--- Time ---



1.

絢爛と咲き誇る花のように、夜が更けるにつれパーティは極みを迎えつつあった。

一段と笑いさざめく人の波。絶え間なく到着するゲストとそれを迎える吐息。次々と空けられる

シャンパン。イルミネーションの光と、途絶える事の無い音楽。音と光と、どこからか漂う脂粉の甘った

るい香り。ぐるりと見回しても、溢れるような色彩と微笑みかけてくる唇の乗せる色に、自分の眉根が

微かに寄せられている事をサンジは気づいていない。



まとわりつく視線が煩わしい。ネフェルタリの息子がそんなに珍しいのかと、自分の容姿に無頓着な

サンジはそんなことを思う。余計な物音が何も無かった、昨日まで自分のまわりに在ったあの闇夜を

懐かしく思い出す。なぜか、夢の中で聞いた声の名残が不意に思い出された。

低く響いていた声は、何と言っていたのか



そうして、ふと投げた視線の先、薄く闇色を残す窓越しに流れ落ちる花火をみつけた。

対岸から打ち上げるんだとか言っていた、と。朝、使用人の一人から聞いた話を思い出し、リア王や

悪魔と何やら談笑している“ファラオ”や“マクベス”を残して大理石の階段を広間へと降りていく。

その背中を、元来こういった集まりを好まない性質を知るコブラが穏やかな笑みを湛えて見送って

いたことは知る由もなく。途中、踊り場で誰かを探すように佇んでいた“オフィリア”の頬にはかるく

唇で触れる。



「どうしたの、」

「友達を待ってるの。サプライズ・ゲスト連れてきてくれるって言ってたから楽しみで」

「美人?」

ちらりとビビの顔に悪戯めいた光が通り抜け。

「ナミ?私の大の仲良しよ?」

「後で紹介してくれよな?」

額をあわせるようにして二人して小さく笑みを交わす。



大きく開かれた窓から庭へ抜けようとしたそのとき、背後で大広間の空気が秘かに沸き立つようになっ

たのを感じた。どうせまた女優でも来たんだろう、そんなことを思い、サンジは振り返りもせずに大広間

から溢れ出す光でぼんやりと明るい夜の中へと、出て行った。



大広間がざわめいたのは、4人のゲストを迎えた為だった。



夜がそのまま現れたかのような長く裾を引くマント、時代を経た鈍い光を返す双翼をひろげた鷲の紋章

が胸に大きく銀の細工で模られた黒の上衣、膝の半ばまでを覆う長靴、腰のベルトから下げられた剣

の握りを飾る蛇の目に嵌められた赤の色石だけが唯一不吉な輝きを乗せる黒装束の “ヘッドレス・

ホースマン”と、深紅のベルベットのジュストコール(丈の長い上着)に赤の羽根飾りの大きな帽子を

手に持ち、オリエント風にゆったりした赤のマントというエレガントすぎる“フック船長もしくは太陽王”、

その間には夜露が宿っていても不思議には思えないほどの繊細なドレスをまとった“タイター二ア”が

肌さえ金に光を帯びた“お小姓”の腕を取って立っていた。“首無し騎士”と“船長”が衣装の色と同じ

マスクをつけていたことは、広間の人間の誰も気にした風はなかった。



色彩の渦のなかにあっても一段と華やかなその客人達に向かい、階段の踊り場から“オフィリア”が

歓声をあげて走り降りてきた。





2.

ネフェルタリの屋敷に着いて直ぐに、大広間へ向かう途中、そっと後ろから腕を引かれた。

振り返ると、そこには簡素な白の長衣を纏ったひどく性の曖昧な少女が何十本もの蝋燭の灯りだけで

ぼんやりと照らし出されたホールの薄闇のなかに立っていた。微かにもつれるような金の巻き毛が

額にかかり、ひたり、と淡い色味の瞳がまっすぐにむけられる。




「運命を、抱きとめると・・・・・・?」

唇が、かたどった

永遠にも思える数秒。




ゾロ?

