Hydra
インスタレーションを見た。
サンフランシスコ現代美術館の企画展。
不安になるほどとりとめもなく広がっていきそうな、まっくらな長方形の部屋に。 砂が撒かれざらついた床の中央には古びた上質のナイフと、いまにも崩れ落ちそうなほど腐食した優美な曲線を奏でる鳥かごが、多分置かれている。
高い天井から伸びた、引き千切られた電線がその数メートル上で青い火花を散らしている。
まっくらな中、その音と、不規則に蒼く燃える火花、時折見える床。
闇に戻り、また閃く凶暴な碧。
ずいぶんと長い時間を、その暗い部屋で過ごした。
ああ、俺はこの男をしっている
そう思った。
部屋の入り口のプレートには作品名が記されていた
「"ヒュドラ" ロロノア・ゾロ 2XXX」
そいつは、いきなり俺達のテリトリーにやってきた。
実際には、家をシェアしてるビビが連れてきたのだけれど。
アパートメントは他人が煩わしいし、家となると一人で住むには妙にがらんとするから
大学で知り合ったビビと一緒に暮らし始めてもうすぐ18カ月になろうとしていたころに。
ビビは、ほんとうに柔らかな色合いをした鳥のような。
綺麗で優しくて聡明で、おまけに育ちが良いから穏やかで。 セクシュアリティがまだ確立されきってない、可愛いお嬢さん。 俺が大事にしてる存在だった
女の子がいると、空気が柔らかくなるからいい。
女の子はシナモンとスパイスとあまいもので出来ている、て歌が昔あったらしいけど。
その通りだと思う。 世間様はやっかみ半分に俺のことをどうしようもない女好きみたいに言ってるけど、 俺はたぶんただの女っ気好き、なんだと思う。
べつに恋をするわけでもなくて、 ましてや触れたいなんて思わない。ただ取り留めの無いことを話してわらってるのを見ているのが好きだったり、 キレイな子をいつも周りに「置いておく」のが好きだったりするから。
ギブアンドテイク、とはよくぞ言ったもので、俺みたいにルックスが極上で がっつかないオトコは女の子も大好きだったりするんだよ。
きっとお人形遊びが、いつまでも好きなんだろう。
---What's your name?---
夜中、いきなり電話がなった。
「サンジくん?」
途方にくれたようなビビの声。
「どうした?」
「ごめんなさい、したまで来て?」
「は?」
地下のガレージに通じるドアを開けると、そこには。 笑い泣きみたいな表情でドレスアップしたビビが立っていた。 見慣れないシルバーグレイのJAGUAR
XKR の、開けられたドアの前に。
「ビビ!なんだ、カージャックでもしたの、」
なんだかその対比がおかしくてそんな軽口をだしても。
「起きないのよ」
困り果てたように言ってくる。
「あ?なにが、」
言いかけて、ハンドルにもたれてる人間が中にいるのが、見えた。
「悪ィ。寝る、っていったきり、」
「バッカだな、おい」
近づく。 雑にオトコの肩を揺すってみる。
「起きやがれ。ホラ」
無反応。
「ね?」
とビビ。 軽く肩をすくめ、今度はぱしぱしっと顔を叩いてみる。 完璧無視。
「なんなのこいつ?」
ビビを振り返ると、少し困ったような、嬉しそうな顔をしていた。
「つきあってるの」
「これと?」
うなずく。
ジーザス。 目の端に、ソイツの三連ピアスが写った。 ぎいいいっと微妙な力の加え具合でソレを引っ張る。 ヤバイ?と思いかけたころ、そいつが眼を、ひらいた。
深い森のような、色をしていた。
もういちど閉じかけ、俺と眼があった。
「・・・・・・・・碧だ、」
「はぁ?てめっこらまた寝んな!!ビビ!!」
二人掛かりでなんとかそいつを車から引きずり出し、ビビの部屋まで運んだんだ、 俺が。
一人じゃなくて、ビビとだけれども。 そんなエライめにあったのが、いまから約6時間前。 えくぼを頬に浮かばせて俺の前に立ったビビに、おはよう、のキスをした。 そうしたら。
「ここで一緒に、住んでもいい?」
気分の良い朝、テラスでコーヒーを飲んでいた俺にいきなりそう言ってきた。 ビビは、本気でつきあおうとする奴しかこのパシフィック・アベニューの家に連れては来なかったから。
だから、今度のはタイプがずいぶん違うのに驚いてた上のこの発言は。 正直言ってコーヒーの味が急にわからなくなるくらいの、衝撃だった。
ビビがいままでつきあっていたのはどちらかっていうと俺みたいなタイプの男ばかりで。
まあようするに、さらっとした眉目秀麗な細みの。あんな、刃物みたいに物騒な 雰囲気のくせに女の子がくらくらしそうな「男の色気」垂れ流し野郎とは。
本人は、まだビビの部屋で眠ってるんだろう。いい気なもんだ。
「そうしたいの?」
ビビのカップにコーヒーを注いで、渡した。
「うん、」
さらさらと解かれたままの髪の毛が風に揺れる。
「わけわかんねー野郎を一緒に住ませるわけにはいかないな。何モノだよ?」
「彫刻家、なのかな。でも写真も撮ってる」
「は?」
全然、男の雰囲気と結びつかない肩書に間抜けな声が出た。
「スタントン・ギャラリーのオープニングパーティで知り合ったの」
あそこのオーナーは俺もよく知ってる。それこそ子供のころから。
割合と著名なアートコレクターの俺のチチオヤが、現代美術に関しては絶大なる信頼、とやらを寄せている。まあ確かに。 おちゃらけて余計な色目つかってこなけりゃ、優秀な目利き。
「じゃ、家くらいあるだろ」
「でもアトリエで寝起きしてるっていうから。ここ、広いし」
「ビビ、」
「お願い?」
こくりと首を傾け。 ああ。かわいい。妹ってきっとこんなだろうと思う。
「オーケイ。お姫さま」
きゅっとビビが抱きついてきた。
「でもずっとじゃないから。たまに通ってくる、って言ってたし」
「なんだ、それ?」
俺は笑った。
「あのね、現代美術館で企画展があったでしょ。それにも出展してたのよ」
俺達はテラスから日当たりの良いダイニングへと移動していた。
「へえ?俺このあいだそれ観に行ったよ。注目株だね、じゃ」
ビビは嬉しそうに微笑し。
ロロノア・ゾロっていうの、と 言ったんだ。 それが、すべてのはじまり。
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