運命がおまえに微笑みかけたらどうする―――?ボウズ。


・・・あ?

麻酔が切れかけて、朦朧とした頭がその刹那、冴えわたる。


―――決まってる。つかまえるさ。


フン。たとえそれが破滅であってもかい?


運命なんだろ?抱き寄せてみせる。


そう自分は答えて、わらったのだ。


“言は予兆なり。”気をおつけ、ゾロ。


女医の言葉は、自分の記憶の中に根付いている。


そう、―――いまでも。



だけどさ、ドクター。俺は、後悔なんかしてないんだぜ?

あと、―――2分。







--- Fate ---

1.
サンフランシスコ国際空港のガラス張りのロビーに、二人の男が壁に背を付けるようにして立っていた。

高い天井からのガラス越しの明るい陽射しが足元に光を落とし、石の床が硬質の輝きを添えている。

「なあ、ゾロ。この明るさは、やっぱりもう夏だな」

エースの漆黒の瞳が陽光に負けないほどの光を宿し、笑みに崩れる。

「あいつ晴れ男だな、相変わらず」

関係無い風なことを返してくるゾロも、サングラス越しに微かに透けて見えるきつい双眸に笑みを

よぎらせる。

「くだらねえアクセントとシケタ天気まで連れ帰って来た日には!手に負えないぜ?」

いくらおまえのオトウトでもなと付け足し、笑い顔を作る。通りすがりのご婦人方の視線がエースの

周りを漂った。


「ロンドン発、ヴァージン・アトランティック航空019便はただいま当空港に到着いたしました。

繰り返します―――」

港内アナウンスが流れ始める。ふい、と顔を見合わせ。お互いの口許に笑みを認める。

「着いたな」

「時間通りだ、」

ゾロはくしゃりと手の中のカップを潰し、ダストビンへ軽く投げ。キレイに弧を描いてそれは広い口に

吸い込まれていく。ちょうどその側にいた子供が尊敬の眼差しで自分を見てくるのに軽く笑みを作り。

ふと上げた視線の先に。砂色の髪の男を見つけた。長い歩幅で到着ゲートの方から歩いてくる。

その後ろには、一人の男が影のように従っていた。


「コーザだ」

「ン?」

その声に数歩先に歩き始めていたエースが振り向く。

その眼に一瞬物騒なヒカリが掠めるが、すぐに溶けていき。

「アイッカワラズ生意気そうなツラしてんなー」

「ボディガードの数がヤケに少ないな」

ゾロの眉が訝しげに僅かに寄せられる。

「あーあ、俺が最近大人しくしてるからな、だからだろ」


「また何か揉めてるのか、」

「いや、下の連中がちょっとな」


ウエストコーストの勢力図はもう長い間二つの組織によってきれいに二分されたままだった。

そもそもの発端を憶えているものが既に誰もいないような現在になっても、ゾロの生家である

ジェラキュール家を筆頭とする組織と、ネフェルタリ家を筆頭とする組織との間の拮抗する争いは

絶える事も無く続いていた。両家とも表向きはコンツェルンを形成しているものの、実態は正規の

事業から「ブラックマネー」まで扱い、莫大な利権と流血を生みつづけている。


「王は二人いらない」、まだ幼い頃そう父親に言われた記憶がゾロにはあった。組織の幹部だった

エースの父親が家族と一緒のところを襲撃されてその命を失った時、なんのためにこんなことを

大人は繰り返すのだと、問うた自分への答え。


「おい、」

言いかけたとき、胸元から電子音が小さく響き。

エースは「さき、いくぞ」と声に出さずにゾロに告げるとゲートに向かい歩き始めるが、その口許に

しっかり浮かんだにやり笑いをゾロは見逃さなかった。


「ああ、・・・・いまちょうどヒースローから着いた。―――うん、わかってるよ、・・・・だから。

あいつには運転なんかさせないから平気だって。・・・・・・・だったら自分が迎えにくればよかったろ?」

ゾロの抑えた声を背中に聞きながら、エースは笑みをさらに深くする。

あのひとも、末っ子には形無しにあまいんだよナァと。




遅れてゾロも一歩を踏み出したとき、カツ、と硬い音を立てて耳元からピアスがフロアへと落ちた。

軽く舌打ちして優雅な動作で身体を折り、指先でその貴金属を捕らえ。

そのとき、ゾロは自分の目線の先を、何かが横切ったのを感じた。

静かな水面に不意に波紋が拡がっていくように、空気が流れていくのを。それは一瞬のことだった。

微かに届いたトワレの香りがなければ、自分の思い過ごしだと片付けてしまったに違いない。



