* * *
かちゃ、とドアの開く音がして、ひたひたとヴァンがバンガローに入ってくる音が響いた。
そのことにホッとする―――――例えヴァンがそのまま自分を無視して、バスルームに消えていっても、無事にヴァンがこの家の中で息をしてくれていることに安堵する。
程なくして、水音がバスルームから響いてくる。
頭が水音に反応してイメージを勝手に浮ばせようとするのを抑え込む。自分が傷つけたかもしれない相手のフィジカルな魅力を勝手に思い浮かべようとするオノレの浅ましさに笑いたくなる。
いま立ち上がっていって抱き締めれば、あのコは簡単に腕のなかに堕ちてくるだろう。涙を零し、背中に縋るように爪を立てて、それでも微笑んで―――――嬉しそうに微笑んで。
ずき、とそのことに胸が痛くなる。
ヴァンが自分に寄せてくれているような純粋な思いは自分には無い、自分にできるのはあのコを遊び相手を抱くように快楽に放り込んで、興味が満たされるまで喰うことだけだ。
齎される愛情と同じだけの深さの情を返せるだけのキャパシティもクオリティも自分にはない――――――自分はタダのロクデナシだから。
ハ、とショーンは一人で低く吐き捨てるように笑った。
要するに、問題はショーンがヴァンのようないいコにはそぐわないニンゲンだ、ということなのだ。
ヴァンにはなんの落ち度もない、むしろ自分のような人間にソレほどまでに想いを寄せる理由がわからない―――――ショーンがいかに酷い人間かを知っても離れていかないヴァンのココロが解らない。
解ることはたった一つ。ヴァンには、ココロの底から本当に幸せになって欲しいと願う―――――自分ではそれをしてやれそうにないから、きちんとそれを齎してくれる相手とマトモな恋愛をしてほしいとただそれだけを。
バスルームの扉が開く音が響き。ひたひたと酷く静かな足取りでヴァンが自分の部屋へ向かっていく音が聞こえた―――――もうショーンが立ち入るべきでない場所。
ヴァンがこの際徹底的にショーンのことを無視して、自分という存在が無いものと思い込めたのならイイ―――――それなら、自分はさっさと叔父に滞在中の礼を述べて、とっとと退散するだけだ。
ヴァンに向き合うのが怖い――――――自分の大して強くはない理性を跳ね飛ばして、あのコを望んでしまうのが怖い。
ヴァンの心を求めるだけの純粋さが自分にあれば、まだ悩みどころも違ったのだろうけれども―――――いまはとにかく、フィジカルに触れてみたい思いばかりが強まっている。
本当にどうしようもない自分のろくでもなさに、ショーンはまた小さく笑った―――――目元が傷んで、本当は泣きたくなるほど自分のことを情けないと思っていることに気づく。
28年も生きて、こんなどうしようもないニンゲンに育ったのもスゴい、と茶化さずにはいられない。そうでもしないと、泣き出す代わりに笑いの発作に襲われそうだからだ。
きい、とまたドアの開く音がして。ひたひたと静かにヴァンが自分に向かってくるのが聴こえる。
心臓の鼓動が勝手に早くなることに、今度はほんとうに小さく笑う。戸惑っていない足音に、勝手に期待しそうになっている自分の愚かさが、今度はほんとうに可笑しかったから。
ひたひたひた、と酷く間近まで足音が近づいてきて。上げないままの視線の中に、すんなりと伸びた裸足が飛び込んでくる。
「ショーン…、」
そうそうっと呼びかけてくるヴァンに、ゆっくりと掌に埋めていた顔を上げる。
このコに自分をSeanと呼ばせようと躍起になっていたのはマチガイだった、と今更思い当たる。何故ならこんな時にも甘く響く、掠れた小さな声が酷くココロをざわめかせるからだ。
「Aye, Van?」
わざと他人行儀な笑みを口端に刻んで、従弟を見上げてみる。
「ずっとここにいるの…?」
ぽたん、と濡れたままの髪から雫が落ちて、傾げられた剥き出しの首筋に落ちて肌を伝っていった。
濡れた身体を覆うタンクトップにショーツを取り去ってしまいたい衝動を瞬きヒトツで抑え込み、見下ろしてくる青を見返した。
「オマエを受け入れられないのに。いままでと同じように接するのは、無神経だろう?」
オトナの節度を無理矢理構築して口にすれば、ぽつん、とヴァンが呟くように言った。
「大事なゲストなんだから、ベッド使って」
そう言った後に、唇を噛んでいた。受け入れられない、と告げられて潤んだことなど、気付いていないようだった。
「ここで十分だよ。どうせ眠れないんだし」
笑顔を浮かべて言えば。
「…ベッド、ちゃんとしてきたから。使って?ソファで夜明かしすると疲れるよ」
そう傷付いた表情を隠しきれないまま、ヴァンが言って返してきた。
「ここはオマエの家で、オレは自分勝手にふらりと来た親族だよ。オマエがちゃんとベッドで眠りなさい。オレは寝ないでいることにも、ソファで眠ることにも慣れているから」
