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 労わるような沈黙を、いとおしんで。
 それから、ふと気付いたように、エースが眼差しを跳ね上げた。
 「ん…?てことは、だぜ?」
 悪戯気に闇色の瞳が煌いて。
 フェルーシアはドキドキして、エースを見上げる。
 「…なんでしょう?」
 
 に、と笑った男は、すい、と両腕を拡げて。
 「おれが。おまえの義理の?ああ、なんでもいいや、ははは!!おとうさまだぜー!?」
 
 ゴキゲンな様子のエースに、フェルーシアはぱちくりと瞬きをする。
 「ほら元チビ!!遠慮すンなって!」
 「…はぁ」
 状況の展開に着いていけず、目を白黒させたフェルーシアは、とりあえず、自己紹介がまだだったことに気付いて。
 とりあえず頭を下げて、言った。
 「ああ、ええと、申し送れました、ボク、フェルーシアと申します」
 
 そんないつまでも他人行儀な様子のフェルーシアに、エースは焦れったそうに胸を叩いて。
 「よしわかったフェルーシア!おとうさまの胸に飛び込んで来い!」
 「って、ハイ?」
 灰色の瞳をもう一度、ぱちくりとさせた、"リヴェッドの一人息子"に。
 「ほぉら、フェルーシア!」
 もう一度声をかける。
 
 「ええと、…え?あ、あのええと、リヴェッドさまは、ルシーアとお呼びになる時もありましたが…わわ!」
 戸惑いが収まらず、何をどうしていいかわからないフェルーシアを、焦れてチッと舌打ちしたエースは問答無用で、
 その小さな身体を抱きこんで。ぎゅう、と力をこめた。
 フェルーシアも、ようやく事態を理解して。おずおずと両手を挙げて、自分を抱きしめる男の首に腕をかけた。
 
 
 「あー、ったく。前のまンまなら高い高いだろうとなんだろうと出来たのによー」
 ち。ちょっとやってみっか、と呟いたエースには気付かず。
 「え?ボク、もうすぐ16になるんですけれども…よろしいのですか、こんな大きな…コドモ」
 最後の方は、消え入るように、フェルーシアは言い。
 「はっはあ!10歳の時のコドモだと思えば問題ねェよ。フフン、ルシーア。ありがとうな。おとーさまは嬉しいぜおまえにあえて」
 更にぎゅむう、と抱き込む。
 フェルーシアはくすんと笑って、
 「…10歳でですか…」
 と呟いた。
 
 「第一」
 そんなフェルーシアを、エースはひょいっと自分の肩の高さまで持ち上げて。
 「ほーら、たかいたかいが出来ンだろうが」
 にんまりと笑った。
 わ、ちょっと…、とフェルーシアは顔を真っ赤にしながら少し大きな声で言う。
 「ええ、そりゃボク小さいですけど、軽いですけど、元カラスですけど〜ッ!!」
 生まれて初めて、高く抱き上げられたフェルーシアが身体を硬くすると。
 上等、うん、とエースは笑みを深くして。
 「こうなったら、ぐるぐるとやらもできっかな?な?ルシーア?」
 ケラケラと笑った。
 
 「わ、さすがにそれは…ッ!!」
 急いで首をフルフルと振ったフェルーシアに。
 「問答無用なんだよ、おれは」
 エースはにい、と笑う。
 
 「…お人が悪いですよ…エース様」
 照れたフェルーシアは。
 少し怒ったような口調で、エースを諌めようとするが。
 「さま??ん??ルシーア、テメいまなんつった?」
 強い口調で言われて、エース、さま…ですが、と声量を落として言い直す。
 
 「なーまいき」
 くくく、と笑って、エースがフェルーシアを抱き上げたまま、グルグルと回った。
 「わわ…ッ!! おやめください、自分で飛ぶのはなれておりますけれども、こーやられるのは…ッ!」
 目をグルグルと回すフェルーシアを、笑って床に下ろして。
 へたんと座り込んだ小さな少年の黒髪を、さらさらと撫でた。
 「エース、でいいっての。な?ムスコよ」
 そうして、笑いながらすい、と姿勢を低く落とした。
 