身体を起こしたときには、それは既に消えてしまっていた。

自分に残ったのは、微かな違和感と―――畏怖。




2.
夜明け前の葬儀の祈りが響くのを半ばまどろみながらサンジは聞いていた。

ああ、誰かが死んだのか、と。死者を弔う祈りは朝陽がさす瞬間、奇跡のようにぴたりととまる。

小鳥のさえずりのような言葉を話す人たちと、豊潤すぎるほどに水分を重く含んだ空気。

陽が落ちれば手で押し返す事ができると思うほど闇が密度を増す、この亜熱帯の国に。


2年近く過ごして、やっと慣れてきたところだったのにな、と。寝返りをうってそんなことをぼんやりと

思い、降ろした木のブラインド越しに朝陽が、素っ気無いほど小さくまとめられたラゲッジにまで届いて

いるのを眺めていた。


予想以上に研究論文が速く仕上がってしまったのは不可抗力で仕方が無い。大学から派遣されてい

る遺跡の復旧作業斑も教授も、夏期休暇でとうにベルギーに帰っている。そんな折、父親からの久し

ぶりに戻ってこないか、との誘いを断るに足る十分な材料は、皆無に等しかった。戻ったところで10代

殆どを国外で過ごしていた自分には別に合いたい人間がいるわけでもなく、むしろ生家の名前こそ

厭わしかった。それでも最後に父親に直接会ったのは、この国に来る前、それもブリュッセル空港の

出発ロビーだったか。サイドテーブルからタバコのパッケージを引き寄せ、サンジは1本吸ってから起き

上がることに決めた。


確かに、サンジも彼なりに感謝はしている。父親の知人が所有するこの小規模でも洗練されたホテル

暮らしでなかったら、とっくにこの国から逃げ出していたに違いない自分の性質を自覚しているから。

本や資料やPCが雑然と並び、快適な温度と居心地の良さを提供している自分の場所。出発間際、

ラゲッジを手にざっと見回し、かるく肩をすくめる。それでも、ヴィラのチーク材の重い扉を閉めるとき

ふと。何故か、もうここへ戻ることは無いような予感がした。


そんな感傷を押やるように、キイをフロントに預けながらきょうも暑いねという気楽さでマダムのヘア

スタイルを誉め普段通りの会話を交わし。それじゃあお父様によろしく、と柔らかな声で送り出される。

迎えの車に乗り込み、小さく息をついた。

Pochengton空港まで行ってくれ」



長いフライトの間、夢を見ていた。

それはひどく現実的で、目覚めた時ゆったりと倒されたリクライニングシートに自分の身体が

あることが、すぐには理解できないほどだった。薄闇の中、息をつめる。意識の覚醒したとたんに

輪郭を失くしていったそれは。どこか静かな、不穏な気配が満ちていた気がする。

そして自分の物ではない、声。

耳に低く、その声の抑揚と音色だけがまだかすかに残り。

もう眠れそうもないなと、瞼を閉じたまま思っていた。



到着ゲートを抜けて、ガラス張りのロビーへ出た時にサンジは僅かにその薄碧の瞳を細めた。

光の彩度が違う、それが最初に感じた事だった。乾いた空気を通して高い空から差し込むそれは

自分の知っているどこの色とも違うと。そんなとき、視界の端に、透明なプラスティックのカップが

光を跳ね返し放物線を描くのが映った。そして子供がきらきらと同じほど瞳に光を映しこんで、その

軌跡を追うのを。抜群のコントロールを素直に賞賛する眼差しにサンジは小さく笑みを浮かべる。

その視線の追う先をみようとした、


そのとき。


「おまえ、こんなところにいたのか!」

後ろから聞き覚えのある声が届き。

「よお、コーザ」

サンジはそのままの表情で振り向く。

「よお、じゃねえぞ」

不機嫌な声を出そうと努力する従兄に向かって笑顔のまま、ただいま、と続ける。


「なんだよ、おまえ一人?噂のビビ姫拝もうと思ってたのによ」

「明日が何の日だかわかっておまえ言ってるのか?」

並んで歩き出す。

「パーティのお仕度か。大変だねオンナノコは」

「そう言ってられるのも今のうちだぜ?おまえの分もビビがもう選んでる」


「うえ。マジか?」

「俺もできれば嘘だと思いたいね。あの伯父貴の趣味だけはいただけない」

「またカエサルにでもなる気でいンのか?あのヒトは」

「それがな、聞いて驚け。今年はファラオだそうだ」

「―――うわ。」


軽く笑いながらロビーを抜けていく姿は、やがて遠ざかる。




3.

