*20*

がちゃ、と客室のベッドルームに続くドアを開ければ、猫は窓辺の一人がけのソファのほうに片足抱えて蹲り、ドアに半分ほど背中をみせるようにして丸まっていた。
それが、音がしてドアが開いたことに、びくりと跳ね上がるようにして振り向き。一瞬酷く驚いた表情を浮かべてから、きょときょと、とパトリックの背後を窺っていた。
「アレは忙しいんだ、仔猫チャン。だから今日はオレだけだな」
つかつかとベッドルームの中に歩いて入る。一瞬眉を顰めたルーシャンに構わずに、とさりと大きな客間のベッドに腰をかけた。
背中がびくりと椅子の背で跳ね、ガタ、と耳障りな音を立てたことに薄く笑って、持ってきていたアロマスタンドをベッドサイドに置き、マッチで火を点けた。ふわ、と甘いような匂いが漂う。
すい、と視線をルーシャンに戻して、柔らかい素材のシャツを着たルーシャンが、きゅう、と唇を噛み締めているのに笑った。
「オマエは素直じゃないからな。多少は楽にしてやろうと気遣ってやってンだよ 」
く、と顎でベッドを示す。
「来い、ルーシャン。オマエがなんのためにここに閉じ込められているのか、まだ忘れていないようだったらな」
泣き出しそうにもみえる表情を浮かべているルーシャンが、戸惑ったように逡巡していた。昼からパトリックが顔を出したのも珍しいのだろう、心構えがまだできていなかったのもあるのかもしれない。
「まあ万が一オマエが忘れていたとしたら、一からやり直すだけだがな?」
どの道オマエには逃げ道は残されていない、と暗に告げる。
「無理やりここに括られて運ばれるのと、自分で自分のペイメントを完済するために多少はやる気を見せるのとどちらがいい?」
からかうように告げれば、ぐう、とルーシャンが唇を噛み、のろのろと立ち上がっていた。ルーシャンの視線がバスルームのほうに一瞬向けられ、それからぎゅうっと拳を握り締めて、のろのろとバスルームに足を向けていた。
「ヘイ、ルーシャン。オマエは相当頭が悪いのか?誰がバスルームに行けと言った」
背中が強張っているルーシャンに構わず告げる。ひくん、と細い肩を揺らしたルーシャンに、僅かに眼を細める。
「それともきちんと言わなければ理解できないか?とっととベッドに上がって来い」
感情を押し殺した声で、ルーシャンがぽそっと言った。
「……ステップが抜けてる、」
「オマエはマニュアルがあればそれにしか従えない能無しか?唐突性がオマエの持ち味だった筈だ、ルーシャン・カー。ルールに縛られるのが嫌いなのはオマエばかりじゃない」
ルーシャンの肩が強張っているのが向けられていたその背中から見て取れた。くす、と笑う。
「あまり悠長にやってるなよ、仔猫チャン。オレは気が短い」

