湖へ
お
散
歩
ノーマンはベッドに行く前に毎日、空を見ておりました。
窓辺にくっついて空を見上げて、お月さまの様子を見ていたのです。どんどん、半分だったお月様が痩せていって三日月になって。 ショォンの言っていた、『お月様の無い夜』が近付いていくのにどきどきとしていたのです。
昨夜外をみたときは、お月様はもう糸のように細くなっていたので朝からノーマンは手足が温かくなってしまうほど期待にいっぱいになっていたのです。
だから朝ごはんの仕度をしているときに、お紅茶を用意していたならミルクを沸き零してしまいましたし、『あぁあっつう』と零れたミルクを拭こうとして転んでしまいかけて、あやうく一大事になるところでした。
ショオンが後ろから転びかけたノーマンの首根っこを掴まえて引き上げてくれなければ、沸かしたミルクを頭から被ってしまうところでした。
普段からおっとりしていてよく家のなかで転んだりぶつかったりするノーマンですが、こうまでうっかりしてしまったのは、今日がいよいよ待ちに待った『お月様の無い夜』だからでした。
「しょおん…!」
驚いたせいでよけいにどきどきとしながら抱き上げられたままで、ショオンを見上げます。
「気をつけないと怪我をするよ」
かちりとショオンがコンロの火を止めてから、静かにノーマンに言いました。
「びっくりしました、」
だって、とノーマンが続けます。
「きょう、お星様を取りに行くかと思うとどきどきするんです」
それに、ノーマンにはもうひとつ気になっていたことがあるのです。
今日のためにショオンはノーマンの新しいお衣装を作ってくれているのですが、それがどういうものなのかノーマンには内緒なのです。
『知っちゃうと楽しみが1個減るだろ?だからいまは内緒です』
そう言って、ノーマンがいくらお願いしても教えてくれなかったのです。
キスをしてお願いをしても、お背中からぎゅうと抱きついて聞いてみても、おやすみなさいの前に抱っこされて聞いても、『内緒、って言っただろ?』とにっこりと笑ってショォンは教えてくれませんでした。
「しょぉん?」
ぎゅーっとショーンに抱きついてノーマンが言いました。
「はい?」
「お星様は夜に取りにいくんですか?」
「そうだよ。昼間は見辛いでしょう?」
「あ、そうですねえ」
ふにゃ、とノーマンが笑います。ショオンがほっぺたを軽く突っついたのです。
「黒いメガネをかけてみたら見えますか?」
ショオンが何度か色の着いたメガネをしているのを、ノーマンは見たことがあります。ああいうメガネをすればお昼までもお星様はみえるかもしれません。
「うっかりお日様を見ちゃったら目が痛くなるから、星を探すにはやっぱり不向きだよ」
「ふうん」
すこしがっかりしてノーマンがハナを鳴らします。
「大人しく夜まで待とうね」
ショオンがハナサキにちょこんとキスをしてくれたので、ノーマンがまたほわりと笑いました。
「じゃあ、じゃあね、ショォン」
思いつきに嬉しくなって、ますますショーンに齧りつきます。
「うん?」
「お星様取りにもっていくおやつを、あとから作りますね」
「ちゃんと気をつけて作ってくれるならね」
「はい。ちゃんと、お星様のカタチにくりぬいたクッキーにします」
「それは楽しみだね」
ぐるぐる、とショオンがおでこをあわせてくれたので、もうノーマンは嬉しくて仕方ありません。
「はやく夜にならないですかねえ」
「忙しくしていれば、すぐに夜になるよ」
目に見えないお星様がノーマンの周りに飛び散っていそうにノーマンはご機嫌です。
「お衣装のお着替えとか?」
ちかりとノーマンの目が光を乗せます。
「クッキーを焼くのなら、粉で大変になるだろうから、着替えるのは夜、出かける前にね」
「−−−はぁい」
やっぱり、お衣装のなぞは夜まで解けそうにありません。
でも、美味しいおやつをたくさん焼いて、夜のお散歩に出かけるのはとても楽しみです。
「あ」
大事なことをノーマンはずっと聞きそびれていたことに気がつきました。
しょぉ?と首を傾げます。
「はい?」
「お星様とりは、どこでするんですか」
きんぐすたうんなのかな、とも思います。
「前にも行ったところ。湖の側の、水車小屋があるところだよ 」
