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 一つ息を吐いて、記憶の海から舞い戻る。
 
 あの時に、魔力を受取っていなければ。
 あるいはこの人に、最後に逢わせてあげられたかもしれない。
 
 そう思うと、不意に切なくなった。
 責められることではないと、知っていても。
 
 
 ほとり、と涙が零れて。
 エースの大きな手が。
 ぽんぽん、とフェルーシアの頭を撫でた。
 「スミマセン」
 取り乱したことを誤り、言葉を続けようとする。
 「リヴェッド様は、ボクに…」
 しかし、言葉を続けることが出来ず。
 嗚咽交じりの声で、先を続ける努力をする。
 「ボクに…持っている力を…お渡しになるから、と…」
 ほとほとと零れ落ちる涙に、一つ息を深く吐いて。
 「残っていた力を全部使って…ボクを、この姿に…してくださいました」
 最後まで、言い切った。
 
 「…ハ。リヴェらしいや」
 呟いたエースが、小さく息を吐いて。そしてそうっとフェルーシアを抱き込んでいた腕を緩めた。
 にこりと笑って、フェルーシアの目を覗きこんで。
 「おまえさ、あのとき。リヴェ迎えにきてたチビだろ?」
 
 
 不意に5年前の情景が脳裏に浮かんだ。
 懐かしいブッシュミル島の、小さな港。
 大好きなご主人様を抱いていた、若い男性。
 満点の星空。
 
 
 「…そうです」
 リヴェッドを抱えて船を下りてきた男性に。
 確かにフェルーシアはお辞儀をした。
 遠くから、ご主人様を大切に愛しんでくださいまして、ありがとうございました、と。
 しかし、覚えているとは思ってもおらず。
 一つ、瞬きをして、エースを見上げた。
 あの時と同じ男性を。
 
 「あー、やぁっぱり?」
 少しおどけたエースの声がして。
 それから、内緒話をするように、くすん、と笑って言った。
 「おれさ、ガキがいるからな、無理矢理カッコつけてたんだぜ?ハハ。じゃなきゃあぜってえあのヒトのこと、腕から
 降ろさなかったさ」
 一つ息を吐いて、今度は小さく呟くように。
 「じゃあなきゃあ問答無用でサ、あんまま船に戻ってたな」
 
 それでは。
 もしかしたら、自分は大切なご主人様を。
 知らず知らずの内に、自分に縛り付けてしまっていたのだろうか。
 この人と過ごせたかもしれない時間を、奪ってしまっていたのだろうか。
 
 そう思うと、また別の意味で、胸がいっぱいになって。
 「…それは…大変、申し訳ないことを…」
 新たな涙が、ハタハタとフェルーシアの目から零れ落ちていった。
 
 「バーカ、おい」
 エースが手で、そんなフェルーシアの頭をグシャグシャと掻き混ぜて。苦笑を混ぜた声で、言葉を続けた。
 「元チビ。泣くんじゃねえよ、感謝してるんだからさ、おまえには」
 
 フェルーシアには、確かにこの男性が自分に感謝の念を寄せていることを、感じ取れたけれども。
 それでも、悪い事をしてしまった、という思いを打ち消すことができず。
 視線を落として、静かに涙を零した。
 
 そんなフェルーシアの様子に、エースは更に小さな頭を掻き混ぜて。
 「おまえが来てたおかげで。おれはリヴェに酷いことしなくて済んだんだから」
 そう告げた。
 
 意味が解らず。
 酷い事ですか、と問い掛け、視線を上げたフェルーシアに。
 エースは、ああ、と頷いて。
 「おれの方から、あのひとをあの場所に。還してやることが、できたんだから。そんなこと、おれがいつまでもあのヒトを
 抱いてたら。リヴェが自分から、おれから離れなきゃいけないだろうが」
 そして小さく息を吐いて。
 「そんなこと、させなくて済んだんだ。…アリガトウな」
 ふんわり、と笑った。
 
