4. 「シャンクスがきたぞーーーっ」 半分覚醒した意識が、賑やかなことこの上ないオトウトの声を拾い上げた。 どちらかといえばニュアンス的には“オオカミがきたぞー”の方だろ、そんなことを緩んだ意識の まま、ベッドから出る気は皆無で思っていた。が、いきなり勢いよくドアが開いた音がした、 と思うより先に オトウトがゾロの真上に降ってきた。 満開の笑顔。 「・・・・・どけ、」 からかうようなもう一つの声にぎょっとするも。
ぽおん、と弾みをつけて真横にダイブしてきた追加分に、スプリングが跳ねた。 「退けッ」 天真爛漫すぎるほどの笑い顔の大のオトナは言うことなんか聞く筈も無く。 ルフィも一緒になってけらけら笑っている。 「ほぉ?そういうことを言うかオマエは。じゃあ爽快にしてやンねえとな」 にい、とチェシャ猫笑い。 「ルフィ、顔押さえとけ!」 「てめッ・・・」 「うっせえ、キスしてやる!」 「あんた最低だー!」 とても賑やかな朝である。 「朝っぱらから。あんた何してるんです」 呆れた風な低い声が落ちてくる。 ちっ、と同じタイミングで赤アタマと黒アタマが小さく舌打ちし。 あっさりそれを無視してそのまま、両手にルフィとシャンクスの襟首を引っ掛けて、よいせ、と ゾロの上から退かせる。 げんなり、としているゾロに向かって、黒髪を後ろで束ねた救世主は目元だけでさらりとわらい 言ってよこす。 「や、ルフィの情操教育に悪いだろ」
ゾロは朝からいたくツカレテいた。 揺るがしようも無く。分裂し混迷を極めていた「南の方」の「けちなヤツラ」を「とっぱらってちゃちゃっと」 まとめあげて配下に治めてしまっているのは何かの間違いだろうと、こんなときの連中をみているとつい思いたくもなってくる。 部屋から出て行き、ぷらぷらとそんなルフィにシャンクスが手を振る。 ゾロが言い。 「ん?おまえらの顔みに寄っただけだぜ?」 に、と唇が引き伸ばされる。 「てめえの卒業式にでも父兄として出てやろうかと」 うえ、と嫌そうな顔を作るのを面白そうに眺め。 「司法局が動いてるんだな、ここンとこちらちら。うざってえから様子見にきたんだよ」
口調は変らないまま、その眼からは笑いが引いていく。 「―――は?」 我ながら間抜けなリアクションだとゾロは思うものの。致し方ない。 人間、驚くと却って素に戻るもの。 「どうせスタンフォードも12月でメデタクご卒業だろ。いい加減、カタギごっこはやめて俺のとこ来いよ」 唇端が引き上げられる。 あー、でもその前にミホーク口説かねえとなァ、あの親バカ大将。 ぶつぶつと最後は独り言になりながら、言いたい事だけ言ってしまうとシャンクスもドアを抜ける。 まいったな、と。他人事のようにゾロは呟いた。 「だめだ」 「いいだろ?」 「断わる」 「いーいだろォー?」
「断わるといったら断わる」 風にコーヒーを飲み干す。 しない。呼びかけるほうも負けじと一声かける度に上体を傾けていくものだから最後にはテーブルに 頬が着きそうになる始末。 「―――貴様もな」 やっとミホークが書類を傍らに控えていた使用人に手渡す。
「あ!おれはオヤジじゃねえっての」 「却下だ」
「いーじゃねえかよ?ちょっとくらい。別にヨメにくれって言ってるわけじゃねえんだし」
