Nine


あのなぁ、サンジ。

溜め息混じりの声がする。
おれはロロノアのボウヤと違って十分世間ズレしたオトナなんだぜ?そんな状況で、おれのところに来るっておまえ、どういうことかわかって言ってるのか―――?


「シャンクス、」


だーぁまれ。泣き落としは効かねえの。ザンネンでした。

あのなぁ、いまおまえが家に来るってことは。
おれがもし抱くって決めたら、おまえに「ノー」の選択肢なんてナイんだぜ?そういうコトなんだよ。すぐに思い出してくれたのは嬉しいよ、ほんとうだ。
でもな、おれはまだ勝手な思い入れが残ってるんだよ。おまえにね。だから。おれのところには来るな。
あああー泣くなっつってるのによォー。反則だぞおまえ。

「泣いて、るわけ、あるかよ、」

意地張るのもいい加減にしておけよ?それに、弱みに付け込むのはおれのスタイルじゃないんだ。

低い笑い声と。少しの沈黙。

おまえさぁ、どうしたいんだ。何がほしいんだ?考えろ、あと、おれは。自分のとこの売れっ子潰すのはゴメンだからな。言っただろ、おれはあいつの味方だって。
じゃあな、と。声は、途切れてしまった。

セーフティ・ネットがなくなった。
ひとりで、考えてみなくちゃいけないのか。

リビングの床にケイタイを落として、ソファに半分もたれかかる。
ココで―――?
ムリだ。
亡霊みたいに。
どこをみてもイメージが蘇える。

ビビが長い藤色のスカートの裾を揺らしてわらっていたこと。ちょうどあの窓の辺り。
庭の芝草に裸足のままヤツが立っていたこと。
草の感触に、唇のハシを引き上げて笑みを作っていたこと。
あのバランスが、すきだった

とても。

自分で壊しておいてナニ言ってるんだか。

ビビの声は、どんなだったっけ?
はじめて逢ったときから好きだったな、と思い出す。砂糖菓子のようなわらい顔。セクシュアリティの境界をどこか半歩浮いているようだった軽やかさ。だから一緒に暮らそうと思ったんだ。
羽根のきれいな、やわらかい、小鳥のような。あまい歌だけを囀る淡い朱色の口元。

「愛情と、恋愛感情は違うんだもの」
「あなたのこと、大好きよ私。でも、自分をみてくれない人に私、恋なんてしないからサンジくん安心していいのよ?」

引越し荷物の山の中で。ソファやサイドテーブルやそういったものをとりあえず壁際に寄せて空間を確保して。ピクニックみたいにリビングのフロアにブランケットを布いて、ワインを開けて乾杯した。長い髪を高い位置でまとめて子供みたいな顔になったビビはそう言ってもう一度、笑みを作っていた。

伸ばした手の先に、小鳥がとまったような気がしたんだ。
あのとき。

どうしたいのか、って。
決まってる

忘れたい、すべてを
サヨナラは知らない奴に言う必要は無いし、甘さを知らなければ砂糖が無くたって平気なカオして生きていける。

おまえのことを、わすれたい。


フロアにうずくまるようにして、目を閉じた。
どうしようもないことだって、わかってはいても。
暗い中、時間の感覚が鈍くなってくる。意識の隅にケイタイの電子音がひっかかっても、無視していた。
音が消え、息を漏らしかけたとき。
いきなりドアベルが鳴った。

一瞬で自分の頭が冷え切るのがわかった。それでも、ヤツも  キイを持っていることをどうにか思い出し。
そんな自分がバカバカしくなる。こんな夜中に、ダレだよ。インターフォンのレシーバーを上げた途端に、割れた音が返してきた。

「よぉ、」
「な―――」
「はやくゲート開けろよ、路駐させる気か?」
軽いノックの音と一緒に。開けたドアの向こうに信じられないものが立っていた。
「姫サマのお迎えに来たんだよ。仕度しろ、連れ出してやる。で、気が済んだらホテルに落としてくぞ。クリフトで良いだろ?」
「シャン……」
「ほぉら、この礼儀知らずが。オキャクサマにはようこそのハグぐらいしようね」
突っ立ったままだったのを、引き寄せられた。
グレイのニットの襟元を握り締めるようにし。肩口に額を押し当てた。
「はいはい。カシミアだろうとなんだろうとお構いなしに。いっそばんばん泣いちまえ、ガキ」
あやすように背に掌が鼓動と同じリズムであてられる。
「オットコマエのべビイ・シッターがわざわざ来てやったんだからよ。ガキは泣くのが仕事だろ」

「それくらいまでなら、付き合ってやれるから、」
頭の上のほうで、溜息のように小さく声がした。


「おまえはさ、性質ワルイんだぜ?あまえるのばかりやたら上手で、愛情の受け取り方をまるっきり知らない。そろそろ学習しろ、おまえバカじゃないんだから」
別れ際、クリフトのエントランス前でシャンクスは思い出したようにそう口にした。
「はい、じゃあ。その縋るような眼はナシ!連れて帰りたくなるからね」
冗談めかした口調とはウラハラの柔らかな笑みを浮かべて、さっさとドライヴァーズシートに滑り込むと、かるく手を振りテールランプはすぐに道に消えていった。


自分が残りの日を、あの家で過ごせるとは思えなかった。だからそのままナミが帰ってくるまではクリフトで暮らし。
戻ってきてからはナミや取り巻きの女の子達と夜通しクラブで遊んでそのまま誰かの家に泊まり込み、例えばそれはナミだったりナミの新しいガールフレンドだったりで。何も。考えたくなかった。


