物語
の
はじまり
むかしむかしある所に、一組の若い夫婦が住んでおりました。
優しい旦那様と愛らしい奥様は近所でも評判の仲の良い夫婦でありまして、二人が結婚して3年目の年にそれは愛らしい赤ん坊を授かりました。
柔らかい金と茶色の混ざったような髪に青い目のその赤ん坊はノーマンと名付けられ、すくすくと元気に育っておりました。
ある日、若夫婦の隣の家に住んでいた壮年の男性の家に、小さな男の子がやってきました。男の子は、とある素質があるということで、先輩にもあたるその叔父の家に預けられることになったのです。
男の子の名前はショーン。ご両親は平凡でしたが、その子には魔法使いの才能がありました。
町で呪い屋の類を営んでいる叔父をまだ小さいながらも悠々と越えるほどの魔力の持ち主でもあり、ご両親では面倒が見切れなかったが故の処置でした。
そんなショーンの叔父であるペンドラゴンさんは、一度も結婚したことがありませんでした。ですから、ペンドラゴンさんがお仕事に出かけている間、ショーンの世話はお隣の若い奥様に委ねられることになりました。
引き取られた翌日にペンドラゴンさんに連れられて隣家に挨拶に行ったショーンは、おかっぱに切った眩い金色の髪を揺らしてぺこりと頭を下げ。漸く首が据わりだしたノーマンを抱っこしていた若いマダムに元気にご挨拶をしました。
「はじめまして、ミセス・ベアード。これからどうぞよろしくお願いします」
5歳の男の子にしては礼儀正しいショーンに、ミセス・ベアードはことのほか喜び。
「是非ノーマンのいいおにいちゃんになってあげてね?」
そう言って、4ヶ月ほどになる赤ん坊をショーンに向けてご挨拶をさせます。
「ほら、ノーマン。ショーンおにいちゃんですって。ご挨拶をしましょう?」
始めてみる赤ん坊に、ショーンは目を輝かせて両手を差し出します。 きらきらと輝くおかっぱに喜んだのでしょうか、小さなノーマンは、きゃあ、と歓声をあげて、両手を少年に向けて伸ばしました。
「ミセス・ベアード。抱っこしてもいいですか?」
「もちろんよ」
少年が両腕でそうっと赤ん坊を抱き上げれば、ますます喜んだノーマンが両手でショーンにつかまります。
ふにゃ、と笑ったショーンが、赤ん坊の真っ青な目を覗き込んで言いました。
「ノーマン、ノーマン。よろしくね?」
きゃあ、とますます歓声を上げた赤ん坊を上手に抱っこしてあやすショーンの様子に、ミセス・ベアードも頬を緩ませ。やはり同じ様ににこにこと微笑んでいたペンドラゴンさんに言いました。
「ペンドラゴンさんがお店に出ていらっしゃるときは、我が家でお預かりいたしますわ。この様子だと本当の兄弟のように仲良くなれるかも」
もちろんペンドラゴンさんに異存はありません。
そうしてショーンは初等教育を受ける為に学校に行き始めるまでは、ほとんど毎日日中はベアード夫妻の家で過ごしました。学校に行き始めてからは、ペンドラゴンさんがお店を閉めて夜帰ってくるまで、ノーマンの相手をして過ごすことになりました。
ノーマンが寝返りを打つ頃にはお昼寝の時には側に居て。ハイハイをしだせば、たっちの仕方を教え。たっちが出来るようになればあんよは上手、を教えるショーンが居てくれて、ミセス・ベアードも大助かりです。
その上、学校の自分のお勉強をしながら、ノーマンを膝に抱っこして言葉のお勉強もしてくれるショーンに、ミセス・ベアードは感心することしきりでした。 オムツ替えまでは流石に遠慮していましたが、トイレのトレーニングやお風呂まで一緒に済ませてくれるショーンが居てくれて、はじめての育児も随分と楽でした。
万事そんな具合でしたので、ノーマンが最初に話した言葉が“まま”ではなく“しぉ”であったことも許せた程で。
互いのほっぺたに、ちゅう、とかわいいご挨拶をして。ぺったりとくっついてお昼寝している姿は、絵に描きたいほど愛らしいものであったので、いっそペンドラゴンさんの家からショーンを養子として引き取ってしまおうかと旦那様とご相談なさっていたほどでした。
