にっ



空は柔らかな青に満ち、白い雲が甘い綿菓子のようにふわふわと浮かんでいます。
耳を澄ませば、どこまでも続いていくような森の中から雲雀の歌声が高らかに聞こえてきます。
風は頬を柔らかく撫で、甘い草花の匂いをどこからか運んできます。
季節は春―――――といっても、それはこの魔法の「春部屋」の中のことだけです。
『お城のなかに冬のお部屋があったら、春のお部屋もすてきですよ?毎日、ピクニックにいけますよ、しょお』
そうノーマンがある日、にこにことショーンを見上げて言いました。
『そうしたら、ぼくは。あのね、毎日とってもおいしいばしけっとにたくさんいろいろ詰めて、おれのおししょうもいっしょにみんなでいきましょうよ』
ばしけっと、とはバスケットのことです。すかさず「バスケットな」とショーンが訂正すれば、こくりとノーマンが頷いて続けました。
『くりっすまのお部屋で、ぴくにっくはできませんものね、』
大きな目にきらきらと光をたっぷりと弾けさせて、ほわんと微笑を浮かべながら両手を組んでうっとりと呟きます。
くす、とショーンは笑って、ノーマンの額に口付けを落として言いました。
『ノーマンが一冊、ご本を読み通せたら作ってあげようね』
そう言って、ショーンがノーマンに一冊の本を手渡しました。いま、彼らが住んでいる国の歴史をまとめたご本です。
そしてノーマンはあっという間にお師匠に監督をされながらご本を読み通して、約束通りにこの春部屋を作って貰ったのでした。
そうして、こうやって望んでいた通りにピクニックにやってきています。
ショーンが用意した、お願いしたらどんな食事や飲み物でも即座に出してくれる白いテーブルに沢山のご飯を出してブランチを頂きました。
今日はショーンはお城に行かなくても良い日なので、気分ともどものんびりとしたものです。
一度お皿を下げてもらい、新たにお星様ゼリィがクラッシュアイスと一緒に入ったシャンパンベースのちょっと甘いカクテルを縞々のストロー付きで出して貰って、ノーマンはご機嫌です。
ショーンはゆっくりと熱い紅茶を飲んでおります。お皿にはノーマンが上手に作ったケーク・サレやシクレが摘み易いサイズに切り分けられて乗っています。これをいただくのに、シャンパン入りソーダはちょっとないな、と思ったショーンですので、素直にミルクティをチョイスしたのです。
麗らかな春の日差しに誘われて、ふわふわと蝶々が風にのってやってきました。それに指先を差し出し、甘いシャンパンソーダの雫を飲ませてあげながら、ふとノーマンが呟きました。
「なんで王女さまはおういけいしょうけんがないんですか」
「うん?」
「悪い魔女になるんですか?」
ノーマンの胸元に「棲んで」いる元・地元の神様のミニチュア霊体である「お師匠」が、はー…と深い溜息を吐き出したのがショーンに聞こえましたが、ノーマンはどこ吹く風です。
「まず魔女だけど、あれは才能がないと慣れない職業だよ、ノーマン。そもそも、魔法を引き出せる血がないと、魔法使いにはなれない。しかも、魔法使いの子どもが必ず魔法使いになれるわけじゃなくて、それを上手に扱って、魔法を練りあげてカタチに出来る人間だけが魔法使いになる。だから、王様の娘が魔法使いになれないってわけではないけれども、なるとも言えない。これはわかるだろう?」
ショーンが笑いながらノーマンに説けば、ふんふん、とじっと見つめてきていたノーマンが頷きました。
「で、王女が王様になれないわけだけれども。この国はまだまだ戦争にいくからね。好戦的な女性が少ないわけではないけど、圧倒的に男性のほうがその気質が出る事が多い。それで、息子に継がせることが多くなったんだな。そのうち、それが慣例となって、今じゃ息子しか継げない職業になったということだ」
「でも、」
とノーマンが首を傾げます。
「アンっていうお姫様はよそにお嫁に行ったけど、そのくにで“魔女”だからって処刑されて戦になった、ってご本にありましたよ」
「それはね、」
お星様ゼリィを柄の長いスプーンで掬い上げて口に運びながら見上げてくるノーマンにショーンが片眉を跳ね上げました。
「この国は、多くの魔法使いがいる。オレもそうだし、オレの師匠もそう。昔から、この土地が魔法使いには心地良い土地なんだね」
はい、とノーマンが頷きます。
「それで、アン王女が嫁いだ先だけど。エルリッヒ王には昔から愛していた相手がいてね。二国の間の平和を保つためにアン王女を自分の花嫁として受け入れたけれども、本当は邪魔だったんだ。それで、邪魔なアンを二国を戦争状態に発展させないでいなくならせる為には、それだけの理由が必要だった」