ゆっくりと振り向いたルーシャンが、歯を噛み締めながらやってくるのに笑顔を向ける。
「ベッドに上がるまえにすることは解るな?オレに剥がされたいのならそのまま上がればいいが、プライドを重んじたいのならば自分で服は脱げ」
青ざめたルーシャンの顔を見詰めながら、告げれば、ひたりとルーシャンの足が止まった。く、と向けられた目が怒りを含んでいることに、先に脱ごうとしていたのだと読み取る。
「モタモタやってるからだ、ルーシャン。先に言われたくなければ、自分でとっとと行動しろ」
ゆったりとしたドローストリングのボトムスも、アンダーごと蹴落とす勢いで脱いでいくのを見詰める。服はそのまま脱ぎ捨てて、ルーシャンがまた足を進めていた。
食事を摂れないことでやせ細った体を見詰めて、はあ、と溜息を吐いた。
「抱き心地悪そうだなぁ?オマエ、オレに抱かれなくなったらその身体以外でどうやってオレにペイするつもりなんだ?」
栄養も取らなけりゃ内臓まで使い物にならないぜ、と、ぶつぶつ、と呟く。
また怒ったブルゥアイズが合わされ、くう、とパトリックは口端を引き上げた。
「なぜ怒る、ルーシャン?反論があるなら言ってみろ」
「どこかに売ればイイだろ、白人がまだ珍しいところにでも」
ぼそ、と呟いたルーシャンに、ハハ、とパトリックは声を上げて笑った。
「仔猫チャン、そんな憎まれ口を叩くと後悔するぜ?それがどんな地獄だか想像すらつかないクセに、自分を追い込むようなセリフを吐くのは止すんだな」
あんたのスーツ代にもならねえけどさ、と鼻を鳴らしたルーシャンに静かに告げる。
「オレに抱かれるよりはそっちのほうがマシだってンなら、今すぐ手配してやるが、どうする?」
勝手にしろ、と呟いたルーシャンに、くくっと笑った。
「そんな風にオレに甘える方が、オマエ、よっぽどプライドに皹が入る筈なのにナ?」
意味が解らずに、ぎゅ、と目を細めたルーシャンを見遣って、くう、とパトリックは目を細めた。
「テメェはテメェの遣ることすら決めらンねえのかよ、ルーシャン。投げやりになるってのは、テメェ自身を放棄したってことに他ならないんだぜ?」
ふう、とルーシャンが息を吐いていた。それから、ふ、とルーシャンの双眸から怒りのフレアが消えていくのが見えた。どうやら自分が怒っていることがおかしいと気付いたようだった。パトリックが告げた言葉などに耳を傾けることはせずに、ひたすら自分の内にだけ篭り。
きゅ、とパトリックは目を細めた。
「Come, Lucien」
すい、とまたルーシャンのブルゥアイズが合わせられた。はあ、とパトリックが溜息を吐く。
「オマエをここで1ヶ月飼うっていうのが、オレとオマエの間の取り引きだろうが。ばぁか」
近づいてきたルーシャンのほうに手を差し伸べた。する、とただ黙って寝台に上がってきたルーシャンに、片眉を跳ね上げる。

ちらりとルーシャンがアロマスタンドのほうを見遣り、遣る瀬無さそうに視線を立ち上る煙を目で追ってから、諦めたかのように引き出しを開けていっていた。パトリックはじっとルーシャンが動く様子を目を細めて見詰めている。
小さな筒状のプラスティックの容器を取り出し、きゅ、と一瞬だけ、瞳を閉じていた。プライドが軋んでいるのを堪えているルーシャンの様子に、パトリックはぺろりと舌で軽く唇を湿らせた。
ルーシャンが容器の蓋を開け、それを右手に落としていっていた。きゅ、と眉根を寄せたまま、ジェルを取った手を奥に伸ばしていくのを見詰める。
く、とルーシャンが向き直ってきたのに、軽く首を傾げて、どうした?と言葉にはせずに問う。
促され、ルーシャンがパトリックに向き合い、膝立ちになったまま、ぎゅ、と唇を噛みながら後ろ手に指を伸ばしていた。そろ、と指を動かしてから、恐らく指を差し込んだのだろう、きくん、と身体を跳ねさせていた。
ゆっくりと息を吐き出すルーシャンに、くくっと笑う。
「そんなに弱ってまで弱音を吐かない割には強情の意地っ張りで甘ったれってぇのはどういうことだ?」
緊張で息を揺らしているルーシャンに手を伸ばして、するりと肩を撫で下ろす。く、と身体が強張っていくのを見詰めて、くすりと笑った。
「噛み付きゃしねえよ」
ぐ、と指を黙って奥に差し入れたルーシャンが、脚を緊張させていった。息を詰め、そろりと引き出しながら顔を歪めていき。引き出した指にまたジェルを落として、ぐう、と差し入れていく。中で指を動かしたのか、そうっと息を呑んだ様子に笑った。
「少しは色っぽい顔をするな?」
くう、と脚がもっと強張ったのを見て、さら、と肩から胸へと手を滑らせていく。きくん、と上半身を固まらせたルーシャンの様子に薄く笑って、続けろ、と優しく告げる。
「ゆっくりで構わないぞ。無理やり広げたら傷がつくだけだからナ」
ヴァージンを開かせるとき以上に優しい手付きでナ、とうっすらと笑う。
く、とルーシャンが唇を噛んだ。痛みにその顔を歪めているのを見詰めて、目を細める。
「無理やり動かすんじゃない。最初は容積に慣らさせろ。それからゆっくりと内側で上下させて、動くことに慣れさせるんだ」
わかるか?と優しい声で低く囁き、そろ、と小さな胸の飾りに手を伸ばした。その途端に、ぐち、と酷く濡れた音を立てるくらいに性急に内側で指を動かし、唇を噛んだルーシャンに喉奥で笑った。
「オマエ、そんなに痛いだけがいいのか?ルーシャン」
ルーシャンが、どうやら指の数を増やしたらしい、ぐらりとリネンに左手を突いてるのを見遣って、溜息に近いほどの息を吐き出す。
「それともそンなに、オレのが早く欲しいのか?ン?だったら自分でたまにはこっちも支度してみるか?」
内側を探って唇を噛み締め、涙を目に浮かべたルーシャンの顎に手を添えて、ぐ、と視線を上げさせる。
「手はそのままでいい、そんなに早く欲しいンなら、オマエの口で濡らせ。ただし、歯は間違っても立てるなよ?少しでも傷をつけたら、オマエのその小粒の真珠みたいな歯を一本一本ペンチで引き抜いていくからな」
絶望した様子のルーシャンに、きゅう、と目を細めた。
「できないとは言わせない」