 「…ああ、でも、ボクにはそんなことはできません」
 フルフルとフェルーシアは頭を振るも。
 「しろ」
 とエースは言い。
 「できるって」
 笑いながら、灰色の瞳を覗き込んだ。
 「うああああ…いま、から、ですか…?」
 困ったように見上げたフェルーシアに。
 「そう即刻」
 にこ、と笑って断言して。
 「ほおーら、言ってみる」
 フェルーシアの前髪に隠された額を、指でツイと突付いた。
 
 フェルーシアは、切れ長の瞳を、数度瞬いて。
 「…えー、す…」
 小さな声で、真っ赤になりながら、男の名前を呼んだ。
 「ははは。うん。良く出来ました」
 エースはにこお、と笑って。目の前の艶やかな黒髪を撫でた。
 「次はもちっと大きな声でな」
 
 フェルーシアは照れて、一度目を伏せてから。
 勢いをつけて、エースを見上げる。
 「あの…ッ!」
 「ん?」
 エースはちょっと吃驚して、闇色の瞳を瞬かせる。
 「あの、…リヴェッドさまから…もし、えー…すが…」
 「はは、うん」
 ポン、と一瞬で顔を赤らめたフェルーシアに、エースは先を促すように頭を撫でる。
 「お嫌なようで、なければ…という…注釈付きで、伝言…この場合、伝言でよろしいのでしょうか…があるのですけれども…」
 戸惑いながら言ったフェルーシアに。
 「リヴェからの言葉で。おれが嫌がることなんてあるはずがないだろ?」
 くしゃり、とエースは笑う。
 
 少年のように、笑う人なんだ。
 遠い日にそう笑ったリヴェッドに、その通りの方ですね、と今、同意の頷きをそうっと返して。
 「ええと、…そのまんまでお伝えしますからね…?」
 小さく首を傾げて、エースを覗き込む。
 うん…?とエースも、小さく首を傾げて。
 
 
 もし、オマエが。
 どこかであのオトコと逢う事があれば…伝えてくれないか?
 状況を見定めてから、で、構わないから。
 
 どうやら無事に、お伝えできそうです、リヴェッド様。
 
 一度目を瞑って、できるだけ細部まで、思い出し。
 フェルーシアは徐にエースの肩に、腕を回し。
 そしてそうっとその頬に優しい口付けを落とした。
 
 「"…エース、たくさんの微笑みを"」
 
 
 
 
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 メッセージを託された時には、なんとも思わなかったのに。
 いざ渡してみると、たったそれだけの言葉なのに。
 思いがけず、たくさんの愛情が詰まっていることが解ってしまった。
 一瞬目を見開いたエースに、フェルーシアはさぁ、と頬に血を昇らせながら、以上です、と結んだ。
 
 「…た、たしかに、お伝えしましたからね…?」
 しかしエースはそれには応えず。
 ぎゅう、と腕に力を込めて、フェルーシアの頭を抱いた。
 新たな感情の波がエースを襲ったのを感じて。
 「…あの…もう、泣かないでくださいね…?」
 そうっと、エースの耳の傍で、囁いた。
 
 エースはじっと動かず。
 僅かにフェルーシアを抱く腕の力を増した。
 フェルーシアは、戸惑いながら、そんな男のクセのある髪をそうっと撫でて。
 ダイスキな人が愛しんだ人を、慰める。
 精一杯の気持ちを込めて。
 
 エースがフェルーシアの首元に顔を埋めたまま、そうっと訊ねる。
 「…リヴェッドは、いま。わらってくれてるかな…?」
 そんなエースの頭を、さらりさらりと撫でて。
 「…それはそれは嬉しそうに、微笑んでおいでだと思いますよ?」
 本心から思ったことを、伝えた。
 
 エースは小さく息を吐き。
 抱いたままのフェルーシアの頭に、コツンと顎を乗せて。
 「…だったら。泣くわにはいかねェよなァ」
 そうっと呟いた。
 
 遠のいてしまった頭を、撫でる事は諦め。
 きゅう、とエースにしがみ付いて、そうっと声をかける。
 「お時間のよろしい時に…もし望まれるのでしたら、お墓にご案内させていただいてもよろしいでしょうか?」
 「…ああ、たのむぜ。ムスコ」
 
 きっと。この人もリヴェッド様に。たくさんのことを伝えたいだろう。
 彼の人が、こうして伝言を託したように。
 けれど。
 
 「もう、伝言をいただいても…どうすることもできないので。直接…リヴェッドさまにお伝えになってくださいな」
 背中のシャツを、キュウと掴んで。
 そうっとエースに伝える。
 そうされた方が、きっとあの方もお喜びになられる、という気持ちを込めて。
 