「−−−−−あぁ…!」
緑の野原の、きれいなお花がたくさん咲いているところです。 あのきれいな場所のことを考えるだけで、ノーマンはうっとりとしてしまうのです。
森の中をどんどんと進んで行って、はろうしんの時にも出かけました。
「湖、だいすきです」
「じゃあますます楽しみだね」
「はい!」
ちゅうっと嬉しくなってショオンの唇にキスをすると、ノーマンは、あ、と言いました。
「あさごはん、遅くなっちゃいましたねえ」
「そうだね」
そしてにこにことしながら、朝ごはんのお仕度を始めたのです。
「ノーマン。仕度は済んだか?」
お部屋の外からショオンの声が聞こえてきますが、ノーマンはくるん、と大きな鏡の前で一回転しました。
夕方、おやつの後にお風呂に入ってでてきたなら、脱いだお洋服の代わりに新しい素敵なお衣装がラックにかかっていたのです。
「−−−−わぁ」
お風呂上りでピンクに染まっていたほっぺたが、もっと甘い色になっています。
どきどきとしたままで、ノーマンがお帽子を手に取りました。 広いつばで、お帽子の先はとんがっていてとても長いのです。
ご本でみた「魔法使い」のお帽子とおんなじでした。
「ふふふ」
くるん、とノーマンがもう一回ターンしました、今度は時計回りです。
お帽子と、お衣装は同じ色をしています。 真白ではなくて、とても柔らかい色です。
ちょうど、繭のようなとろりと甘い白色をしています。 そして袖口が広がっていて、丈はノーマンの足先が隠れそうなほどです。
すとん、とした長いローブで、お腹のところはつるつるとした絹の組みひもで長く結わくのです。
裾から少しだけ覗くお靴の先も尖がっていて、これはぴかぴかと銀色でした。
「すてきー…!」
ひゃあ、とノーマンはこの新しい「魔法使い」のお衣装をじっくりと検分します。
「ノーマン?出かけるぞ」
「しょおおん!!」
ばーん、と全身でドアにぶつかるようにして転がり出ます。
「漸く出てきたな」
「このまほうつかいのお衣装、とっても素敵です…!」
笑っているショオンにそのままの勢いでノーマンが飛びつきます。ふわんとお帽子が背中側に落ちるほどです。
嬉しくって、脚もばたばたとさせてしまいます。
「よかった。頑張って作った甲斐があるな」
「あのね、あのね、」
生地もね、ふわふわのさらさらのとろんとろんです、と頬をピンクに染めてノーマンが興奮したような口調で一生懸命報告します。
そんなノーマンを笑顔のままでショオンは抱き上げると、唇に軽くキスを落とします。
「んんん」
ウレシイのが止まらなくて、ノーマンがぎゅうぎゅうとショオンに抱きつきます。
「きもちがいいですねえ」
さらさらと肌を擽る布地が気持ちよくてノーマンが半分目を閉じます。
柔らかい繭色をしたそれは、二重に重ねて織ってあってきらきらとお月様の粉を縫いとめたようでも眩しくはないのです。
ノーマンは知りませんでしたが、花の咲いた夜と、風の柔らかい明方と、虹のきれいな午後の空気も原材料になっています。
「いい香りもします」
すん、とノーマンがハナを鳴らします。元こぐまはいろいろと敏感です。
「そりゃ、ノーマンのための新しい洋服だからね」
それに、ショオンとお衣装は違いますが、同じ「魔法使い」の格好ができてノーマンはうれしいのです。
ぎゅうぎゅうとノーマンがくっついている間も、ショオンはいつもお出かけのときにするように、すてきなジャケットをマントのように肩に軽くかけて、袖をひらひらと泳がせながらお外に出て行きます。
「あら?」
しゃりーん、しゃらん、と銀のプレートが幾つも重なって響くような音が聞こえます。
この音は聞いたことがありました―――
「−−−−カブ…!」
ハロウィンの時に一緒にお散歩をしてから、仲良くなったショオンの使い魔です。 しゃらーん、たーん、とキラキラと輝くランタンと、あとは大きな瓶をいくつも入れた銀の籠を持っています。カブがくるくると回ると、蝶々の粉のようにキラキラとした光の欠片が周りに漂います。
「カブも一緒にお星様取りにいくんですか?」
よいしょよいしょとクッキーの入ったバスケットを片手に下げながらノーマンがショォンを見上げます。