それを実行に移さなかったのは、実子のいないペンドラゴンさんもこよなくショーンを愛していたことが明白で、隣同士の二つの家を行き来するショーンが毎日幸せそうだったからです。
朝、仕事に出かける前のペンドラゴンさんの家を出たショーンは、ノーマンに窓越しに挨拶をしてから学校に行き。学校から帰ってきたら、荷物を持ったまま真っ直ぐにノーマンに会いに戻ってきます。 それからベアード夫妻の家でぺったりとくっついたまま離れないノーマンと一緒にお勉強とお風呂とゴハンを済ませ。ペンドラゴンさんが帰宅しがてら、夫妻の家のドアを叩くのを合図に、ノーマンに「おやすみなさい」の挨拶をして帰っていくのがほぼ日課となりました。
休みの日には、時々ペンドラゴンさんとショーンは出かけましたが、ノーマンと一緒にベアード夫妻と出かけることも暫しでありました。 そして時々ショーンがベアード夫妻の家に泊まることはありましたが、ノーマンがペンドラゴン家に泊まりにくることは一度たりとてありませんでした。なぜならペンドラゴンさんの家は魔法関連の材料や書物で溢れかえっており、魔力を持たない小さなノーマンが過ごすにはちょっと危険な場所だったからです。
『しょぉ、いっしょにねんねしますー』
帰り間際にそう言ってシャツの裾をきゅうっと握って見上げてくるノーマンの額にキスをして、ショーンはふにゃりと笑い。
『また今度。今日はいい子でおやすみ。いい夢を見れるようにオマジナイをしてあげる』
そう返して、ちょん、とノーマンの鼻先にキスすることが、日々が経つ毎に繰り返される就寝前の儀式となっていきました。
きゅ、と目を瞑ってそれ以上に駄々を捏ねることのなかったノーマンも、どんどんと大きくなるにつれて、よりいっそうショーンと時間が過ごせるようにいろいろと考えるようになりました。
夜は一緒に居ても寝てしまうだけです。それならば、夢の中でも一緒に遊べるオマジナイをかけてもらったほうがいい。だから、昼の時間を一緒に過ごせるようになればいい、と。
ショーンが“夏休み”の間は、そんな風に日中は毎日ほぼ一緒に過ごせていたからよいものの。夏休みが終わってしまってからは、遊べる時間が一挙に減ってしまいました。 なぜ一緒にずっと居られないのか不思議でならないノーマンは、ショーンが居ない時間にミセス・ベアードに質問をぶつけますが、もちろん納得のいく回答を得られるわけがありません。
「来年、ノーマンも6歳になったら学校に行くようになるのよ?」
と返されても、一緒に居たいのは“今”なのです。
「しょぉんといっしょ?」
そう首を傾げて訊いても、返されたお返事は、一緒じゃない、でした。 ノーマンが初等学校に上がるのと同時に、ショーンも中等学校へと上がってしまうからです。 ひーん、と大声で泣き出したノーマンに、ミセス・ベアードは考えます。
「ショーンは魔法使いになるために、難しい学校に入るそうよ。だからますますノーマンと遊べる時間はなくなっちゃうの。ノーマンもそろそろ他のお友達を作らなきゃね」
「いやぁあああああああ」
そう転がってわんわんと泣きながら暴れて泣く息子に、ミセス・ベアードは溜息を吐きました。
「嫌でも決まっていることなの。いままでこんなにノーマンとばっかり一緒に居て貰えたことのほうが奇跡なのよ」
ショーンも、もう11歳。
相変らず金色の髪をおかっぱあたまにしていたけれども、その背丈は毎年すくすくと伸びていき。
小学校の発表会に招かれたときは、何人もの学校の女の子たちやそのご家族から熱烈な視線を浴びるほどの美少年でしたので、いくら柔らかいくせ毛の金茶色の髪をした息子がそんじょそこらの小娘たちよりカワイイからといって、この先はやはりショーンにはショーンの人生を歩んで貰ったほうが良いように思えておりました。
言葉では言い尽くせないほどにお世話になったショーンだからこそ、より良い人生を歩んでほしい、とミセス・ベアードは考えていたのです。
「いやぁあああああああ、しょおおおおおおおおおん、」