べックマンも笑いを噛み殺し。 「―――お?ヨメならいいのか?」 「オハヨウゴザイマス。誰が結婚するんですって?」 「ナミ!」 ぱあっとルフィの顔が明るさを増し、その声にゾロは最後の気力まで奪い取られた。 とん、と肩に拳がぶつかり。振り返らずともエースのにやり笑いが自分を待ち構えているのがわかる。 ただ一つ予想していなかったのは、その両腕に抱えられた大量の荷物。 まるでグランドセントラル並の混雑振りを呈していた。ゲートを抜けて広大な敷地内に入っても同様で 使用人や職人たちがプランナーの指示のもと、今夜のパーティに向け最後の仕上げに余念なく慌しく 立ち回り。浮き立つような空気と高揚した気配が静かに周囲に満ちていっていた。 けれども、そんな外の気配も、微かにユリの香りの漂うこの部屋には這いこめてはいなかった。 寄せられたカーテンの僅かな隙間から光が線となって射しこみ、うつぶせて眠る人の横顔とその 頬に柔らかく落ちかかる黄金の髪に、のぞく裸の肩に戯れるように触れ、傍らのナイトテーブルに 惜しげも無く活けられたユリの花弁で揺らいでいた。眠る人は果たして部屋を飾るその花が、父親が 手ずから丹精して育てたものと知っているのかどうか。 羽のようなノックの音と一緒に入ってきた古くからの使用人は自分の目にした光景に小さく微笑み、 それでも勢い良くカーテンを引き開ける。突然の眩しさに自分の背後で主人が何事か呟くのを聞いて 笑みを湛えたまま振り返った。 「おはようございます。温室でお父様がお呼びですよ。昨夜はお会いになれませんでしたでしょう?」 コブラは満面の笑みでサンジを覗き込むようにして言った。ガラス越しに降り注ぐ陽射しの中に佇んで いても鮮やかな緑を背にその姿は際立ち、光に同化してしまいそうな色彩ばかりで構成されている最愛のものとは、ひどく対照的ではあった。 「背ばかり伸びたな、」 そう付け足すと、名残惜しげにその手は離される。 「・・・・・・その顔は反則だと思うんだけど」 「なにがだ」 「異様に嬉しそうにしてる、」 サンジは僅かに首を傾けるようにし。 「大のオトナが誕生日の子供と一緒のカオ」 そう言って本物の笑みを浮かべる。 ライオンがわらったらきっとこんな風だろう、サンジがまだ子供の頃にそう思っていた表情が惜しげも 無く現れる。 目許に笑みを刷いたまま、コブラは「溺愛」しているといっても過言ではない息子の背に手をあてかるく 押し出すようにする。「昼前にはコーザとビビも、こちらへ来るそうだ。賑やかになるな」 概観図、ラフスケッチ、そういった細かなものをざっと分類し終え見渡した時、遠慮がちに入り口から その事実に、随分と長い間生家を離れていたのだと苦笑した。 そう言って、ドアを抜けた。 弾むようなビビの声が階下のほうから届いてき、書斎にいたコブラの唇端が引き上げられた。 薄い青のシルクタフタのドレスに身を包んだビビが「花のように」微笑んでみせる。上体を包むコルセット からのアンティーク・レースが胸元から覗き、くるり、とターンするのにつれ、肘の辺りから手首にかけて長く拡がる袖のスリットからレースがこぼれおちるように優雅に溢れ、流れてその動きを追いかけた。 「・・・・オフィリア?」 「そう!」 「ウォーターハウスや、ミレイの絵よりきれいだね」 「ほらね。サンジくんはすぐにわかってくれたでしょう」 勝ち誇ったように言う。 わるかったな、とちっとも反省の色を見せずにコーザも言って返し。 シャツは到底ひとりで着られるシロモノではなかった。片手で袖を絞り結ぶのは不可能だ。だから、 着替えを終えたビビが、手伝うわ、と歌うような口調で言いながらサンジの自室へと入ってきていた。袖の飾り穴にバロックパールのカフスを器用に留めると、深く開いた襟元を正そうとするサンジの手を なんで、とサンジが眼で問い掛けてくるのに、乱れた風に着てなきゃハムレットじゃないもの、と返す。 「ビビが“オフィリア”なら、なんでおれが“ハムレット”なわけ?」 「だって、」 ビビがコーザに向かって人差し指をかるく向ける。 でしょ、このひとだったら?それがハムレット?ぜーんぜん、だめよ」 「うるせえな」 ワザと、牙を向いた獣じみた声をコーザは出してみせる。 「ね?ダメでしょ。