夜明け前。 キ、と乾いた音を立てて病室の扉が開かれた。 その音にベックマンが視線だけを送り、足音も無くするりと現れる姿に苦笑する。 「ミホークには、ワシントンに残れと連絡しておいたぞ」 一音一音、噛みしめるように発せられる。 「チクショウ。あのワニ野郎、甘くみてたかもしンねェ」 「なんだと?」 ベックマンが短く言い。 「まーさにその通り。即行、逃がさねえとな」 短い返答に、初めてシャンクスの口許に笑みが刷かれた。 扉が開かれ人の入って来る気配は感じても、バルコニーに向かって広く開けられた窓辺にサンジは 身体をもたせかけたまま、何も反応を返さなかった。 落ち着いた低い声にサンジが振り返る。 「ゼフ、」 サンジの声が、微かに震えるようなのにゼフは苦笑を浮かべる。 「自分を通すなら、徹底的にしやがれ。肝心な時に、おまえはどうも周りを慮りすぎる」 「少しは、あの“赤髪”のアホウを見習え。ヤツは相変わらずだな」 「―――会ったのか?」 かるく手を振ると、外から開かれた扉を出て行った。 岬の先端を目指して4台の警察車輌が連なっていた。中でも目を引く先頭を走る一台は、71年型 プリモス・バラクーダ・コンバーティブル。市警の警部が絶えず唇に挟んでいる葉巻とその愛車は、既に格好の目印になっていた。その行く先には必ず凶事が起こる、と実しやかに街中で 囁かれる 噂と共に。一人でハンドルを握るスモーカーが手の中の端末に向かい声に出す。 「また急に動き出したモンじゃねえか」 機械から、いつ聞いても神経を逆撫でるような笑い声が響いた。 「ああ。ネフェルタリの“坊や”がな、上手い具合にコトを起こしてくれた。これを機に一気に動くぜ」 「随分と勝手なことを抜かしやがるな―――?え?クロコダイル」 「あんたこそ、余計なヘマを踏んでくれるなよ―――、警部さん?」 空の助手席に端末を投げ、吐き捨てるようにスモーカーが不快さを隠さずに言い、アクセルを 踏みつける。 --- Time Will Crawl --- 1. 扉の外から柔らかな声がした。 「あなたが、私に命令するの――?どきなさい、私を中へ通して」 「ですが、誰も通すなと」 「その伯父から言われて私はここに来ているの。会わせなさい」 「おはよう。私の恋人を殺し損ねた気分はどう・・・・・・?」 「おはよう、ビビ。良い朝だね。親友の恋人を殺した気分はどう?」 「・・・同感だよ」 眼差が交差する。僅かに、ビビの表情が崩れ。 「コーザは、直接手を下してはいないよ」 「同じことだわ、」 僅かにビビが首を傾ける。 「殺そうとしていたんだもの。重なった偶然が、あの人にそうさせなかっただけ」 ビビが窓辺に歩み寄り。ふわりといつかと同じ香りが漂うのを、どこか不思議な気持で とらえていた。あのときは、たしかビビは笑いながら恋の話をしていた、と。 ビビは、ゆっくりとサンジの前に膝を折った。 「ねえ、サンジくん。もし、あなたが。あの人の命を私から奪ったら、私あなたのことを殺せるもの。 だから、あなたが銃を向けた気持も、わかるのよ」 「このまま続く訳がないってわかっていても、もどれないことってあるだろう」 小さく、独り言のように唇に乗せると、ビビはそのまま膝に額を預けるようにし すこしひんやりとした指先が、そっと自分の髪を撫でるのを感じていた。 控えていたコーザも気づいてはいたが、深く気には止めなかった。市警を前にしての、加齢を 演出するための道具立てだろうという程度の軽い思いで受け止めていた。 部屋の中央に立ったスモーカーが慇懃無礼に言って寄越す。 「いや、結構だ。そのような茶番にまで付き合う義務は毛頭無いのでな」 コブラが言い放ち、窓辺を離れる。 「よかろう、」 ゼフもゆっくりと椅子から身を起こす。看護人が、そっとその手を添える。 指名手配中だ。見つけ次第、抵抗したならば射殺せよとのお達しも出てることだしな、悪く思うな」 その言葉に、コーザ弾かれたように顔を上げる。 「―――なんだと?」 すんなり言うことを聞くとは思ってもいなかったが。まさか診療所の廊下で手加減無しで殴る ハメになるとはシャンクスにも予想外だった。 シャンクスの声が上から落ちてくる。 口内に拡がる血の味にゾロが微かに眉根を寄せ。 