 礼を言われる筋合いではない、と、フェルーシアは思い。
 小さくフルフルと首を横に振った。
 そんなフェルーシアに、エースは肩を竦めて。
 「いまなら。自分からあのヒトのことを腕から降ろせるかもしれねェけど。5年も前なんだ、おれだってただの若造だったからさ、
 できやしないって」
 自嘲に近い苦笑を、頬に刻んだ。
 
 
 
 
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 涙が引いて、少し落ち着いて。
 フェルーシアは小さく息を吸ってから、次の言葉をそうっと舌先に乗せた。
 「リヴェッドさまは…何度も、何度も、繰り返し、ステキな恋をしたんだ、と…仰っておられました」
 「リヴェが?」
 面白そうに、そしてとても幸福そうに、エースは笑って。
 フェルーシアは目を閉じて、そう告げた人の面影を思い出した。
 「時々涙ぐまれて。時々、それは幸せそうに微笑まれて」
 
 そんなフェルーシアの言葉に、エースは小さく笑って。
 「クソ、あーいかわらずイイオンナだな、あのヒトは」
 自分に言い聞かせるように、呟いた。
 
 「ステキなヒトを…心からスキになったんだ、と」
 繰り返しフェルーシアに告げた、軟らかな光りを湛えた緑の瞳。
 「あのヒトに会えただけで、心から自分の生を祝福できるよ、と」
 
 口元に刷かれた、うっすらとした微笑み。
 魔女と呼ばれた人なのに。
 いつでも優しく、力強く。
 そしてどこまでも、透き通るように透明な人だった。
 
 告げられた言葉に、エースは僅かに目を細めて。
 「…驚け。それはおれなんだぜ?」
 ちらりと笑った。
 フェルーシアも同じ様に笑みを浮べて。
 「…存じ上げております」
 潤んだ瞳を、ゆっくりと閉じた。
 
 「…おれもさ、いつもいつも思い出してた」
 エースの言葉に、フェルーシアはそうっと見上げた。
 「あのヒトのさ、わらったカオ。すげえ、綺麗だったろ?」
 
 エースの、懐かしむような笑みに。
 フェルーシアは少し、首を傾げて。
 「リヴェッド様は…不思議な方で。時々…ふわりと笑っておられまして。どうかいたしましたか、と訊ねると…」
 「うん」
 「愛しい人が、幸せでいるような気がした、とお応えになられました」
 
 笑ったままの、エースの双眸に。
 さぁと涙がまた満ちたのが見て取れた。
 フェルーシアは、小さく笑みを浮べて。
 「マスターは。どんなときでも、美しいお方でした。お亡くなりになられる瞬間も…お亡くなりになられてからも」
 エースがそうか、と呟いて。
 それからゆっくりとした沈黙が、二人の間に落ちた。
 けれど、それは悲しみだけに溢れたものではなくて。
 
 
 ふう、とエースが息を吐いて。
 空咳を零してから、口を開いた。
 低い声で、そうっとフェルーシアに告げる。
 「おれな、リヴェの。笑った顔を思い出す度に。胸の中で話し掛けるたびに。生きてるのも悪かねぇな、ってさ…そんなことを、
 思ってた」
 
 フェルーシアも、軟らかな笑みを口元に刻んだまま、エースにそうっと言う。
 「リヴェッドさまは、なにも仰らずに…息をお引取りになったのですが…最後に、満足げな溜め息を、お零しになられまして」
 うん、とエースが相槌を打って。
 宥めるように、とんとん、と軽くフェルーシアの頭を撫でた。
 「微笑みを浮かべたまま……」
 お亡くなりになられました。
 囁くように告げた瞬間、ほろりと涙がフェルーシアの頬を伝った。
 
 エースはそれを、すいと指で掬い取って。
 「…ありがとうな、おれにそれを、伝えに来てくれて」
 そして小さく、軟らかに微笑んだ。
 
 
 
