れもん
すかっし
ふんふんふん、と歌いながらノーマンはお台所の床にモップを掛けていました。
モップは魔法では動いていませんが、その代わりにお台所のテーブルは脚をひょいと上げてモップを避けますし、木の椅子は自分から飛び上がってとことこと歩いてお掃除の済んだ場所に歩いていきます。
そのうち面白くなって、ノーマンはぴょんっと跳ねました。 そうすると、椅子も真似をして飛び上がりました。いっしょにテーブルもどしんと飛び上がります。
「あら」
これは面白いです。 トントンっとモップで床を叩いてリズムを取ります。
そうしたなら食器棚の扉も一人でに幾つも開いていくのに、ますますノーマンの目が光りました。
こうなってしまっては、もうノーマンは止まりません。
大きな声でお歌を歌いながらお台所中をモップを掛けて走り回ります。
たまに床からモップを浮かせてくるくると回して、椅子までいっしょになってくるくると回って、テーブルの上に独りでにでてきたお紅茶茶碗もぐるぐる回ります。
ふんふん、どころではなくて、わあひゃあ、にノーマンの声は変わっています。
一本だったはずのモップも、二本になっていてノーマンは大喜びです。
「ひゃあっほうー」
勇ましい掛け声と一緒にノーマンがモップに足を両方乗せて床を滑ってみます。 ぎゅん、とスケートのように滑ります。
「おもしろいのねえ…!」
お台所のモップがけがこんなに楽しいことだとはしりませんでした。
もっと早くからすればよかったですね、と思いながらノーマンはご機嫌です。
朝ごはんのお仕度をして、ショオンと一緒にごちそうさまをして、お皿を洗って、それからお掃除をすることにしたのです。
いつも、お台所の床はほうきで掃いていることが多かったので、モップ掛けは今日はじめてだったのです。
ぎゅん、と反対側の壁まで滑ってノーマンは目をきらきらとさせています。
壁に手を着いて、勢いよくノーマンが反対側の壁まで今度は滑ります。
「ひゃっはー!」
けれど、どんどん食器棚が近付いてきます。
棚が慌てぴょんぴょん避けますが、大きな食器棚が突進してくるノーマンを避けるだけの場所は無いのです。
「−−−ぁあああらーー?!」
モップがぎゅうっと向きを変えようとしますが、スピードが出すぎていて。椅子が慌てて止めに間に入りましたが、だめでした。 椅子も弾かれて反対側の壁まで飛んでいってしまいます。
「ひゃあああああ」
食器棚にぶつかってノーマンが床に転がりました。
ごいん、と頭を床にぶつけますが、客間のソファが大慌てでクッションを飛ばしてくれたので二回目はじかに床に頭をぶつけることはありませんでした。
「うぅううー」
くらくらとする頭を抱えてノーマンが唸りました。
森のなかで「くま」だった頃はもっとたくさん転んだり怪我をしたり痛いこともいっぱいありましたから、これくらいへっちゃらなノーマンでしたが、痛いことよりもびっくりが先立っています。
「……びっくりしましたよう」
驚いて涙がでてしまいます。
お星様が頭のなかでぴかぴかしているようです。
「うぅーむー」
唸って、ノーマンが身体を半分起こしました。
まぁるくノーマンの周りに心配して集まっていた椅子やテーブルやコップやお椀にノーマンは、へいきですよと呟いて、よろよろと立ち上がります。
すぐにモップが手に飛び込んできましたが、モップは自分が悪かったとしょんぼりとしているようでした。
「ぃたくないけど、びっくりびっくりですねえ」
はぁ、とノーマンが大きな溜息を吐きました。
「―――もう、おそうじはおわりですよ」
すこし、脚が痛い気がします。お台所の床に転んだときに捻ったようでした。
すこしの間、お椅子に座って休ん方が良いかもしれません。
森でくまだったときも、お怪我をしたときはじっとしていれば大丈夫になれました。
それに、大好きなショオンはいま、お勉強部屋で「おしごと」をしているのです。どんなに心細くなってもショォンのおしごとの邪魔はしたくないノーマンなのでした。
ひょこひょこと軽くびっこをひいて、ノーマンはお椅子に座りました。そして、寂しくならないように、お掃除の間にもずっと着けていた「らじお」の音を大きくしてみます。
「らじお」はきれいな歌や不思議なお話をいつも聞かせてくれるので、ノーマンの大好きな「きかい」でした。
たまに、風邪を引いてしまってがーがーいうこともありますが、そういうときはショオンにお願いして風邪を治してもらうのです。
「きょうはなんのお話ですかしら」
わくわくとします。 きゅーっと音のダイヤルを回します。
「あ、あんまり大きいとしょおんの邪魔になっちゃいますもの」
よいしょ、と少し大きなダイヤルを戻します。
前にいちど、精一杯ダイヤルを右に回して一番大きな音にしたとき。窓がびりびりいって床が震えてしまって、そうしたならショオンがすぐにお勉強部屋から出てきてくれて、ラジオの音を戻して。
『ノーマン、こんなに大きくしては耳をダメにしてしまうよ』
そう言って、め、というお顔をしたのです。
