17. Jake

呆然、と見詰めていた。
ジェイクと同じように、心臓が痛むかのように顔を歪めていたスカッドが、目の前に座り込むのを。
オマエは、拒絶したんじゃなかったのか…?
そう働かない頭は喚くけれども、痛む心臓がほんの僅かだけ弾んで囁くように歌った――――だったら今、目の前に居るのはなんだ、と。

感情を、行動を堪えているようだったスカッドに、ジェイクは足先で触れてみた。
手を差し伸ばして、また突き放されることが怖かった。もう何も怖いものなどないと、つい一瞬前まで思っていたのに。
そして、スカッドがふわりと痛みを堪えるように微笑んだ―――――見詰めているジェイクの心臓が、ちくん、と針に刺されたかのように痛むような、哀しみを湛えた表情。
そして、ぽつりと告げられた言葉が、ジェイクの心臓を貫いた。

ジェイ、おれ……こんなンになっちまったよ。

まるで懺悔でもするように告げられた一言に、ジェイクはきつく目を瞑ってから天を仰いだ。
それから、小さく首を横に振り、またスカッドの双眸に視線を合わせた。
じっと見詰めてくるスモーキィブルゥを覗き込んで、喉を締め付ける感情の波を押し殺して、告げなければならないヒトコトを音にした。

「ゴメン」

オマエを最初に吸血鬼どもから助けてやれなかった。
こんなにも、来るまでに時間がかかっちまった。
オマエをどうしても、殺してやれない。
オマエを、スカッド、失くしたくない。

ゴメンな、言い訳もないよ。そしてどんな言い訳も、足りないと解ってる。
だから、許してくれとは乞わない。乞わないかわりに、何度だって謝るよ。
I’m so sorry, Scud. So sorry.

ほたん、と。新しい涙がスカッドの双眸から零れ落ちていった。
真っ直ぐにジェイクを見上げたまま泣いているスカッドが痛ましくて、ジェイクは眉根を寄せた。
掠れた声が、小さく囁くようなトーンで言った。
「あんた、何言ってんの。おれがバカだったんじゃん、――――ごめんね」

ぱきん、と。心臓が割れた気がした。自分で凍らせかけた部分が。
そして、温かな何かがその部分を覆いつくしていくような気がした。
恐る恐る、手を伸ばす。
泣いているスカッドの涙を拭ってやりたかったから、そうっと手を伸ばして指裏で冷たく柔らかな頬に触れてみた。
ゆっくりと濡れた跡を、指裏で辿る。

ふにゃ、とスカッドが泣きながら、それでも柔らかな笑みを口許に刻んでいた。
唐突に、この存在を自分の総てで抱き締めたくなり、ジェイクは小さく息を呑んだ。
自分の衝動だけで抱き締めてしまえば、またさっきのようにスカッドが嫌がるかもしれない、と。なけなしの理性を総動員し、その欲求を自分の内に閉じ込め、代わりに自分の拳をきつく握りこんだ。

柔らかく微笑んだまま、不意に湧き起こった痛みに耐えるように、僅かにスカッドが顔を歪ませながら呟いた。
「そんなん、したらあんた穢れちまう」
ふい、と顔を逸らしかけたスカッドの頬を、握り緊めていた手を開いて包み込んだ。
これくらいなら許してもらえるか、と願いながら、そっと顔の位置を戻させる。
「最初っから穢れてンだ、そんなもん」
小さく笑って、目を覗き込んだ。

一度、涙を掃うようにスカッドが瞬いた。
それからじっとブルゥグレイアイズでジェイクを見詰め。くすん、と小さく笑って呟いた。
「………あんた、老けた」
そのトーンが酷く遠い昔と同じような口調だったことに、ジェイクは破願した。そして確かめるように親指でスカッドの滑らかな頬を親指で辿りながら、正直に言葉を音にした。
「おまえはどこも、全然、変わんない」
スカッドは、スカッドのままで。優しいばかりの、キレイなヒトで。
「安心した」
ふにゃ、とジェイクも笑った。

だから、今度は――――今度こそは。
失くしたくないから、自分から手を差し伸ばす。
頬に触れていた手をそうっと引き離して、スカッドの前に掌を上向けて差し出した。
「スカッド、手を」
もし、オマエがもう一度、オレに手を差し伸ばしてくれるというのなら。
いま、―――――オレを、受け入れて、ほしい。

硬直し、それでもジェイクから目を離さないスカッドに、ジェイクは僅かに首を傾げた。
ぎゅ、と拳を握り締めたスカッドが、躊躇っているのが何故だか解って、ジェイクは小さく微笑みながら言った。
「いいから、手、寄越せ」

スカッドが、ほんの僅かだけ首を横に振ってから、項垂れるコドモのように視線を落とした。
そして床に投げ出すように落とされていた自らの掌の、十字架の杭を握った時に出来て治癒されきっていなかった火傷跡を見詰めて、さらに身体を強張らせていた。