先に進んでいたナミが呼びかけてくるのに一瞬目をやり言葉を返したときには、

“天使”がそこにいた気配さえも消えていた。









エースがよりによって“オフィリア”を広間の中央に連れ出し、それをゾロは半ば呆れて見送った。

「ロザラインより上等な女はいくらでもいるぜ?探してみろよ」

自分の横を通り過ぎざま、そう言って寄越す。



「―――ロザライン?振られたのか!」

に、っとルフィの金の目許がゾロを見上げると笑みに崩れ。

すかさず伸ばされる手からするんと身を自由にして、黒と金のコントラストは色彩の波に紛れて 

行ってしまう。



自分がさっきから不本意ながらも浮かない顔が隠せないでいるのは。数週間前にあまり平穏とは

いえない別れ方をした女が原因ではないのは、誰よりゾロが一番承知のことだった。もっと別の事が

頭の隅から消えなかった。



「あいつら。余計な気、つかいやがって」

そう呟くけれども目線は広間を横切り、暗がりのなか自分の前に立った姿を見出そうとしている。

視線をめぐらせても、あの“天使”の姿は見当たらない。この光と音で溢れるような広間では、

ホールの薄闇と静けさがまるで幻のように消えていく。不意に馬鹿馬鹿しくなり差し出された銀の

トレイからシャンパンを受け取ると、あてもなくゾロも人波に足を踏み入れた。



あまやかな声で話し掛けてくる着飾った女も。古代ローマ兵の仮装がイタについている男も。

いまここで自分が軽く言葉を交わしている相手は多分、本来ならば自分と対峙している筈の人間

なのだろう。あるいは、両方から利権を得ようとするヤカラ。



そして目を上げた先、この光で溢れたような大広間の一段と高くなった一角に、今日の主役は笑みを

浮かべて談笑している。ゆったりとした白の長衣に、黄金とラピスの胸飾りが重たげに半身を覆い。

ゾロは我知らず小さな笑みを浮かべる。紀元前の王の扮装があそこまで似合う男も珍しい、と。



茶番だ、すべてが。馬鹿馬鹿しいほどに豪華な、夏の夢。

ゾロは、すう、と何か冷たいものが、たとえば氷の粒が肺に落ちてきたような錯覚を覚える。

空港で、自分が確かに感じたあの畏怖に似た感覚がこの場にいると妙に自分の中に蘇えってくる

のを無視することは、追いやろうとしても一旦気づいてしまえば難しかった。



らしくもない、そう唇を歪めかけたとき“タイターニア”が背後から手を伸ばし頬を撫で、濡れたように  

光る唇で囁いた。

「ねえ、私と踊って」

返事の変わりにそのまま添えられた手を取ると、広間の中央に誘い出す。黒のマントが翻り。

銀の飾りが光を映す。



「あのひとの代わりは、みつけないでね」

自分の肩に、かるく額をもたせかけるようにして言ってくるナミにゾロは、どうした、と問いかけ。

「あのロクでもないロザライン。とんでもない“プリンセス”だったけど、あのオンナは贋物だもの」

ゆったりとしたバラードに曲調が変わり、ナミはそれでも不吉な黒騎士の肩にすがるように手を回し。

「胸騒ぎがするのよ、」



「へえ?」

マスクで半ば隠されていてもその双眸が悪戯めいたヒカリをのせているのにナミは気づく。

「さっきも。気味の悪い格好したお婆さんに言われたの。馬鹿みたいだけど、」

小さくナミが肩をすくめる。



「ほんとうの恋が平穏無事にすんだ試しが無い。宿星はおちてくるんだよ、って」



は、と小さくゾロのわらう声に、ナミは顔を上げる。

「気にするな、シェークスピアのセリフだ、それは。その婆さんも多分“マクべスの魔女”にでも

なってたんだろうよ?」

「だといいんだけど、」

ナミはまだ表情を曇らせたまま、続ける。

「私、ここにあなたたちを連れてきたこと。ずっと後悔してるのよ、さっきから。なんでだろう」



ゾロは視界の隅に、今度は虹色の髪を高く結い上げた“アントワネット”の耳元になにやらよからぬこと

を囁いているらしいエースの姿を捉え。胸騒ぎの理由を教えてやろうか、と笑いを含んだ声で言うと、

くるりとナミをターンさせ。琥珀の瞳がネコ並みに光を跳ね返すのを認めると、軽くその頬に唇で触れ

四方から伸ばされてくるたおやかな腕をやんわり押し返しながら、フロアの中央から抜け出て行く。



その目許からは笑いの影は拭い去られていた。

自分だけではなくナミまでおかしな余興に出くわしたんだな、と。

ゾロは小さく吐息をつくと、庭へと続く大きく開かれた窓から出て行った。






3.

