37*

重ねられたピローとクッションに火照った身体を預け、一瞬、ルーシャンが目を瞑った。
長く息を吐き、ぐらりと揺れかけた視界に「のぼせた、」と呟く。それがちょっとした嘘であることも自覚しながら。
しっとりとしたリネンの冷たさに頬を押し当てる。たらりと伸ばした四肢も熱が吸い込まれていくままに軽く伸ばし。
室内の空気が少し変わったのがわかり、視線を上げればポートのボトルと、グラスを片手にバスルームから出てきた姿があった。
濡れて鈍い色になったブロンドに、ルーシャンの視線が留まる。
片手が引き上げられ、濡れた髪を掻き上げていき。バスローブのさらりと寛いだ襟元からまだ僅かに水の気配が残る肌が描いていくラインに、すいと視線をずらせた。
そして身体ごと向きを変え、近付いてくる気配にふにゃりと口許が緩むのをうっすらと自覚していた。
ルーシャンが半分身体を起こすようにして、それでもくたりと身体を弛緩させている様子にふぃ、とパトリックが笑いそのままベッドサイドにボトルとグラスを置いていた。
「気だるそうだな、」
声が届き。隣に滑り込むように横になったパトリックに、のぼせたんだよ、と小声でルーシャンが返していた。けれど、応えながらどこか逡巡した。なぜ、いま。腕を伸ばしたくなったんだろう、と。腕を伸ばして、身体を添わせたくなった。
自身の心内をそろりと探っていたなら、不意に微かな体温を感じた、額に。濡れて落ちかかっていた前髪を額から退かされ、そのまま視線を上げれば目を細めて笑みめいた表情を乗せたパトリックの口端が吊り上げられていく様を追いかけ。のぼせたなら水の方がいいか、と問われて、瞬きした。
「喉は渇いてないのか?」
「さっき、水なら飲んだ」
ならいい、と笑い。カラフェに入れられ、まだ十分に残っていた水をパトリックもグラスに注ぎ一息に飲み干していた。

視線を外すタイミングを逃したままでいる内に、グラスが置かれ。ゆったりと背中を重ねられたピローに預けたパトリックと、それでも視線の高さは同じにならなかった。
随分、からかい混じりに指摘されたように自分はかなりぐにゃぐにゃに身体を沈み込ませているらしい、とぼんやりと思いながら肩の線や、いまは隠れて見えない腕のタトゥのあるあたり、それからまた顔へと視線を戻していた。
「なんだヨ、」
からかう声と柔らかな眼差しは、ルーシャンがイマサラながら不思議がっている目を寄越してきていたからだった。
「致命傷ってのは、ないんだ…?」
幾度も裸身を眼にしたことはあっても、身体に残された傷に意識がいったのはいまが初めてであったかもしれない。
「致命傷があったら死んでるだろうが」
ぷ、と笑ったパトリックに、ルーシャンがどこか柔らかにわらった。
「そうかな、コレとか、あんたのことだから天使に銃でも突きつけて階段下りてきたんじゃないの、」
肌蹴たローブの内側から覗いた、心臓の横に残された痕に指先で触れた。
初めて。自分から手を伸ばして。
「生憎死に損ねた。それ以来ロイが過保護で困る」
くう、と笑みを刻み。言葉とは裏腹にブルーアイズが煌いたのを視界に留め。
「刺されたんだ……、」
あ、撃たれたらいくらなんでも死んじまうよな、と思う。
「悪運、強いね」
そう呟き。そうっとルーシャンが身体を起こすと、傷跡に小さく口付けを落としていた。
「刺されたと同時に相手を殺せたのが良かった。引き抜かれてたら、死んでただろうな」
力強い鼓動を感じる、知らずに伏せていた眼を上げずにいれば声が静かに届き。さら、と掌を髪に滑らされたのを感じていた。