 ウン、と小さく応え、フェルーシアを抱く腕に更に力を込めて。
 「その季節に咲いてる一番白い花、全部買い占めて持っていくから」
 エースが仄かに笑って、約束をする。
 「…そうですね。リヴェッドさまも…お喜びになられるかと思います」
 フェルーシアも、小さく笑って。
 そしてそうっと逞しい男から、身体を離した。
 
 
 「今日は…突然のことで…」
 そうトーンを変えて言ったフェルーシアに、エースは笑ってやさしく腕を解いて。
 「…あたりまえだっつの」
 苦笑しながら言った。
 「本当は…アポイントメントしてお時間を戴いてから来るのが正しいのですが…今日はふらりと立ち寄ったので。
 お手紙だけ、お渡ししておこうと思ったのですが…」
 「あのねェ、ルシーア」
 エースは呆れたように、溜め息を吐いて。
 「オヤに会いにアポ取るバカがどこにいるよ?ン?」
 視線を柔らかく跳ね上げた。
 
 「でも…ボクのことをムスコだなんて…会うまで…言い切れなかったでしょう?」
 くすん、と笑ったフェルーシアに。
 「バカめ。友達にあうのもアポはいらねェんだよ。手紙だけ、なんてやってたらな、ブン殴ってるところだぜ」
 物騒な事を言いながら、にこりと笑みを浮べた。
 フェルーシアは躊躇して。
 それでも正直に、思っていたことを言葉にした。
 「もしかしたら…ボクに会いたくないと仰ったかもしれませんし。本当は…覚えておいて戴けたとは…」
 
 エースはくすりと笑って。
 「忘れてるはずないだろ?全身で、おまえさ、リヴェのこと心配してたんだから」
 それは暗に、リヴェッドのことならちゃんと見てたから、と言われたようで。
 フェルーシアはクスクスと笑って、瞬きを繰り返した。
 「リヴェッドさまには…沢山惚気ていただきました」
 アナタからも惚気ていただけるとは、思ってもみませんでしたけれど。
 視線でそう告げたフェルーシアに、エースもハハッと笑って。
 「で?リヴェの言ってた通りのイイ男だったろうが」
 クシャリとサラサラの黒髪を撫でた。
 フェルーシアはそうっと目を閉じて、その感触を楽しみ。
 「…時々、語り合える方がいてくださるって…嬉しいことですね。予想以上の方で、安心しました」
 ふんわりと笑った。
 「おれがおとーさまで安心したろ」
 エースも、同じ様にやさしい笑みを浮べて。
 「おれもさ、リヴェの傍におまえがいてくれてよかったよ」
 吐息混じりで言った。
 
 「本当は…リヴェッドさまの惚れた欲目だったら、どうしようかと思ってました」
 一瞬の沈黙の後、そう告げたフェルーシアに、エースはフン、と笑って。
 「出来すぎたガキだぜ、ほんとに」
 と言った。
 「イヤなヤツだったら…それなりのことはしてやろう、とか思ってたんですよ?」
 キラリと視線を光らせたフェルーシアの言葉に、ハハハッと笑ったエースは。
 「うあ、それはねェよ、リヴェに限って!」
 と大げさに両手を挙げて見せた。
 「命懸けで惚れたくらいだから、あのヒトには」
 と、ウィンクを付きで、更にオチャメに惚気て。
 
 
 
 
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 暫く笑いあった後。
 フェルーシアは、部屋にかけてあった時計をちらりと見て。
 「…今日はボク、一度帰りますね。仕事の途中で、来てしまいましたから」
 笑みを残したまま、エースを見上げて言った。
 エースも同じ様に、笑みを刻んだまま、片手をあげて。
 「おまえも忙しくしていて結構。だけどな?また来いよ、いきなり」
 そう言って、笑った。
 「おとーさんは、いつでもオマエを歓迎するぜ」
 
 にっこりと笑ったエースに、フェルーシアはふんわりと笑って。
 「またイキナリ来ますね、おとうさま」
 ぺこり、と頭を下げた。
 「ああ。いつだって、待ってるから」
 というエースの言葉に。
 「今度は、お墓に行きましょうね!」
 にっこりと笑って。
 