窓から続く広いテラスを囲む水蛇を模った欄干に凭れ半顔を覆うマスクを外すと、空を見上げた。

対岸から打ち上げられているらしい花火が空を飾り。広間からの灯りが僅かに届き、どこからか

夜香木の香りが流れてきていた。波音まではさすがに遠く届かないけれども、微かに潮の気配を

のせる風が吹いてくる。知らず、口許には笑みが浮かんでいた。







一瞬、空で散る光がすべて失われ、明るさに慣れた眼に夜が暗さを取り戻した

そのとき





光の環が落ちてきたかと思った

急に闇が息づいたそのとき、自分の目が遠くとらえたもの。





せつな、取り巻く喧騒さえも消えうせた

遠く聞こえていた女の歌う低くあまい声も遠ざかり

その背後の窓からの灯りも、色彩も

すべてが色を失い、 動きがひどく緩慢に映る





外界が、彫像へと変わる。


既視感。





色をのせた光が空の高みでいくつもはじけ 雨となり降り注ぐ

そのした、かすかに笑みを刻んで、色のあふれる空へと視線をなげるのは







―――だれだ、











そして




空にむけられていた視線が 既に決まっていたかのようにゆっくりと、逢わせられる









鼓動が、聞こえたと思った。











一瞬、空で散る光がすべて失われ、明るさに慣れた眼に夜が暗さを取り戻した


そのとき







なにかが、自分を呼んだ気がした。






闇の奥に、佇むのは





淡い、光。








あれは―――








なんだ・・・・・?










そして




虚空へとむけられていた視線が 既に決まっていたかのようにゆっくりと、逢わせられる














鼓動が、聞こえたと思った。
















石段を降り、薄闇に佇む人影へと近づく。

また、消え去るかと思っていた姿はその場から動く気配はなかった。

ゆっくりと、その肩に手をのせる。

確かに在るのだということに、ひどく安堵している自分をゾロは感じた。



自分の目が確かに捕らえたものは夜のなかに溶け込み、それでも幻であったかと

見定めようとするのに自分の鼓動が邪魔をする。

そして、自分の中からすべての音が消失し

肩におかれた手に、自分の真近に在るその姿に、言葉さえ失くした。



たしかめるように、ためらいの欠片もなく気が付けば、唇に触れていた。

ただ、重ねるだけの口づけ。

僅かに見開かれた、真近に揺蕩う薄碧の瞳に

記憶の底を辿り永く探していた物をようやく見出したように感じた。



自分は、いま―――なにをしているんだ?