ふわり、と。自分の内側のどこかが柔らかくなるのが解った。
そして、強張ったスカッドを和らげてやりたくて、ジェイクはわざと投げ遣りに言葉を継いだ。
「スカッド、手を寄越せ。食わないから」

ジェイクの選んだ言葉に、スカッドがまた新しい涙を零していった。そして消え入りそうな声で、ぽつんと呟いた。
「……だめだよ、」
「ダメじゃない」
すぐさま否定して、ジェイクは声を和らげた。
「手を貸せ、頼むよ」
「出来ねェよ、だってオレは――――」
そこまで言って、くう、と唇を噛んだスカッドの目を覗き込むようにして、ジェイクはゆっくりと繰り返す。
「Scud, please」

びく、と肩を揺らしたスカッドが、恐る恐るといった風に視線を上げてきた。
スモーキークリスタルのように、灰色掛かっていてもどこまでも透明な蒼いスカッドの泣き濡れた双眸が、ゆらりと揺れてジェイクを見詰めてきた。
「ジェイ、」
小さいけれどもしっかりとした声で呼ばれて、ジェイクはもう一度スカッドの前に差し出し直した。
そして、スカッドが恐れていることをなんとなく理解し、正しい言葉を選べずにいても言葉を口にせずにはいられずに、きっぱりと言い切った。
「オマエを傷つけたりはしない」

ふる、とスカッドが小さく首を横に振った。
牙を僅かに覗かせて、痛みを忍ばせた声で言った。
「おれは…罠なんだよ、わかってンだろ……?」

スカッドの言葉に、ジェイクはスカッドを転化させたミナウが告げたことを思い出した。
『感謝なさい、ハーフブリード。オマエがこちらへと渡る理由を作ってやったのだから』
高慢なオンナの声をまた記憶に沈めて、ジェイクは小さく微笑んだ。
「……だったらなんだっていうんだ」
ゆらゆらと揺れる視線を落とさないまま、スカッドがジェイクを見詰め続けながら言った。
「おれは、だから……もっとずっと前に、自分から死んじまうべきだったんだ、あんたのことを―――好きなんだから」

告げられた言葉に、ジェイクは自分でも気付かない内に微笑みを深めていた。
だから、柔らかなトーンのまま、スカッドに告げた。
「…だったら、罠だろうがなんだろうが、関係ない」
オマエが、オレを好きでいてくれるのなら、罠だって構わない。
「来いよ、スカッド」
手をもう一度、顔の前で閃かせた。
「ジェイ、」
「どんな理由からだって、オマエを失くしたくない」
ジェイ、と自分の名前を呼んだスカッドの声が、精一杯痛みを堪えているのを感じ取って、本心からの言葉を継ぐ。
「オマエだけだ」

なあ、オマエだけなんだ。
いまやオレが関心を持っていて、気にしていて、重要なのは。
側に居て、大事にしたくて、―――――何を引き換えにしても構わないと思うのは。

ジェイクを真っ直ぐ見詰めてくる双眸に涙が盛り上がって、乾いたようだったばかりの頬をまた濡らしていった。
「おれ、もうあんたの知ってたおれじゃない、」
悲痛なスカッドの声に、ジェイクは目を細めた。何も哀しむことなんかない、と抱き締めてやりたくなるのを堪えて、きっぱりと言い切る。
「知ってる。けど関係ない」
オマエが、吸血鬼であっても、呪われた子であっても。
「オマエがオマエだっていうだけで、オレには充分だ」

ジェイクの言葉に、ひくっと嗚咽を飲み込んでから。スカッドが一瞬、がッ、と牙を剥いて見せていた。尖った牙の滑らかな白さを、ジェイクは瞬時に記憶した。
「かんけい、なくねェよ、」
ぼろぼろと泣き出したスカッドに、とうとう堪えきれず。ジェイクは床に落ちていたスカッドの腕を捕まえ、ぐいっと自分に引き寄せて、両腕で抱き留めた。
ひ、と嗚咽を漏らしながら引き摺られるように倒れ込んだスカッドを、ぎゅう、と抱き締めて、その黒に近い濃いブルネットに顔を埋めて告げた。
「失くしたくない」

この気持ちをなんと呼べばいいのか、解らない。だけど――――――。

ジェイ、と。辛うじて名前を呼んでくれたスカッドが縋るように腕を回してきたのに、ほわりと心が柔らかくなるのが解る。
衝動を堪えきれずに、耳や髪や額に、所構わず唇を押し当てていく。
「スカッド、」
ひぃん、と泣き出したスカッドを掻き抱いて、ジェイクは大切なヒトの名前を呼んだ。
もう、何も迷うことは無いと思った。



