Diamante



ハンサムだけど意地の悪いアメリカ人のカメラマンが、新しいアシスタントだといって連れてきた男は。そいつこそがモデルなんじゃないかって思うくらいのハンサムだった。
さらりと落ちた前髪は上手なヘアスタイリストの手がかかっているのが丸バレだし。細いシェイプの眼鏡は、最新モデルのものだし。なんでもなさそうなTシャツはAPCで、デニムに到ってははDsquaredだ。ジャケットは車に置いてきたのか、見当たらなかったけど、時計はパテックフィリップだし、ちゃんとファッション的にバランスがいい。本当にその辺りのカジュアル・ファッション・マガジンに登場していそうなのに、よりによってコイツは、アンドリュウの−−−

「−−−アシスタント」
僕は半ば呆然と呟く。けれどアンドリュウは気にすることもなく。
「そ。でもって、コイツもセトとは旧知の仲だから」
そう説明して、今日の仕事の段取りを、他のスタッフと始めていた。
「あ、そう…」
ほとんど消えかけの声で意味不明に相槌を打って、にかあ、とフレンドリィな笑顔で笑った男を見上げてみる。
意地悪カメラマンのアンドリュウ・マッキンリィが軍用犬のイメージだとすれば(大柄でコワモテの見掛け。中身はよく笑うおおらかな毒舌家)、このアシスタントの男は血統書付きの大型狩猟犬(ノッポでスリムで甘いマスク。中身はまだわからない)だろう。
一先ず握手。よくわかんないけどセト氏と旧知の仲だっていうのならきっとタダモノじゃあない気がびんびんするし。つうか普通じゃないだろ、うん。ま、モデル上がりかもしんないけどさ。

「トキ・ミクリヤです、これから二日間宜しく」
見上げて言えば(どうせ僕は身長170ないよ!)、モデルみたいなアシスタントはぱっと人懐っこい笑顔を浮かべ。
「”ミクーリャ”じゃないんですね、」
そうどこか弾むような声で言った。−−−アンドリュウは僕を”トキ”もしくは”イカレバカクチュリエ”(定着かよ!)としか呼んでないだろうから、誤解の元はセト氏だろうな。旧知の仲どころかかなり親しいのかな?
僕の内心の呟きはさておき。モデルのような長身の男性はちらっとアンドリュウを見遣り。
「訂正してくれたっていいじゃないデスカ」
なぁんて言っていた。そうだそうだ、訂正しとけ馬鹿カメラマンめ!あ、でもセト氏は訂正しなくてもいいよ、うん。
……僕の方が馬鹿なんだろうか。
すい、とグラス越しに視線が合う。……琥珀色のキャッツアイみてぇ。

「こちらこそ、はじめましてムッシュ・ミクリヤ。不束者ですがよろしく」
にこぉ、ってやたらフレンドリィで無邪気な笑顔が、パーフェクトな発音の弾むようなフレンチと共に齎された。…ぜったいコイツ元モデルだよう!!物腰柔らかい割には抜け目なさそうだし。
「この場にいられて光栄ですよ」
少しヒンヤリとする力強い手がそんな言葉と共に合わされ。一度ぐっと強く握られた。度の低そうなグラス越しに、琥珀色のキャッツアイがきらっと光り。んん、やる気満々だね?
そして彼は、
「センセー、おれ機材取ってきまーす」
そう明るく軽い口調でアンドリュウに告げ、すたすたと機材を運びに去っていった。機動力あるねえ。つっか自己紹介無しですか?ま、いいけど。
顔なじみのもう一人のアシスタント、ピーターくんは、目礼だけでさくんさくん仕事に取り掛かっている。いつもよりやる気充分に見えるのは、今日の主役が麗しのセト氏だからかな?絶対そうだよな。

パリ郊外にある古いシャトーを撮影現場に選び。大広間や数多くある部屋を利用して昨日までにセットを四つ用意してもらった。他の場所もそのまま使えそうなので、アンドリュウとセト氏がどう動いてくれるか楽しみでウキウキしている。
セト氏は早朝に軽く身体をストレッチしてから来るということで、まだ到着していない。
先週、ラストの飾り付けをする前の段階の、ほとんど完成に近い状態の服の最初の一着を着てもらった時、セト氏は僅かに光輝した表情で、服と僕を見詰めてくれた。magnifique(素晴らしい)、って耳に残る甘い声での囁きと共に。
そこにいたのはいつものクールさと茶目っ気を漂わせたセト氏ではなく、きらきらと眩いばかりの煌めきをとろけるように優しいなアイスブルーの瞳に宿らせた天使みたいで。不覚にも僕は泣いてしまった。−−−僕のただ一つの才能が、僕が惚れ込んで止まない人に認められて、嬉しくて。
そうしたらセト氏はふんわりと柔らかな微笑を浮かべ。ぽんぽん、と僕の背中を叩いて抱き締めてくれながら、”今からそれじゃ大本番はどうするの、MaitreMikuriya(ミクーリャ師匠)”って、優しくあやしてくれた。
その所作が優しくて、本物の天使みたいで。最後のフィッティングと仕上げのために一緒にいた針子のクローディアが、貰い泣きしたくらいだ。

