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 「参ったね。セトをそんなにキレイにしたのも彼?」
 「そう」
 「―――少しは否定してヨ」
 「嫌だね」
 ぺろ、と舌を出してセトが笑う。
 「傷のあった所、全部埋めて。オレのことこぉんなにコンプリートにしてくれたのは、他の誰でもない、アイツだけができたことだし。否定しようがない」
 「オレにはそんなチャンスもくれなかったクセに」
 
 くぅ、とセトの柳眉が吊り上がった―――ヤバい、怒った。
 す、と手が伸ばされて。びし、と額にデコピンを喰らった。
 「いったあ…ッ」
 「ド阿呆。その姿勢からして間違ってるってことが解らないなら、オマエは愛されるってことを解っちゃいないガキだ」
 「だってさセト、」
 「だってもクソもネェよ。あーあーこんなバカヤロウに天才的なバレエダンサの才能を与えた神は勿体無いことをしたな」
 「せーとぉ」
 
 Shut the fuck up、と睨まれて口を噤む。
 空気がぴりぴりとしていて、今にも雷が落ちそうだ―――さっすがセト。キラキラした目が宝石よりキレイで、場違いに見惚れそうになる。
 
 「オレが軽率な発言をしました、ゴメンナサイ」
 「謝る理由も解ってないクセに簡単に頭下げるな、オロカモノ」
 「でも、じゃあ。愛されるって、どういうこと?」
 じっとアイスブルゥの双眸を見詰めれば。セトは小さく溜め息のようなものを吐いた。
 「相手は一杯いるんだろ。ちゃんとソイツらに教えて貰え」
 「セトがオレの先生になってくれればいいのに」
 「駄目だね」
 きっぱりさっぱりとした性格のセトは、にべもない。
 
 「どうして?」
 「“どうして?”ばっかじゃないのか、オマエ」
 きゅ、と。狙いを定めた猫のように。セトの目が細まる―――心臓を鷲掴みされた気分だ。
 「そんなもん、オマエにかまけている時間があるならアイツに時間を割いてる方がいいからに決まってるじゃないか」
 あーあ。さもアタリマエ、みたいなトーンでさくっと言ってくれちゃって。まぁじで再起不能に陥るってば。
 「セトの意地悪。嘘でもいいから、バレエの方がいいって言ってくれればいいのに」
 「あ、それに関しても嘘は言えない。バレエの為にもしっかり恋愛しなきゃ、って再確認している日々だから」
 「……うわーあ」
 
 「つうわけで。オレとしては、オマエがさっぱりとオレのことを恋愛対象人物リストから除外してくれることを願う」
 きぱっと。真っ直ぐに目を見詰め返されながら、もう何度も告げられたことを、セトが言い切った。―――まー解っちゃいるんだけどね、オレのことなんかにこれっぽっちもセトが興味無いことくらい。でもさ、そんな簡単に諦められるほど、セトほどに魅力的な人がそこら辺に転がっているわけがないんだからさ。初めてセトを見た時には、それこそ神の天啓、とか思ったわけで。
 
 「……セト、あのさ」
 「ん?」
 「例えばさ、もし。これからセトがその恋人と別れることがあったりしたら、オレが最初に名乗り出ていい?次のセトの恋人ってさ」
 きょと、とセトが瞬いてから、くすんと笑った。
 「一生以上を誓ってるんだけど?」
 「―――まぁじ?」
 「ン。どう考えても、アイツなしの人生がもう考えられないからさ」
 「じゃあさ、言い難いけど。…セトの恋人が先に死んだら…?」
 
 じぃっと見詰めて尋ねれば、くすくすとセトが笑った。
 「アイツが死んだら?きっとオレは生きてないけど、それでも?」
 「…え?」
 まさかセト、後追い自殺とかするのか?そういうタイプじゃないと踏んでるんだけど。
 「アイツが死んだらね、例えオレがまだ生きていたとしても。心も魂もぜぇんぶ、アイツにやっちまってるから、ここに残るものは抜け殻だよ?それさえもアイツのものだから…オマエのものにはなれないけど」
 ふわふわと。酷く幸せそうにセトが笑う―――参った。今度こそ、完敗。セトが愛情深い人だってことは解っていたけど。
 
 「―――マリア様より綺麗だね、セトは」
 「はァん?そりゃマリア様に失礼ってなモンだろ」
 ひょい、と片眉を跳ね上げて、セトが微笑む。
 「オレはね、一人の人間をオレの総てで愛してるの。一人の男として、二人で幸せであるよう、できることはなんだってしようと覚悟しているの。解る?他人を構ってる暇はないの、自分のことだけで精一杯。それが幸せに直結してるの」
 くー、涙出そうだよ、オレ。
 「……本当に。なんでオレじゃダメだったんだろうね、セト」
 「知らん。興味もない」
 ああ、早速言い切ったことには有限実行?本当に容赦ないってばもう。
 