「ショーン、」
「んん?」
「おれもベッドで寝る、あっちだけど」
そう言って、叔父のベッドルームのほうに視線を流した。
「だから、ちゃんと休んでほしい」
剥き出しの肌を伝い落ちる透明な雫を勝手に目が追いそうになるのを堪えて、ヴァンに柔らかく微笑みかけてみる。
「どうせ不眠症なんだ、だから気にしてくれなくていい」
ふにゃ、とヴァンが小さく笑った。
「眠れないって言ってたけど―――ショーン、ちゃんと眠れてたよ…だから、」
「そ、か。じゃあ、今夜はオマエの好意に甘えさせてもらうよ」
ぴく、と肩を小さく跳ねさせたヴァンに、くすりと笑う。
「それより。きちんと髪を乾かさないと、もうそろそろ風邪を引いちまう季節だぞ」
ショーン、と。縋るように声を上げたヴァンを真っ直ぐに見詰める。
「んん?」
すとん、とヴァンの身体が目の前に落ちてきて。気付けば跪いていた。
す、と潤んだブルーアイズが見上げてくる。
「……おれの気持ちは、迷惑―――?」
揺れる声の頼りなさに、く、と胸が締め付けられる。
「あんたにキスしたいって思ってるおれは……イラナイ?」
潤みきった双眸からは、今にも涙が転がり落ちそうになっている。
「オレはオマエの従兄だよ、ヴァン。ちゃんとそのことをオマエは解ってるのか?」
「そんなこと、わかってる。何度もわかってるって、おれ言ってたじゃないか」
ぐう、と目元に力を入れて、泣き出すのをガマンしているヴァンを見下ろして微笑む。
「じゃあさ、オマエ。どうしてオレがそれでもオマエのことを受け入れられると思うんだ?」
泣き出しそうな表情がとてもキレイだということに気付いて、どうしようもなく手を伸ばしたくなる。それを堪えて、やんわりと言い足してみる。
「衝動でイエスって言えるわけがないだろ」
きゅ、とヴァンが拳を握っているのが、細い腰のラインとともに目の端に映る。
「おれは……ショーンだから、好きなんだ。従兄だからじゃなくて、ショーンが、」
ほろ、と涙が頬を転がり落ちていくのを見詰める。出来ることならば、その涙を唇で受け止めて、柔らかな口付けをしてみたかった。
けれど、そうしてしまったら、もう自分には歯止めが利かなくなりそうで。
「おれは…ショーンだから、―――ほしいんだ、」
擦れて揺れる声が尚も甘く囀る。
「ダメなのかよ?」
ショォン、と。母猫に置いていかれた仔猫のように心細い声で自分を呼ぶヴァンには逆らえず、ゆっくりと手を伸ばした。
「ショォン、おれは…触れたいよ。触れてほしいよ、」
そう涙声で言い募るヴァンの額を、つい、と軽く押す。
「あのね、ベイビィちゃん。オレはオマエのことが大事なんだよ。解るか?」
「大事ってなんだよ、」
酷く哀しそうな声に、柔らかく微笑みを返す。窓から差し込む僅かなだけの光りに煌めく潤んだブルゥアイズを、もっと間近で見詰めたくなるのを抑え込む。
「オマエが迷わず惑わず世界をきちんと経験すること――――――オマエがきちんと幸せになれる方向で生きていってくれること。大事だっていうことは、つまりはそういうことだよ」
いっそきっぱりと言い切って、線を引く。一際切れそうにキツク唇を噛み締めたヴァンに、自分が弱いことなど解りきっていることだから。自分が流されそうになる前に、早めにストップをかけておく。
「あんたにおれの世界が惑わされるってこと?そんなことない、馬鹿にするな、」
揺れるヴァンの声が耳に甘く響き。する、と手が伸ばされた。そしてそれが、く、とショーンの膝を掴み、ヴァンが身体を起こし。ふ、と間近にヴァンのブルゥアイズが飛び込んでくる。
「ヴァ、」
がぷ、と噛み付くように唇に口付けられる。そのまま、ヴァンの熱い舌先が、開きっぱなしになった唇の間を舐めていった。
このまま目を閉じて、口付けを返してしまいたい気になるのを押さえ込めば、とろ、と舌が差し込まれてきた。濡れて柔らかな舌の感触に咽喉を鳴らしそうに為るのを堪えて、ヴァンが好きにするに任せる。
とろ、と僅かに舌にヴァンのそれが触れて。距離がもう僅かだけ、縮まっていく。
それでも動かずに居れば、焦れたようにうっすらと開いたままのブルゥアイズが見詰めてくる。
このまま細い腰を掴んで抱きすくめて、口付けを深められたらどんなにイイだろう、と予感する――――そうしてしまえば、自分を止めるものがなにもなくなってしまうのを知っているから、尚更動けなくなる。
ちゅく、と甘い音を立てて舌が頑なに動かないショーンのそれに絡みついてきた。
膝を掴んでいなかったほうの手が伸ばされて、髪の中に差し込まれ。一層キスが深くなる。