「ただ、優しくしてほしいだけなんでしょ」
なんてナミはわかった風に笑った。最初の日に。他には何も言わずに。

それでも、ビビに会わないでいることに、衝動にも似た後悔が足元に寄せる事が何度かあった。
ナミはすべてがお見通し、とでもいう風で。とくに何を聞くでもなくただ、目を逸らさずに。つきあってくれていた。

「あのね、ひとつお願してもいいかしら?」
8日目を過ぎるころにアパートメントのダイニングでそう言ってきた。
「なに?もちろん、」
「私は、あなた達のことに口出しなんてしないけど。でも、これだけは、聞いて?」

ナミの。
手入れの行き届いた指先が向かい合って座った窓辺のテーブル越しに伸びて落ちかかる髪をそっともちあげそのまま、意外な ほどに柔らかな両の手で顔をはさみこまれる。
「ビビに。まだ会わないでほしいの。彼女に、あなたのこと。いまはまだ嫌わせおいてあげて」
「おれは―――」
「わかってる。でも、あなたのこと見ちゃうと、恨んだり嫌いになったりできないのよ。女ってソンよねぇ」
「ゾロのことも。あなたのことも。ビビは、好きなんだもの」
「ヤツとは、」

「なんでもない、って。私にまで言う気?」
ナミの目が僅かに細められ、さら、と髪を滑り手が離された。
「あなたをみていればわかる。私にまで、嘘はつかないでちょうだい。もう、二度とは言わないから。きちんと聞いて」
ナミの瞳に、捕まった。
「どうして、ほしいものがわからないの?ほしいって言わないの」


それでも、そんな風に2週間近く過ぎたころ言われてしまった。ねえ、帰ったら?と。
「いやだ」
「どうして?ゾロがいるから?」
「ちがう、そんなのじゃない」
「じゃあ。とうとうビビの抱き癖にあなたも我慢できなくなったのね」
「ナミといたいから」
「フン。口説こうったっていまさら遅いわよ」
小さく二人して笑いあった。
そのまま薄暗いクラブの居心地の良いソファに埋まるように して、ナミの肩に頭を預ける。
なに甘えてるの、とナミの声が伝わってきた。こうしていると叫び声が少しは薄らぐ気がする。睡眠不足は、体温を低くする。誰といても。家を出てからずっとおかげでいつも寒けがする。

いる?と囁く声。唇の前に、巻き煙草が差しだされていた。甘ったるい匂いの煙。
「ジョイント?」
「そう」
ふわ、とナミの笑う気配。
「あなた、がちがち。リラックスしなさい」
大人になればなるほどね、ヒトって泣くための器官を限定していくんですって。赤ちゃんはね、お腹から全身を使って泣くでしょう?小さい子も、体中で感情表現するわよね。それがいつのまにか、胸だけで押さえたり、喉で詰めるようにしたり、嗚咽まで押さえ込もうとするでしょうオトナになると。全身を固くして。
柔らかなナミの言葉が自然と流れ込んでくる。
「私といるときくらい、わがままいって泣いたってかまわないのに。ほんとに、あなた意地っ張りなんだから。」

ゆっくりと吸い込み、肺に溜めるようにして、そっと細く煙をはきだす。繰り返すうち、手足の先の方から暖かさが登ってくる。神経が緩んでくるのを感じる。
「ジョウモノ。」
目を閉じる。ナミの手が、肩のあたりを優しく上下するのを感じながら。
「ねえ、知ってる?あなたはね、わたしの宝石なんだから」
むかしから、ずっと、と。遠くできこえる囁き。

重いリズムに絡むハスキーな女の声。
聞えてくる音に、意識が浮きかける。

おれは、逃げているんだろう、口実をつくって

だいじなヒトまで傷つけて

優しいふりだけをして、ウソをついて

ひとりで

耳を塞いで

どこにもいけなくて



このままじゃあどうにもならないのはわかってる
ビビと顔をあわせないでいるのも限界だし
おれがいなければ、全部がもとのままになる、なんてことはきっとない

向き合いもしないで
たしかに、ズルイよな
時間だけ、過ぎて

手遅れになることもわかってる

最悪だ





「わかってる?あなたのことを信用して連絡いれたんだから、」

遠く聞こえる声。

なに。あったけえ。



「宝物なのよ。壊さないで」



額に熱の固まりが触れてくる。気持良い。
身体の余計な緊張が抜けてく。

「わかった。借りていくぞ」

え……この声―――じわ、と脳の中心が冷えた。なんで、と  

目を開けると

「ゾ、ロ…?」
手が、そのまま髪に差し入れられた。
なんでだよ?なんでここにいるんだ
ほんもの……

さらさらと眼もとにおりてくる髪を透かして
「ほら。こい、」
いとも簡単に身体ごと引き寄せられた。

ジョイントのせいで、妙な浮遊感が身体にあって。そのまま抱き込まれるようにして連れ出された。
おれがなにを言っても 返事がなく。
 すとん、と助手席に放り込まれた。そのままアクセルを踏みつけて、身体がシートに押し付けられる。

「どこ、いくんだ」
「家だよ」
まっすぐにフロントガラスを見つめたままで。
「帰らねえ」
「おれも、あの家にはしばらく戻ってない」
「……え?」
「うちに来い。おまえとは、」

車のスピードが落ちた。

「話さなきゃいけない」


探した、とエンジン音の他に無いなか、小さく噛みしめるような声がした。






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