今日と明日、総て縫い上がった僕のオートクチュールを着たセト氏をモデルに撮影を行う現場にいるのは。僕の我が儘をきいて半年間、ほとんど休みも取らずに服を作り上げるのに協力してくれたクローディアと、僕のイメージ通りにモデルを仕上げてくれるスタイリストであり総合メイクアップアーティストのジャン、セクレタリのマリエンヌに、マネージメントのステファン。
それから、アンドリュウの所の撮影スタッフが二名に、カメラマンのアンドリュウ、そしてセト氏を連れてきてくれる彼のマネージャのジェンさん。

僕とたった八名の限られた人間だけが、完成された四セットの僕の服を着たセト氏を実際に見られるわけだ。
”この場にいられて光栄”だとアンドリュウの新しいアシスタントは言ったけれど。本当にその通りだと思う。
僕は自覚のあるバカクチュリエだから、自分のデザインした服には当然の自信があるのだけれども。”生きた芸術品”とまで言われているバレエ界きっての美貌の王子、セト・ブロゥに着て貰えると、どんなに服の印象が変わるか、どんなにセト氏がより美しくなるか、想像し切れない。
仮フィッティングで服を合わせただけで泣いた僕としては。着飾ったセト氏を前に失神する覚悟までできている。
本日のもう一人の主役、カメラマンのアンドリュウは、僕より年下なのに既に”大御所”と呼ばれている程モデルに”顔”を作らせるのが上手い。セッティングはパーフェクトに整えたし、モデルは彼の無二の親友でもあり永遠の被写体でもあるセト氏なのだから、セッション中僕は死ぬかもしれない、とまで思っている。

最期に見るのがセト氏の笑顔なら心置きないかもしれないけれど。
「−−−せめてアンドリュウのオフィスに飾ってあった写真くらい、幸福そうなセト氏の笑顔を生で見たいよう」
恋人なんて恐れ多い存在にはなりたくない(だってセト氏は僕より男気に溢れてるし、僕なんかとても釣り合わないし、そもそもそんな気もないし)けど、それくらいの笑顔を見るまではやっぱり死ねないし、もっと着て欲しい服をまた作るまでは死にたくないし―――
「トキ?」
不意に呼ばれて、あてのない方向へさ迷いだしていた意識を”ここ”に戻す。声の主はマリエンヌで、もうすぐセト氏が到着する旨を伝えてくれた。
「始まる前から緊張しますね」
通話を切ったマリエンヌが、僕の肩を優しく抱き寄せてくれた。頷く。コレクション発表の時も緊張するけど、今はそれの比じゃない。僕の一番信頼しているスタッフたちも、いかに今回が特別なのか解っているから。なんていったってセト氏が僕たちのために時間を割いて、本業以外のことに本気で挑もうとしてくれているのだから。
「神様に感謝したいよ、マリエンヌ」
いま此処に自分が在ることを。
そう呟けば、マリエンヌが僕の頬にキスをくれた。
「私はトキに感謝するわ。勇気を出して一歩を踏み出してくれた、偉大なるクチュリエのトキ・ミクリヤ先生に」
「僕一人じゃ、何もできないんだよ。だからみんなと引き合わせてくれた神様に感謝するんだ」
僕をいまの僕に育て上げてくれた人たち全員と引き合わせてくれたことに。