手を伸ばし、一度ヴァンの背後で掌を握り締め。それからそうっと引き上げて、宥めるようにヴァンの頬を指裏で撫でた。それだけのショーンのレスポンスに――――たったそれだけのことに、ヴァンがこく、と小さく咽喉を鳴らしていた。
そして、一瞬だけ戸惑った後にさらに口付けを深めようとしてくるのを、身体を引いて止めて口付けを無理矢理解く。
こく、と喘ぐかのように息を飲んだヴァンの表情が酷く色っぽい。濡れた唇に、今度は自分から口付けたくなるのを、微笑みかけることで押し止める。
「惑う、どころじゃないんだよ、ヴァン。オマエの世界が変わってしまうんだよ?世間のオマエの受け止め方も、なにもかも」
通常なら警告と為る言葉を綴る自分の浅ましさを、内心でショーンは笑う。
ショーン自身は世間が自分のことをどう思うかなどと気にしたことがなかったから、そう告げることに抑止力があるとは思えず、けれどそうあって欲しいと願って。
「かまわない、」
きゅう、とヴァンの冷えた手が、ショーンの腕を握った。
「それをオマエは一生引き摺るんだ、その転機が吉と出ても凶と出ても。だから、少しは構いなさい」
微笑んで、優しく線を引く。
「いやだ、」
一層縋ってくるようなのに、ショーンは低く笑った。
「あのね、仔猫チャン。オレは、オマエのことがカワイイから、そういうことをオマエに軽々しくしちまいたくねえの」
「ショーンの決めることじゃない、ソレ。おれがいい、って言ってるんだ…ショーンだけがいいんだ、」
懸命に言い募り、首を小さく横に振ったヴァンの目を覗き込む。
「おれに、諦めろって、あんたのことを諦めろって言わないで……」
零れかける涙が寸前で押しとめられているのを見詰めて、また小さく微笑む。
「ヴァン、」
「あんたの、ここに在ったことがウソじゃなかったって。形になって残ってるものが全部なくなっても、おれはずっと……」
そう必死に言い募るヴァンの言葉に、あの屋敷に訪れる度にヴァンの為に弾いたピアノがこの家にないことを思い出す。
* * *
「オレはね、仔猫チャン。オマエに想われるだけの価値のないオトコだよ?」
手を伸ばして、首を横に振ったヴァンの目から零れた涙を指裏で拭った。
「オマエがいい、ってまるまるオレに投げ出してくれちまってるオマエの人生の重みを考慮した上で、オレなんかのために軽々しく投げ出してほしくないって思ってるの」
「ショォンは、そんなことばっかりいう、けど……おれは知ってる、」
涙が零れるに任せたまま、ヴァンが言葉を告いで見詰めてくる。
「ショォンは、おれが寂しいだけだとか、間違ってるとか、あんたに価値がないとか、言うけど、」
ぱたん、と瞬いた拍子に、ぽろぽろとまた涙が零れておくのを指裏で受け止める。
「あんたのこと、そりゃ…毎日思い出してたわけじゃないけど―――、」
こくん、と息を一つ飲んでから、ヴァンが言葉を告ぐ。
「でも……、気がついたら。思い出してたよ、夏に遊びに来てくれてたときに、」
ふにゃ、と泣きながら、ヴァンが柔らかな笑みを浮かべた。
「かわいがってくれてたこととか、わらってたこととか……あんたは、おれのなかの“夏休み”みたいで、」
涙に潤みきったブルゥアイズが揺れるのを間近で見詰める。ショォン、と縋るようにヴァンが囁いた。
「マムが居なくなってからも、一人で家にいても、出歩いてても……とうさんがちょっと具合悪くしてたときとか、トモダチが死んじまったあとも、あんたのこと、よく思い出してた」
「……その間中、オレはオマエのことを思い出さずに、好き勝手に遊んで生きてたんだぜ?」
「構わないよ。だって―――――ショーンのこと、考えてたら。あんたの音、聞いてても。――――――おれンなかの痛いとこがなくなってたんだ、そんときだけ」
する、と額を額に摺り合わせてきたヴァンの頬を、片手で包み込む。
「オマエのことを想って作った音でもないのに?」
「―――――ショーンのいちばんは、音楽のミューズだって、言われたときから、忘れてない」
ふ、となにかを我慢して飲み込んだかのように、ヴァンが溜め息を吐いた。
「ヴァン」
「顔見てなかった、ウィッシュリストの最後でもよかったんだ――――――でも、あんたここに来てくれて。なんにもかわってなかったから……」
ふにゃ、と泣き笑いを浮かべたヴァンの頬を、親指で撫でた。
「オレはね、本当に。オマエがこんなに想ってくれるのに値するようなヒトじゃないんだよ?オマエならもっと、オマエのことを大事にしてくれるヒトが似合うのに。なんだってオレなんかに」
呟いて、さらりと手をヴァンの後頭部に移動させる。そのまま濡れた髪の毛を指に挟む。
「―――――“なんか”ってなに?ショーンだから、おれは欲しいのに……」
「オマエには、もっと幸せになってほしいのに」
哀しそうな声に微笑んで、く、と髪を指で引いた。そのまま、甘い呪い文句を吐き続ける口を唇で塞ぐ。
