だい
じけ
ん。



 ふんふん、とお歌を歌いながらノーマンはお城の長い廊下を歩いていました。
 となりには、大事なかわいいお手柄ぺっとのイーニィミーニィマイニーモーがいます。
 赤いベルベットのリボンが、かわいい三つのお首にきちんと巻かれていて、ノーマンは上機嫌です。
 おいしい朝ごはんを食べてしばらくしてから、ショォンはお勉強部屋にもう入ってしまっています。さっき、お部屋の前までお見送りにいったとき、
『今日はちょっと遅くまでかかるから、なんだったら先に寝ておいで』
 そう言って、にっこりとしてくれました。
『さみしいからいやですよ』
 そうぷすりと言ったなら、
『じゃあ夕ご飯までには帰って来るよ。でもおやつは一人で食べていいからね?』
 頭にショオンの手がやわらかに下りてきて、ちゅっと唇にキスをしてくれましたので、不服を引っ込めて頷いて、お見送りをしたのです。
 それから、イーニィミーニィマイニーとモーを連れて、冬部屋まで遊びに行きました。
 くりっすまの時に飾り付けをした大きなツリーが雪の中に生えている不思議なお部屋です。
 キラキラと今でも光っているガラスの飾りや垂れ下がったリボンを眺めながら、かわいい子犬といっしょに深い雪の中に足跡をたくさんつけてぐるぐるツリーの周りを行進して、スノーエンジェルもたくさん作って、身体がぽかぽかとしてきたところでかけっこをして、『たくさん遊びましたねえ』と仔犬を抱っこしてお部屋の出口まで雪の中を行進していったのです。
 けれど不思議なことに、冬部屋から出たならさっきまで雪塗れだったはずのノーマンのお洋服はきちんと乾いているのです。
「かしこいお城ですよ」
 くすんと小さく笑って、ノーマンは冬部屋の入り口のドアの取っ手を触ります。そこだけはとても冷たくて、氷を触ったように思えます。
「不思議ですねえ」
 感心して溜息をつくと、また廊下をずんずんと進みます。
 どんなに探検をしても、お城の中はいつも知らないお部屋があるような気がしますから、飽きることがありません。
「でも、」
 ふい、とノーマンが立ち止まりました。
「ああいうようせいさんたちは、見たことがなかったですよ」
 ショオンの森の、くりっすまのツリーを観にいったのと同じくらい深い遠いところに、ノーマンは『春になったら行ってもいいよ』とショオンに言われていた通り、この間探検に勇んで出かけてみたのです。
 そのときに、大きな木の茂った枝の下で、感心してその立派な枝ぶりを見上げていたノーマンの周りに、ふわふわと不思議なものが漂ったのです。
 大魔法使いであるショオンのお城には、「あまり仲良くしてはいけません」と言われている薄灰色の透明な羽根をして、カラスのように黒くてつやつやした肌の妖精さんたちがいます。
 でも、ノーマンはお城のなかのお友達だと思っていますから、いつもこっそり、少しだけ仲良くしています。
 その妖精さんたちとも違って、森の奥の不思議な妖精さんたちは、風に漂うように、たんぽぽの綿毛のようにふわふわきらきらしていました。
 わあ、とびっくりして息を詰めて見詰めていると、その不思議なふわふわは、風も吹いていませんでしたのに、ふわっとノーマンのハナサキの直ぐ傍まで飛んできたのです。
 ひゃああ、とびっくりして声も出せないでいたなら、少しはなれていたところからまっすぐ、イーニィたちが走ってきて、そのとたん、何もいなくなっていたのです。
 あれはほんとうに、不思議ないきものでした。
 お手柄ぺっとのイーニィたちも、空気の匂いを一生懸命かぐように、それぞれ3方向にまっすぐ首を伸ばしていたのです。
「あれは、ほんとうにふしぎな妖精さんたちでしたよ」
 けれど、ノーマンの大好きなショオンは、妖精さんたちのことはあまり好きではないようですので、ノーマンはこのことは黙っていたのです。
「観にいったらだめですって、言われちゃうかもしれませんものね」
