薄れていく意識の中、ベルメールは必死に前方へ手を伸ばす。



ああ、だめよ。どうして、こんなことに―――

伝えないと











数メートル先に医師と、その胸ポケットから投げ出された端末が陽を返して転がっている。

アスファルトに拡がる染みに、不自然な角度に折れ曲がった頚骨に、その命がとうに費えている

ことはわかっている。不運な男。






お生憎サマ。私は、運の強い女なのよ






じり、と身体を無理に引き伸ばす。背骨が悲鳴をあげるけれども。

やがて手にした物が電子音で返すのに、満足気に色の失せた唇を引き伸ばす。







“あんた”なんかの、思い通りになどなってやるものですか。

呪詛の言葉を。夏空に向かってつぶやく。






突然、ベルメールは自分へ向かって走ってくる足音に気づいた。

仰向かされ、視界に飛び込む太陽に、全身に襲い掛かるような苦痛に苦悶の声が洩れる。

「うわひでえ!あんた、おいあんた大丈夫か!」

「911だ、すぐ電話しろ」

「すぐ救急車呼ぶからな!しっかりしろよ」

反対車線に、エンジンをかけっ放しの四駆が停められている。

頭上で少年たちの声が遠く聞こえ。





「わたしのジャマ、しないで―――」

ねぇ・・・・・、おねがいだから。








ぐらりと。世界が、色を失った。













6.

これは、なに?まるで天国の悲劇か、地獄の喜劇。

昔からこの屋敷に仕えている使用人の悲鳴にも似た呼び声で始まった朝。

信じられない。昨夜は私の事を最後まで心配してくれて。

低い、優しい声で。

私が眠りにつくまでずっと。何か話して聞かせてくれていたじゃない。



なのに、あなた、どうしてよ?







ビビは、ただぐっすりと眠っているだけかのような人の肩に取りすがるようにする。

看護人がそっとその目許にふれ、瞳孔を確かめると。首を静かに横に振った。

屋敷の主はここには居ず、それに次ぐコーザさえ、昨日からその所在が依然と知れなかった。

その唇が息をしていないのに触れて確かめ、ビビはその瞳からとめどなく涙を零し。



「医者を呼びましょう。昨日からのことと関係が無いとは言えない」

突然、下りてくる太い声に肩越しにビビが振り返る。

大柄な男が近づいてきていた。

「・・・・クリーク、」

父親の側近の名を、ビビの唇が模り。

呼びかけれた男は。

無言で頷くようにした。













一連の繋がりに、共通しているもの。それは、伯父とあの日に話したことで掴みかけていた。

みえそうでいてその存在が明らかにされないモノに、コーザは微かな苛立ちを覚える。

自分達の「内」に、ごく近い所に内通者がいることは間違いない。そいつが「キズのある男」の

ただの持ち駒にしか過ぎないことを、知らないのは当の本人だけだろう。



ジェラキュールと、ネフェルタリの両方を自らの手を汚さずに疲弊させ、自滅させるつもりだろうが。

「そうは、させるかよ」

ぎり、と唇を噛みしめる。それでも、正体のわからない、漠然とした焦燥が自分をじわじわと侵してくる

ようなのを、コーザは感じていた。肩に、冷たい手が触れでもしたかのような、不安定さ。

ひどく、嫌な予感が。掠める、足元を通り過ぎる鳥の影のように。



それでも、目の前に迫ってくる待ち合わせ場所の印に意識を集中させる。

ヴェローナ・カウンティの外れにほど近いガス・ステーション。からからとブリキのたて看板が

風に揺れているだけの。そこへ車を停め、やがてここへやってくるであろう筈の「長官」を待つ。

伯父の名代として、「キズの男」の正体を掴むためにも。

自分はここに居なくてはいけない。だが、この――――不安はなんだ?






コーザの瞳はただ遠く。雲の流れる先を見据えた。シティのある、西へと。
















医者が到着し遺体を念のため病院まで搬送すると言うのに自分も付き添う、と頑なにビビは

言い張った。看護人がちらりとクリークを見遣るようにするのを視界の隅に捕らえ、微かな

違和感を覚えたものの、自分に向かって頷いたその側近の姿に何の疑いも持たなかった。




しかし、いまは。



耳にまだ残る至近距離で発されたサイレンサーのくぐもった圧搾音と。

自分を振り返り、にやりと笑った男に、まるで信じられないものでも見たかのようにビビの瞳が

見開かれる。

「あなた―――」

父親の、側近が。



屋敷から離れ市内へと向かう車中で、看護人を、医師を次々と接射し、開かれた後部ドアから路上

へと突き落とすのを眼にしてもなお、俄かにはその意味するものが信じられなかった。

「ネフェルタリの坊やだけで充分だったんだが。あんたまでおまけに付いてくるとはね。おれも

運が良いぜ」

「―――クリーク・・・ッ!」

瞬間、すべてを理解した。

「あなたが、裏切っていたのね?父を―――すべて?」



「裏切る、だと?」

耳につく笑い声が車内に響いた。

「あんたの父親もな、ネフェルタリを裏切ったんだぜ?何かの手違いで死んじまったらしいが

本来ならこのボウヤをおれがジェラキュールに届けるところだ。ボスの云い付けでな」

「―――なんですって、」

「裏切りには、制裁を。これが、“赫足”の教えだったよなァ、お嬢さん?」

皮肉気に唇を歪める男に、ビビの燐光さえ湛える瞳があてられる。



「父を、殺したのは。あなたなのね―――?」

「ああ、そうだとも。残念だがな、お喋りはここまでだ」

クリークの腕がその細い項にむけて振られる。意識を失い、崩れる上体にばさりと布が被せられた。


















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