炭酸




最愛のノーマンを手に入れることが出来てからというもの、ショーンの機嫌は概ね上昇気流に乗っていることが多くなっていました。
たまに下降する時は、イチ、仕事で面倒臭いことを命令される、ニ、とんでもないことをノーマンが仕出かす、くらいしかなかったので、気分が低空飛行している時のほうが少ないとも言えたのです。
希代の魔法使いであるショーン・ペンドラゴンですので、気分が良いと魔法の出来も良く、仕事も比較的さくさくと進みます。
ですので、決めた時間分だけ働いて、ショーンは今日もオヤツの時間であることを確認して、仕事場を後にしました。
ショーンの仕事場には危険なものがとにかく沢山あるので、自宅であるお城とは空間を繋ぐ魔法のかかったドアを潜って出入りします。
ショーンにしか開けられない出入りできない空間となっているので、誤ってノーマンが開けてしまったとしても、そこには壁しかありません。
万が一、他の魔法使いがやってきた時のためのプロテクションも兼ねているので、その魔法を解除しようと思ったことのないショーンでしたが、この魔法の空間ドアを使ってしまうと、一つだけ問題が起こります。 それは、ノーマンの様子が伝わってき辛いことです。
命に関わる大変なことが起きれば、生きている城が判断して、ショーンに警告を発する仕組みになっているので、ショーンは安心して仕事に出かけていました。
移り気でドジっ子のノーマンの機嫌は特に上下が激しく、その感情が直に伝わってくると気になって仕事にならないばかりか、そもそも過保護なショーンが一々ノーマンのすることに付き合っていたらノーマンの自立のためになりません。
それに、毎日ノーマンがゴキゲンに生活していることを目指して暮らしていますが、ノーマンにも色々なことがあって色んな気分になっているのは人としてはアタリマエのことです。
ですので、仕事が終わった途端、ノーマンがはしゃいでいたり、何かに拗ねていたり、怒っていたりするのを感じ取るのは楽しいことでもありました。
今日はどうなんだろう、と思いながらショーンが廊下を歩いていると、城がざわざわとしていました。 ぴょこたんぴょこたん、と遣ってきた羽箒が何かを報告したそうに跳ねています。
ははン、何かしでかしやがったか。 そうショーンが思い至って、羽箒に促されるままにキッチンへと向かいました。
ドアを開けた途端、甘くて酸っぱい匂いがツンと鼻につき。山のように半分に切られたレモンが転がった床に直にしゃがみこんで、しょんぼりと項垂れたノーマンがしくしくと泣いているのが目に入ってきました。
すい、と片眉を跳ね上げて、ショーンがノーマンの側へと歩いていきました。
「ノーマン、どうした?」
金色混じりの甘い茶色の髪にまでとろりとしたもので汚れたノーマンが、顔を上げました。 泣き濡れた頬にも、口許にも、鼻先にも、べとべととしたシロップがこびり付いています。
にっこり、とショーンが微笑みかけます。
「何時にましても甘そうだね、オマエ?」
そう言いながらノーマンの顎を捕まえて仰向かせ、ぺろりと鼻先を舐め上げます。
「ひ・・・っぃいい、く」
悲しい声でしゃくり上げたノーマンの様子に、ぱちん、と指を鳴らしてベタベタを魔法で落としてから、立ち上がりがてら泣いているノーマンを抱き上げます。
きゅう、と抱きついてきたノーマンを抱えたまま、キッチンの椅子に腰掛ければ。
しぉ、と悲しみに溢れた声で呼びかけられて、その甘いキンイロ混じりのマロンの髪に口付けました。

