フン。そういう訳か」

「―――ああ。いまのとこわかってるのは、ここまでだな」

「いずれにしろ、汚ェな」

吐き捨てるように呟かれたエースの声に。

おい、と半ば驚いたようにシャンクスがその顔を軽く覗き込む。



「おまえ、けっこう甘チャンだな」

小さな笑い声が、セント・イグナシオ教会の高い天井に吸いこまれていき。



エースが思い出したように口にする。

「ヤツには、オモテの方に立ってもらいたかったんだけどなァ」

「まあな、」

「けど、そうもいかねえんだろ」

すい、と漆黒の瞳が。シャンクスにあわせられる。



「あの、“眠り姫”。あのバカ手放す気なんかこれっぽっちもねえんだろ、どうせ」



「―――なんだよ。気づいてやがったのか?」

悪びれた風もなくシャンクスが言い。

「ナメテもらっちゃ困るぜ?」

そうだな。おまえそういや鷹の眼のフトコロガタナだもんな、と。言うと、堅い木のベンチから

立ち上がる。



「しばらくウチで預かる。連れてっちまうけどな、あの親バカには言うなよ?」

「早い方が良い」

ベンチに座したままのエースの声が追いつき。

「そのつもりだ」



礼拝堂の真鍮の扉の前で、シャンクスは振り向く。

「けど、その前に大掃除しねえとな。おれも落ちつかねえよ」

屈託の無いわらい声を背に、聖水盤に人差し指を浸しかるく十字を切る。



「エース。親バカんとこ行くぞ、早く来い。それとも告解でもするのか、ん?」

「あー?戻らねェの」

「アホ。おれはヒトの恋路のジャマはしねえの。たとえあのクソガキのでもな」












--- Destiny’s Fool ---




遠ざかる銀の影は、銃弾のようだと。

海の蒼と、蒼穹の間を禍々しいまでの優雅さで弧を描いて抜けていく。



指の間から零れ落ちる、掬い上げた水のように

自分の内に在ったどこか充たされていた想いが 時間が 消えていく、雲の影のように

代わりに

潮の満ちるように



陽が夏の雲に隠され、幻のように世界が色の彩度を落とし

その間から差す光が緩やかなカーブの先に消えていこうとする影だけを一際鮮やかに飾る。






たのむから

連れて行かないでくれ、と



何かに祈る。




唐突に沸き上る、縋るような想いに

遠く、聞こえる岩にあたる波音に 縫いとめられたかのようにサンジは立ち尽くす。

その眼は、ただ光の消えていった先を追い






捕らえどころの無い、重たげな足音を聞いたような気が








していた。








1.

