8. 「連れて行け。」 コブラのその命を受けた配下に肩を捕らえかけられるのに初めて、ずっと俯いたままだった サンジが微かに抗う様子を見せ、コーザが男の動きを制しかける。 「おれが連れて―――」 その声は。コブラからの命令に途切れる。 「コーザ。おまえにも、話がある。残るように」 それを受け止めたコブラは、穏やか、ともいえる静かな問いを投げかけた。 「ええ、多分」 かすかな、笑み。 「あの生を、取り上げられるなら。たとえ、・・・・・・あなたでも」 「―――そうか」 「はい」 窓からの午後遅い光が、その足元にスリットを投げかけ、コブラは軽く顎で扉を示した。 笑みを残したまま、サンジはゆっくりと背を向け、通り過ぎざまコーザはその冷たい指先が軽く自分の こめかみに触れるのを感じた。 「もう、しねえよ」 まるで何でもないことを告げるようなその口調に、自分の中に突然波打った感情にコーザは呑まれた。 何かに、救いを求め焦がれるほどの感情。 ずっと、その扉の先を凝視するかのような漆黒の瞳に様々な色が流れ、揺らぐのを。 声だけが、自分に向けられるのを。 「それは―――」 「ジェラキュールの幹部をお前の側近が殺し、挙句の果てはお前すら命を落とすところだ。生きている事を僥倖と思え。その弾が、お前を射抜いていない事の方が奇跡に近い」 微かに眉根を寄せ、コブラは甥を見遣る。応急処置を施したとはいえまだ半顔を汚していた血の跡が 残るその端整な貌が、僅かに歪められる。 「もう良い。既に、流れ始めている。止める事など叶わぬだろう」 コーザの瞳に光が戻る。 「何のことですか・・・・・?」 そのとき、デスクの上の電話が鳴った。この番号はごく限られた人間しか知らされておらずコーザは別室へ移ろうと動きかけるのを、コブラに手の動きで制される。厳しい横顔のまま、しばらく相手の話に 聞き入り、やがてスピーカーフォンに切り替えられる。 “・・・・だが、今回ばかりはそうもいかんのだ。目撃証言がでた” 「――――なに・・・?」 “市警に出頭してきたそうだ。お前の処の若い者が” 「なんだと?有り得ぬ話だ」 “今までならば、な。今度ばかりは我々も庇いきれない。2日ないしは3日、拘束する事になる” 動いてくれるなと言った筈だ、と。静かな声が続いた。 「それで、いつお出ましになるのかな、市警は」 “明日” 「そうか。ならば、すぐに仕立て屋を呼ばぬとな」 “ジェラキュ―ル側からも、証言が出ている” 有りえない、と。ジェラキュールの側であの現場に内通をする者など居よう筈もなかった。 「ああ。ありがとう、イガラム長官」 視線をコーザに会わせたまま、コブラが静かに通話を切る。 「つづけろ、」 「エースが、今朝死んだ男ですが、ヤツがおれに言い残していた事があります。気をつけろ、と。 ”キズのある男”にお心あたりは―――?」 「コーザ、」 コブラが、水が流れるような動作で椅子に身体を預けた。 「ゼフを、呼び出せ。そのキズを縫合してからで良いがな」手の一振りで、書斎からコーザを下がらせ、初めてコブラに苦悶の色が浮かんだ。意図的なリークと 畳み掛けるような火種に僅かに眉根を寄せる。偶然などではない、一連の動き。 今回の予期しない事態が、悪意の正体に思いも寄らない好機を与えてしまったであろう事は、火を見るよりも明らかだった。 今朝早く温室から偶然その姿を目にしたとき、何かに心を奪われているらしいことは気づいていた。 東屋の柱に凭れかかり、ただ煙の流れていく様を目で追うその気怠げな横顔に。 とうに滅んだ王朝の遺跡や石像にばかり向けられていた想いが、生きて感情のある者に向けられたなら好ましい事だとさえ、あの時の自分は思っていたのだ。笑みさえ湛えてその場を後にしたのは、 遥か以前の事のようにも思える。 9. ――――ゾロ。 もう何度目になるかわからない。 自分のなかの言葉がすべてこの名前だけになってしまったかのような錯覚。 甦るのは、そこだけ色づいてみえた石壁に散った朱と、ただ自分をみつめてきていた双眸。 そこにあったのは怒りでも絶望でもなく