 
 口の中で呪文を唱え、くるりと鴉の姿に容を変え。
 数回羽根を羽ばたいてから、エースを見上げ。
 笑って窓を開けたエースの足に、すり、と身体を摺り寄せてから。
 とん、と窓枠に飛び乗り。
 フェルーシアはそこからふわ、と飛び立った。
 もう、振り返ることもなく。
 
 その姿を、エースは感慨深げに見送って。
 「あーあ、ばっさばさ言っちゃって」
 舞い落ちてきた黒い羽根を拾い上げて。
 ちらりと笑った。
 それから、夕日に向かって飛んでいったフェルーシアの姿を探すように、空に目を向けて。
 
 ああ…今日もいい天気だな。
 そう呟いてから、ゆったりと、伸びをした。
 
 一陣の風が吹いて。
 ふんわりとエースの髪を、撫でていった。
 
 
 
 
 
 *	****
 
 
 
 
 
 
 親愛なるエース
 
 元気にしているだろうか。
 初めて…筆をとってみることにした。この手紙がいつ届くのか、もしくは届かないのか、私にはわからない。
 届いて欲しい気もするし…永遠に届かなければいいとも思う。フェルーシアに、託してしまう私は…卑怯だろうか。
 
 あれから何年経ったのだろうな。昨日のことのようにも思うし、随分と昔のことだったようにも思う。約束したように、何度も
 忘れては、何度も繰り返し思い出し…。想うことを止めようと思った日もあったが、どこから溢れるのか、この気持ちは
 止め処なく静かに沸きあがり続け、終わりを知らない。だから、筆を取ろうと思ったのかもしれぬ。
 
 エースは…あれからどんな毎日を送っていたのだろうな。もう妻帯者になったのだろうか。もう子供は生まれたのだろうか。
 それとも、まだ心が決められずに、花園を飛び回っているのだろうか。おまえを手に入れる人はどんな人なのだろうな。
 きっと美しく、聡明で、やさしい人なのであろう。まぁ、おまえがどんな生活を送っていようと…できれば、毎日幸せに笑っていて
 欲しいと思う。今ある生を、謳歌していて欲しいと思う。
 
 最近、よく大空を飛ぶ夢を見る。大海原を、波飛沫がかかる低さで飛んだり、草原を遥か彼方から見下ろすように飛んだり。
 風に乗ってどこまでも行き、朝日を追いかけ、夕日を追い越し。夜空を星に向かって飛んでみたり。静かな世界なのだが…
 どこまでもやさしい場所ばかりだ。
 私の命は…そろそろ尽きようとしているようだ。体力は落ちるばかりなのに、魔力だけが強まっていって。私のどこかが、
 壊れてしまったのかもしれない。まぁフェルーシアに総てを注いでから逝くのだから、魔力が強まるのは有り難いことなのだが。
 最近、仕事はしていない。悪霊は私を避け、良い霊は私に笑いかけてから、空に昇っていく。何か特別なことをせずとも…
 どうやら私が通路を開いているようだ。お陰で、私のまわりは、とても静かだ。鳥が瞬きする音ですら、聴こえるくらいに。
 
 …なぜこんな手紙を書いてしまっているのだろうな。オマエに…甘えてしまっているのだろうか。私の心の中にいるオマエに。
 私はこの二、三日中に逝くだろう。今一度、目見えたい気もするが…そうしてしまうのは少し恐いし…どの道、間に合わない
 だろう。お前はまた私をズルいと言うのだろうか。
 
 長いようで短い人生ではあった。沢山泣いたし、沢山傷ついたし…沢山愛したし、沢山笑った。悩んだり悔いたりもしたが、
 幸せな人生であったよ。今、昔日に思いを馳せても…苦しかった日も、楽しかった日も、みんな良い思い出になっている。
 良い人生だった。
 
 いつまでも取り留めのないことを書いていても仕方がない。心で思っていることは…いざ書き出そうと思うと、言葉にならない
 ことばかりだ。溢れた想いは…やがて空へ溶けていくだろう。
 
 オマエと出会えたことを、感謝している。
 オマエを変らず愛しているよ。
 そして、オマエの人生が悔いのないものになることを祈っている。
 
 幸せに、エース。
 
 
 リヴェッド
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 あとがき。
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