 そう呟いて、あら、と口許を押さえます。
「いーにいもみーにぃもまいにーも、しょおにはないしょですよ」
 そうこっそり言いつけると、お紅茶を飲みにお台所まで行くことにします。
 お紅茶をいれたら、あの妖精さんたちのことを不思議じしょで調べるつもりでした。
 けれど、内緒ですよとノーマンにいわれても、三つ首の番犬はなんのことだかちっとも分かりません。
 ですから、すこし首を右側にみんなで傾げて、おしっぽをひらんとさせたなら、「おりこうですねえ!」とノーマンにお砂糖のような笑顔でほめられましたので、もううれしくなってぴょんぴょんと跳ねます。
 そして、仔犬と元こぐまはそろって跳ねながらお城のお台所まで進んでいったのです。
 もちろん、ノーマンは大きな声で自作の歌をうたっていました。

 お台所のテーブルに、昨日焼いてあったフルーツケーキをたっぷりと厚く切ってお皿に並べて、かりっと焼き上げたサブレも何枚か乗せます。
 イーニィたち用の小皿には、砕いたお星様のかけらと、お星様ゼリィを3さじ、乗せてあげます。
 そしてミルクたっぷりのお紅茶をおいしく丁寧にいれて、まずまず上機嫌でノーマンは一人でお昼を済ませたのです。
 お皿の片付けは、勝手にお皿やスプーンやマグカップはシンクまで行進してくれて、くるくるとキレイな水の流れるなかで自分たちで洗いますから、「どうもありがとうござます」とぺこりをお辞儀をすると、不思議じしょを取りにリビングに向かって、その後をまたまっくろの大きな仔犬がぴょんぴょんと付いてきます。
 そしてノーマンが中の絵が動いたり、立体のかたちになって空中に現われる魔法のじしょであの不思議な妖精さんたちのことを調べている間、子犬は暖炉の前でくるんと丸くなりました。
「おなかいっぱいになりましたからねえ」
 そうっとノーマンがその様子に呟いて、また辞書を引きます。
 けれど、「ようせい」で引いても、あの不思議なふわふわのような形をしたものは出てきません。
 本当は、精霊、で引けば近いようなものなのかもしれませんが、ノーマンの頭のなかにはその言葉はまだ入っていないのですから、しかたありません。
「いませんよう」
 ふう、とノーマンが大きな辞書のページから顔を上げました。
 とても熱心に調べていましたので、頭がすこしくらくらします。
「しょおなら知ってるのかしら」
 物知りのショオンのことですから、知らないことはきっと何もないはずです。
「でも、」
 むー、とノーマンが唸ります。
 ノーマンはあの不思議なふわふわと、おともだちになりたいのです。
「おなまえはわからなくても、住んでる場所はしってるんですよ。ぼく」
 ふむ、となにやら考え始めます。
 ここにショオンがいたなら、元こぐまの考えは大抵よからぬことになりますから、気をそらすなり散らすなり、何かしら手を打つのですがなにしろ今はおりません。
「おともだちになったあとに、ぼくはノーマンです、って言えばいいんですよね」
 段々とオカシナ方向に考えが及んでいることに、ノーマンだけは気づきません。
「―――いきましょう…!」
 きっぱりと決意します。
 この世界の不思議をぜんぶ詰め込んである、と教えてもらった辞書にも載っていない妖精さんならば、なんとしてもおともだちになりたいと想ってしまったのです。
「さあ、イー二…」
 ィ、マイニー、ミー二ィ、モー、行きますよ…!と続くはずだった言葉は、けれど途中で消えてしまいました。
 すやすや、と大事なかわいい子犬のお腹が上下しているのです。暖炉の前で、三つ首の子犬はぐっすり眠っているようでした。
「あら…おねんねしてますよ」
 そうっとノーマンが音を立てないようにイスから立ち上がります。そうっとそうっと、お部屋のドアに向かって行きます。
 せっかくぐっすり眠っている子犬を起こしてお散歩に連れて行くのはかわいそうです。こいぬは眠ることもオシゴトだとラジオでも聞いたことがあります。