せいぜい、野望に死ぬ“マクベス”ってところ」 にこやかに言い切るビビは、それでも恋人の頬に手を添えて幸せそうに微笑んでおり。 衣装を着せられたコーザは窮屈そうではあったが、確かに、マクベスだ、といわれてしまえばそう見え なくも無かった。右の小指と人差し指と親指、左の中指と薬指にはご丁寧に普段のコーザならば絶対につけないような大ぶりな金と貴石の嵌ったリングまではめさせられている。 手が重い、とか指がつる、とか悪趣味だとかさんざん後ろで文句をいうのにビビは笑顔で振り返り。 「それ以上いうと、靴下とヒール靴履かせるわよ・・・・?」 若干顔色のわるくなったコーザはぴたりと口を閉ざした。 はい、と。銀に光を跳ね返す、美しく彫金が施された拳銃がサンジに差し出された。 「短剣の代わりに、これつけて」 柔らかく言ってくる物腰とは別に、なぜコーザがビビを側に置きたがるのかが何となく理解できたような気がサンジはした。日常の中に突然顔をだす、死の影や暴力の匂いに驚くほどビビは無頓着なところ がある、と。「女には、2種類ある。常に死と向き合うのを厭わない女と、決してそれを内包しようとしない女と。 おまえの母親は、内包しようとしない女だった。だから、この家を出たんだ。」 まだ幼かった自分を残し出て行った母を懐かしんで泣いていた自分に、そう告げたのは父ではなく、 母親の伯父にあたる男だった。父が最も信を置くその男は、たった一言で自分に何事かを理解させた。 そのゼフが、養女にしていた娘だ。ビビがタダモノのはずもないか、と。サンジは今更な事を思い、苦笑するしかなくなる。 「実弾入りか。とんだ“ハムレット”だ」 銃口を下向きに無造作に、ビビの審美眼に適うわけだから当然のように細身な黒のトラウザーズの ウェストに差し入れ。それさえも装飾になるのにビビが満足げににっこりとする。 高らかにナミは宣言し、つん、とアゴを上向けてみせる。 ゾロの前に背を向けて立つ“タイターニア”は、背中が深く開いたドレスを着ていた。 躰の線に添った白のシルクオーガンジーを何枚も重ね、その上から気が遠くなるほど細かな蜘蛛の巣 をモチーフにした紋様を織り込んだ淡いグレイのチュ−ルレースを被せた裾を長く引くドレスはたしかに「この上なく」ナミの容姿に似合ってはいた。 たしかに認めざるを得なかった。 つつ、従っていたのはもはや、30分ほど前に遡る。 「ちくしょう、これは陰謀だな」 ぶつぶつとまだ言うエースにゾロはげんなりと返す。 「てめえの方がまだマシだろ。おれなんかどうなる」 「季節かんがえてねェな、どうせ」 たしかに、その目の前の背骨の滑らかなラインや肩甲骨の落とす影は十二分に視覚を悦ばせるもの ではあったが、ゾロの横にいたエースがあっさりと禁句を口にする。「なあ、ナミ。」 「なによ?」 「みえないわよッ!」 「べつにいいけどよ?みえるぜェ。な?」 にぃ、と“フック船長のはずがうっかりルイ14世風”がゾロに同意を求め。 「おれに言うなよ」 ぱたぱた、と火の粉を払うのは黒装束の“首無し騎士”。 「ケツっていわないでよっ!」 けらとわらっていた。裸足に革紐を足首で結ぶタイプのサンダル、日に焼けた腕と足にはこれでもかと いうほどの金の環が嵌められ動く度に貴金属の触れ合う音をたてていた。留めにその目の縁には金粉までグリッター代わりに乗せられていた。 フリルをちょい、と整え、にやり。とルフィに向かって笑みを刷く。 「・・・・みえるよな?」 にかっと返って来る満開の笑顔がなによりの証拠となった。 「気にするなよ、ちょっとだけだし、キレ−だからいいだろ!」 「ありがと、あんたはほんとにイイコだわ」 芝居ッ気たっぷりに、妖精の女王様は大事なインドのお小姓を抱きしめた。 |