Sunshine and Blue




セトのどこが好きかと言えば。
まず顔が好み。身体のラインも、同業者としても一個人としても申し分ない。
性格はエキセントリックでパワフル、だけれども他人に気遣いを忘れない優しさがある。
そして、どんなに沢山の人間の中にいたって輝く華がある。舞台に居るときは、袖から滑り出ただけで歓声が上がるくらいだ。街中に居ても―――ほら。みんなが振り返る。

魅惑の王子さま、今多分世界で一番輝いているバレエダンサ。幼少の頃に踊り始めて、今尚現役で活躍しているヴェテランのプリンシパル。
すっきりと伸びた背筋と、不恰好でなく長い手足。するりと横断歩道を渡る間にも、何台もの車がその走りをゆっくりとさせてまで見入っている。
アレがオレの恋人、と言いたいところだけれど。哀しいかな、フラれ続けてもう何年にもなる。

恋に落ちるきっかけは、ソビエトがロシアに戻ってから何年かを記念する式典でのこと。女王陛下の国に住まうアメリカ人の彼が、そこでロシア人のプリマをパートナにして白鳥を踊ったのだ。
本番前のレッスンをするためにスタジオに来た彼を見て、その場に居た全員が息を呑んだ
―――プラチナに近いブロンドの髪、サングラスをしたままでも解る端整な顔の造り、それを外す手の動きの優雅さ、伏せられていた瞼が上げられた瞬間に現れたアイスブルゥの切れ長の双眸。
神々しいまでに美しい彼は、するりと鞄を置いて。ひょい、と後ろに居たコーディネータに訊いた―――ここで本当に合ってるんですか?―――耳に心地よい、アルトヴォイス。
突っ立っていた全員が慌てて彼を迎えに出た―――ロシアに出回っていた質の悪い海賊版ヴィデオで見知っていた彼が、まさかこんなに美しい人間だなんて誰も想像していなかった。彼が踊る姿がとても美しいことは知っていても。

バレエマスタが慌てて迎えに出て、彼が自己紹介した。
『セト・ブロゥです、どうぞよろしく』
流暢なロシア語だった。そして耳に残る印象的なトーン―――ロシア帝国時代でも充分に通じただろう、綺麗な発音と節回し。
本物の王子さまだ、と。バレリーナの誰かが呟いた。今はもう誰も使わないレトリックで喋るアメリカ国籍の王子さま。訪露がペレストロイカ以降なわけだ、誰に習ったのか彼が喋るロシア語はアリストクラットのもの。
誰もが彼に惚れた―――式典で完璧な踊りを披露するのを待つことも無く。
古典バレエを優雅に踊るヤング・アメリカン。バレエダンサとしての才能はロシアでも肩を並べられるのはきっと数人しかいない。もちろん、その数人の中に自分が含まれているけれども。

あっさりと横断歩道を渡りきった王子が、パリのカフェで寛いでいたオレの前にやってきた。
相変わらずきらっきらの随分と伸びた髪の毛は風に流したまま、蒼氷色の双眸はサングラスの下に隠されたまま。
それでもどこかレディエントだ。背にした太陽からの光りを受けて、煌きは倍増している。
美しいな、と。彼を目にして毎度思うことを飽きもせずに思う。感慨。年を重ねてよりいっそう輝く人なんて、そうそういるものじゃない。ハリウッド・ビューティ顔負けだ。

「で、何か用かよ、ミハイル・ヴラディミロヴィッチ・ウスティノフ」
優雅なロシア語でぶっきらぼうにセトが言う。一度シャワールームで捕まえ損ねてから、彼はオレと会う時には必ずオープンスペースを選ぶようになった―――キスをしようとした代償は、軽い脳震盪。く、と引き寄せた腕の力を利用して、あっさりと王子はオレを床に転がした。なんたらという護身術をバレエと同じだけの期間打ち込んできたと聞いたのは、セトが女王陛下の国に帰ってしまってからだ。
謝罪しようとは思わないけど―――自分に素直にあることが美徳であるといわれて育ったからにはね―――やっぱり一言くらい、釈明しておきたかったんだけどね。

「んーん、相変わらず美人だよね、セト」
にっこりと笑顔を浮かべて本音を告げれば。口の悪い思い人は、ファーック、と横に吐き捨てていた。
「それを言うためだけにオレをここまで呼びつけたンなら、高いレッスン料払って貰うぜ」
「セトのためならどんなものでも高くない」
「はン?支払うのは金だけじゃねーぜ、ミッキー」
「ミーシャだってば」
「“ミーシャ”」
「くうう。セトにそう呼んでもらうためだけに、長時間のフライトで飛んできてよかったあ」
「クソ喰らえ。オレは暇じゃねぇんだよ」
けっ、と言い捨て。それでもそう不機嫌そうではないのが、オレにとっては救いだった。なにせ最後に会った時には、派手にフラれたから。あ、違った。最後会った時にも、だ。