静かな、恐慌。自分の手を放れて、軋み、廻りだす歯車の音が耳の底に聞こえる。

それでも触れただけの唇に吐息がもれそうになるのは、なぜだろう。

離れることさえかなわず、鼓動さえ重なる錯覚になす術もなく。

魅入られる、と思った。翡翠の翠。

これは、寺院の守り石とおなじ色だ、と。



「名前は―――?」

誰なんだ、と静かに問い掛けてくるゾロの声に、意識の底が不意に揺れた。何かを思い出しかけ

サンジが口を開き。僅かに首を傾けるようにして、その答えをゾロは待つ。降りかかるような光は

複雑な色に立ち尽くす姿を染める。



同じ頃、広間の窓辺から遠くサンジの姿を認めたゼフが中へ呼び戻そうとテラスへと向かい、

そして その傍らの姿を目にし、急ぎ欄干の端まで進み出る



「サンジ、こっちへ。離れろ、そいつが誰だかおまえは知らないのか?」

「ゼフ―――?」

突然の背後からの抑えられた声に驚き振り返る。

ジェラキュールの跡取だぞ、と。その声が続けられるのを。



「ジェラキュール・・・・・、」

無意識に込められた純粋な敵意がサンジの声に宿る。

それは自分の内部がざわめいたことに対してなのか、その名に対するものであったのか。

「・・・・・・おまえが?」

淡い水色の眼差がゆっくりと上げられる。

後にしてきた国の深い森を思わせる双眸も、自分に向けられたままなのを認め。

「ネフェルタリ、か」

そう、告げてきた。

冬の湖水のように冴え渡る―――



「ジェラキュールの息子よ、」

歳月を経てもなお重圧な声が近づき、現実へと引き戻す。



「おまえならば、手折れない花は今宵なかろう。広間へ戻れ」

ゾロに向けられたその眼差の底には厳しさと同時に慈しみにも似た色が流れ、サンジの肩を軽く

押さえるようにし、穏やかではあるが否やを許さぬ力強さで歩を進めようとする。



小さな抗議の声が上げられるのとほぼ同時に

「―――あなたは、」

ひどく落ち着いた、静かな声がその半ば向けられた背中を追う。

「死に損ないの老いぼれだよ。だがな、同じことは二度言わねえぞ・・・・・・?」

す、とその背の纏う空気が冷え。

長いマントの下に、ゾロは銀の杖の先を認める。



「――赫足?」

「ミホークの小僧にでも教わったか。懐かしい通り名だな」

口許に笑みを刷き。今度こそ、触れ合おうとする運命を断ち切ろうと絶望にも近い想いで

視線を逸らそうとしない「コドモ」を無理に引き寄せ。そのまま歩き始めた。





頭上から降り注ぐ光の雨の中、ゾロは立ち尽くす。





微かに異国情緒を感じさせるアクセントの混ざるシャンクスの声が、まるで隣りで笑いを噛み殺して

でもいるかのように蘇える。

“いいか、天使がテメエの肩を押さえ込みに来たら、こう言えよ?”

ラテン語の1フレーズ。



ふと唇にのぼらせ掛ける自分に、僅かに口許を皮肉な笑みに歪め、ゾロは二人の進んでいった方向へ

視線を投げる。




そのとき。

たゆたうような広間からのざわめきとは別の何かが大広間の方から流れてくるのをゾロが感じるのが

先だったか、陽気な声が彼のもとに届くのが先だったか。



「やべえーぇ、バレタッ!!」

少しも慌てた風もなくエースがルフィを脇に抱えるようにして走り出してくる。

「なんだ?」

「エースがさぁ、ダンス相手にキスしたんだぜ?ナミは怒って帰っちまうしさぁー」

おまけにマスク取られちゃってなぁー、と赤い羽根付きの帽子を手にまるで小妖精そのものの

ようにルフィが高らかに笑い声を上げ。

「てめえやっぱバカだろ?」

ゾロが、あああまったく、と天を仰ぎ。



「ジェラキュールの!」

まだ続く音楽と喧騒のなか、それでも他を圧して響く呼び声が大広間の明かりを背に立つ男の

口から投げられる。

「ミホークに伝えろ。来年は私にも招待状をよこせとな!」

意外なほど快活な笑い声と一緒に。

その横には銃を構えた身体ごと、コブラの側近に押さえ込まれたコーザの姿をゾロは認める。



せつな、エースと顔を見合わせるものの。そこは「騎士」らしく屋敷の主に向かい優雅に身体を     

折り返礼を返す。

「確かに」

そう答えるゾロと、コブラの視線が距離を隔てもなお交わる。



身体を起こしたエースはルフィをつれて歩き始め、ゾロもそれにならい背を向けかけるが、ふ、と。

広大な庭の奥、薄く透けるような闇の中に白く浮かぶもの、まるで幻のようにも思えるそれを認めた。

どこかで、花開いているだろう夜香木の香りが風に乗り届くようで。その流れる先をしばらくの間

みつめてはいたが。




ゾロは今度こそ、先を行く姿の後をゆっくりと進んでいった。







頭上にはまだ光が様々な色を乗せ、次々と流れては消えていっていた。

広間の窓辺に佇んでいた人の姿も青や翠の光に照らされ。しばらくの間夜空を眺めていた。












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