ほんの僅かに唇が開き、けれど言葉を呑んだようだったルーシャンの頬に手を滑らせた。
「無理やり開かせたりはしない。自分の意思でするんだな」
腕が引き攣れたのか、呻いたルーシャンにすうっと薄く笑いかけた。
「オマエはいつも自分で自分を墓穴に嵌らせるンだな、仔猫チャン?さあ始めてもらおうか」
ルーシャンが、ぐ、と手から顔を逃して、す、と身体を伏せていった。手を伸ばし、スラックスを左手で寛げていく。
柔らかな金色の毛が股間に落とされることに、パトリックはくくっと笑った。泣き出すことももう無駄だと学習したのか、奇妙に言われるがままになっているルーシャンの背中をそろりと指先で撫で下ろす。
既に屹立していた中心部を引き出し、ルーシャンが緊張に身体を強張らせていた。さらりと背中に手を滑らせて、ルーシャンが続けるのを待つ。
黙ったままそうっと顔を寄せてくるのを冷ややかに見下ろしながら、かり、と肩甲骨の下を爪で掻いた。
「仔猫なら仔猫らしく舐めろよ、ルーシャン」
そろ、とぎこちなく付け根に顔を寄せていくルーシャンが舌を差し伸ばしてくるのを見詰めて、とろりとまた背中を撫でた。
「オンナにフェラされたことぐらいあンだろ。思い出してやってみろ。萎えさせたら酷くするからナ」
く、とルーシャンが悔しげに息を押し殺すのを聞き咎め、パトリックが薄く口端を吊り上げる。下からぺろりと舐め上げてくる舌の熱さに、こればかりは生理的にひくりと腰を揺らして、けれどもパトリックは低い声で唸るように囁いた。
「後ろ弄るのも忘れンなよ」



*21*

一度粉々になったならば、ずっとそのままであればいいのに、とルーシャンが唇を噛み締めた。
プロメテウスに懸けられた呪いめいて、矜持など砕けたなら元に戻らなければいいのに、と。諦めかけた頃に、ヒトに対するように言葉を掛けられて、それが耐え難かった。その声が、耳に不快ではないことにも。
聞きたくない、と閉ざし。甘ったるい匂いに意識を精一杯向けていた。あとどれくらい、肺に吸い込めばこのアロマは自分から思考を取り上げるんだろう、と。
受け入れるために奥に施された「こと」は、身体は混乱しきって覚えていなかった。それを自分で再現することは多分出来ないと諦め、紛い物のヴァギナを作ればいいのかと笑いたくなった、滑稽だ。滑稽すぎて泣けてきそうだ。生真面目な子をからかい半分に身体を開かせて愉しんでいたしっぺ返しがきちまった、と。僅かに浮き始めた意識が模っていた。
手指に落したジェルはとろりと冷たくて、息が詰まった。
視線が、向けられていることに肌がひりついた。
あの視線に温度があるとすれば、いま自分の肌はその低温に火傷したにちがいない。
言われなくても解ってる、死にたくないと思ってしまったのは自分であることも。そして、その代価は支払うしかないことも。
足掻くほど、何の繋がりがあるわけでもない。憤ることも、ましてや恨むことなどお門違いで勘違いも甚だしいんだ。
ぬるりとした指で奥に触れ、その感触に膝裏が強張った。
強張りそうになる唇を開いて、息を吐き出した。指を奥に押し込み、その違和感に呻きたくなる。けれども――――――――
不自然に折った背が軋みかける。添えた片手が熱い、舌先を伸ばして初めて触れた他人のモノに押し当てた部分から強張りかけた。
赤い唇を思い出す、熱くて柔らかな肉と。
笑みさえ浮かべて頬張り、舐め綴るようだったカノジョたちはなにを思っていたんだろう、と。