きゅと眉根を寄せて、ノーマンが見上げてきます。
「魔法使いは、この星で生きている人間という種類の存在としては最強だ。もちろん、弱い魔法使いもいるし、かわいい魔法しか使わないで周りを幸せにするだけの魔法使いもいるけれども、魔法の本質は自然の中にある力を自分の中にある魔法の力で変質させて、自分が願うように使える力だ。だから、個人差はあるものの、強い魔法使いは誰よりも強い存在に成り得る」
はい、と頷きながらノーマンが見上げてくるのに満足してショーンが頷き、それで、と言葉を継ぎました。
「この国は魔法使いを国の要人として雇い入れている。オレもそうだし、オレの師匠もそうだ。この国が最も魔法使いにとって住みやすい土壌の国なら、最強の魔法使いが集う確率が高いだろう?その確率でしかないことを、実際にそうであるようにしておくために、王は多大な対価を支払って優秀な魔法使いが多くこの国のために存在しているよう、努力するんだ。だが、そうしたら他の国は?魔法使いにとって最高の対価を支払って彼らを国に留めておけないとなったらどうする?」
「どうなるんですの。とりにくるの?おれのおししょうは誘拐されたりするんですか?!」
ひゃあ、と大いに焦ってノーマンが言います。
「たいへんですよ…!!!」
あわあわあわ、と手足をばたつかせるノーマンの額を掌でくっと押して、ショーンが片眉を跳ね上げます。
「あんなお固いの、いても気苦労が溜まるだけだと思うけどなぁ。まあ、そういうことじゃなくてな。いや、それもアリっちゃあアリかもしれないが、魔法使いがその土地に魅力を感じていないんだぞ?最強の魔法使いを誘拐しても、それが気に食わなかったら魔法使いは力を駆使してとっとと国に帰って来られる。それじゃ意味がないだろう?」
「あら」
口元を抑えたノーマンにくすくすとショーンが笑います。
「しかも、その捕らえた人間がものすごく後悔するほど、手ひどい仕返しをして帰ってくるだろうな」
「……めだまが飛び出て舌がのびちゃいますか」
そうこっそりとつぶやいたノーマンの額をびしっと指でつついてショーンが片眉を跳ね上げました。
「オマエ、読んだらダメな棚のほうの本読んだな?」
ノーマンがこっそりと呟いても、ショーンには丸聞こえです。なにしろ、ショーンは稀代の大魔法使いなのですから。
「落っこちてたんですよう」
額を押さえ込んだノーマンに、ショーンが小さく鼻を鳴らします。
「悪い妖精がイタズラしたに決まっているだろうが」
あっさり踊らされやがって、と呟いてから、ショーンが講義に戻ります。
「ま、それはともかくとして。魔法使いは、この国以外を好まない。また、この国に生まれなかった魔法使いは、いずれ住みやすいこの国に住み移ることを望む。ということは、他の国にとっては、魔法使いとはいずれこの国にやってきて、この国のために働くようになる最強の存在ってことだな?」
むーん、と唸ったノーマンが、それでも頷きを返したことに小さく頷いて、ショーンが言いました。
「全部の他の国がそうとはいわないが、エルリッヒ王の国は、魔法使いは全て殺すことにした。どのみち、弱い魔法使いの存在を許していても、それらが束になったって強い魔法使いひとりに拮抗する力を到底持ち得ないし、いざ強い魔法使いの子どもが生まれたとしてその子供がこの国に移り住んでしまったら、脅威以外の何ものにもならないだろう?魔法使いは他のフツウの人間よりは力があるから留めておいたら魔法を持たない人間を圧迫するだろう、という恐れも手伝って、可能性を含めて全てを排除することに決めた。それは、王家の血筋のものでも例外ではない、と昔の王が決めたんだな。妾に産ませた子供が魔法使いで、王家を乗っ取ろうとした事例もあったらしいから、とにかく魔法使いが怖かったんだろう。で、そういうルールがあったから、必要でないアン王女を手っ取り早く排除しようと思ったなら、彼女が魔女だったことにしてしまえば、例外はないんだから言い訳がつくだろう?魔女だったことを黙って嫁として娶らせたのは、こちらの落ち度、というわけだ」
顔を顰めてショーンの説明を聞いたノーマンが、むぅ、と唸りながら言いました。
「やっぱり、どの王様もぼくは嫌いですよ」
珍しく気難しい顔をしたノーマンに、ショーンがくすくすと笑いました。