もう既に泣きたい気分のまま、セト氏の乗った車が到着するのを待つ。
夢の二日間の幕開けは、もう直ぐだ−−−。

予定時刻より5分ほど早く、セト氏はシャトーに到着した。
楽しみにしてくれていたのか、目をきらきらと輝かせ、頬を僅かに上気させ、甘やかな笑みを口元に湛えて軽やかな足取りで僕たち全員が居たホールに現れ。
ふわりと優雅な一礼をしてから、耳に甘いフランス語で、
「二日間、よろしくお願いします」
そう全員の顔を見詰めながら言った。その表情が舞台に挑む直前の時と同じ笑顔なことに気付いた(資料はセト氏を特集したバレエ雑誌だ)。うわあん、泣きそうだよう。
アンドリュウが僕を見て、顎をしゃくった。あ、そうだ、挨拶!
「え、と。今日を無事に迎えられたのがまだ信じられないけど、いまのところ最高の服を作れたと思ってます。これからその服が”生きる”瞬間に立ち会えるかと思うと今にも泣きそうです。みんなの助けでもって僕が在ることを、僕は一生忘れません。今日明日、僕は夢心地でいると思いますが、いいセッションになるよう頑張ります。どうぞ二日間、皆様よろしくお願いします」
精一杯の気持ちを込めて頭を下げた。あたたかい拍手が響いて、顔を上げる。みんなが笑顔で居てくれるのが嬉しい。

アンドリュウがくっと周りを見回した。
「全員、携帯電話持っているヤツは呼び出し音切ってバイブレーションにしろ。今すぐにだ」
ざ、とみんなが動いてカメラマンの命令に従う。にかりとどこか獰猛にアンドリュウが笑った。
「最高のセッションになるのは当たり前だ。ここには一流の連中しかいないんだからな。だから、楽しんでやろうぜ」
びし、とアンドリュウが親指を突き上げ、毎度ながらそれを挨拶がわりとし。
それからマリエンヌがさらっとプリントを配って回った。日程表と、城の見取り図と、説明表と、諸々の注意事項の一覧表。僕もアンドリュウもそれぞれのスタッフとブリーフィングはやってあったし、フォトセッションは決して初めての経験ではないけれども、最終打ち合わせも兼ねて一度さらっておく。説明係はマリエンヌだ。
泊まりがけになるので、私用に使用できる部屋の確認と、スタジオがわりの部屋の説明も在った。キッチンの場所や、用意されている料理のことも。(料理人に先に来て貰って、軽食や温めれば食べられる物などを作っておいて貰ったのだ。)

ひとまず全部クリアしてから、アンドリュウが僕を見た。頷いて返す。
パン、と軽く手を叩いて、さあ始めよう、と声をかける。簡易メイクルームにジャンが向かい、クローディアとステファン、マリエンヌが最初に着る服を支度するために二階のフィッティング・ルームに散っていった。
セト氏がちらりとアンドリュウと旧知の仲のアシスタントくんとマネージャのジェンさんに笑いかけてから、僕の方に真っ直ぐやってきた。今日はいつに増してきらきらしている。
「ムッシュ・ミクーリャ、気分はどう?」
優しい声が弾むようだ。微苦笑になるのを抑え切れずに応える。
「夢心地で泣きそう」
「泣くのは後にして、オレを着飾らせてくださいね」
うん、と頷けば、にこお、とセト氏が笑い、今日もよろしくお願いします、と握手を交わした。その手は温かく、力強い。
着付けの前にアンドリュウとアシスタントくんたちに挨拶しに、す、とセト氏が歩いていく。
いつものアシスタントのピーターくんは、素早くセト氏に頭を下げてライティングかなにかを確認しに、最初に撮影をする部屋に行った。

セト氏は残されたアンドリュウとなにかを言い合って笑い、それから新アシスタントくんと連れ立って、フィッティング・ルームのある二階に向かって行った。ジェンさんはどうやらキッチンに飲み物でも取りに行くらしく、エントランスを反対側に突っ切っていく。
アンドリュウと視線が合い、指先で呼ばれて近づけば。とん、と軽く腕に拳が当てられた。にかりとガキみたいな顔でアンドリュウが笑う。
「セトが、”化けてくるから驚け、服が最高なんだ”って言ってたぜ?」
−−−マジ?わあお。セト氏ってば、今から僕を泣かす気?いやアンドリュウがか?
続けられた男の声が、優しさを含んでいると解る。
「だから気合い入れていけよ、トキせんせ」
「解ってるっ」
まだカメラマンの顔をしていないアンドリュウに深く頷いて、セト氏を部屋まで案内して戻ってきた新アシスタントくんと入れ代わるように二階に上がる。
擦れ違いざま思う、彼、すっごい嬉しそう。もしかしたら、セト氏のセッションを見るのは彼も始めてなのかな。つーかまた名前聞くの忘れたよ。馬鹿アンドリュウめ、紹介ぐらいちゃんとしろっ。




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