「そうだよ。カブには荷物を持ってもらうからね」
ショオンのお耳を飾る宝石のピアスも同じくらいキラキラと夜でも光ります。 空にはお月様は無くて、それでも紺色のびろうどの上にダイヤモンドをたくさん散らしたようにお星様がたくさん出ていました。
「お星様ですね…?」
どうやって取るのかしらと、ノーマンがわくわくします。
「−−−−あぁあ!」
ぽん、と手を打ちます。思いつきました、名案です。
「しょぉ、しょお!」
「うん?」
「ぼく、ぼく、虫取り網を持ってきます…!高いところのも掬えるでしょう??!」
言うが早いが、ぱあああっともう家の中へとノーマンは駆け戻ってしまいます。長いお廊下で脚が縺れかけて転んでしまいそうになったことはショオンには内緒です。
そして、意気揚々とスキップをしながら虫取り網を持って、ショオンのところへと戻ります。
「お待たせしました」
「うん。じゃあ行こうか」
ぺこりとお辞儀をして。ずれてしまったお帽子を被りなおします。
カブの持っていたランタンに灯りが入って、それがキラキラと光りながら先頭をいきます。
そのあとを、ショオンと並んで手をつなぎながらノーマンが歩いていきました。
はろうしんのときは、森の木がぴかぴかと光るランタンを吊るしていましたが、今日はお星様が見えるだけです。
でも、この森は魔法の森なので、木の葉っぱの端っこはうっすらと明るく光るのです。
ぼんやりと、ほんの少し明るい中を、るんたるんたとノーマンはお歌をうたいながらショーンと繋いだ手も前後に振って、飛び跳ねるように歩いていきます。
ときどき、裾を踏みつけてしまってがくんとバランスを崩して「ひゃあ」と照れて笑ったりもしましたが、ちゃんと怪我をすることなく、森を抜けていったのです。
「あぁあ!」
ふ、と上を見たとき、ノーマンが気がつきました。 すうう、っとお星様がひとつ、空を流れていったのです。
「−−−−わぁ」
立ち止まって、そのまま見上げます。
「あれ、どこに落ちるんですか」
「あれが水車小屋近くの平らのところに落ちてくるんだ。湖の水が呼んでるらしい」
「不思議ですねえ…」
うっとりとノーマンが呟きます。
そして、きゅ、とショオンの手を握りました。 すい、と見下ろしてきてくれたショオンを見上げて、ノーマンがしあわせそうに笑います。
「はやく行って、お星様たくさん取りましょう…!」
「そうだね。今夜はたくさん降りそうだし」
ぼく、がんばって大きいいのいっぱい取りますからね、とノーマンがふわふわと続けます。
「ようい、どん?」
そう言うが早いが、たあああっと走り出します。
さすがに森の中で10年も「くま」をしていたので身のこなしは少し人離れしています。
しゃらーん、たーん、きらーん、とカブがくるくると回りながら追いかけてきてくれるのに、ノーマンが振り向きました。
「しょお!しょおも来てくれないとダメですよう!」
ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねます。カブも一緒になって高いところで周ります。
そうしたら、軽く地面を蹴るようにしたショオンはお空を一息に飛んでふわりとそばに下りてきてくれました。
「しょお・・・!」
ノーマンの目がきらきらと煌きます。
「それ、抱っこしてもらってたらぼくがいてもできますか?」
「もちろん」
「ひゃあ…!」
虫取り網を高く持ち上げて、ノーマンは大喜びです。 ひょい、と抱っこをしてもらて、目をまんまるに見開きます。
そして、とーん、と身体が空中に高く上って、足の下に森が見えて、ひゃあ、ともっと嬉しくなってノーマンが頭をぐるりと動かして周囲を見回します。
頭のもっと上の方ではお星様が煌いていて、少し先には湖が見えました。 湖に向かって、いくつもお星様が流れていくのも見えます。
「−−−−すてき…!」
「水の中に落ちたらダメだよ、ノーマン」
ショォンの声が笑っていたので、ノーマンもくすくすと笑いました。
「おちませんよう」
ふわふわと見えない絨毯を踏んであるいているようです。 少し下の方で、高くジャンプしたカブが森を越えて渡っているのも見えます。
「だって、夢みたいに楽しいんですもの」