 「まあでもミーシャ。オマエがイイヒト見つけたら、幸せを祈ってやるよ?」
 まじまじっと見詰められて、ついつい笑った。
 「ねーえ、セト。アナタよりイイ人ってどんな人?セトがパーフェクトなのに」
 「さあ知らない。頑張って探せ」
 「無茶言うなあ」
 「オレだって、オレの最愛に出会うまでそりゃいろーんなことがありましたサ。で。アイツに出会えたのはオレの幸運であって、オレはそれを易々と手放す気なんかないの」
 びし、と指先を突きつけられた。
 「苦労して苦悩して最上を探しやがれ。オレのことはもうさっぱり諦めろ」
 さくんさくんとオレの心臓を切っていく人は。どれだけ酷いことを言っているのか、ちゃんと解っている。
 アイスブルゥの双眸は、だから逸らされることもなく。オレを捉えたまま放さない。
 「……アナタを想うことも許されない?」
 漸くそれだけ言えば。セトがすぅっと笑みを浮かべた。
 「オマエにそこまで強要する権利はオレに無ェよ。オマエの好きにすればいいさ。ただ報われることはないぞ、と言い切っておくだけだ」
 けどまあ、とセトが歌うように続ける。
 「オレは決して寛容でも優しくもないからナ。もしオレやオレの最愛にオマエがなにかしたら、それなりの報復はさせてもらう」
 にっこり、とセトが笑う。愚かな信者を切って捨てる厳格な聖人の顔みたいだ、と思う。
 
 「…そこまで言い切られるのも、なんだかなあ」
 苦笑して言えば、オレンジジュースを最後まで飲み干したセトがぺろりと舌で唇を舐めてから口を開いた。
 「そこまでするようなヤツじゃないって信じて言わせて貰ってる。一応オレが認めたライバルではあるわけだし?」
 な、ミーシャ。そう甘い声で言われれば。あーんなことやこーんなことを考えてきたけれども、全部引っ込めるしかないじゃないか。
 
 「ちぇー。オレってばすっごい健全な精神の持ち主ぃ」
 「ん。偉いぞミーシャくん。イイ子に徹していたら、たまにはナデナデしてあげよう」
 すい、と長い指先が伸ばされて。する、と頭を一撫でされた―――それだけで幸福になっちまうなんて、本当に終わってるよなあ。胸はずくずく、痛むけど。
 「セトって酷いのな。憎ませても嫌わせてもくれない。こんなにオレの心臓、ずったずたにしたってさ。結局オレは…アナタのことが好きで堪らないんだ」
 「最初っから聖人君子なんかじゃないだろーが」
 くくっとセトが笑う。ちょっぴり意地悪そうなその顔も、実はとてもセクシィだって本人は解ってるのかな?
 
 「セトの恋人が羨ましい。絶対幸せ者だよな」
 どんな人なんだろうね、こんなにキラキラと美しい人を手に入れた男っていうのは?
 「んー、オレと愛し合うことで幸せになってくれてると、オレとしては嬉しいね」
 「セトみたいな人に愛されて幸せじゃないわけがないよ」
 「アリガト」
 ふわ、と目線を和らげて、セトが艶やかに笑う―――大輪の華みたいだ。
 
 「セトってさ」
 「うン?」
 「きっと夢の恋人だ」
 綺麗で、可愛くて、色っぽくて。頼り甲斐があって、優しくて、強くて。きっと側にいてくれるだけで、幸せになれるに違いない。
 くう、とまたセトが口端を引き上げた。
 「ばぁか。オレはね、夢も野望も欲望も持った一人の男でしかないよ」
 「うン」
 そして外見も、それ以上に内面もキレイなヒト。
 
 沈黙が降りて。すい、とセトが空を見上げていた。真上には太陽、そして目に痛いくらいの蒼穹。
 この天使のようなヒトを腕に抱くことができる男が心底羨ましいよ。ここまでセトに想われて―――本当に。幸せじゃないわけがないじゃないか。
 
 昔に古い教会で見たイコン、天使が空を仰いで父なる神に祈る図。そんなものよりよほど美しい光景が目の前に在る。
 暫く見詰めて、その光景を目の中に焼き付けておく。
 こうしてセトがオレの前でこんなにも穏やかにいてくれるのは、実は初めてのことだから。
 いっつも怒られてばっかりいたもんな、ちょっと口説いていただけなのに。
 あーあ、カミサマ。アナタがこの世に遣わした天使様は、こぉんなにもツレないお人です、ってか。
 