だから、もうラジオの音はいっぱいにはしないのです。お家中がびりびりいって、あれはあれでとても楽しかったのですが。
がーがー言うコトも無くて、すぐにラジオはなにかのみゅーじっくを歌います。
「あら」
今日は、ノーマンはお話が聞きたかったので「不思議なボタン」を幾つか押します。
そのボタンを押すと、ラジオが別のことを教えてくれるのです。
「−−−あ!」
きらんとノーマンのまっさおな目が光りました。 ラジオがお話を始めたのです。
『―――です、今日はもう暑いですね』
「あついですねえ」
はい、とノーマンが頷きます。
湖で水浴びをしても楽しいでしょう。それくらい、今日は暖かです。
今日のオヤツのあとはショオンにお願いして湖までいきましょうか、とノーマンがうっとりとします。
『キングスタウンでも季節の風物詩が見られましたよ』
「ふうぶつし…?」
ラジオのお話に、こく、とノーマンが首を傾げます。
あんまり傾げたので、さらさらと髪が流れてお顔の半分が隠れてしまうほどでした。
ふうぶつし、とはいったいどんなオシゴトをする人なのでしょう。
「ふうぶつやさんかしら」
でもふうぶつってなにかしら、とノーマンの頭が不思議でいっぱいになります。
『レモンスカッシュの屋台が出てきました。もうすぐ夏ですね』
きらーんとノーマンの目が光りました。おはなもひくひくします。もしこぐまのままだったなら、真黒の濡れたお鼻を空に向けてくんくんしていたでしょう。
「れもんすかっし……!!!」
これは知っています。 しゅわしゅわして、甘くてでもすこしすっぱくて、きゅーんとする飲み物です。
ショオンに何度か作ってもらったことがあるのです。 いっぱいいっぱい、あいしあって、くらくらのふらんふらんになってしまったとき、しゅわしゅわした飲み物をもらったのです。
大好き、といったら名前を教えてくれました。それが、れもんすかっしでした。
「んんんー…」
聞いたら、急にあのしゅわしゅわが呑みたくなってしまいました。
れもんすかっしは、レモンとシロップと氷とお水としゅわしゅわでできているのです。
食料棚には黄色のレモンは沢山ありました。氷だってあります。お水だっておいしいのがあります。
しゅわしゅわは、何でできてきるのでしょう。 棚にはいっているなにかの不思議スパイスかもしれません。
「お砂糖ですかねえ」
むーん、とノーマンが唸ります。 何回か首を捻って、少しの間考えます。
「つくってみましょう…!」
ぱああっとノーマンのお顔が華やかな笑いでいっぱいになります。 なんだって挑戦する元こぐまです。
「さぁああ、すかっしですよう……!!」
えいえいおー、とでも言いそうな勢いです。
ラジオももうお話をやめて、楽しいみゅーじっくを掛けてくれています。
ぴょんっとお椅子からノーマンが跳ね起きます。もう、脚だって平気でした。
まずは、レモンをたくさん切ってしまわなければなりません。
「すっかし、すかっし〜〜〜」
即興で作ったれもんすかっしの歌をうたいながら、ノーマンがバスケットいっぱいのレモンを取り出してテーブルに並べます。
それから沢山の氷と、冷たいお水とを用意して、そしてまずはおいしいシロップを作ることから始めます。
ことことと氷砂糖を煮詰めながら、ノーマンは楽しくてしかたありません。
ふんふんとお歌の続きを歌います。
「しゅわっとすかっし〜〜」
そして、棚に手を伸ばします。たくさんあるスパイスの中から、まずはひとつ選び出します。
「これでしゅわってしますかしらね?」
ふんふん、と意気揚々と搾ったレモンとお水と氷にシロップを足して、スパイスを入れます。
「−−−あ!」
一瞬だけ、しゅわんっと小さな氷の弾ける気持ちよい音がしますが、すぐにスパイスは溶けてしまいます。
「−−あら」
ほんのすこし、ノーマンがしょんぼりとしました。
「でも!次ですね!」
けれど元気よく次に挑戦します。
けれど、ショオンが『使ってもいいよ』と言ってくれているスパイスを全部試してみても、しゅわっとならなくて。
レモンも殆ど全部搾ってしまって、ノーマンはくすんとハナを鳴らしました。 しゅわしゅわとならないのです。
いろんな種類のコップに、虹色のそれはそれはきれいな飲み物がいくつも美味しそうに並んでいますが、肝心のれもんすかっしはできないのです。
レモンをたくさん搾って、おハナはつんつんするし、一口ずつためしで呑んでいたのでお腹もぱんぱんです。
「−−−−すかっし、」
ほと、とノーマンの大きな目から涙がほとりと零れました。
オイシイすかっしを作ってあげて、ショオンのお勉強しているところに持っていってあげたいのに、できないのです。
「ぅう」
哀しくなって、ノーマンが椅子に座りました。
ひん、と情けない哀しい声がノーマンのお声になって出てきます。 ごしごしと目を擦りますが、涙は止まりません。
「−−−ひぃん、」
心底哀しそうな細いかん高い声まで洩れてきます。
椅子にまるまって、しくしくとノーマンは泣き出してしまいました。