「んん?」
「す、っか……、ッ」
ひいいっく、としゃくりあげ、またほとほとと涙を零すノーマンを膝の上で抱えなおしてから、濡れた頬を手のひらで拭ってやり、ショーンがちょんっとその唇にキスをしました。
「スカ?」
こく、とノーマンが頷きました。
「すか、っし……ッ、」
ぴん、とショーンにはなんのことなのか思い当たりました。
レモンとシロップに“スカッシ”ならば、レモンスカッシュを作ろうとしていて思い切り失敗した、ということなのでしょう。
「飲みたかったの?」
柔らかい口調で訊ね、頬をさらりと撫でてやれば。ふるふる、とノーマンが首を横に振りました。
「しぉ…っに、つくって、あげたか、ったのぉ、」
ほとほと、と涙を零すノーマンがちらっと見遣った先には、虹色になったレモン、プラス水、プラスシロップ、プラス氷、プラス??から出来上がった様々な謎ドリンクが並んでいました。
そしてテーブルの真ん中には、スウィッチをきられたラジオが。
いまこの国は夏に差し掛かっており、キングスタウンではレモンスカッシュが流行っている、とショーンも聞き及んでいました。
それをニュースか宣伝か、とにかくラジオで聞いたノーマンが、触発されたのでしょう。
にこ、とショーンが笑いました。
「しゅわしゅわが作れなかったんだね?」
涙に濡れた顔でノーマンが見上げてきて、ぱちん、とショーンが指を鳴らしました。
どこからともなく、魔法の百科事典が現れ。テーブルの上に自分から乗せられました。 レモンスカッシュ、の項目をショーンが開きます。
「レモンスカッシュには炭酸水が必要、って書いてあるでしょう?家にあるのは全部、普通のお水だけだからできないんだよ」
「たんさ、」
えぐぅ、と泣いたノーマンの身体を僅かに揺らして、くすりとショーンが笑いました。
「ま、それは普通の人間が作るなら、の話だけどね」
濡れて揺れるブルゥアイズがじっと見詰めてくるのに、す、とショーンが首を横に傾げました。
「しゅわしゅわの元、取りにいこうか」
こく、と同じ方向に首を傾げたノーマンに、くすりとショーンが笑いました。
「丁度、無くなりかけてきたことだし。今度は、じゃあノーマンも一緒にいこう」
こきゅ、とノーマンの喉が鳴りました。
「なくなるの…?」
「そう。使えば無くなるものだよ」
こくん、と嗚咽を飲み込んだノーマンの頬を、目尻に辛うじて留まっていた涙が転がり落ちていって、ショーンがくすりと笑いました。
きゅう、としがみ付いてきたノーマンの耳に口付けて、ショーンがぱちん、と指を鳴らしました。 それで、あっという間に百科事典も、謎の虹色ドリンク類も消えてしまいます。
「−−−−−あ、」
小さな声で呟いたノーマンの顔を覗き込みます。
「うん?」
「じゅーす、」
きゅう、と一生懸命見上げてくるノーマンに笑って、とん、とその唇を啄ばみました。
「おやつ、まだだね。まだちょっと残ってたから、レモンスカッシュも作ろうか」
なくなっちゃいましたの?と訊いてきたノーマンの髪をくしゃりと撫でます。
「ちょっとあれは飲めないからね…ダメだよ、コリアンダーとか入れては」
「おいしいのも、ありましたよ?」
「そうだったんだ?どの色の?」
「ピンクと、水色と、紫と」
と指を折りながら数え始めたノーマンにくすりと笑って、ショーンが立ち上がりました。
「でもそれだけ飲んで試したなら、オマエはちょっと飲みすぎだよ」
「ほかにもいっぱいありましたの」
するん、とノーマンを座っていた椅子に腰掛けさせ、は、と見上げてきたノーマンの唇を啄ばみました。
「うん。お腹がたぽんたぽんだよ、ノーマン」
「はい」
こくりと頷いたノーマンに、ショーンが笑いながらオヤツの仕度に取り掛かります。
「じゃあ、オヤツは入らない?」
むーん、と唸ったノーマンが、すこし、というのに頷きながら、暖かい紅茶とショートビスケットのオヤツを用意し始めます。
「あのね、」
手早く作業するショーンの背中に、ぺとん、とノーマンがくっ付いて訊きました。
ノーマンのお顔が肩口くってりとくっ付くのに、ショーンが僅かに肩越しにノーマンを見遣ります。
「もと、ってなんですか」
「元はね、お月様の無い夜に取りにいくものだよ」
くすん、と笑いながら、普段ノーマンが開けることのできない戸棚を、ショーンが開いて小さな瓶を取り出しました。中には、きらきらきら、と輝くものが2個ばかりありました。 くう、と首を傾げていたノーマンが、ぱあ、っと顔を明るく輝かせました。 目も中のきらきらと同じくらいに輝いています。

「―――――しぉ…!」
「はい、これはなんでしょう?」
「ねぇ、しぉ…!それ、おほしさま?!」
きゃあ、と大喜びしながら興奮するノーマンに、ショーンがにっこりと微笑みかけました。
「そうだよ。魔法使いは星のカケラでしゅわしゅわを作るんだよ」
「すごい…!すてきです…!」
きゅうう、とますます抱きついてくるノーマンの輝く目を覗き込んで、ショーンがさらさらと金茶色の髪の毛を掻き混ぜました。
「次のお月様の無い夜は、網を持って流れ星を取りにいくよ」
「あの、ねえあのねえしょぉん・・・!」
興奮を抑えきれないノーマンに、うん?とショーンが首を傾げます。
「あの、その小さいきらきら、食べたらどうなりますか…!!」
うずうず、としているノーマンのために、ショーンがカケラを一つ取り出しました。
「ノーマンは魔法使いじゃないから、口に入れてもこれはこのままだよ」
はい、と指でノーマンのうっすらと開いたピンクの唇の中に星のカケラを落とし込みました。
「おほしさまゼリィ…?!」
「ダイヤよりも硬いでしょ」
もくもく、と口を動かせば、ノーマンの口の中でかつかつと星のカケラが歯に当たる音が響きます。
目が不思議そうに見上げてくるのに、ショーンがにこりと笑いました。
「前にオレが作ったのは、星型ゼリィ。これは星のカケラだよ」
ふわん、と目が蕩けそうな笑みを浮かべたのに、さらん、とショーンがノーマンの頬を撫でました。
ひょい、と伸び上がったノーマンが口付けてくるのに笑って受け止め、星のカケラが舌先で差し出されるのを受け取ります。
かつん、とショーンが噛んだ瞬間、しゅわっ、と星のカケラが溶けました。
それを、魔法使いであるショーンは飲み込みます。星のカケラは魔力の塊でもあるのです。
「―――――ん…ん、」
甘い声を上げたノーマンに笑って、ショーンがとろりとその甘い舌を吸い上げました。
「んふ…っ」
ちゅく、と甘く絡め取ってから、キスを解きます。 ふる、と震えたノーマンの目を覗き込んで、ショーンが言いました。
「さあ、納得したならおやつにしよう。そしたら、星釣りの夜に何を着ていくか、考えような」