 す、とセトの視線が降りてきた。ぱちぱち、と何度か瞬いているのが、とてもカワイラシイ。
 「そぉだ、オマエ。オレに何が言いたくて呼び出したんだ?これからレッスンで忙しいんだろ?」
 がっちりオレのスケジュール、把握してくれてるなあ。うん、実は。セトに見惚れている時間は、本当は無いくらいなんだけどね?
 「―――セト、今幸せ?」
 ふわ、とセトが微笑んだ。ほんのりと染まった頬がビスクドールみたいな外見を和らげ、生きた美しいヒトをとても可愛らしく見せる。
 
 「幸せだよ」
 アイツが今側に居てくれたらもっとね、と。言葉ではなく眼差しで語られる―――ああ、本当に。今度こそ玉砕。
 「今度、恋人と一緒にオレの舞台見に来てくれる?」
 「オマエってば、実はマゾなんじゃねぇの?」
 くすくすと笑ったセトが、ちらっと一瞬考えてから首を横に振った。
 「ダメ?」
 「ダメ」
 「なんで?」
 「オレが集中できないから。それってオマエにもアイツにも失礼なことだからね」
 
 失恋を漸く受け入れた先から、セトの齎すたった一言に俄然幸せになる自分が居る。
 「それってオレにはセトの恋人から視線を奪うだけの力があるってこと?」
 「あのね、ミーシャ。オマエとのバッド・コミュニケーションの果てのいざこざは一先ずおいといて。オマエのこと、ちゃんとライバルだって認めてるって言ってるでショ。オマエがオレのこと口説いたり手を出したりしようとしなければ、オマエはオレの一番のお気に入りのダンサなのに」
 「……じゃあ今度、見に来て」
 「んー、行く時はヴィクトールやフィリッパも連れて行くよ。アイツらも、オマエみたいな表現力があればもっといいのにね」
 うわ。恋人の次にはバレエのカミサマに持ってかれた―――ヤッパリ一人で来てはくれないか。ま、しょうがない。
 
 「二度と手を出そうとはしないから。アナタを称えることと、アナタを想うことを許してくれないかな?」
 両手を挙げて言えば、くすん、とセトが笑った。
 「紳士らしい節度で接してくれるのなら、吝かでもない」
 「ウン、アリガト」
 「―――そういえば、今日はオマエ、大人しいな」
 あはは、と。思わず笑った。
 「ちゃんとセトと話し合いたかったから。でももういつもみたいに口説いてもいい?」
 「ばぁか、よしとけ」
 「ン」
 
 す、とセトがスクエアにある教会の壁にかかった大きな時計を見遣っていた―――ああ、そっか。時計の代わりにバングルしてたもんな。
 「じゃあミーシャ。ちゃんと練習ガンバレよ。都合付いたら観に行くから」
 「うン。楽しみにしてる。セトも忙しいんだ?」
 「そーう。これからあっち帰って、それからレッスン」
 「あ、もしかして。オレのためにパリに居てくれたの?」
 「そうだよ、バカミーシャ。金輪際オマエと縁切ってやろうかどうか考えてたからナ。まあでも、素敵な同業者を失くさずに済んで良かったよ」
 ふわ、と。最初に出会ったときと同じように優しい顔を、ほぼ6年ぶりに見ることが出来た―――それだけでヨシとするべきなんだろうな、やっぱり。
 
 「大好きだよ、セト」
 「サーンキュ。じゃな」
 優雅にサングラスをかけ直したセトが、ダ・スビンダーニャ、とエレガントに言って。ひらりと手を上げてカフェを後にしていく―――どんなに心を込めてその一言をオレが言ったのかなんか、ちっとも省みずに。
 
 す、と。道路に車が停まった―――どうやらセトを待っていたらしいソレ。
 
 ひょい、と気軽にドアを開けてセトが乗り込んでいった。その背中を見送る。
 
 ばっちり平手を喰らった時より。
 罵られてざかざかとレッスンルームを出て行かれた時より。
 ―――今の方がより心臓が痛いのは、しょうがないことだよね。
 でもネ、本当にアナタのこと、大好きだったんだ、と。車の消え去った方向に向かって、柄にも無く呟いてみる。
 
 今度会う時はちゃんと笑って。いつもみたいに、『キレイだね、オレの素敵なプリンシパル』って言ってみよう。
 それこそきっといつもみたいに、『オマエのじゃ無ェだろーが』って言われそうだけど。
 キリキリと吊り上がった眦じゃなくって、苦笑するような優しいソレに変わっていそうな気がする―――それくらいは自惚れてもいいよね?
 
 見上げれば、澄んだ青空がどうしようもなく目に痛かった―――太陽と蒼穹は、しばらくの間は好きになれないかもしれない。
 
 
 
 
 FIN
 
 オマケ番外劇場へ。
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