自分さえも通り越しどこか先を凝視しているかのようだった。 そのときに感じたものは、感情などではなくもっとどこか深いところから突然に溢れて来た。 本能でも、衝動でも無く。ただ、自分のなかが。溢れた。たった2つの音に。 何の躊躇いも無くそれを引き寄せるだろう。 その眼に灼かれても、見つめつづけるだろう。 その唇がたとえ毒でも、口づけて生を終わりたいと 痛みが沸き起こる。理由も無く、視界が霞むのは。 おまえは、いま。 苦しんでいるのか―――? 失くしたものの重さと。 そして、なによりも おまえの生を――― おまえのどこか穏やかな声。それの語った言葉。 眠りに引き込まれそうになりながら聞いた。 あの女神の浮かべている穏やかな笑みは、泣いているようにもみえるな、と。 それでも、あの笑みに見取られて終わりを迎えるのなら王も彼らの信じる最後の地へ
向かえただろう、と。 あいまに落ちてくる唇に舌先で触れ誘い込み言葉を封じ込めた。 あの国の女神どもは欲深いんだ、と。 魅入られたら、取り込まれるのがオチだと告げたら。 さらりと頬を撫でられ、瞼に口接けられ ひどく幸福そうな笑みを過ぎらせた翡翠の色。差し伸べた掌に落ちてきた唇。 それでも足りなかった、おまえに何もかもを遣りたかった 喜悦の最中にも、変わらず在った想い 10. 先の読めねえカードが多すぎると思わないか、と。 珍しくどこか沈痛な声が届くのをべックマンは聞く。主のいない屋敷はひどく物音が無く、 ただルフィの居室からだけは微かな話し声が漏れてきていた。一番この少年と年齢の近い、 とはいってもその兄よりも年長ではあるのだが、一人を呼び出し護衛も兼ねて傍に付けさせた。 ガレージに向かい歩を進めながら問う。 “まだ動いてねえ。コブラが手ェ回したんだろう” 「で、こっちは検察局か」 小さく端末の向こうで笑っているらしい声がする。 “ちゃんとセキュリティかかってンだろうな、このデンワ” 「まさに、今のところは、だな」 “―――あのな、おれは勝てるゲームしかする気はねェんだ。特に今度ばっかりはな” 「あんたにしちゃ珍しく弱気なことを」 良かれと思ってする事が間に合わなかったり、とかな。“うえ”から全部仕組まれてるみてえな、 そういうコトが邪魔しやがる” 「予定調和か、」 「護ってもらおうなんざ、思ってもいないだろうよ」 “なんつか。―――親ドリにでもなった心境だぜ” シャンクスにようやくいつもの軽口が戻り。 “んじゃ、ちょっくらエサ獲りに行って来るわ” “あ〜あ、心臓停止寸前まで麻酔打たれてンぜ。まんま、捕獲された野生動物だ” エンジンのスターター音が伝わってくる。 「やっぱり起きたか―――」 “バカだからな、あいつも。・・・・・そりゃ起きるだろ” “うっす” 「やれやれ。おれにヒナの様子を見に行け、ってか」 タバコの火をトレイで揉み消し、べックマンもアクセルを踏みつける。 ただ、なにかが頭上から見ているような妙な居心地の悪さ、とでもいった漠然としたものを
感じていたのはどうやら自分だけではないらしい、と。僅かに口許を引き結ぶ。 back to story nine back
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