可愛いパリジェンヌのウェイトレスが、顔を赤らめながらオーダを取りに来ていた。
ふわりとサングラスの下の視線を和らげたセトが、彼女にはこれまた流暢なフレンチで、フレッシュオレンジジュースを頼んでいた。絞りたて、氷はナシ。あまり冷えていないものがイイ―――王子の自己管理は些細な部分まで徹底している。
言語をロシア語に戻す。
「セト、オレに言うことないの?」
「はン?」
すい、と完璧なアーチを描く柳眉が吊り上がった。うううん、睨まれてても嬉しくなっちゃうって恋も末期だよね。
「恋人できたって噂になってるよ」
「ふゥん?」
だからどうした、と言葉以上に饒舌な目が、サングラス越しに告げてくる。
「否定はしてくれないの?」
「する必要はない。事実だからな」
「―――それが男なのに?」

隠し球、『同業者、しかも同性なんか絶対恋人になんかいらない』と言い続けてきたのはセトだから。本来ならファールボールをホームランにしちまった理由くらい、聞かせてくれてもいいんじゃないかな、って正直思う。
くう、とセトの薄いけれどもセクシィな唇が吊り上がっていった。それから、すい、とサングラスを外す。途端現れたのは、どんなハリウッド・ビューティも決して敵わないパーフェクトな美貌と、きらきらと光りを湛える美しい双眸―――それが挑発的に煌いた。
「へえ。それはバイセクシュアルとしての勘?それとも噂に含まれてた?」
「勘だよ。でも絶対間違ってない」

じ、とアイスブルゥの双眸を見詰めれば、にっこりと艶やかにセトが笑った。ちょっぴり小憎たらしい。
「オマエに報告する義務は無いと思うんだけど、ミーシャ」
「うーわ。心臓痛い。もう6年間セト一筋で来たオレに言うセリフがソレ?」
「頼んでない。つうかオレはさんざんっぱらオマエに言ったろうが。興味アリマセン、他を当たってクダサイ。口説かれるのも正直迷惑デス、って初っ端からな。それにオレ一筋だってのも嘘ばっかだろ。どれだけ喰い散らかしてンだよ、オマエ」
「セトの声って本当に官能的だよね。罵倒されても耳に心地いいなんて、犯罪もいいところ」
「ファック・ユー。だからオマエに会いたく無ェんだよ。人の話なんぞ聞いたタメシがない」

げっそりとした顔で、ウェイトレスが運んできたジュースを一口啜った。さら、と淡いプラチナブロンドが揺れて、それを長い指が梳きあげていく。長い首筋がセクシィだ、どんな芸術品も敵わない。そこに唇を押し当てたくなるのはしょうがないよね?
ふ、と。きらり、と手首を飾る物に気付いた。ゴールドのバングル。いつものように時計ではなく―――ふゥん?
「本命はずっとセト一筋だよ、神に誓って。―――それ、恋人から?」
「はン?ああ、コレ?そう。お気に入り」
す、とセトが腕をコートから出し、彫金のソレにそうっと唇を押し当てた。セトは気付いているのかいないのか、ざ、と周りが騒然となったのが解る―――無意識、でもとてつもなくセクシィなジェスチャ。
―――ああ、胸が痛い。

「なんでオレじゃ駄目なの」
ぽつりと呟けば、ふわ、とセトが微笑んだ。キラキラと双眸が煌いて、きっとオレの心臓をあっさりと切り裂く言葉が用意されたのを知る。
「“アイツ”じゃないから」
ほらね、さっくり。切れ味抜群。
「―――新しい理由だね、ソレ」
マジで心臓痛いってば。
「境界線を越えてもいいって思えたのはアイツだけなんだよ、ミーシャ。だから最初に言ったろう、オマエに興味ないって」
自分にも厳しい王子さまは、オレにも容赦がない。最初はとてもフレンドリィで優しかったけれども、キス未遂事件の時から態度が一変した。なんだかんだいってもまだオレと顔を付き合わせてくれているだけ、ありがたいんだけどね。

「本当に、なんでオレじゃなかったかな……」
溜め息交じりに呟けば、さあ、とセトが優雅に肩を竦めた。
「そもそも同業者ってところでは、男も女もアウトなんだよ。誰であろうと、踊り手としてはライバルなんだから」
「でもバレエ辞めてもセトはノーって言うでしょ」
「アタリマエ。その軟弱な心構えからしてアウト・オブ・クェスチョン」
指先で作った拳銃で、バン、と心臓を撃たれた。込み上げるものは苦笑い。年上だってのに、なんでこんなにキュートかな。

「恨むなら同じミューズの子として生まれたことと、男として生まれたこと。あとはアイツとしてこの世に落としてくれなかったカミサマにしとくんだな」
にっこりと笑いかけられてしまった。あーあ、なにソレ。自慢ですか?もう心臓ズタズタだよ、オレ。
「……でもさ、これでセトは男もオッケイってことになったんでしょ?」
「はン?―――オマエねえ、いままでしてきたオレの説明、ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたヨ、セト」
「じゃもっかい復習。“アイツが特別なの。アイツじゃないとダメなの。誰もアイツ以上にはなれないの”」
サクサク、美しい唇が容赦なく心を切り裂く言葉を産み落としていく。
「……淀みないねえ」
けれど。
「おうヨ。事実だからナ」
にこお、と酷く嬉しそうに笑うセトが、今までにないほど綺麗だった。

「―――本気なんだよねぇ」
「そう」
目許を軽く染めて、セトがふにゃりと笑う。きっと、今。セトが思い描いているのは、セトの大事な人のこと―――纏う空気が一瞬にして柔らかく、そして甘く溶けていた。





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