「丁寧にナ、」
低い声が落ちてきたことに、こくりとルーシャンの喉が鳴った。ぐ、と競りあがる息を押さえ込み、濡れた内側で擦り上げるように顎を上向け、きつく目を閉じていた。
不意に落ちかかっていた前髪を掻き上げられ、肩が揺らぎ。
誰でもいい、ほてりとした唇だったあの子でもいい、自分の内側でリピートする。ゆるゆると濡らしながらあの唇は含んでいった。
唇で食み、濡らしながら舌を押し当てる。
そのまま舐め上げていく、咥内にひろがる熱さもそのままに。
伝わる脈動が、酷く鮮明に感じられて行為の意味を思い知らされていた。
薄っすらと、それでも思考が僅かに遠ざかった。代わりに、意識の揺らぐ代価がひっそりと主張し始める。
尖り出し、剥き出しになり始める神経と。涎でも垂れ流しそうな本能の中枢。
ぅ、と喉を鳴らし。深く含もうとし、ルーシャンが眉根を一瞬寄せていた。
とろ、と舌先に広がるものに声にならずに低く呻き。押し上げるように濡れた咥内で弄る。
ごく軽く、息の乱れるのを感じ。
「オマエ、ハジメテなのかよ、ルーシャン?ディック咥えたこと無ェのかよ?」
半ば呆れたような、からかうような声が告げてきたことに、ルーシャンが視線を思わず上向けていた。
ぐ、と思わず歯を立ててやろうかと一瞬憤り。必死になって衝動を抑えこみ、代わりにもならないことはわかりながら、きつく熱を含み直していた。行為にだけ集中しようとすれば、声が落ちてき。それが感情を逆撫で、更に漣を起こしていくようでルーシャンが低く呻いた。
「まあソレで経験者だって言われたら、どれだけ才能ないんだって話になるだけだけどナ?後ろ、指出しちまえ。咥えるほうに専念しろ」

唇から引き出し、濡れた熱に息がかかるほどであってもヒトツ、肩を上下させていた。
あるわけがない、アンタ頭がオカシイんじゃないか、と。切れ切れに呟き。くく、といかにも馬鹿にした風に喉で笑われたことは無視していた。
「よかったなあ、周囲に愛されてきてオマエは」
低く揶揄されたことにも、拳で唇を拭い。奥に添えていた手指を引き出し、低く声を洩らしていた。息が競りあがる、体内の熱さにいまになって気付いていた。
「愛されてなんかいない」
ぼそりと言い捨て。腰を片手で引き寄せるようにすると、濡れた唇が先端を覆うように含んでから下ろし、舌でその後を追いかけるようにし。柔らかく押し当て、絡みつけるようにする。脈動に添って這わせれば。
「オマエの果敢さは買うがな。義務でやってンな。ちゃんとココロを込めろ」
いったいこの男はなにを言って、と齎された言葉にルーシャンが一瞬目を見開き。けれども次の瞬きの間には、腰に添えるようだった手指に僅かに力を込めていた。
なぜなら、自分には、意思があると思ってはいけないのだ、と何度目かに思い当たったから。
この存在の望むようにあるのが、この一方的に始まったディールであったのだから。代価と行為のアンバランスなことはいまさら憤っても覆りようもない。
「オマエは、ルーシャン。オレとの時間でオマエの人生を買いなおしてンだ。オマエがヨくできればできただけ、オレはオマエの心意気を買ってやるぜ?」
オレは優しいからナ、と低く笑うような声が続けるのに、ルーシャンが息を喉奥で噛み殺していた。




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