「エースッ!ゾロォーッ!!」


文字通り、キャリーを蹴飛ばしゲートを走り抜けて少年が跳んで来た。踏み切り地点から優に

2メートルは空中をまたぎ、ちょうど右腕に兄の左肩、左腕にエースの右肩を到達地点にして

落下してくる。


「よう、」

「おかえりっ」

二人分の手が黒髪をばらばらに引っ掻き回す。

1年ぶりだぁー」

満開の笑顔。周りがとたんに明度を増すような笑い方をこの少年はする。


「クリスマス休暇で会ってるだろーが」

こん、とオトウトの頭に軽く拳をあてゾロが言う。

「あれはオヤジとゾロが会いに来てくれたんだろ。おれやっぱカリフォルニアの方がすきだなー」

うーん、とかるく伸びをしてまた笑顔をつくる。


「じゃ、パブリックスクールなんかとっとと辞めてこっち帰ってくればいいんじゃねえの」

「あー。エース、しってるか?こいつな、こうみえてもポロが好きなんだゼ?」

「はぁあー?クリケットじゃなかったのか??」

「で、いまはな―――」

「だから約束したんだよオヤジと!」

堪らずそう叫んだ自分を。

にやり。と見おろしてくる二人の顔に、ルフィは兄とその親友にしっかりからかわれていた事実を知る。



「いつまでもぶすけてンなよー?ルフィ」

エースが片手にキャリーを引き話し掛けるも、ぎろり、と子供の目が上目遣いで睨み返してくる。

まいったね、と横のゾロに目をやり。それを受けて、ゾロが溜息を一つつく。

「わかったよ。おまえに運転させてやるから」

「ほんとかっ!」

弾む声と一緒にぴょんっとゾロの肩に小猿なみの器用さでぶら下がる。


「・・・帰りは命懸けってヤツ?」

「悪ィな」

まだ肩にオトウトが張り付いたままのゾロ。

「や、てめえとは長いつきあいだったよ」

しんみり、とエース。

「だぁいじょうぶだって!おれ運転うまいし!」

「「こっの超無免許野郎が!!」」


けらけらと笑いながらも、しっかりルフィの手の中にJaguar XKRのキイは握られていた。


ぎゃあああーとか声にならないモノ、さまざまな悲鳴を引き連れてシルバーグレイの

コンバーティブルはどうにかゴールデンゲート・ブリッジを渡り、厳重な警備のされている

ゲートを抜け、屋敷というよりは中世の城を思わせるようなジェラキュール邸へと最後は

どうにか優雅さの片鱗を見せて蛇行をしつつ滑り込んでいった。


「みんなぁっ!かえったぞぉぉぉーーーー」

ナビシートとバックシートで生還の喜びを兄達が噛みしめている間にルフィはドアをひらりと

飛び越え正面玄関前に勢揃いした使用人の真ん中に着地する。

「ぼっちゃまあぁーーーッ」

きゃああ、と歓喜の一大オペラが行われているなか、エースはゾロの肩を捕まえた。


「ア、  と。おまえ、明日の夜空けとけよ?」

「なんだイキナリ」

じつはさ、と身を乗り出しエースが唇端を吊り上げる。これは、悪企みを仕出かす時のお決まりの

前振りであることをゾロはとうに知っていたけれども。

する、と肌に直に着たヌバックのシャツの胸元から一通の、金箔で型押しされた封書をエースは

取り出す。その紋章にゾロは目をとめ、片眉を引き上げる。


「ネフェルタリの―――?」

「例のパーティにナミが招待されてるんだぜ」

たまらずエースが声をださずに笑い始める。

「しんじられねーマヌケだよ、まったく!俺と付き合ってるの、あちらサンはご存知ないのかねェ」


ネフェルタリ家頭首、コブラが2年に1度催す盛大な仮装パーティはイーストベイだけでなく、招かれる

ゲストの多彩さ豪華さと、その規模で広く知れ渡っていた。それは多分に、必ず1年おきに開かれるもう

一方の頭首の催しと毎年競い合うように盛大になっていく所為もあってのことではあった。

「オッサンの誕生パーティになんか俺はいかねえぞ」

自分の親のにだって俺は死ぬ思いで出てるんだ、とエースを睨みつけても。


「はいはい。おまえがそれをナミに言えたらナ、俺も諦めてやるけど?」

う、とゾロが言葉に詰まる。まだギャングスター稼業が面白くてロクに通いもしなかったプライベート・

スクールで唯一気のあった人間が、ナミだった。そのナミがいつのまにかエースに恋をし、「みてらっし

ゃい」との勝気な宣言通り、見事に成就してみせたのはもう2年近く前の話になる。


「そういえば、ナミは?」

いつのまにか二人の側に戻ってきていたルフィがいきなりゾロの横から顔を出した。

「ああ、オンナを磨くとか言ってさ、エステ。パーティじゃオンナは背中で勝負するんだとよ」


「パーティ?」

「ネフェルタリの仮装パーティだよ。よしっおまえも来るかルフィ?」

「エース!」

「いくッ」

「決まりだな、兄上」

にっと唇を引き伸ばし。眼だけでヒトが殺せそうな不機嫌顔も平気で流し、エースは相手のポケットに

招待状を差し込んだ。





見えない手が、そっと自分達の肩を抱きこんだことを 知る由もなかった。


夏の日がはじまる。












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