姿って―――鬼気迫ってたというか、神々しかったというか……目が離せなかった。ウン。アレはアレで好きだよ。普段震えないところまで、シェイクされた気分。初めてパラシュートして高度から落下した時に感じた震えとおんなじような、こう、存在の根底から揺らされた気分だった」
だからセトがなんでそんなに哀しんでるのかよくわからないけど、そこまで思いつめる必要はないと思う。そう言葉が続けられて、ほんの少しだけ安堵した。
「外でみんなセトを待ってるよ?みんなすっごい興奮してて―――みぃんなセトのこと、凄いって言ってる。一緒に踊ってた人たちはヘトヘトみたいだけど、でもみんな笑顔だったし」
「……あ、そっか。ジェンはスペイン語堪能だもんね、」
「ウン。周りにスパニッシュ系の友達いっぱいいたし。でもメキシカン交じってるけど」
あははは、と明るく笑ったジェンが、ぎゅ、と抱き締めてくれた。
「セトって完璧主義者だから、セトが望んだ通りに踊れなかったって思うと、ショック受けちゃうんだよね。―――今回は、セトが望んだ通りじゃなかったかもしれないけど。でも、みんなにとってマイナスじゃなかったみたいだよ?興奮してサイドで誰か鼻血噴いてたけど、でもそれってだいたいいつものことだし」
セト、すっごいエロティックだったから、ファンがまた増えたと確信してるケド。でも、きっとコーザがいつも見てるセトほどにはセクシィじゃないと思うから、ダイジョウブだよ。
そう告げられて、笑いが込み上げると同時に、また表層で忘れていた寂しさと恋しさと恋焦がれる苦しさを思い出した。
「……ジェン、思ったより深みに嵌ってるって気付くことない?」
「深み?……あるよ。なぁに、セトってば。ソレに嵌っちゃってるの?」
くすん、とジェンが笑った。
「ウン。今まで全然、ダイジョウブだー、って思ってたのに。……あーあ、オレってばいっつのまにこんなヤツになっちゃってたワケ?って自己嫌悪」
恋人に会えないことが苦しい、寂しい―――ずっと会えない恋人たちだっているのにね。ワガママ……になってる、昔よりずっと。
今すぐ会いたい、抱き締められたい、抱かれて口付けて、包み込まれてしまいたい―――あーあ、クソウ。もっと我慢強い人間だと思ってたのに……こんなにも、脆い。コーザは今どんな仕事をしているんだろう―――もっと厳しいサイドに曝されているだろうに。だから、こんな泣き言は言えない……。
「……ジェンはクライドくんに会えないの、サミシクナイ?」
身体をジェンから離しながら訊けば、くすっと笑いが返された。
「寂しいよ。でもずっと高校から…違う、中学の頃からこんなサイクルだから。しかもあっちは好きで命かけてバカやってる人間だから、あんまり心配するのも癪でしょ。まあ心配しないわけもないんだけど。でもどの道どこにアタシが居たって会えない時間が存在するのは覆しようのない事実だから、だったら仕事でもしていた方が気が楽になるじゃない」
ハードな時間とスケジュールは感情と付き合わずに済むから楽なの、と。ジェンがにっこり笑って言っていた。
「……ジェンは強いね」
「アリガト。頑張ってるヨ」
「うん」
くすんと笑いあってから、なでなで、と頭を撫でられた。
「メイク落としてホテルに戻って。アフターに出る支度しないと。それともやめとく?」
具合が悪いって言っておこうか?
そう言ってくれたジェンに、首を振る。
「気が紛れるかもしれないから」
「そ?じゃあ外に居るから支度できたらノックして」
「オーライ。アリガト」
「いえいえ」
ジェンが出て行く背中を見守り。
一先ず部屋に備え付けの洗面台で顔を洗う。
時間をかけてメイクを落とし。ゆっくりと素顔を上げてミラーを見詰めれば。
―――自分がヴェットに連れてこられたような猫みたいな顔をしているのに苦笑した。
「……迷子ってワケじゃねーのに」
ごちっと額をミラーに当てて、溜め息を洗面台に落とす―――マイッタ、本当に重症だ、コレは……。
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