 
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 何週間か前に飛び立った、小さな島の岬の先端。
 大理石の墓石が、昇ったばかりの太陽の光りを弾いていた光景を思い出す。
 美しい人が眠る場所。
 リヴェッドが眠る場所。
 
 
 フェルーシアは少し声を強めて。
 エースの出方を見ながら、言葉を紡いだ。
 「…小さな島の端っこに、お墓を立てさせていただいたのですが…ボクの独断で、お遺髪を少し、戴いてしまいました」
 その言葉に、エースは僅かに首を傾けた。
 胸元の、心臓に近いポケットに入れておいた小さな包みを、そっと取り出す。
 「…お受け取りになられますか?」
 
 エースはふわ、と微笑んで。
 「…ああ」
 少し頷いて、ゆっくりと手を差し出した。
 「いいのか…?」
 
 こくん、と頷いて。
 フェルーシアはその包みをエースの手の上に乗せた。
 「どうぞ」
 
 受取ったエースは、包み紙を開いて。
 5センチほどの長さで切り取られた一房の赤い髪に、そっと口付けを落とした。
 リーヴェ、と小さく、名前を呼んで。
 
 そんなエースを見守りながら。
 「島の方が…埋めてしまうのが勿体無いと仰るくらいに…お美しい死に顔でした」
 フェルーシアが告げた。
 元通りに遺髪を包みなおして内ポケットに収めながら、エースはキラリとした光を目に浮かべ。
 「ハ。アタリマエだろう?おれの、オンナなんだからよ」
 ちょっと自慢げに、からかうような口調で言い放った。
 
 フェルーシアはふわりと笑みを浮べた後に、真摯な眼差しを浮かべ。
 「ご遺体は、遺言どおりに…土葬にいたしましたので。肉体は土に、心は海に、想いは空へとやがて消え行く、と」
 ゆっくりとリヴェッドの口調を思い出しながら、エースに告げた。
 
 「…そうか、リヴェらしいな」
 くすん、とエースが小さく笑って。
 「空、か…」
 ぽつん、と言葉を繰り返した。
 
 「生前、リヴェッド様が、そう仰っておりました。そうしたら…いつでも、どこでも。愛しい人のそばで、笑っていられる、と」
 
 
 死ぬってのも、そう悪いことじゃないかもしれんぞ、フェルーシア?
 肉体という魂を縛る容れ物が無くなれば。
 好きな人の傍で、いつでも笑っていられるじゃあないか。
 …ルシーア、愛しいルシーア。オマエの傍にだって、いつもいるよ。
 だからオマエは。この世に生を受けたことを、楽しみなさい。
 イイ時も、そうじゃない時も。それが生きるということなのだから。
 
 白くて長い指が、柔らかく頬を撫でた感触が甦る。
 ひんやりと冷たい指先。
 長すぎない爪。
 染みとおるような、軟らかな笑みを含んだ声。
 和らいだ、緑の双眸。
 キラキラと輝いていた、透き通った瞳。
 整った貌を華やかに縁取った、赤い髪。
 太陽の紅炎の、色。
 
 
 「ボクは…ほんとうに、リヴェッドさまを…お慕いしておりました…。あんなマスター…望んでも、他にいらっしゃいません」
 ふんわりと笑ったフェルーシアに。
 「だな、チビ」
 エースがにこりとして。
 
 そうして、フェルーシアは。
 この男と、愛しい人についての思い出を分け合う事が。
 赦されているのだと、知った。
 目を伏せて、ステキな人なんだ、と笑った人を、思い出す。
 今でも胸が温かくなるような、そんな微笑みを。
 
 そうですね、リヴェッド様。
 そう心内で呟いて。
 溜め息のように声を潜ませて。
 「やさしい…やさしい、おかあさまでした」
 そうっと呟いた。
 
 
 
 
 
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