ぴくん、と肩が揺れたのを無視して、噛み付くように口付けを深め。そして自分勝手に舌先でヴァンの口腔を手荒く蹂躙し、望むだけ貪る。
きゅ、と指がさらに縋り、唇を開いたヴァンの舌を掬い上げて甘く噛み。喘いだコから僅かに身体を遠ざける。
いや、とでも言うように縋ってきたヴァンをわざと突き放すように目を細めて見下ろす。
「オレはね、自分勝手で、ロクでもなくて。ほんとうにしょうもない人間なんだよ、仔猫チャン。いまのはキスだったけど、あれくらい自分勝手なファックばっかりして生きてきたんだ」
揺れたブルゥアイズが言葉を認識できるように、一語一語をくっきりと言い含めるように告げれば、上がりきった息を隠さずに、けれどヒトツ息を飲み込んでヴァンが言った。
「――――――だから…?」
「オレはオマエをそんな風に扱いたくないの。オマエのことが誰よりも大事だから。オマエがおれのかわいい天使のようなものだから」
「おれは―――――」
真っ直ぐに目を逸らさないヴァンを見詰めて微笑む。
「オレだけのワガママだっていうんだろ、そう思うことが。そんなことは解ってるよ」
「あんたにされることなら、何だってウレシイ……」
甘く声を擦れさせたヴァンの頭を、こつん、と軽く叩く。
「もっとオマエは自分のことを大事にしなさい。そんなことは滅多に言うもんじゃない」
「あんたのほかには言ってない…っ」
ぐう、と睨みあげるように告げてきたヴァンのブルゥアイズが煌めく様子を見詰めて、小さく微笑む。
「本当に。オマエはオレなんかに躓いてないで、もっと大きな可能性と世界を見るべきなのに……なんだってそう、オレがいいかな」
オレは従兄のオニイチャンのようにしか、オマエのことを優しく扱えないのに。そう溜め息とともに告げる。
「You are my Special, why don't you believe what I'm sayin'?(あんたが特別なんだって言ってるのに、どうしておれの言うことを信じてくれねぇの)」
ほろほろと涙を零すヴァンを見詰めて、苦笑する。
「従兄なんて嫌だ、」
そういい募るヴァンの額に唇を押し当てる。
「じゃあ、優しくしてなんてくれなくていい、」
従兄のあんたがウソだって言うなら、ほんとのあんたがいい。そう言い募るコドモの顔を覗き込む。
「だからオマエは直ぐにそういうことを言う。もっと自分を大事にしなさい、って今言ったばかりだろう?オレがオマエの言葉にウンと言えないのは、オマエにそれだけ純粋に想われるだけの価値がオレにないからだよ。オレはオマエのまえではイイヒトで居たい。だから、オマエを失望させたくないんだよ」
「十年ほったらかしにしてても、突っ込める相手ならファックして食い散らすのがほんとうのあんたなら、それでもいい」
「ヴァン」
咎めるように名前を呼んで、ガツン、と額を押し合わせた。
「それとも慣れてないヤツは面倒っていう?」
ちっとも怯まないヴァンに、深い溜め息を吐く。
「そんな扱い方でオマエに接したくないって言ってるのに。ヒトの話を聴かないコだね、オマエ?」
「あんただってちっともおれのキモチを聞いてくれてない、上っ面だけ聞き流してるじゃないか」
真正面から挑んでくるコドモにショーンは僅かに怯み、それから苦笑を零す。
「おれのことをそれだけ思いやってくれてる人がどうしてロクデナシなんだよ?それともおれはファックする価値もない?」
「ああ、もう。――――――オマエ、ちょっと口を閉じな」
トン、と唇を啄ばんで、目を覗き込む。
「オマエはオレの天使だよ、ヴァン」
「じゃあもっとして」
「オマエ、天使とファックできる?」
ちっとも口を噤まないヴァンを見下ろす。
「アンタだったら」
酷く真面目に応えられて、ふ、と息を吐く。
「オマエの言い分と、オマエの本気は解った。だから―――――オマエも、オレの言っている意味を理解してくれ。オーケイ?」
オレが恐がっていることを、きちんと解ってくれ、と目を覗き込む。
す、とヴァンが首を傾げた。
「なにが、こわいの……?」
「オマエの人生を、オレが背負うことが、だよ」
「おれはだれにもそんなもの背負わせない」
「そうは言っても、オレは背負っちゃうの。それが関係ってものの重みでしょうが」
「あんたの分はじゃあどうなるの。おれにくれんの?」
言い募るヴァンを覗きこんで、もうひとつ溜め息を吐く。
「オレばっかり背負ってたら倒れちゃって潰れるでしょーが。もちろん、そうに決まってる。だからそのことも併せてオレは怖いの」
ふわ、と。酷く幸福そうな表情で微笑んだヴァンの額を、額でゴチンと叩く。
「だからね、ヴァン。オレはもう一度、オマエにきちんと落ち着いて考え抜いて欲しいんだよ」
「無駄だよ」
