8. 「二度と、おれの前にそのツラみせるな」 「・……エース、」 見上げる男の顎が、容赦なく蹴り上げられた。 「呼ぶんじゃねえよ?」 既に地面に這いつくばって重なり合っている4―5人の上に崩れ落ちるその姿に向かい、 軽く言ってかえす。 誰が戦争やらかせっていったよ、テッド。コーザのとこの、てめえら何人殺ってんだ、ア?」 身体を動かそうとするが、両膝裏に銃弾が撃ちこまれる。 傍らのエースを振り返ろうとし、その動きが突如止まる。 視線を前に向けたまま、男は声に出す。 「じゃ、ねえんだよなァ、これが」 エースのまっすぐに伸ばされた腕の先、銃口が後頭部に押し付けられる。 「パリス。てめえさぁ、いつからだ―――?」 「だから、何が―――」 靴裏で小石が小さな音をたて、すう、と近づいた気配を感じる。 この男の柔らかな口調に、却って自分の額が汗を浮かべていることをパリスは意識する。 「おれは、」 「なんだよ?カネに目が眩んで?オンナに?違うだろ。パリス。おまえが、」 かちり、と銃鉄が上がる音。 蒼白な顔で、自分をみつめてくるのに 「なあ、てめえも、付くサイド間違えたな」 それだけを言うと、ベルトに銃を差しこみ背を向ける。 汚ねェマネしやがって。 そう呟くと、頬に散った赤いモノを指先で拭い、湿った石壁に擦り付ける。 それでも。いまここで、不用意に大掛かりな事件など起こせる事態では無いことは明らか過ぎる ほどのことだった。 軽く指先で叩き、ドライヴァー代わりの護衛にそれを下げさせる。 「奥の、始末頼む」 加速してハイウェイの入り口へと向かう。ダッシュボードから端末を取り出し。 “あ!てっめえはまた言うかこのガキァ” 「なあ、おれとコーザが潰れて得するヤツって誰だと思う?」 電波を通してもなお、車内の空気が変わる。 「高速。ちょうどベイブリッジ渡ってシティに戻るとこだぜ」 “レイク・メリットまでもどってこい” 「ああー?あんたが来い」 「あー、そりゃそうだな」 “それに。いまならもれなくおもしれえモンがみられるぜ?” 「はァ?なんだ」 くくくっと端末の向こうで笑っている気配。 「シャンクス、あんた・……、」 “あ?” 「―――マジでヤツ、ヨメにしちまったのかァーーッ?!」 エースの手の中の端末は破壊的なまでに笑い転げているらしい音を伝えてきた。9. 「ハニーが起きたぜっ!」 ドアを開けたところをイキナリ、ぎゅううううう、と抱きしめられてサンジが硬直する。 「・……なっ」 「―――シャンクス、」 銃があったら抜いていそうな勢いのゾロが後ろから襟首を掴む。 「・・…あんた、だれだ?」 決して「良い」とはいえない目付きのサンジに、動じないのは流石といえる。 「離れろって。」 ぐい、とゾロが引き剥がし。 ちっ、ケチ。とか何とかどこかの子供のようなことをこの男は仰った。 わけのわからない内に遅めの昼食を何故だか3人で作るハメになり、納得のいかないまま テーブルにつかされ、サンジはうっかり10世紀の寺院の話をさせられ、気が付いたらゾロは 皿を受け取りディッシュウォッシャーに入れる事態に陥っていた。手渡しながら聞いてくるのは、 更に混迷の度を深めた表情の、サンジ。 「なあ、なんでこういうことになってるんだ?」 「おれに聞くな」 「そう。あれが、そのシャンクス」 既にシンジケート内でも半ば伝説の中の存在に近い男が、まさかバーカウンターでなにやら 携帯片手に先ほどからけらけら笑ってブラックオリーブのピラミッドを作っているのと同じヤツだとは、 いまのサンジではなくても にわかには信じられないだろう。
「ふうん、」 ふわ、と薄碧の瞳が細められる。 「気、抜けちまうな」 「確かに」 答えると、雑にウォッシャーの扉を閉め、襟元からのぞく首筋に唇を寄せる。 微かに、サンジの肩が揺れ。 からかうような声が届き。 腕を回し抱きしめた肩越しに 「ざまァあみろ、」 と、ゾロが返し。 「・…てめっ、」
腕ごと抱きこまれたサンジに抵抗の余地は無かった。 と描きはじめる。サンジが黒革のソファに埋まるようにして片膝を立て紙にペンを走らせている 浮かぶ微笑に、キレイダナ、とつい口に上らせた。 デヴォダ、ていう女神だ、とサンジが目を上げずに答え。プレ・ループっていう寺院の頂上の 神殿に彫られてる、と静かに続ける。遺跡か?と尋ねてくるのに、千年以上前の寺だぜ?と 返し。ふい、と眼をあげる。クメール語で、死者の身体を変える、って意味の寺。 ああ、だからか。と、返された声に。記憶の底が揺れた。この言葉と、声は 「奇麗なはずだ、終わりを見取るなら」 ―――聞いたことがある。出逢う前に。 と。サンジが、突然ぱたりとテーブルにスケッチを置き、言葉に乗せた。 「・…ねる、」 「は?」 思わずゾロが見返すも。 