そう絶叫しながら泣いているノーマンに、ミセス・ベアードは言い聞かせました。
「もうノーマンも5歳になったの。そろそろ自分のことは自分でできるようになって、ショーンに楽をさせてあげなければね」
もちろん子供がそんな理由で納得するわけがありません。
「いやぁああああああ」
そして学校帰りのショーンが、響き渡る絶叫に慌てて家に飛び込んでくるまで、泣いて喚いての訴えは続いたのでした。
そんな遣り取りが1週間ほど続き。
ずっと一緒に居て欲しい、とどんなに願っても、その願いが叶えられたことは過去に数えるほどしかあったことがない、と気付いたノーマンは。だったら自分がショーンにくっついていけばいいのだ、と考えました。
そして、ある日。
いつものように学校に行く前に挨拶をしていったショーンの後をこっそりと追って、家を飛び出してしまいました。
ノーマンにとって不幸だったのは、ショーンがその年でもう既にかなりの知識を持ち実践を積んだ魔法使いだったことで。
その若い魔法使いはスクールバスではなく、自分で編み出した魔法の力で動く乗り物に乗って、「魔法の森」を突っ切って通学していたことでした。
ショーンが気軽に足を踏み入れたその場所は、日ごろから母親であるミセス・ベアードに「絶対に近寄ってはいけません」と繰り返し伝えられていた森でした。 一瞬は躊躇したノーマンでしたが、木々の上を飛んでいくショーンの姿がどんどん見えなくなることに焦って、その森の中を突き進んでいきました。
そして、とうとうショーンの姿がカケラも見えなくなり。
疲れて草に座り込んだ頃には、とっくに帰り道すらも解らなくなっていたのです。 なにしろそこは魔法の森。ノーマンが踏み入った後から後から茨が生い茂り、元きた道を跡形もなく覆い隠してしまっておりました。
心細くなってショーンの名前を呼んでも、甲高い子供の声は鬱蒼と生い茂った森の木々に呑まれていくばかりです。
ノーマンはショーンの名前を何度も呼びながら、わんわんと泣き続けました。 けれども、その声がショーンに届くことはなかったのです。
一方ミセス・ベアードは、ノーマンがこっそりと家を出てから暫くして愛する自分の息子がいないことに気付きました。
そして直ぐに家の中を、家の周囲を、ノーマンの名前を連呼しながら探し回りましたが、一向に出てくる気配がありません。
比較的治安の良い住宅街に夫婦はお住まいでしたが、なにしろとてもかわいい自慢の息子だったので、ミセス・ベアードは人攫いに連れて行かれてしまったかもしれない、と大慌てで旦那様と警察を呼びました。
捜索が始められて数時間が経ち、漸く一人のマダムが街の外れで森に行く道を歩いていくのを見たような気がする、と言っていた情報が寄せられました。 なにかを追いかけるように一生懸命に歩いていたから、犬か猫でも追っていたのだろう、とそのマダムは思ったそうで森の入り口まで行けば、いくらなんでも戻るだろう、とその子供に声をかけることはしなかったそうです。
なにしろ、魔法の森は一度足を踏み入れたら二度と出てこられない、と噂の呪いの森でありましたし、その周囲にはレンガで囲いがしてあったのです。
一箇所だけある森の入り口は木々が暗く道に影を落としているのが見え、大人の自殺志願者ですら入るのを戸惑うような場所だったので、当然学校に上がる前の子供が行くとはマダムも誰も思っていませんでした。
それでも大人たちが意を決して森の入り口までいってみれば、そこは高々と茨が生い茂り、とても歩いて入っていける状態ではありませんでした。
街の大騒ぎに隣人夫婦の子供であるノーマンが消えたことを知っていたペンドラゴンさんは、おっつけ森の入り口まで駆けつけました。 そして、たとえ街の小さな呪い屋を営むほどのしか魔力のない魔術師ではあっても、森の呪いが発動していることを見て取ったのです。
「これはいけない。どうやらノーマンくんは呪いの森に入ってしまったらしい」
泣き崩れるベアード夫妻と共に居た警察官に、ペンドラゴンさんは難しい顔で告げます。