「威張ってないで考えなさい。叔父さんのことも、世間体のことも、自分の将来のことも、オレみたいなニンゲンのツレになることの意味も、全部―――――オレも、きちんと考えるから」
「ショォン、」
「いま此処で流されてしまうのは簡単だけど、オレはそんな風に簡単に決めちまいたくないの。オマエのことが大事だから、ちゃんと全部考え抜きたいの。それは理解してもらえるか?」
じっと仔猫のようにイノセントな眼差しで見詰めて来るヴァンの双眸を覗き込む。
「あんた、おれより10年分コース遅れてるんだ、それくらい待ってやる」
くぅ、と威張って微笑んだヴァンの肩に、がくりと額を預ける。
「寛容でいてくれて嬉しいよ、本当にもう」
「おれは――――ほんとうに、ショォン、あんたが好きなんだ」
ふんわりと、とても静かな声でヴァンが言う。くう、と背中に両腕を守るかのように回されて、ショーンは小さく息を吐いた。
「ちゃんとそのことを前提で考えるよ、ヴァン」
「だから、」
少し震えたヴァンの声に、さらりと背中を撫で下ろす。
「“おれのため”とか言って、置いて行かないで、」
掠れたヴァンの声が言葉を綴る。
「イラナイなら、ちゃんとそう言って」
「――――言ったら、オマエ諦められるの?」
僅かにトーンを硬くしてショーンが問えば。
「あんたがどうしてもおれのこと欲しくなるように、なってみせる。何年かかっても」
強がっているというよりは、決意を固めて、けれど震えを抑え込み切れないヴァンの声が告げた。
「オーケイ。フェアなゲームプレイだと認めよう――――――だから、せめてちゃんと頭をクリアにさせてから、結論をだそう。いいな?」
身体を離して顔を覗き込めば、ヴァンが真っ直ぐに見上げてきた。その一心さを受け止めて、ショーンは薄く笑った。
「ちゃんとベッドで寝る…?」
確かめるように訊いて来るのに、くう、と笑って小さく頷く。
「ちゃんと寝るよ。だから、オマエもちゃんとベッドで眠りなさい」
「ショォンとならいいよ」
きゅ、と抱きついてきたヴァンの髪をさらりと撫でて、ぽんぽん、と背中を叩いた。
「ほら、もう寝よう。オマエ、バカみたいに身体が冷えてるぞ?」
くち、と小さくくしゃみを洩らしたヴァンの片腕を撫で下ろす。
「もう秋間近なんだから、こんな薄い格好でいるなよ」
ほら、じゃあもうベッドに行って、とヴァンの身体を離して、立ち上がるついでに床に立たす。
へいき、と笑ったコドモをベッドルームに促しながら、べし、と頭を軽く叩く。
「平気じゃねえの。きちんとしなさい」
笑いかけて、ヴァンのベッドルームのドアを片手で開けてやった。
「ほら、もぐりこめ」
片手でベッドを指差す。
く、と見上げて、あんたは?と訊いて来るヴァンに肩を竦める。そして、新しく張り替えられていたシーツに、ヴァンの心遣いが見て取れて、小さく笑った。
「ちゃんとオレの分のスペースも空けるように。ほら、はいったはいった」
ふにゃ、と笑ってベッドに潜り込んだヴァンの後に続いてベッドにもぐりこみ。すっかり冷え切ったヴァンの身体をいつものように抱き寄せながら、深い息を吐いた。
「オヤスミ、オレの天使チャン」
する、と腕と身体を添わせたヴァンの額に口付けてから、目を閉じた。
「ちゃんと名前で呼んでくれ」
何度も自分が吐いたセリフをヴァンが口にしたのに喉奥で笑ってから、ヴァン、と優しく囁いた。
「オヤスミ。ちゃんと休みなさい、ヴァン」
*
すう、と穏かに、ヴァンが腕の中で眠りに落ちていた。安心しきって、幸福そうな表情を浮かべている。
ライブの途中でタウンを出てきて。湖でヴァンはひとり泳いできて。泣き喚く仔猫の必死さで、思いつめてショーンに食って掛かってきた、その時とは丸きり違う表情―――――泣きすぎて、目は腫れぼったくても。疲労と睡眠不足で眼の下に隈が出来ていても。いまの表情はとても穏かで、甘くて……思わず口付けたくなる。
添わされた身体をリネンに押し付けて、掌でそのシェイプを味わって、その全部を知りたくなる。高めて、熱く火照らせて、蕩けさせたくなる―――――脚を開かせて、誰も触れたことの無い場所を貪りたくなる。
まだどこか濡れている髪に唇を押し当てた。もう誤魔化すことができないと知る――――――この子に自分が欲情できてしまうことを理解する。
強気で、強情で、純粋な天使―――――ほんとうに。なんて自分に似つかわしくないのだろう。
こんなにも想われているとは思わなかった。こんなにまでして求められるほど、愛されているとは思わなかった。
この子の本気が恐かった――――コドモの純粋さのまま、愛されていると知れば尚一層恐かった。
この子はどこまでオトナの汚さを知っているのだろう?どれだけの覚悟で以って、自分を求めてきているのだろう?