18.Scud

倒れ込むように抱き寄せられ、どうしても諦めることが出来ずに焦がれ続けていた腕に抱きとめられてしまえば、もう自分から離れていくのは不可能だとスカッドは思った。
ヒトの体温、他ならぬジェイクのソレに包みこまれ、一層、押し止めようと努めても嗚咽が洩れた。そして、きつく己で戒め塞き止めていた言葉が胸の内から溢れてくるのことを、止めることなど出来なかった。
「あいたか……ったよぉ、」
子どものように涙を零し、訴え。一旦口に出してしまえば、それがどれほど切実な想いであったのか、驚くほどで。
言葉を受け止めたジェイクがさらさら、と片手でスカッドのブルネットを撫でていく。

「うん、」
そう宥めるように短く返し、柔らかに応え。
「スカッド」
しゃくりあげるようにただ嗚咽を漏らすスカッドの背中に回した腕に力を込めていた。
う、と嗚咽を飲み込みスカッドもジェイクの背中に腕を回し、けれども縋り過ぎないように懸命に堪えていた。呪われた血の過度な力は感情が高まればあっさりと限界を超えるのを知っていたから。
きつく抱き締め返したい、同じだけの思いを返したいだけであるのにそれさえももう叶わないことに、ほろほろとまた新しい涙が零れ落ち、ジェイクのライダースジャケットを濡らしていっていた。

距離を置くように背中に取り縋られたことでジェイクが不意に気付き、僅かに身体を離し。胸もとのポケットに常に収めていた十字架を取り出すと、脇に投げ落としていた。
かつ、と銀が石床にあたり乾いた高音を立て。濡れて煙るようなブルゥがジェイクを弾かれたように見詰める。
「ごめん」
そうジェイクは呟き、僅かに瞠目するようだったスカッドをそのまま一層、ぎゅっと抱き寄せていた。

「ジェ……」
ひく、と咽喉が塞がりスカッドが言葉の続きを失くした。信じられないほどに幸福で、同じだけ哀しかった。留まることを忘れたように零れ落ちる涙で頬が濡れていく。視界が曖昧になるほどに。
スカッド、とまた名を呼ばれ、けれど一心にジェイクを見詰める。
「……スカッド、やっぱり…居てくれてよかった」
続けられた言葉にスカッドの瞳がほんの刹那閉ざされた。
「オマエが何であっても」
まっすぐに告げ、スカッドの濡れた頬を、ぐう、とジェイクの掌が撫でていき。その手指の温かさにスカッドが表情を歪めた。
色を僅かに深めた蒼がその温かささえ欲しているのが明白すぎるように思えてスカッドが首を僅かに横に振った、けれどもそれは否定というよりは、子どもじみた反応にずっと近かったことにスカッドは気付かなかった。
知らず痛みを訴えるように歪んだスカッドの表情に、くう、とジェイクが困った風に笑みを浮かべてみせた。硬質な蒼が僅かに和らいでいくのをスカッドは呼吸さえ潜めて見守った。

「また、オマエに逢いたかった」
ジェイクの額を額に押し当てられ、ふわりと微笑まれ。けれどその笑みは意識せずに浮かべられた、自然に生まれ出たソレだった。きっとジェイク自身は己が笑みを浮かべているなど、自覚は無いに違いなく。
その笑みに、間近で零されたそれにスカッドが全ての抵抗を封じられたかと思い、瞬きし。キレイなくすんだ蒼が間近で覗き込んでくることに、無性に苦しくなる。
ジェイ、とスカッドが小さく囁いた。
うん、と小さくジェイクに微笑まれ。
その笑みを目にして、柔らかな棘で突かれるような痛みに声が揺らぎかけるのを抑える。そして、その痛みは内を満たしていく想いを告げない限り、消えないこともスカッドは自覚していた。

おれ、あんたに言っちまっていいのかな、ジェイ………

ジェイ、とスカッドがもう一度名前を呼んでいた。
「おれは、あんたのことだけずっと想ってた……」
ずっと、あいたくて―――でもあんたにおれを殺させるのだけは嫌で、けど、と。
ここまでをやっとの想いで告げ、ほとほとと涙が自分の意思に反して零れ落ちてくるのにスカッドが唇を噛み締めていた。
そして泣きながら、ジェイクの右手を両手でそうっと握り。静かに告げていた。
「おれは……あんたが知らないころから、ずっとあんたのこと―――すきだったんだ」
秘めていた想いを言葉に変えていき、包むように重ねた手に僅かに力を込めていた。
「あんたの手……あったかいよ、」
つう、と新しい雫が滑らかな頬を伝い落ちていく。

「こんなんなる前に、いいたかったよ、」
嗚咽が競り上がり、きゅ、とスカッドが一瞬目を細め。哀しげに、それでも懸命に微笑もうとしていた。




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