自室の扉の前に、ビビがいた。

「ビビ―――?」

麻に銀糸が織り込まれた丈の長いワンピースが、窓から差し込む陽射しに光を柔らかく返し。

ぼう、とその姿自体が浮き上がってみえた。

「父からの伝言があるのよ。”運命に誑かされおって、バカヤロウが。”」

アメジストの瞳が笑みに細められた時、サンジの背後から物静かな声がかけられた。

父上がお呼びです、と。




窓を背に立つコブラの瞳が、まっすぐに合わせられる。

サンジの眉根が僅かに寄せられた、そのとき



書斎の扉が開き



そうっと足音を忍ばせるように入ってきたビビの、淡く朱をのせた唇が笑みに引き伸ばされた。

「おじさま、ごめんなさい。私がお願いしちゃって―――帰らせなかったんです」

瞼が伏せられる。睫の落とす影が、ゆっくりとその動きを追い。

ビビが、サンジの首もとに頭を預けるようにする。



「ごめんなさいね?迷惑かけてしまって」

「ビビ、」

だまっていて、とでも言う風に強く掌が押し当てられる。

少しの沈黙が流れ。



「おまえは預かり知らぬことかもしれんが、今は不用意に動くな」

やがて低い声が、逆光で表情の消された姿から響く。

「どういう――――」

サンジの問い掛ける声に。ほんの僅か、コブラの声音に苛立ちが刷かれる。

「おまえの。この家を厭うまさにその理由からだ。勝手な行動は、慎しむように」

「―――はい、」



「ビビ、おまえも」

「わかっています、二度はしないわ」






書斎を抜け、ビビはやっと薄く身体をサンジから離し、見上げるようにした。

「サンジくん、」

「ああ。ありがとう」

「あのね、」



ふわり、とビビの動くのにつれて柔らかに立ち昇る香りは。

“ガーデ二ア”だな、と関係の無い事にサンジの思考が浮きかけるのをまるで見透かしたかのように

ビビがその顔を近づける。



「―――あのヒトに言って?鎖骨から指の幅2つ分より上には痕残さないように、って。エリで、

隠れないから」

「―――ビビ?」

その薄碧が見開かれるのに、ビビはちいさくわらう。

なにをそんなに驚いているの、と言って。



「迎えに来てくれたヒト、バルコニーから偶然見たのよ。妬けちゃう。キレイなひとね」

「―――ああ、だろう?」

どうにか、いつものように笑みを浮かべ声に出し。



「ねえ、サンジくん。父や、おじさままであんなこと仰ってるけど。私、恋のジャマはしないわよ?」

「頼りにしてるよ、」

そんな軽口も何とか出てくるまでにはなったが、



ふと。

意識の隅にひっかかっていた違和感に、今になって思い当たった。

いつもこの時間、父の傍らにいる筈の姿が無かったということに―――。

知らず、鼓動が早くなる。



「な、コーザは?どこか出てるのか、いないなんて珍しいな」

「イースト・ベイよ」

「―――イースト・ベイ・・・・・」

ひたり。と

冷たい手が、心臓を掴み



「場所、わかる…?」

知らないわ?とビビが向き直る。ひとにあう、としか聞いてないもの、と。

「―――自分で行った、」

「ティボルトが、」

正面玄関の横にいた護衛の一人の名前を口にし。

「送って行ったんだね?」

とたん、サンジはビビの頬に一つ接吻をおとし、大階段を駆け下りていく。



「サンジくん?」

ビビの悲鳴にも似た声が追うのに振り返ることは無く。

その声が届き、コブラの眉根が寄せられた。




ビビは、自分の名が呼ばれた事を。

突然襲ってきた不安の中で、どうにか耳にした。







2.


「ゾロッ?エースがっ」

叫ぶようなナミの声が端末から響く。

背中にぶら下がるようにして“おかえりー”だの、“構え!”だの騒いでいたルフィの体温が

不意に離れ、真横から、自分の手元を見つめてくるのがわかったが。




引き千切られるように届いてくるナミの言葉だけが、すべてになった。




「バルサザー!クルマ出せッ」

そう階下に向かって怒鳴る兄を、ルフィがどこが呆然とみつめ。

「ゾロ、なんかあったのか?」

ふ、とゾロの纏っていた覇気というには冷たすぎる何かが僅かに緩み。

「平気だ、すぐ戻る」



くしゃりと。自分の髪を乱していく手は、確かに変わらないけれど。

その、眼に浮かぶヒカリは―――










「よォ、どうしたルフィ。置いてかれたかァ?悪い兄キ共だなー」

階下の玄関ホールの方から、聞き違いようのない声がのんびりとあがってくる。

「シャンクス!」

ルフィが階段上に走り出る。

その声の底に、常とは違うものをすぐに感じ取りシャンクスは僅かに眉根を寄せる。

「なんだ、どうしたよ?」

自分の位置まで駆け下りてきた少年を見おろす。



「わけんねえけど。すげえ、嫌な予感がする」

ぐ、と。ルフィの拳が白くなるほど握り締められる。

「―――ナミが、」



「電話で、叫んでた」



「ルフィ、」

シャンクスが、笑みの欠片さえない眼差を自分に向けるのをルフィは初めて対峙した。

「場所は」

金のフレアに縁取られるようなどこまでも黒い瞳はそれでも逸らされることはなく。

「―――言え」



「言わねえ。おれも連れてけ」



シャンクスが軽く溜息をつく。

「帰りは送んねえからな」



満開の笑みが返された。










ナミのアパートメントの屋上には、手入れの良く行き届いた温室がある。

そのむせ返るほどの熱帯植物の醸す濃密な緑のなかで、ナミはエースの膝の上に抱かれていた。

「何回、私があなたにあいしてる、って言ったかわかる?」

ふ、とエースの視線がガラス越しの朝の光を追い。



「80回くらいか?」

真近で覗き込み、目許に唇で触れ。

「なに、その数字。なんの根拠があるわけ?」

「あー?だいたいそんなモンだろ、おまえがおれのこと殴ってきたのなんてのは」

怒り出そうとするのを唇でかるく塞ぎ。そのオレンジの髪に手を差し入れる。

そしてそのまま、胸に抱きこみ。



「フツウに、言ってるわよ。いまだって、いつだって。アイシテルって」

ナミはその背に腕を回し。伝わってくる鼓動に目を閉じる。

意外なほど器用な指が時折戯れながら、そっと髪を滑るのを。

知っていた。これは、この男が何か考え事をする時のクセだというコトも。



「おまえは、イイ女だよな、」

突然、言われ。ナミは目を閉じたまま微笑む。

「あたりまえじゃない。大事になさい」

ちいさく笑う揺れも、髪を梳いてくる指先も。

いとおしい。



柔らかく、その手が項へと滑りかけたとき突然の電子音にナミの身体が小さく跳ねた。

わるい、と言う風に目を細め、エースが傍らに放ってあったシャツに手を伸ばし。

そして。

空気が、豹変した。















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