連中の思うツボだろうが。落ち着いて考えやがれ」 自分が口を開く前に。 ずるずると女医に引きずられるようにして病室に連れ戻された。 「本当にバカだねお前は。ここを出るまではあのガキはあたしの患者なんだよ」 女医の拳が再び赤髪の頭に炸裂し。本当ならあと3日は絶対安静なんだよ、と付け足した。 「中でお話し」そうして、まるで猫の子でも扱うように、ぽい、と病室に放り込んだ。 扉に寄りかかったまま、シャンクスがかるく吐息をついた。 保証はねえんだよ」 ガキでもわかる理屈だろうが、とシャンクスが続ける。 ふと。ゾロの纏う空気が刃のそれから僅かに和らいだ。 「“いまは”捨てる時期じゃないってことだろ」 瞳が一瞬、閉じられる。 きつく引き結ばれていたゾロの口許が微かに引き上げられる。 どの美人だよ、と言い。 言ってろクソガキ。とシャンクスが返す。 軽く座っていたベッドから立ち上がる。 「おれのコルト、いい加減返してくれねえ?」 にやり。とシャンクスにまるっきり苛めっ子の笑みが浮かぶ。 「は?」 「ナッマイキに手なんか入れて使い勝手良さそうじゃねー?気に入った。くれ」 「―――あんたなァ!」 げらげらとシャンクスは賑やかに笑い。 傍らの小卓にごとりとそれを置く。 「シロートじゃねえんだからきちんとメンテしてやれよ?」 「解熱剤、鎮痛剤、抗生物質」 「よく出来マシタ」 に、とシャンクスから笑みが返される。「ありがとう」 卓から銃を取り上げ、正面に立つ。 「ああ。―――あとでな」 いきなり手が伸びてきてぐしゃぐしゃとアタマを引っ掻き回し。 「っだァから、」 その手を払いかけ、思いがけず真摯な眼差に、ふと。動きが止まる。 「理由がねえよ」 ぽん、と手が軽く頭を小突き。 「そういうときは。スナオに”うん”って言やァいいんだよ。クソガキ」 ビビも、その顔を上げ。目をあわせる。 「市警が、今朝出頭要請に来たのよ。父も、伯父様もしばらくは拘束されるわ」 「昨日の、」 「そう。内通があったの」 ビビが立ち上がり、バルコニーへと窓を抜ける。 ビビがつぶやく。それが聞こえでもしたかのように、ゼフが二人の立つバルコニーを見遣り。 微かに目許に微笑をのせたような。そうして、前後を警察車輌に挟まれたリムジンに乗り込む。続いて、警官に付き添われたコブラが正面玄関に現れ、バルコニーの姿に気づいた。手すりから 身を乗り出すように見つめてくるその様子に、僅かに目許が和らぎ。歩を止め、仰ぎ見るようにする。そのとき、 その場にいた全員が、微かな電子音を聞いたと思った。 一瞬の空白の後、リムジンが突如爆発し、炎上する。スローモーションのように窓から炎がこぼれ、限界まで撓み飛散するガラスが陽を映しこみ、光の欠片のように散る。コブラを庇い、警官が 地に伏せ。瞬間、正面扉横に佇んでいたスモーカーは直ぐに指示を声高に発し。車内無線に掴みかかるようにしていた。
立ち昇る黒煙と燃え上がるガソリンの異臭に思考を手放していた。 聞こえてくる怒声と、突然の混乱に一瞬、歩を揺らすがベルメールは目指す場所へ足早に向かう。 背後で起こったであろう予期しない事態に、怒りが湧き起こり唇を噛みしめるも。自分に託された 思いを届けなければならない。白衣の姿がサンジに近づくのを、屋敷内の誰一人記憶に留めは しなかった。 ベルメールが癖のある笑みで応える。 「また逢ったわね、ボウヤ」 「―――ベル、」 シッ、と声に出し。 「賭けてみる―――?」 その問いかけに、空よりも青い双眸が見開かれる。 「これは、毒よ。一口飲めば、24時間あなたの呼吸も、鼓動も止まるわ。ヒトには感知できないほどに 幽かになる。仮死する。その間に、私達があなたを連れ出してあげる。今夜、眠る前に飲みなさい。 どう、信じる―――?」 「ちがう。“私たち”を。」 「―――――信じるよ」 「イイコね、」 ベルメールは笑みを浮かべ、アンプルを開かせた手に持たせる。 「―――幸運を」 そう小さく言葉に乗せ、白衣は遠ざかる。 幻のような、数秒間。 窓からの信じられないほどの快晴。 back to story ten back
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