「ねんねですね、」
 こっそりと呟きます。
 そして、ほわりと子犬のお背中を撫でます。
 そのとき、お尻尾のモーがすこしだけ、ぴくんとしたので、「しぃいいい、ねんねですよ」モーはいいこですね、とノーマンが囁きます。
「すぐにもどってきますよ、だから、ねんね」
 そういい残すと、ノーマンがするりと部屋を出ていきます。そして、お城の玄関に向かいます。
 お出かけ、というよりはお散歩、もしかしたら探検に近いかもしれません。
 それに、お昼を過ぎましたから、もし風が吹いてきたら少し寒いかもしれませんので、くりっすまのプレゼントにもらった大好きな赤い、フードの付いたケープをお部屋から取ってきてお出かけの準備は万全です。
 ふわふわしたスウェードのクリーム色をしたブーツに履き替えて、ケープもきちんとフードを被って着ます。
「さあ…いってきます!」

 誰からの返事もないお城の中に向かってご挨拶をして、ノーマンは元気に魔法の森に向かいました。
 なにしろ、こぐまとして10年暮らした森ですし、こぐまのころには遠くて行けなかった奥にも、いまはもう「おにいさん」ですからへっちゃらで行けるのです。
 途中でたまに転んでしまったり、崖からすべってしまったりもしますが、それもへっちゃです。
 ケープのポケットには、おいしいビスケットやお菓子も詰めてきましたから、おやつがほしくなっても遠くまでどんどん歩いていけます。
 不思議なふわふわを観た森の深くまでは、とても遠いのです。
 くりっすまの時にショオンが毎日ここまで来るのは大変、とわらっていたくらいです。
「でも、たんけんでぼうけんでどきどきですもの」
 ふふ、とうれしくなってしまいます。
 世界は不思議なことでいっぱいのようですから、ほんとうになんてたのしいんでしょう、とスキップをしたくなります。
 不思議なふわふわとおもともだちになったら、お城までいっしょに来てもらって、ショオンに紹介もできるかもしれません。
「きっとおどろきますねえ」
 ノーマンは、ショオンのことは大好きで、にっこりとうれしそうに笑ってくれるときもとても好きなのです。
 だんだんと、足元の草がノーマンの暮らしていた森の色とは変わってきます。淡い緑から、もうすこし深い色になるのです。
 森の木の枝も太く大きくなって、はっぱの色も少しあおみどりになるのです。
「くりっすまの森」とノーマンはこの辺りのことを呼んでいます。いまは雪はもう積もっていませんが、まっしろに良く似合いそうな深い色合いの森なのです。
 ぽこん、とはちみつキャンディーをノーマンは口に入れると、辺りを見回します。うさぎや鳥や、森のおともだちは今日は見当たりません。
「みんな、お昼ねですかしら」
 きょうはお昼ねびよりなんでしょうねえ、とラジオで聞いて覚えた言葉を使ってみます。
「ごはんびより」ですとか「お菓子びより」といろんな言葉に「びより」をつけていたらなら、ショオンは大笑いして
『オマエはいつも面白いことを言うね』そう言って、頭をたくさん撫でてくれたりもしました。
「ふふ」
 そのとこを思い出して、うれしくなってずんずん進みます。
 そして、あの不思議なふわふわを観たぽいんとに到着したのです。
「ここですねえ」
 くるんと辺りを見回します。
 たしかに、あの背の高い木やキツネの尾っぽのようなふさふさのある草は見覚えがあります。
 なにしろ、10年もこぐまをしていましたから、観察眼は鋭いのです。
「そうっとそうっと、」
 こっそり呟いて、上を観て、横を見て、下を見て、また上を見ます。そのとき、ふわんとなにかがノーマンの目のはしっこに映ったのです。
「――――――あら?!」
 どきん、とします。
 風が吹いただけかもしれません。
 でも、ふわっとこんどはノーマンの肩のあたりに、不思議なふわふわがとまったのです。
 小鳥たちよりもっとずっとそうっとです。