「これが王でなくて議会であっても同じことだ。力のある個人を恐れるだけしかできない無能な連中こそ、人を統べたがるからな。そうなると、魔法使いを管理しようとするし、できないとなると排除したり、抑えつけようとする。人間とはそういう気質のものだよ。個人同士ならまだ分かり合ったり許し合ったりできることも多いが、国ぐらい大きなものの話になるとな、なかなかそうはいかない。幸い、この国は多くの魔法使いが望む国だからこそ、待遇はいいがな。将来的にはどうだろうな…まあそういう危惧があるからこそ、オレの師匠みたいなのが要職に着いてるんだ」
最後は自分に言い聞かせるように講義を続けているショーンに飽き始めたのか、ノーマンが 「しぉ?」とシャンパンソーダのグラスをスプーンで掻き混ぜながら声をかけました。
「うん?なに、ノーマン?」
「しぉはあんしんしててくださいね、ぼくが守ってあげますからね」
真面目な口調で言ったノーマンに、くすくすとショーンが笑いました。
「そうだね。オレの心をノーマンは守ってくれているんだもんね」
おいで、と膝をとんとんとショーンがします。グラスを手にとことことやってきたノーマンが、「あのね、」と言いながらショーンの膝の上に座って見上げます。
「ぼくはつよいこぐまだったんですから、つよいんですよ?」
ぴん、と胸を張ってふにゃりと笑ったノーマンに、ショーンがくすっと笑って、そのふっくらとした唇に口付けを落としました。
「そうだね。強いこぐまだったものね、ノーマンは」
「あとね、」
一層ふにゃふにゃと柔らかな笑顔になってノーマンが言い募ります。すりすり、と後頭部をショーンの肩口に押し付けて、ご機嫌です。
「こんど、お星さま釣りにはいついきますか」
「星?」
「ゼリィにしたり欠片にしないと。イー二ィミーニィマイ二ィがごはんの心配をしちゃいますよ」
「ああ、」
「あ。モーもね」
「そうだね」
くすくすと笑いながら、ショーンがノーマンをぎゅうっと抱きしめました。
「あと2週間くらいで丁度いい星降りの夜になるから、その時にいこう」
「流れ星。またたくさん取りましょう」
「もちろん」
ふにゃあ、と蕩ける笑顔を浮かべたノーマンの唇を吸い上げ、ふぁ、と開いた唇の間に舌先を差し込みました。
とろとろと柔らかく甘い口付けを交わしながらノーマンの喉元を指裏で擽れば、ノーマンが夢中になってショーンの舌先を吸い上げていきます。ふるふる、と身体を小さく震わせて、一瞬で身体が熱くなっていくのが腕の中で感じ取れます。
このまま庭で押し倒して喰っちまおうかなぁ、とのんびりとショーンが思いましたが、びり、と意識を電撃で打たれたように感じ、そうっと口付けを解きました。
次の瞬間、春部屋の麗らかな空のどこかから案山子のカブがやって来て、とすん、と地面に刺さりました。スティックの腕には大きな鏡がぶら下がっており、その中では黒い影が国境の森に飛び込もうと果敢に攻撃しているのが見て取れました。
ショーンのシャツをぎゅうっと握ってショーンとカブをまん丸い目で交互に見上げてくるノーマンを膝から下ろして、ショーンが立ち上がりました。
「ノーマン、ちょっと仕事にいってこなくちゃ駄目になった」
く、と表情を引き締め、まっすぐにノーマンを見詰めます。
「留守を頼めるかな?」
「しぉ…」
心細くなってしょんぼりとしているノーマンの頭をぎゅうっと抱きしめ、その髪に唇を押し当てて、ショーンが言いました。
「できるだけ早く帰るから、いい子でね」
「でも。あの、」
一生懸命見上げてくるノーマンの首もとから下がっているネックレスを掴んで、師匠の名を小さな声で呼び、必要なら元の姿に戻ってノーマンを守るように告げ、それからノーマンを見下ろしました。
「なぁに?」
「なんだか、お胸がぞわぞわってします、」
胸元をきゅっと掴んで、涙目になったノーマンが訴えます。
「どうしてもいかないとだめですか、しぉお、」
ちゅ、と目元にキスを落として、ショーンが言いました。
「オレが張り直した結界を破ろうとしているからね。オレが行かないと、魔法が持って行かれる」
すでに涙声のノーマンの髪をさらりと撫でて、ショーンが微笑みました。
「大丈夫。オレは最強の魔法使いだからね。長引かせたりなんかはしない」
いい子でいてね、と告げて、ショーンがくるりと背中を向けました。それからカブが持っていた鏡を指を鳴らして扉にさせ、そちらに向かいます。
「しぉ、」
不安を声に落とし込んだノーマンを振り返らずにひらりと手を振って、ショーンが扉を開けて踏み出します。
縋り付こうとしたノーマンの手が捕まえきる前に、ふわりとシャツの生地が翻って、扉の向こうへと消えていきました。
そして、ノーマンがもう一度目を瞬く前に、扉ごとショーンの姿が消えてしまっていたのでした。