いままで、自分の人生ですら適当に生きてきたから、この子の分まで責任を背負うことになるのを臆す。この子を幸せにしてやれる自信が自分にはないから、受け入れることを臆す。
同性であることも、血で繋がった親族であることもどうでもいいけれど――――――自分がロクデナシだから、真っ当にこの子を愛する自信がなくて、この子を求めることを恐れる。
濡れて重たいヴァンの髪を指で梳いた。
この子が欲しいと思うと同時に、自分勝手でしかない理由だけでこの子を遠ざけたいと思う。
躊躇、ではない。迷うなんて生易しいものじゃない。自分はこの子の真剣さを恐れて、尻尾を巻いて逃げ出したいのだ。
本気で誰かを愛する術を、ショーンは知らない。
いつだってそうなる前に関係は終わっていたから―――――もしくは終わらせていたから、自分の内に潜む欲望と身勝手さの深さと今初めて向き合ったことになる。
その結果、28にもなって年下のコに真剣に告白をされて。その思いの深さに怖気づかされている。
なんて情けない……と思うと同時に、その情けなさがあまりに自分らしくて、ショーンは喉奥で声を殺して笑った。自分の不甲斐なさが余りにスバラシクテ、ショーンはもう笑うことしかできなかった。
そしてまた思考は最初に戻るのだ―――――ヴァンは一体ショーンの内になにを見て惚れてくれたのか。
ヴァンのような素敵なコに自分は酷く似つかわしくない。自分には、寄越されているだけの情を返すことができない。
だから恐くて―――――怖れていて。
見詰めていたヴァンの寝顔から、少しずつ色を明るくしていく外に視線を投げ。最も闇の深まる時間はもう過ぎ去っていて。少しずつ赤味を帯びた色が空を埋めていくのに気付く。
まだ幸せそうに顔を綻ばせたまま、深い眠りに落ちているヴァンにまた視線を戻す。
『……おれの気持ちは、迷惑―――?あんたにキスしたいって思ってるおれは……イラナイ?』
そう言い募ってきたヴァンの声が耳元でエコーする。
泣き疲れて落ち込んだ目元が色っぽいと思う、いまなら欲しいと言える、ああ、オマエが魅力的でないわけがないだろう、ヴァン…?
でもだから。ヴァンを受け入れてしまうわけにはいかない。衝動でヴァンの一生を引き受けてしまうわけにはいかない。ヴァンのことをショーンは大切に思っているからヴァンにはいつでも幸せでいて欲しいと願うほどに、大事だから……。
窓の外を、小さな影が声高に囀りながら過ぎていったのを見詰めて、深い息を吐いた。
衝動だろうとなんだろうと。いまこのコのことを離したくなんかなかった。
ずっと抱き締めて、起きたら口づけて、気持ちよくなることをしたかった。泣いて許しを請うまで埋めてみたかった―――――全てを攫ってみたかった。
だからこそ、もうここにはいられないと自覚する。
この子が目覚めて、もう一度抱き締めてしまったのならば――――――きっと離せなくなるに違いないから。
自分が満足するまで蹂躙し、堪能し尽すまで求めてしまうことを予感するから……だから。
穏やかな呼吸を繰り返すヴァンの額にそうっと唇を押し当てた。寝不足で少し高い体温が気持ちよかった。
ん、と寝ぼけてふにゃふにゃと笑みに表情を蕩けさせたコが、身体をさらに添わせてくるのを軽く抱き締めてから、リネンに押しとめた。
真上から見下ろして、その寝顔を記憶に刻み込む。
「――――――オマエを愛していると思うよ」
擦れきった声で、そうっと囁いた。
エゴセントリックな感情と、エゴイスティックな衝動と、長年“いいオニイチャン”として自分がヴァンに抱いていた愛情が、ごちゃまぜになっていた――――――もう、自分がどんな状態でこのコを愛しているのかが解らない。
「嘘じゃない、ほんとうにオマエのことを愛してると思うよ、ヴァン」
オマエのことが欲しいと思うよ。愛しいと思うよ。いつでも幸せでいてほしいと願うよ。いつも笑っていて欲しいと思うよ……。
さら、と。酷く幸せそうな寝顔を披露しているヴァンの頬を指先で撫でた。
それから、薄く開きっぱなしになったままの唇にも。
「だから、ゴメンな……」
恨んでくれていい、嫌ってくれていい、理解してくれなくてもいい、忘れてくれてもいい―――――何をしてもいいから、自分なんかに捕らわれない人生をきちんと生きて欲しいと願う。
“Whatever makes you happy, whatever you want.” I wish it all for you, for you to be happy without me.