「―――ひゃあ…!」
 嬉しくて叫びだしてしまいそうなのを、ぐううっとノーマンが堪えます。
「じっと、じっとですよ…!」
 そう呪文のように呟けば、ふわっとまたべつのふわふわが左側からやってきます。
「―――――ひゃー…!!」
 もうノーマンはぶるぶる震えるほど興奮してしまいます、けれども飛び跳ねてしまわないようにいっしょうけんめいです。
「あ」
 ふわふわん、と三つほどのふわふわがノーマンの目の前を漂います。いま肩に乗っているのとは別のふわふわです。
「―――――わぁ…!」
 もうノーマンは夢中です。
 しっかりとその漂うようなふわふわを見詰めて、何歩か歩き始めます。
 ふぅわふわは、「おいでおいで」をしているように、とどまっては流れ、上にいったり下にいったりします。ノーマンはもううれしくてしかたありません。
 また何歩か、慌てて、それでも静かに進んで。
 ふわふわにだけ夢中になって一心になっていたノーマンは、草地にぽっかりおそろしい穴が口を開けていることがわかりませんでした。
 ふい、と右足が浮いて、それでもノーマンはふわふわにだけ気を取られていました。
 そして、左足も、からっぽの上に踏み出してしまったのです。
 一瞬、なにがおこったのかノーマンはまったくわかりませんでした。
 肩に乗っていたふわふわが急に浮かび上がったのです。
「あら?」
 けれどすぐに、ひゃああああと叫び声を上げました。
 ふわふわは浮き上がってはいなかったのです。ノーマンが落下しているのです。
「ひゃあああああ」
 崖や階段ではなく、なんだか深いところに落っこちているのです。
 ふわふわはあっというまに見えなくなって、ノーマンはどんどん落ちて行きます。
 土の匂いがします。
 ノーマンと一緒に千切れた下草や小石も落っこちます。
「ひゃああああーー、おーち―――――」
 るぅうう、とまでは言う前に、穴の底に身体を思い切り打ってしまってノーマンは目がチカチカしました。
 こぐまのころに、よく崖から落ちて怪我をしていましたから、そのときよりは痛くありませんでしたが、なにしろびっくりしてしまいます。
「ひゃ、った、たたたた」
 うーうー、と唸ります。まだお星様がチカチカとします。
 身体を丸めて目を瞑って、10数えます。
「いたたたた」
 いたたたた、と唸っている間も、足を少し動かしてみたり、お手手を動かしてみたり、身体の無事をきちんと確かめます。さすがにこれは慣れているだけあります。
「ひさしぶりにおちましたよう」
 うー、と最後に唸って目をぱかりと明けます。
 そうしたなら、乾いた草が目の前にありました。穴の底に落ちていたのか、生えていたのか、柔らかな草です。
 ノーマンが動くとかさかさと乾いた音を立てます。
「ふう、」
 そうっとノーマンが起き上がります。
「ここはどこですかしら」
 穴の底です、森の奥深くの。
 くりんとノーマンが光りがくりぬかれている上の方を見上げます。フードがはさりと頭から落ちます。
「ぼく、ずいぶんおっこちたんですのねえ」
 感心してしまっています。
 そして穴の底にすっくと立ち上がります。
「でも、すぐ上って出れますよ。ぼくは強いくまですから」
 くまではありません、人です。
「でも、地面は高いですねえ、図書室の棚よりうんと上ですか」
 図書室の棚どころか、ノーマンが腕を丸めて輪っかにしたより、もっと小さい穴の入り口がずっと上に見えます。
「だいじょうぶですよ、ぼくは強いんですから」
 ウン、と自信たっぷりに言うと、ノーマンがケープについた草をはたはたと払い落としました。
 そして、ポケットからクッキーの割れてしまった欠片を一つ取り出します。
「げんきだしていこー」
 これもラジオで誰かが言っていたのです。なんとなく、ぴったりな気がしました。
 ぱくんと欠片を食べて、うむ、とノーマンがはるか上の出口を見上げました。