「この森は荒野の魔女の持ち物だ。私ではあの方に到底辿り着けない。これはちゃんとした方に訪ねてきてもらう他はない」
その言葉を聞いて気絶したミセス・ベアードを抱き抱えて、ミスタ・ベアードは警察官に詰め寄ります。
けれども“荒野の魔女”はこの国を治める王か、それ同等の地位にある者の呼びかけにしか応えないことで有名な気難しく、そしてなにより強力な魔女でした。その上、ここ数年その魔女の姿を見た者がなく。ノーマンの探索は絶望的になったのでした。
ミセス・ベアードの様子が気がかりで、捜索隊やら警察が引き上げていく中、夫妻は一度家に帰り。
丁度ベアード夫妻の家を訪れていた学校帰りのショーンは、ノーマンが行方不明になったことに青褪めて、一人夕暮れの中を森に向かいました。
そして自分のアビリティを越えた魔力で出来た茨の目くらましで、森の深部へと続く道が閉ざされてしまっていることに気付きます。
ショーンは手作りのガジットを取り出して森の上を飛んでみますが、外部からの攻撃に備えて設けられている魔法の森なので当然その中を見通すことすらできません。
そして学校から帰る時にはまだ発動していなかった魔法が、いまは幾重にも掛けられていることに歯噛みしました。
いまショーンが森の中に飛び込んでいけば、広大な森の中で出会える確立がゼロに近い上、ショーンまでもが行方不明になってしまいます。
暗くなるまで森の上を飛行しますが、結局ノーマンの向かった先を特定することもできず。肩を落として自宅へと帰りました。
玄関の外で待っていたペンドラゴンさんは、ショーンの顔を覗き込んで溜息を吐きました。
悪い知らせは続くものです。
家に帰ってから突然気分が悪くなって病院へ急いで運ばれたミセス・ベアードは、ノーマンの弟か妹を身ごもっていたというのです。ですがノーマンがいなくなってしまったショックから流産し、そのまま亡くなってしまったのでした。
ショーンは病院に詰めたきりのミスタ・ベアードの体調を案じ、彼の代わりに荒野の魔女に直訴に行く旨を叔父に伝えますが。
「君まで亡くしてしまうわけにはいかない」
そうぼそりと呟いたペンドラゴンさんの言葉に、身体中の力が抜けていってしまいました。
「私がもっと強力な魔法使いだったのであれば……」
ペンドラゴンさんの言葉に、ショーンが首を横に振りました。 魔法使いとは、生まれついての素質がなによりもものをいう職業であり。どんなに望んで勉強したとしても、そうそう強力な魔法使いになることはできません。
せめてショーンにそれだけの力と知識があれば……。
ノーマンが失踪してから数日が経ち。ミスタ・ベアードから手紙がショーンの下に届きました。
妻と子供二人をいっぺんに亡くしてしまったミスタ・ベアードは、幸せな想い出がいっぱいに詰まっている自宅に帰ることができなくなってしまったというのです。
警察からは荒野の魔女に連絡を取る方法がないと告げられ、妻と生まれることのなかった子供の葬儀を済ませたならば、ミスタ・ベアードは別の場所に引っ越すことと。ショーンに立派な魔法使いになって欲しい、という願いと。いままでノーマンのよいお兄さんでいてくれてありがとう、という礼が認められたソレを繰り返し繰り返し読み返し。ショーンは決意しました。
いつの日か、あの森を捜索してノーマンを探し出すことを。
そのためには、まずはノーマンのお父さんが言ったように立派な魔法使いになることが先決です。
そうしなければ、森を捜索する魔術を発揮することも、捜索する許可を得るために荒野の魔女に会うことすらできません。
呪いの森は、国を守るためにわざわざ設けられた区域であるために、生半可な魔術は通用しません。 その上、噂されている通りに一度足を踏み入れたならば、相当な魔術を発動できない限り、あの中から抜け出てくることすら適いません。
ショーンの目標は定まりました。
そして立派な魔法使いになるべく、この国で一番、と言われる魔法学校へと入学していったのです。