「うっせ、おれは。ねむい、」 視線が、どこか茫としている。 たしかにちょうどいま落ち着いているソファは一面の窓からの陽射しを後ろから浴びてはいたが。 とん。と、肩に頭が預けられた。 シャンクスが広い部屋の反対の方から言ってくる。よいせ、とノートPCを自分の体の上から フロアに降ろし。すいと立ち上がる。滑らかな動き。「なんだよ」 「その、お宝。随分とまた無防備なんだな」 「フツウに生活してたからだろ、」 何言ってるんだ、あんた、とゾロは返す。 「おまえ、充分なつかれてるじゃねえの。良かったな」 おまえのことだから、てっきり半分は攫ってきたのかとおもったぜ? 続けられる声に。 「・…フン、生意気いいやがって」 トン、とかるくその手は頭を小突き。 なんか飲むかー?と暢気にいいながらそのままバーカウンターまで行ってしまった。 「だろ、おれも同じリアクションだったぜ」 眠っている、黒と皙と金と、淡い青のコントラスト。 低く言っても。この二人は多分、威嚇の効果がゼロであろう人間5人のうちの2人だった。 にこにこと。 代わる代わる覗きに来る。 「うぜえっての。エース、てめえまで何しに来た?」 にんまり。とエース。 「放っとけ」 膝にあたるぎりぎりで足を避け振り返り、 「うし。珍しいモンも見せてもらったし。行くかー?」 「だな、」 シャンクスも陽気に返し。 「これ以上ここにいたらこのクソガキに何されるかわかったモンじゃねえぞ」 「・・…てめらなぁ、」 「あとでなァ」 エースもひらひらと手を振り、ふ、と真顔になったゾロが立ちあがろうとするのを手で制す。 「起きちまうだろ―――?」 にい、とネコ科の笑い。 ヒトは動くべからず、ってな!」 それを目にしてエースも、ひゃははと笑い。 ガレージで通り過ぎざま、開けられたままのウィンドウからXKRのドライヴァーズ・シートに 電源を切られたゾロの携帯が放り込まれた。 「んー?さあ。怒涛のような一目惚れらしいけどな」 シャンクスは、にやりと笑みをつくる。 エースの方から短い口笛の音。 「あの時か!」 「お?面白そうな話か?」 「パーティの帰りに、車から飛び下りやがったんだヤツは」 「バッカだなオイ!そっちの話が先決だろ」
笑い声が響き、やがてエンジン音と共に遠ざかっていった。 肩に、半身にかかる柔らかな重みを感じ。頬に軽く触れてくる金糸に、首を傾けて唇で触れる。 この何処までも穏やかな一秒一秒が慈しいのは。ウタカタの幻のようなものだからか。 切り取られた時間。もう一度手に入れるも、入れないも、運次第か―――? いずれにしろ。自分が選び取ったことだしな、と。例えもう一度選びなおせるとしても、
迷わず、同じモノを欲するだろうことだけは明白で。 ゆっくりと、瞼が開けられ、少し焦点の曖昧になった眼差がゾロにあわせられた。 「・・・・・ゆめだ、」 呟く。 「――――ゾロ、」 ゾロは黙って見つめ返す。すんなりした腕が伸ばされ、ゆっくりと、すこし冷たい指先が さらさらと頬をたどり。 空気に溶けそうな、やわらかな言葉。 「サンジ?」 「やあっぱり、夢だ・・・・」 言い終わらないうちに、もう一度瞼が降りてきかけ 口づける。抱きしめながら。 「ロクでもない夢なんか、みてるんじゃねえぞ…?」 ごん、とサンジの拳がゾロの頭の真後ろに当てられた。 「おれは、オヤスミしてた筈だけど、」 腕を突っ張って躯の上からゾロを浮かせる。 「なんでおまえに押し倒されてんだよ?」 「寝ぼけてたからだよ。起きたか?」 拍子抜けするほど素直な、どこか安堵したような顔で聞き返してくるのに、 曖昧な返事をしてもう一度首に腕を掛けて引き寄せる。 「ベルメールか?看護婦だよ」 「・……看護婦?」 「研修医だけどな、本当は。モグリの医者のとこで看護婦もやってる女だ」 に、とサンジの唇の端が引き上げられた。 それだけじゃねえだろ。美人な上に、けっこう面白い話してくれたぜ?途中で、と。 その手をゾロは捕らえ、指先を口許へ持っていく。 ん?とサンジは見上げるようにする。 「時間。あと、どれくらいいられる、」 「朝まで、だな」 「そうか」 ふいに小さくわらいだしたサンジに、ゾロはかるく額をあわせるようにして、なんだよ、と問い。 「だから何がだ」 「いまな、質と量とどっち取るかカンガエテタ」 「―――バカじゃねえの?」 ゾロの片眉が引き上げられ。 「うん、」 サンジはゾロの瞳をみつめたまま、けらけらと笑い出し。 「おまえのバカがうつった」 「両方に決まってるだろうが」
笑いを含んだ声が落ちてくると、残りの音はすべて喉を滑り落ち、取り込まれていった。
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