「よく、“酔っ払い”があんたに酒ぶっかけられたね……?」
「ロイに車を呼びに行かせたからナ。店は新規でオーナは未熟。まあソレで死んでたらオレもそれまでのオトコだってことだ」
ハハ、とあっさりとわらって済ませるのに顔を僅かにあげる。
「意外だね、運命論者みたいなことを言う」
そしてそのまま、自分でも正体がわからないまま、気持ちの促すままに頭を軽く預けたままでいた。
「どう足掻いても変わらない運命ってのはあるもんだ。だから面白いんだがな」
さら、と掌が髪を滑っていくのに、うん、と吐息に混ぜて応えていた。
「面白い、って思えるからこそ。あんたは運命論者なのか、なるほどね」
そして、す、と視線を上向ける。
「おれが外に出たら、言いふらすかもしれないよ。あんたを殺したけりゃ偶然の隙を狙って一般人にさせればイイ、ってさ」
あぁ、でも。とルーシャンがにこりとわらった。
「ブロンドのマフィアなんて沢山いるね、」
ルーシャンの言葉にますますわらうようだったパトリックが、
「報復を怖れずに一人で乗り込んでこれるヤツになら、たとえそれが同業者じゃなくたって殺されてやるさ。まあオレが死んだら後のことは知らねェけどナ」
そうルーシャンの言葉に、くぅと牙を剥いて獣めいた獰猛さを滲ませる笑みを浮かべて言っていた。
「パートナ、家族、子供、親戚、友人、同業者、隣人―――――失えるモノは沢山ある。たとえ、大してスキでなくてもな」
だからヤメとけ?と続け。さら、とパトリックの掌が頬を包む込むように撫でていくのにルーシャンがくすりとわらった。
そのまま、温かな指先が唇を撫でるのに、舌先を覗かせ僅かに触れる。
「オマエを失くすのは惜しいからナ」
あわせた視線の先に、にぃ、と笑ってみせる相手がいた。
「おれは―――――――、」
あんたを殺す気なんてないよ、と口を突いて出かけ、はた、とルーシャンが瞬きした。本来なら、殺してやりたい、と思う対象であったろうに、と。
宥められている筈の感覚が、すこしずつ起こされていくように思える、指先で唇を辿られるだけで。
一瞬、酷く憤った。
何と容赦の無い存在だろう、と。この存在の前では、自分の存在など取るに足らない、目の前を横切った兎の首を捻るくらいの他愛なさで狼めいた笑みを浮かべている。
「あんたのために死ぬ気はないから」
だから、言葉を意味を変えて口に出した。
息を吐き出すような笑い声がし。
「そりゃいい、そうしろ」
そう言って、頭を抱き寄せられる。
オマエはちゃんとオマエの人生を歩めばいい、と続けられた言葉に、心臓の裏側がひやりと一瞬で冷たくなり、ルーシャンが戸惑った。
「“おれ”の……?」
目元に柔らかく口付けられ。感情が波立つ。僅かに苦笑したパトリックが、「そりゃそうだろ、」と告げてくるのに。
たった二週間の間で、いままでの自分とは変わってしまったことが残酷なほど自覚できる。こうしているだけで。
きり、と動き始めようとした思考が、それでも項を指裏で辿られ、その感覚に縋った。
なぜか泣き出したくなった。あぁもうおれはむちゃくちゃだ、と。

「で、さっきの続きだが。どっちが“もっと”欲しいんだ?」
腕に縋るように指を埋める。
「……キスしてほしい、」
掠れるように声が揺れた。
「あんたに」
言葉にして、それが本意であることを確かめる。
そして、耳に言葉が届く。じゃあオマエが仕掛けてこい、と。
けれど、逡巡し、ルーシャンが背中に柔らかく滑らされる手の感触に眉根を寄せ。戸惑い動き出せずにいたならば。
アマッタレ、と声がし。瞬きする間に、視界が反転して胸元に顔を預け身体を半分乗り上げているようだったのが、背中をリネンに着いていた。
そして出しかけていた言葉は、相手の唇に呑みこまれていっていた。
合わせられる唇の温かさに息を呑む。
深く重ねられ、誘うように唇を開き、自ら差し出してもっと深くと強請り。髪や頬を柔らかに撫でられて、鼓動が競りあがってくる。
歯列をなぞられて背骨の奥から震えが伝わり、絡み合わせた舌を甘く食まれてひくりと組み敷かれた身体が僅かに跳ねるのがわかった。
きゅ、と手指に乾き始めたブロンドを絡めて、一層深く唇を合わせようとする。自分の貪婪さにルーシャンが意識の裏で泣き笑いめいた感情に襲われた。
官能を刺激され、薄く離れた唇から喘ぎを零せば。甘く、下唇を噛むようにされ、ひくりと肩が揺れた。
濡れた唇をまた啄ばむようにされ、ルーシャンが背中に腕をきつく回した。宥めるようにさらりと頬を撫でられ、いやなんだ、と目で、身体で縋る。もっとしたいんだ、と。
誤解しそうになる、なにかが通じ合っていると。想いを寄せ合っているニンゲン同士の交わすような、キスをして。
顎を上向けられ、また深く唇を重ね。弄るように感覚を深めていくうち、腕にいっそう、力を込めていた。
キスが解かれ、言葉が届き。伏せていたいた目をあげれば、変わらず、どこか笑みを留めたままの表情があった。
「欲しいなら、強請ってみろ」
「……いいの―――?」
声が頼りなげに揺れるのを抑えきれずに言葉にする。
「あんたのこと、ほしい、って言っていいの……?」
する、とルーシャンの頬をパトリックの指先が撫でていった。
「甘やかすって言っただろうが」
そして、する、と緩くあわせていたローブの帯を同じ手が解いていき。
「せいぜい甘く鳴きナ、」
笑みを乗せたままのパトリックの唇が、また深く重ねられてくるのに、うん、と競りあがる吐息に混ぜてルーシャンが応えていた。多分、もうそれしかできないよ、と。





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