オマエが何を望んでも、オマエが幸せであるのならば……そう在ることをココロから願うよ。オマエの人生が幸福に満ち溢れていることを―――――オレなんかナシで。
ふ、とほんの僅かに寝息を揺らしたヴァンから、そうっと身体を離していく。
不思議とココロが痛むことはなかった――――――ただ、腕の中から温かだった熱が遠のいていくのと同時に、心の内側が冷えていくようだった。
きゅ、と不安そうに眉根を寄せたヴァンを見下ろして、小さく笑った。
この場所にやってくるまで、自分はそんなドライで冷めた嫌なニンゲンだと認識していたのに。いつの間にこんなに和らいでいたのだろう、と。
そうっと身体をベッドから抜け出させて、ゆっくりと部屋を横切った。
もぞ、と。失った腕と身体を捜すように、ヴァンが身体を倒す音が聞こえたけれども、振り返りはしなかった。
そのまま静かにドアを閉めて。まだ暗い廊下のフロアを見下ろして、漸く深い溜め息を吐いた。
モタモタしていると目覚めたヴァンに追い縋られてしまう、と頭が予想を打ち立てて、ショーンは静かに脚を踏み出した。
リヴィングのソファの側に車のキィを放り出したままだったことを思い出して、それだけを取ったらこの場所から出て行こうと決める。
* * *
不意にビリビリと紙を破くような音が響いて、ショーンは音のするほうに向かう。
コーヒーのアロマが何よりも先に届いて。夜明け前であるにも関わらずに叔父が起き出していることを知る。
一瞬、顔を見合すことを躊躇する。けれど、キィを拾いに行くためにはどうしても避けられないと思い至って、そのままビリビリと紙が裂かれる音が響く方に脚を向けた。
明るく人工の光りに照らされたキッチンで、叔父が昨夜ショーンが置いていった包を破いていっているのが見えた。
すい、と視線を上げられて、のんびりと声がかけられる。
「あぁ、パトリックか。どうした、早いね」
一瞬、眉を引き上げた叔父が、にかりと笑った。
「アレの寝相に蹴り出されたかい」
「昔に比べれば、今は天使です」
そう苦笑しながら告げれば、かちゃん、と音を立たせながら叔父がカップを二つ用意し。その中にコーヒーを注いでいっていた。
すい、とヒトツを差し出される。
「昨夜は遅くまで泳いでいたようだから。寝ていても暴れたかと思ったが」
「三時頃まで起きていましたよ。だからいまは深い夢の中にいるのでしょう」
にこりと笑ってカップを受け取った――――いまからドライヴして帰るにはカフェインが必要だった。
視線を本に落としながら、ショーンのセリフに叔父がにっこりと笑った。
「なかなか良いラインアップで揃っている、これはきみが?」
「まさか。ヴァンに選んで貰いました」
「けれど提案者はきみだろう?ありがとう」
目元でにこっと笑った叔父が、す、と軽く見詰めてくるのに首を傾げた。
「パトリック――――悪いな、10年たってもまだあのコドモはきみに懐いているようだね」
そう言った叔父の言葉に、会話を断片的に聞かれていたことを知る。
ふ、とショーンは小さく笑ってみた。
「オレなんかの何がいいんですかね」
「まったくわからんね、」
そう言って、一口コーヒーを啜ってから、叔父が言葉を継いだ。
「まぁ、ヴァンもキミも母方の血が出てるがな、ハンサム君」
同じようにショーンもコーヒーを軽く啜ってから、苦笑して言う。
「かわいいオンナノコのほうがいいでしょうに」
「同感だ」
もっともらしく頷いた叔父の表情に、ショーンはますます笑顔を浮かべてみた。ヴァンを好きなのとは別の意味で、この叔父のことが自分はとても好きなのだと今更思い知って。
「ただまぁ、オンナノコたちはなかなか強かだからね、アレも思うところがあるんだろう」
そう言った叔父が、ぼか、と殴られるフリをしていた―――――ヴァンはきっと何度か喰らっていたに違いない、と想像がつく。
「アレは、相手を尊敬しないところがある、悪癖だな」
口端を引き上げた叔父に、くう、とショーンも笑いを浮かべた。
「そのセリフは、オレにとっても痛いですネ」
「パトリック、キミは気がついてなかったかい?アレの額には“ボクは人待ち中なんだけどキミでも別にいいけど付き合う?”って張り紙があったんだが。剥がれたかな」
ハハハ、と豪快に笑った叔父の言葉に、ショーンはわざと大げさに肩を竦めた。
「オレはロクデナシなので、そういうのに注意をしたことがないんですよね」
「なるほど、類は友を呼ぶとはよく言ったものだ」
にっこりと笑った叔父に、血筋ですかね、と苦笑を浮かべてみせる。
「美しくも怖ろしいキミたちの」
冗談めかして言った叔父に、ショーンはくすくすと笑って頷く。
「ええ。案外酷薄なタイプなのかもしれません」
「ならば、被害者が増える前にアレを何とかしてくれ、似たモノ同士」
ひらひら、とカップでヴァンの部屋を示した叔父に、苦笑を返す。
「オレも同じタイプなので、ご希望に沿えるかどうか……」
言外に、自分はヴァンを任せられるに値しない、とショーンは告げるけれども。叔父はそのまま穏かなトーンで、柔らかな眼差しでショーンを見据えたまま言った。
「ミスタ・ショーン・パトリック・スパロゥ、キミの手助けを私が求めるとすれば、もしヴァンが一緒に行きたいと言い出したら連れ出してやってくれないか、ということだ」
果たしてきみには多大な迷惑かもしれないと十分察してはいるがね、と続けた叔父に、ショーンは低く喉奥で笑った。
「連れ出した後の責任をオレが負わないでいいのならば……オレはどうやら酷いロクデナシのようなので、先々まで面倒を見て遣れる自信がない。それでも宜しければ」
真っ直ぐに叔父の双眸を見詰めれば、きゅ、と目を細めて酷く柔らかい笑みを返された。
「きみは今のアレの顔と、コドモの頃の顔しか見ていないからね、」
ず、とコーヒーを啜って叔父が言葉を継いだ。
「正直、ほんの数日前までと同じ表情をまたさせる以上に悪いことはそうそう無いと思っているんだ、私はね」
叔父の言葉にショーンが僅かに目を細めれば。静かな声がまた僅かに続いた。
「責任など持つ必要は全くないよ、きみには。その義務もない」
澄ました顔でコーヒーを飲んでいる叔父に、ショーンは小さく笑った。
「オレ、甲斐性ナシですよ?」
ひょい、と叔父が肩を竦めた。
「自覚があるだけスバラシイさ」
ひとつ息を吐いて、カップをカウンタに置いた。
「――――あの子が後悔するのが、オレは嫌なんです」
静かに懺悔するかのようにそれだけを言えば。叔父の優しい声が返された。
「キミが思っているほどアレは幼くもナイーブでもないよ、パトリック」
「……もし、あの子が。全てを捨ててオレのところに来ることがあれば……先のことを保証できるほど出来たオトナじゃないんで、申し訳ないですけど……そうしたら、喰らっちまいますよ?」
叔父だけには嘘は吐きたくなくて、真正直にショーンが告げれば。叔父は、ひょい、と肩を竦めた。
「実に素直だ」
そう言って、優しいままの声で言葉が継がれた。
「キミは信用に足るニンゲンだよ、パトリック」
「オレの何を見て信用していただけているのかが解らないので、正直にその言葉を受け止めることはできないですけど――――そう言って貰えると、少しだけ自信が湧きます。ロクでもない、としか言われたことがない人間なので」
苦笑してから、リヴィングのソファを指し示す。
「それじゃあ賭けをしましょうか」
鍵を見て、あぁ、という表情を浮かべた叔父に、にっこりと微笑みかける。
「もしあの子がオレの後を追いかけてきたら、貰っていく代わりにオレに出来ることはなんだってしてみる、と約束します。ですが、あの子がオレが立ち去るまで起き出して来なかったら、オレのことは諦めるように仕向けてください」
「パトリック、」
はあ、と叔父が深い深い溜め息を吐いた。
「いいことを教えてあげよう。私が仕事で一ヶ月家を離れるといったとき、6歳のヴァンは2日泣いていたが、母親が4日ほど家を留守にしたなら5日ほど泣いて。君はたった一ヶ月しかいなかったのに、帰ると聞いたら10日以上泣いていたが。どう思う?」
目をきらりとさせて、叔父が言葉を継いだ。
「そんな子を私が止められるとでも?」
ショーンはくすりと笑って、ソファのアームに置き去りにした車の鍵を取りに向かう。
「それじゃあ、オレを探し出すのに一切手を貸さない、と。それでいいですか?」
両手を挙げて、よかろう、と言った叔父に、片頬を吊り上げて笑う。
「いつものダメオヤジでいたらいいだけの話だ、」
「セカンドチャンスを息子のために確保するなんて、アナタは出来た父親ですヨ」
鍵を拾って、叔父に向き直ってにっこりと微笑む。
「さぁなあ、どうだろう。オオカミの口の中にかわいいわが子を放り込むローマ人の気分だナ」
「ただのオオカミだといいんですけどね―――――それじゃあ、賭けをスタートしましょうか」
手を差し出して、叔父とシェイクハンドする。
「短い間でしたが、滞在を許可してくださってありがとうございました。本当にまたお会いできて、嬉しかった」
「パトリック、」
にこりと叔父も微笑を浮かべた。
「いいこだね、キミは昔から」
「ただの賢しいガキですよ。根っこは“ワルモノ”だそうですから」
ぱちん、とウィンクをしてから、手を離し。玄関に向かう。
「パトリック、キミは失くさないようにしなさい」
そう背中に語りかけられて、ショーンは扉を閉めるために僅かだけ首を巡らせる。
ひら、と手を振って、叔父が書斎に新しい本とコーヒーを持って消えていくのが見えた。
かちん、と音がきっちりと響くまで扉を閉めて。玄関のドアの外でひとつ深い息を吐いてから、車をパーキングしてある場所まで一直線に歩き出す。
ヴァンが追いついてくることを願っているのかいないのか、フラットなままの感情で自分がいることにショーンは苦笑を浮かべた。叔父の言葉の意味を推し量りながら。
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